×

連載・特集

シンポジウム「核なき世界へ 広げようヒロシマ発信」 詳報

 中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンターの設立5周年記念シンポジウム「核なき世界へ 広げようヒロシマ発信」が25日、広島市中区の広島国際会議場で開かれた。核問題の専門家の基調講演や、英語を自ら駆使して体験を話す被爆者、核実験被曝(ひばく)者の多いカザフスタンとの交流を続ける若者グループ代表、国際経験豊かな元国連職員を交えたパネル討論で、核兵器廃絶への道筋を探った。若者を巻き込んだ草の根の連携を進める必要性が指摘され、核兵器がどれほど非人道的か、被爆地広島を中心に国際社会に訴えるべきだなどの意見を基に論議を深めた。ヒロシマ平和創造基金、広島国際文化財団、中国新聞社の主催で、約400人が参加した。(文中敬称略)

 ≪基調講演者≫

デービッド・クリーガー氏 核時代平和財団(米国)会長

 ≪パネリスト≫

クリーガー氏
小倉桂子氏      被爆者、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」代
              表=広島市中区
小麻野貴之氏     国際交流グループ「CANVaS(キャンバス)」代表=東京
              都
ナスリーン・アジミ氏 国連訓練調査研究所(ユニタール)特別顧問=広島市中区

 ≪コーディネーター≫

田城明 ヒロシマ平和メディアセンター長

基調講演

デービッド・クリーガー氏

被爆者の道のりたどろう

 核兵器はジレンマを生みだした。核兵器に自国の安全保障を委ね続ける国がある以上、遅かれ早かれ、その核兵器が使われる時が来る。人類が全滅しかねない。なのに、多くの人は無関心だ。

 核政策に影響を与えることなどできない、と思うからだろうか。その考え方を変えないといけない。国境を越え、一人一人の力を合わせれば、大きな影響力を持つことになる。

 核兵器保有国は長年にわたり、核拡散防止条約(NPT)に公然と違反してきた。第6条が定める「核軍縮について誠実に交渉する義務」を怠っている。今月上旬までスイス・ジュネーブで開かれていたNPT再検討会議の第2回準備委員会でも、核軍縮の進展は全く見られなかった。

 準備委では、日本政府の行動も多くの人を失望させた。80カ国が賛同した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に署名しなかったためだ。核兵器が再び使用されないことが人類生存に寄与する、との内容。日本は米国の核政策に追従し、被爆者の声に耳を傾けていない、ということだ。

 日本は仮想の核兵器保有国ともいえる。何千個もの核兵器ができるだけのプルトニウムを保有し、先端技術も備えている。本当は被爆国こそ、核なき世界の実現に向け、リーダーシップを果たすべきだ。同盟関係にある米国への影響力もある。

 今こそ、核軍縮を前進させる大胆な行動が必要だ。核を持たない国で、核兵器禁止条約の交渉を始めてはどうか。まず使用を禁じ、検証しながら全廃を目指す内容にしたい。

 大事なのは希望を持つこと。被爆者は誰かが同じ思いをすることがないよう、希望を失わず、核兵器の時代を終わらせようと努力してきた。その努力があったから、ヒロシマは人間の強さを象徴する「希望の都市」となった。人類の存続がかかっている。被爆者の歩んだ道をたどろう。

◆核兵器廃絶に向けて◆

小倉氏 政府動かすのは市民

 田城 核抑止論は間違っている。そう被爆地から発信しながら、核の傘に守られている日本は、核抑止論を打ち破れない。核兵器廃絶に向け、どう克服できるでしょうか。

 クリーガー 核を持てば安全保障を確保できるのか。そうは思わない。核抑止論は、敵国に脅威を与えることで自国の安全を保てるという仮説だ。しかし、全ての国のリーダーやテロリストに理性があるとは限らない。誤った考え方で倫理に反している。

 小麻野 核兵器がいかに非人道的なものか、国際的な枠組みで訴えることが必要だ。核保有国がいかにイニシアチブを発揮できるかも重要だ。その思いや問い掛けを発信するのは市民だ。国家レベルだと政治的な枠組みにとらわれ、国益にも縛られる。国際的な草の根の連携を進めたい。

 小倉 世界には自分の国が核を持つことに安心感を持つ人もいる。そして若い世代の多くは、核問題はどこかの国のリーダーが取り組むものだと思うだろう。そんな核問題に無関心な人が考え方を変える瞬間は、被爆者の話を聞いた時だ。犠牲者の数だけではなく、その後の人生の苦しみを知った時、核兵器は絶対悪だという強い思いを持つ。理屈じゃない。

