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故金井利博氏の資料 8000点 広島大に遺族が寄贈

■編集委員 西本雅実

 被爆地からの原爆報道の礎をなしたジャーナリスト金井利博氏(1914~74年)が残した約8千点の資料が、遺族から広島大文書館に寄贈された。大江健三郎氏や被爆歌人正田篠枝らヒロシマの表現者からの貴重な書簡が含まれている。同館は目録を作りウェブでも公開し、既に集めた原水禁運動の資料などとともに総合的な研究を進めていく。

 「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨さとして知られたか」。中国新聞論説委員にあった金井氏は1964年、広島市での原水爆被災3県連絡会議で被爆の実態を伝える「被災白書」づくりを提唱。核を国家の論理ではなく人間の立場からみる視点は、原爆ドーム保存や爆心地復元運動など市民、大学、行政、メディアによるさまざまな取り組みをもたらした。

 資料は、金井氏が死去直前に「核権力 ヒロシマの告発」を著すまでに集めた関連書籍をはじめ、自ら奔走した広島ペンクラブ設立(1949年)にさかのぼる文化復興の記録、書簡が柱をなす。

 大江氏からの書簡は、金井氏との出会いも記した「ヒロシマ・ノート」(65年刊)をめぐる思いや白書運動への賛同、追悼文などが見つかっている。

 また、現在は平和記念公園にある原民喜詩碑の建立に共に尽力した梶山季之、原爆歌集「さんげ」作者の正田、山と海の暮らしをとらえた民俗学者宮本常一や作家山代巴との親交を伝える書簡も残っていた。

 資料は、金井氏の長女山本ゆみ子さん(61)が広島市東区の旧宅で整理し、「平和学術文庫」がある広島大文書館への寄贈を決めた。  館長の小池聖一教授は「金井さんの歩みそのものが、ヒロシマの訴えがどう形づくられてきたのかを知る歴史といえる。資料を検証し、被爆地に根ざした平和学の深化を図りたい」と話している。


大江さん書簡 きずな物語る 故金井さんの仕事称賛


 ノーベル文学賞を1994年に受けた大江健三郎さん(75)は、著書の「ヒロシマ・ノート」(岩波新書)で、金井利博さんを「被爆して死んだ者たちの声において語ることを願っているジャーナリスト」と表した。広島大文書館に寄贈された金井資料から見つかった大江さんからの書簡の一部を、本人の承諾を得て紹介する。

 「文藝春秋」の貴稿は実にすばらしいものでした(注・65年5月号に収録された「ヒロシマ記者の足跡」)。僕はあなたの文書の、硬い志というか、ますらおぶりというか それがすきです(略)さて、『ヒロシマ・ノート』の発行は8月ですが、その時だと宣伝臭いので、五月はじめ、50万円、前借りして、30万円を重藤先生(広島原爆病院長の重藤文夫氏) 20万円を「原爆被災白書」運動準備資金の一部に、金井さんあて送ります。お使い下さい。このお金は、なんというか、パンフレットの印刷代かなにかで。あなたが自腹を切っていられるのを、ホテンしたいだけです。<1965年4月16日投函(とうかん)のはがき>

 金井利博氏のお仕事の意味は、しだいに特別な重要さをあらわしていると思います。若い人たちのみならず、学者やジャーナリストが「核権力」という言葉を使い、「核の威力」「核の悲惨」ということを言います際、―それは金井さんの言葉です。あなたは金井さんの定義に正確にそくして使っていられるでしょうか? という言葉は、しばしば私の喉(のど)もとまでこみあげたのでした。 <大江さんが編集世話人を務めた「日本の原爆文学」(ほるぷ出版)に金井さんが1974年に著した「核権力」を再録。妻の満津子さんにあてた1983年10月21日付の手紙>

(2010年3月8日朝刊掲載)

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