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連載・特集

『生きて』 政治学者 北西允さん <9> 運動の混迷

「排除の論理」には反対

 草の根から起こった原水禁運動は、社会、共産両党の主導権争いから当事者以外は分かりにくい「いかなる問題」で混迷を深める

 「いかなる国の核実験にも反対する」という社会党・総評と、「社会主義国の核実験は防衛的なもの」とみる共産党との対立は、統一戦線をめぐる政治路線の違いでもあった。社会党は社共共闘に一貫して消極的でした。日本原水協の執行部の多数を占めた社会党系は1963年の「2・21声明」で、「いかなる」を原則化し、反対する者は参加させない方針を多数決をとって決めます。

 僕は、原水禁運動は一種の国民運動で広がったんだから、いろんな考えがあってもいいが、原則化は「排除の論理」だと思いました。広島県原水協で、共産党系の排除は当然と考える人たちと論争になった。僕が県原水協事務局次長を引き受けたのは、理事長制から代表委員制に変わった時です。

 森滝市郎さん、佐久間澄さん、浜本万三さん、浜井信三広島市長ら6人が(62年7月)代表委員となり、事務局長は(広島大政経学部教授の)伊藤満さん。社共の対立が顕在化する中、何で僕をと思ったけれど、佐久間さんの推薦でしょう。彼は共産党員ではなかったがシンパでした。

 会合で、浜本さん(当時、県労会議議長)は「組合員12万人を代表して来ている」と言うので、僕には女房と息子しかいない、それもどっちを向いているか分からない。脅かすのは許せん、と大げんかもした。

 大体、日本原水協は大きな団体だろうと個人だろうと対等、原水禁世界大会の参加費が財政の全てといっていい、労組などとは形態が違うユニークな組織だったんです。

 63年の第9回世界大会は社共の中央での対立が抜き差しならなくなり、運営主体をめぐっても8月5日開会の直前まで二転三転する

 このままでは分裂になる、歯止めをかける声明を出すべきだと僕は佐久間さんに掛け合った。「統一を乱すことは、原水禁運動によせられた日本国民の意思をじゅうりんするものである」。この「大学人の会」有志の声明(8月3日、13人で発表)は、僕が草案をつくりました。森滝さん、伊藤さんはその場にはいなかったが賛成してくれました。

(2013年4月19日朝刊掲載)

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