 アジミ 核抑止にかかるコストは膨大だ。生活保障や教育費のコストを上回る額を核兵器に使っている。安全保障という虚構にお金を充てるためにどれだけの大事な事業を諦めているか。

 クリーガー 核抑止に代わるものは核兵器廃絶だ。その実現に向け、不可逆的に段階を踏み、透明性のある条約を作るべきだ。日本はそのリーダーになりうる。そして核兵器を生みだし、最初に使い、拡大をしていった米国もリーダーシップを発揮する責任がある。

 田城 しかし、スイス・ジュネーブでの2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第2回準備委員会では、80カ国が賛同した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に被爆国日本は賛同しませんでした。

 小倉 政府と市民との間には温度差がいつもある。原発政策も同じ。でも、変えるのはみなさんです。被爆者の声を一度でも聞いた人は責任がある。

 クリーガー 若者のリーダーシップを広島から広げてほしい。いつかではなく、今こそそれが求められている。

◆被爆地の役割◆

小麻野氏 継続的な活動不可欠

 田城 ヒロシマからの発信を強めるため、被爆地のメディアにどんな取り組みを期待しますか。市民活動への提言はありますか。

 クリーガー 被爆地の物の見方を米国に伝えることは、とても有用だ。被爆地のメディアは、海外のメディアと協定を結んだらどうか。海外メディアのウェブ上に記事を載せれば、ヒロシマの見解が広められる。

 小麻野 いいアイデアだ。海外メディアと連携し、合同シンポを開いてもいい。市民運動には、継続が欠かせないと思う。私自身、カザフスタンの資料を作り、身近な友人に1人、2人と見せることから始めた。続けるうちに興味を持ってくれる人が増え、活動の幅が広がった。また、インターネットの発達で世界がより身近になっている。今はウェブを通じた発信にも力を入れている。

 小倉 米国の地方紙のジャーナリストらを被爆地に招致する「アキバ・プロジェクト」をかつて実施していた。今度は、核保有国を中心に海外の若者を広島に招いてはどうか。彼らが取材、執筆した記事を母国に発信してもらえれば、同世代の若者にも読まれる。大きな影響力を持つはずだ。また、被爆地の新聞は記事を多言語化し、発信する取り組みを続けてほしい。資金の問題もあるだろうが、英語だけではなく、韓国語などにも広げてはどうか。

 アジミ 広島が持つ独特の力は何だろうか。「許しても忘れない」ことだ。メディアにも市民にも、共通のメッセージを送りたい。私たちは形式にばかりとらわれ、物事の本質を忘れてしまいがちだ。今の取り組み方が本当に適当か、自問自答を重ねないといけない。その営みが、より賢明なアイデアを生むことになる。若い人にはいろんな事に興味を持ってほしい。全ての事象にはつながりがある。ヒロシマもフクシマも、日本の戦後史も米国防総省の予算も、核エネルギーも…。一つの側面を見ただけでは物事は判断できない。だから詩、歴史、政治、科学など幅広い本を読んで。物事を関連付け、考える努力をしてみてほしい。

◆核の平和利用◆

アジミ氏 再生エネ推進努力を

クリーガー氏 核拡散の不安拭えぬ

 田城 核の平和利用について、どう考えますか。メディアもかつて原子力発電については「未来のエネルギー」と受け止めていた時代がありました。

 小麻野 米国との冷戦下にあった旧ソ連が繰り返した核実験は核の平和利用という名目もあるが、ほとんどが軍事力強化が目的だった。住民は、実験で放出された放射能を長期に浴びる深刻な被害に直面した。カザフスタンでは、大地や水が汚染された。実験場周辺のセメイ(旧セミパラチンスク)市を流れる川は、ロシアを通って、北極海に注ぐ。その川にも汚染水が流れ、国境を越えた放射能汚染が知らない間に起きていた。世界に放射能汚染の不安を与えた福島第1原発事故と重なる。

 アジミ カザフスタンと違って日本は地震が多い。狭い国土で、人々はどこに避難するのか。核エネルギーはごくわずかでもリスクはあり、持つことは許されない。なのに日本は、原発輸出を進めようとしている。道義的に許されるのか。原発の解体にも時間がかかる。放射能汚染に絡んだコストを考える必要がある。

