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若さでつながる 広島→福島 ボランティア隊の交流 <上> 同行ルポ

掃除や対話 自主性向上

被災者に力を与え与えられ

 東日本大震災からまもなく3年がたつ。被災地は古里に帰れない避難者の精神的ケアなどでまだまだ助けを必要としている。広島県内の中学生や高校生たちでつくる「高校生災害復興支援ボランティア派遣隊」が昨年12月下旬、福島県内の仮設住宅を訪れた。現地でのボランティアに密着した。(馬場洋太)

 「立ったり座ったりは腰が痛くて。なじみの電気屋さんが震災後に地元を離れて困ってたの」。南相馬市鹿島区の仮設住宅。一人暮らしの安達チヨ子さん(84)が、エアコンや窓回りの掃除をする生徒を頼もしそうに見つめた。

 市立広島工業高2年国近瑞樹君(16)と同級生の大宝棟丸君(16)。広島市安佐南区を拠点とする派遣隊の一員として、引率教諭を含む計5人で被災地を訪ねた。

 安達さんの自宅がある同市小高区は、2016年4月に居住制限が解除される予定。だが、戻りたいと考えている住民は2割未満という。人が戻らなければ商店が成り立たず、高齢者は暮らせない。「ここで終わりだと、年中考えてる…。愚痴になったけど、でもだれかに聞いてもらいたかった」。安達さんに礼を言われ、2人に笑顔が戻った。

 派遣隊は、広島県立西高教諭日上雅義さん(48)の呼び掛けで昨年3月に発足した。中高生約30人が参加し、今回の訪問を含めて計5回、福島県内の仮設住宅で交流を重ねている。

 今回のメーン行事は、昼のお好み焼き交流会だった。広島の企業から提供を受けた食材を使い、集会所内でエプロン姿の生徒が焼き方を実演する。住民は「お祭りの屋台が来たみたい」と2人の手さばきを見つめ、熱々を頬張った。

 「3年たって忘れられていくんじゃないかとみんな思ってる。こうして若者が遠くから来てくれるだけでパワーになる」。自治会長の藤島昌治さん(67)が国近君と大宝君のへらさばきに見入った。

 昨夏に仮設住宅を訪れた派遣隊員の同級生に勧められ、参加を決めた2人。だが大宝君は、野田佳彦前首相の「収束宣言」が記憶にあり「今から被災地に行って何ができるだろうと半信半疑だった」と明かす。

 津波で家を失った人たちが住む同県いわき市の集合住宅を訪ねた初日。集まってもらった被災者6人を前に、生徒2人はすぐに質問が思い浮かばなかった。それでも「津波の時に持ち出せばよかった物は」などと尋ねるうちに「福島イコール原発になり、津波被災者は忘れられている」などと本音が出始めた。

 津波の教訓や今後の不安などを語った後、「失ったものも大きいが、震災が縁で出会えた人もいる」と前向きな言葉を口にする女性もいた。自治会長からは「広島で被災地の状況を伝えてもらえるのはすごいこと。活動を誇りに思ってほしい」と逆に励まされた。

 「自分に何ができるか」と帰路の車で思いを巡らす2人。大宝君は「一人暮らしのおばあちゃんは寂しそうだったが、帰る希望も捨てていないはず。また話をしたい」と再訪を誓った。

 国近君は、仮設住宅で聞いた「大量のチラシがポストに入り、郵便物が紛れる」との話を思い出し「木工の腕を生かして、チラシ専用のポストを贈ろう」と思い立った。年明けに早速、学校近くの建設会社で端材を手に入れ、試作を始めた。

 派遣隊のサポーター代表を務める日上教諭は「生徒たちが自分から動いてくれるようになりうれしい」と成長ぶりに目を見張る。春休みには、20人規模で再び現地を訪ねる予定だ。

(2014年2月3日朝刊掲載)

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