米国のヒロシマ記者 <中> インターネットニュースサイト副編集長 ジョセフ・コープランドさん
13年6月17日
ジョセフ・コープランドさん(64)=米ワシントン州シアトル市
被爆者の思い ブログで
核拡散問題 日本は発言を
―アキバ・プロジェクト参加の意義は。
広島と長崎で取材した被爆者が米国への憎しみを超え、核兵器の廃絶に努力する姿に衝撃を受けた。米国が歴史を振り返って何度も憤るのとは対照的。滞在中に核廃絶を強く願うようになった。
―帰国後の活動は。
地元紙に戻ってから1週間にわたって特集を組み、19本の記事を書いた。読者から「戦争を始めたのは日本で、彼らについて話すのは無駄」との批判も受けた。だが、紙面では核問題に触れ続けた。広島、長崎での体験に大きな影響を受けたからだ。
2009年に勤めていたシアトルの地元紙が廃刊になり、ずっと心に残っていた広島を家族と再訪し、被爆者取材を再開した。かつて長崎で取材した原爆孤児の女性にも再会できた。彼女は学生に原爆について教える熱心な語り部になっていた。
―ブログにまとめられているそうですね。
「ヒロシマ・ストーリーズ」という自分のブログを立ち上げてリポートする活動も始めた。被爆者に残された時間は少なく、思いを引き継いで早く書かなければいけない。
10年からは、非常勤も入れて記者15人ほどの小さなオンラインニュース会社で記者を続け、放射能汚染の問題なども取り上げている。70年近く原爆報道を続ける中国新聞社には驚いている。米国のメディアは一つのテーマでこれほど長期の取材はできないと思う。
―この30年で変わったことは。
米国の外交政策を批判することが容易になった。かつては自国の政策を帝国主義的だと批判するのはほぼ不可能だった。01年9月11日の米中枢同時テロで一時、ほとんどのメディアは政府の政策に反対するのが非常に難しくなったが、現在は乗り越えた。
ただ、以前と比べ、読者に平和問題への興味を抱かせるのは難しくなった。イラク戦争開戦には多くの人々が強く抗議したが、政府は強引に進め、反対した人々は落胆した。
―北朝鮮が核開発などを進めています。
北朝鮮問題を考えるときに、日本は米国の「核の傘」に頼ってはいけない。それは広島が訴え続けてきたこととは明らかに異なるはず。なんとか共存の道を探るべきで、核兵器を脅しに使うのは正しくないと認識すべきだ。
―核兵器削減はどうすれば実現しますか。
米国はイランやパキスタンへの核拡散問題に積極的に関与せず、いつか彼らが諦めるだろうと消極的な姿勢だった。原爆被害を受けた日本は米国に対し、核拡散問題について強い発言力があるが、安倍政権にはメッセージを伝える気は全くないように見える。日本人のモラルと経済力をもっと活用すべきだ。
―最も伝えたいことは。
被爆者のリーダーたちが高齢で亡くなり続け、広島や長崎がこの先、影響力を保ち続けられるか心配している。日本政府がちゃんとリーダーシップをとらないと、被爆者の声は弱くなると懸念している。(ニューヨーク山本慶一朗)
ジョセフ・コープランドさん
1948年、オハイオ州生まれ。86年にアキバ・プロジェクトに参加。地元紙「シアトルポスト・インテリジェンサー」の論説委員などを経て、2010年からオンラインニュース社「クロスカット・ドットコム」の副編集長。
(2013年6月15日朝刊掲載)