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連載・特集

『生きて』 ドキュメンタリー作家 磯野恭子さん <11> 回天

証言紡いで無念伝える

 1985年、手掛けた作品が文化庁芸術祭優秀賞、放送批評懇談会ギャラクシー賞、放送文化基金本賞を射止めた。戦争末期の人間魚雷「回天」の搭乗員の生涯を伝えた84年放送の「死者たちの遺言―回天に散った学徒兵の軌跡」である

 きっかけはラジオ時代の取材でした。発射訓練基地跡がある大津島(周南市)の回天記念館での慰霊祭。5人くらいの搭乗員の遺言が朗読されました。「大和魂を」とか勇ましい言葉が続いていました。

 最後に流れたのが和田稔(少尉)の遺言でした。「私の青春の真昼前を私の国にささげる」と、ものすごくトーンが詩的なんです。無念の思いが残っている。江田島の海軍兵学校の近くで育った私は、あの格好良かった士官たちにもナイーブな感情があったのかと思い、どんな人か探ろうと思った。

 和田少尉は東京帝国大(現東京大)在学中に動員された学徒兵だった。45年7月、回天訓練中に周防灘で操縦不能になり窒息死した

 和田稔も海軍兵学校で学んだと思っていたが違った。知ったのは放送の2年ほど前。それから妹の若菜さんを突き止めて取材を始めました。

 若菜さんは和田稔がつづった革のノート4冊の日記を持っていました。これをベースに関係者を訪ね、映像化しようと思った。中曽根(康弘)内閣が防衛費1%枠を撤廃する軍拡の時代。日記にある遺言を生者はどう聞くのかと考えたのです。

 戦友には、大企業の社長がいました。被爆地で黒染めの衣を着る僧侶もいました。死者に代わって戦後を生き、復興に力を尽くした彼らの言葉から和田稔の生と死、そして回天を描くことができました。

 85年7月には、NHK教育テレビでも放送された

 民放の作品が教育テレビで放送されるのは珍しかったですよ。放送文化基金本賞の受賞スピーチで「地方局の番組を全国でなかなか再放送してもらえない。良い評価を受けても見てもらえないのが残念だ」と話したのをNHKの会長が聞いていたそうです。おかげで出演者や和田少尉の家族も見ることができました。

 戦友が戦友を紹介してくれる。台本のない取材でした。撮っていく間に道が開けていく。非常にドキュメンタリー的で私の好きな作品です。

(2010年12月16日朝刊掲載)

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