 クリーガー 平和利用というが、原発で生まれた使用済み核燃料から核物質を取り出せば、核兵器に転用できる。核拡散の懸念の種となり、核兵器のない世界を実現できない。人類にとって危険な放射性廃棄物は処理の解決策もないのに、何十万年も影響が続く。戦争やテロで原発が破壊されることもある。

 アジミ 日本は再生可能エネルギーの分野で遅れ、米国や中国に先を越されている。日本は経済的なインセンティブを考えても進める意義はある。技術を持っているなら、最大限の努力をするべきなのに。

 小倉 外国人から「どうしてヒロシマは原発について考えないのか」とあきれられたことがある。確かに「原発は政府の問題」と、長い間耳を傾けない被爆者も多かった。若者には新しいネットワークの輪を広げ、どんどん議論してほしい。

プロフィール

デービッド・クリーガー
 42年米ロサンゼルス生まれ。68年ハワイ大で博士号(政治学)取得。サンフランシスコ州立大准教授などを経て、82年非政府組織(NGO)「核時代平和財団」(米国)を創設、会長に就任。編著書多数。米国の高校生ら若者たちへの平和教育にも取り組む。

おぐら・けいこ
 37年広島市中区生まれ。爆心地から約2.4キロの牛田町(現東区)で被爆。80年ごろから広島を訪れる海外の平和運動家や芸術家らの通訳・コーディネーターを始める。84年平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)を設立し、代表に就任。

こあさの・たかゆき
 79年広島市安佐北区生まれ。広島市立大4年の01年、カザフスタンの被曝者支援ツアーに参加。現地の実情を学ぶ。若者との交流継続を目的に03年CANVaS(キャンバス)を設立。これまでに6回カザフを訪れている。

ナスリーン・アジミ
 59年イラン生まれ。17歳でスイスへ移住。88年国連訓練調査研究所(ユニタール)の本部プログラム・コーディネーター就任。03年、初代広島事務所長。09年に退任後も、広島で平和活動に取り組む。米紙などにも寄稿。

    ◇

 パネル討論では、インターネットのテレビ電話を通して、米国のジャーナリストで平和運動家のダイアナ・ルース氏にも加わってもらう予定だった。しかし、急病のため中止した。

事例報告

 シンポでは、広島や宮城の若者たち4組による平和な世界に向けた活動事例の報告もあった。東日本大震災の被災地、宮城県を訪れた五日市高(広島市佐伯区)は、現地での活動を紹介。同校と交流している宮城県農業高(名取市)は、津波被害や福島第1原発事故による農畜産物への影響を説明した。国際協力機構(JICA)の元青年海外協力隊員は、海外の派遣先で開いた原爆展を振り返った。中国新聞ジュニアライターは、企画・運営を担当して3月に開いた「中高生ピースマイルフェスタ」の様子を報告した。

宮城県農業高生 復興への取り組み紹介

 宮城県農業高は、生徒会長の長谷部朋美さん(17)ら3年生4人と白石喜久夫校長(59)が、校舎に壊滅的な打撃を与えた津波や、原発事故による農作物への風評被害について報告した。

 津波で校庭にあった自動車が何台も押し流されていく場面を映像で紹介。移転を余儀なくされて、今は同じ名取市内の仮設校舎で勉強しているという。津波の中でも生き延びた牛を大切に育てるなど、復興に向けた取り組みも披露した。

 白石校長は、原発事故について「隣の宮城県でも影響が続いている」と指摘。風評被害で宮城県産の野菜や果物、米が敬遠されているなどの現状を明らかにした。「緑豊かな日本の自然が失われるのは悲しい」と強調した。

 「廃虚から広島を復興させ、世界平和のために頑張っている広島の皆さんに恥じぬよう一歩ずつ前に進みたい」と決意を表明。この日見学に訪れた原爆資料館から贈られた被爆アオギリ2世の苗木を手に持って見せながら、学校に持ち帰って育てることを約束した。

五日市高生 被災地と歩む決意新た

 五日市高の2、3年生4人は、震災の被災者に寄り添い続けることの大切さを訴えた。昨年11月、被災地の宮城県を訪問。農地復旧を手伝い、宮城県農業高に視聴覚機器を贈ったことを報告した。

 仮設住宅を訪れ、家族や友人を失ったお年寄りから話を聞こうとした。被災者にもっと寄り添うため、信頼を得ようと、焦らず耳を傾ける、大きな声であいさつする―などを考えて実践した。「家族や友達がいるなんて当たり前だったけど、実はとても幸せなこと」「一日一日を大切に生きないと」。少しずつ語られた言葉に涙が止まらなかったという。

