×

連載・特集

写真家 土田ヒロミ ヒロシマの実情を告発

 生き抜いてきた「原爆の子」が語る。

 「被爆しながらも、かろうじて生き残った私たちは、不本意にも亡くなられた多くの方々の分も生き続けなくてはならないのです」(早志百合子・談)。

 「小さな幸せ、ささやかな幸せがいかに大事かを知り、憲法の持つ意味の重さを知る。家族の力は大きい」(有重舜年・筆)。

 「今になって、あの被爆体験が、人間の想像を絶した異常な体験だったのだと思いしらされています。あのような尊厳のかけらもない人の死、またそれを見過ごさざるをえなかった者たちの体験」(伊藤君子・談)。

 これらはみな2005年の発言。土田ヒロミ著「ヒロシマ2005」(NHK出版)に写真とともに収録されている。

 長田新編「原爆の子」(1951年、岩波書店)は広島の少年少女の原爆体験記。写真家、土田ヒロミ(39年~)は76~77年、この本に出てくる107人と連絡をとり、写真集「ヒロシマ1945~1979」(朝日ソノラマ)を刊行した。そして、「ヒロシマ2005」は被爆60年の年の再訪写真文集。107人中16人が会いたくない、8人が撮影を断ったという。

 「原爆を肯定するなどととらえては困ります」とくぎを刺しながらも、ケロイドは「私の一生をつくり上げてきた力にもなったといえるかも」(浅枝正忠)と、協力してくれる人もいた。土田は、「この不幸が少しは自分をましに導いてくれたかもしれない」(坂口博美)との言に感銘する。逆境に自分ひとりで立ち向かう生き方なのだ。だが、被爆の実情が伝わらず、被爆者の声が響かなかった時期の社会の側のことも忘れてはならない。

 「原爆は、命やモノを破壊しただけじゃないんです」(原美恵子)の後に僕は、核兵器を全廃できていないのは人類の恥辱だともつけ加えたい。大人が子どもを守れない。弱者を見捨てた―。そういう事態があっていいのか。

 土田の仕事は冷戦の現場にも広がり、「ヒロシマ」にとどまらない。その特長は主張を一方的に突き付けるのではなく、静かで端正。他者に寛容な懐の深い作風。倫理性を備えた作品だが、本質は告発なのだ。現在は原発事故で苦しむフクシマを撮影中である。

 彼の仕事を知れば、被爆地ヒロシマに住む私たちの、被曝(ひばく)地フクシマに対する関心は、と気になる。原爆の日を前にした今日5日、広島で彼のトークがある。(美術評論家=広島市、絵・題字も筆者)

 「写真家土田ヒロミと若者の対話」。午後5時から広島市中区袋町の旧日銀広島支店で。入場無料。

(2013年8月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