 2年の醍醐真弥(だいご・まなみ)さん(16)は被爆者の亡き祖父を思い出した。原爆投下時は旧制広島二中(現観音高)2年。爆心地近くで建物疎開をするはずだったが、急に1年生が行くことになり、1年生は全滅。生き残った罪悪感から被爆体験を話すことはなかった。そんな祖父の姿と、大切な人を亡くした被災者や、原発事故の影響で不安と苦しみを強いられている人たちが重なったと述べた。

 3年のアダム・エルドリッジさん(17)は「被災者に寄り添い続けることが私たちの使命」と締めくくった。

元海外協力隊員 原爆展で体験継承担う

 小坂(おさか)法美さんは、青年海外協力隊員として赴任した中米ニカラグアで2004年、初めて開いた原爆展の体験を語った。「海外原爆展を通して見えたヒロシマ」と題して、広島の被爆の実態と復興について海外に伝えていく意義を訴えた。

 ニカラグアには03~05年の2年間駐在。現地は内戦直後で貧しく、人々は希望を持てない状況だった。被爆地ヒロシマの名前は知っていても、復興の歴史については知らない人が多かった。

 小坂さんら広島県出身の隊員4人は、復興への希望や平和の大切さを伝えよう、と首都マナグアなど3カ所で原爆展を開催した。

 「相手の国が憎くないのか」。来場者から聞かれ、答えに詰まり自ら問い続けた。「被爆者は、同じ思いを他の誰にもさせてはならないという願いを込めて、私や次世代に体験を伝えてきたからだ」との結論に達したという。

 小坂さんらの取り組みをきっかけに、青年海外協力隊員による原爆展は、カンボジアやエチオピアなど世界各地で開催されるようになった。これまでに56カ国100回を超す。

 小坂さんは「報復の連鎖ではなく、和解の心こそがヒロシマの価値。世界に広げ、核廃絶につなげていきたい」と強調した。

ジュニアライター 身近な活動 重要性訴え

 ジュニアライター12人は、3月30日に中国新聞ビル(広島市中区)で開いた「中高生ピースマイルフェスタ」について報告。世界平和に向け身近なことから行動すれば、思いは国を越えてつながる、と強調した。

 実行委員長を務めた高3坂田弥優(みゆ)さん(17)が「中高生のつながりをつくるとともに、私たちの活動をより多くの人に知ってもらいたい」とフェスタ開催のきっかけを説明した。

 音楽ステージでは、地元広島の中高生が原爆をテーマにした曲を演奏、被爆ピアノの伴奏で平和への祈りも歌った。東日本大震災で国内では最悪の原発事故が起きた福島県から招いた葵高(会津若松市)合唱部は、歌に復興への思いを込めた。

 ワークショップは、身近な「いじめ」や国際協力など七つのテーマで実施。「平和とは戦争や核兵器のない状態だけではなく、身の回りからもつくり出していける」「平和実現には悲しい出来事でも人に伝えることが重要」などの意見が出た。

 報告の最後に、フェスタで話し合ったことをまとめた宣言文「私たちのピースマイル」を読み上げ、「寛容な気持ちを持つ」「相手を信頼する」など七つの行動目標を実行するよう呼び掛けた。

応援ボード贈る

 ジュニアライターは、宮城県農業高の生徒に、ひろしまフラワーフェスティバル(FF)で来場者と作ったメッセージボードと、ちゅーピー高校生新聞特別号「学ぼうヒロシマ」を贈った。

 ボードは縦45センチ、横60センチ。復興支援のメッセージを書き込んだ黄、オレンジ、緑色の折り鶴約千羽を隙間なく貼り「PEACE」「SMILE」の文字が浮かび上がるようにしている。「学ぼうヒロシマ」はタブロイド判、24ページ。ジュニアライターが取材した被爆者の体験記事などをまとめている。

 報告を終えた同校生に、ジュニアライターが壇上で手渡した。

 シンポジウムは、広島県、広島市、公益財団法人広島平和文化センター、国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所、国際協力機構(JICA)の後援と、広島県教育委員会の協賛を得て開催した。

 宮城県農業高(名取市)の校長と生徒4人は、東日本大震災被災地を支援する中国新聞社と中国新聞中国会連合会の「届けよう 希望 元気 キャンペーン」の一環で招いた。

 <この特集は、二井理江、田中美千子、増田咲子、加納亜弥、折口慎一郎、新山京子が担当しました。 >

(2013年5月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