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来年没後60年 被爆作家原民喜に光

■編集委員 梅原勝己

 被爆作家原民喜(1905―51年)に光を当てる動きが目立ってきた。広島市以外では初となる「原民喜展」がふくやま文学館(福山市)で開催される一方、代表作「夏の花」の漫画化が計画されている。文学碑もゆかりの地に建立される。来年が没後60年というだけでなく、社会不安が募る時代に、「救い」としての民喜文学の輝きが求められている、といえそうだ。

 「原民喜展」(22日まで)は、没後50年の2001年、生誕100年の2005年に次いで3度目。今回は同文学館と、民喜を顕彰する研究者や文学者たちで構成する広島花幻忌の会の共催で、サブタイトルは「戦争の世紀を生きた詩人」。「夏の花」「原爆」の言葉があえて外された。

 同会の海老根勲事務局長(68)は「原爆作家でない一面を強調したかった。『夏の花』が突出して有名なことは、作家民喜にとっては不幸だったかもしれないからだ」と説明する。民喜の親友だった作家の故遠藤周作さんが1983年、民喜三十三回忌で広島を訪れた際「民喜を原爆文学のジャンルに閉じ込めないでほしい」との言葉を残したという。

 原稿や写真、書簡など約180点のうち、注目を浴びるのは、原爆被災時に鉛筆書きされた小ぶりの手帳。被爆直後の光景がリアルタイムで記述され、後に「夏の花」に生かされた被災時ノートだ。

 その克明なメモのために「夏の花」は被爆体験の記録として読まれることが多かった。「だが、この作品は優れた記録文学の一面もある叙情小説」とみるのは評伝「原民喜」の著書がある岩崎文人広島大名誉教授(65)。

静かな叙情本質

 堤に被災者の群れがさまよう描写に挟まれる少年時の魚捕りの回想。ごろりと横たわる「無造作な死」の山が描かれる前、亡妻に夏の花を手向けるプロローグ。「喪失感を受け入れる静かな叙情が民喜文学の本質。『夏の花』も、単なる記録にとどまらない構成ゆえに読み継がれてきた」と岩崎さん。

 民喜は「戦争の世紀」に逆行するように、非合法の社会運動、自殺未遂、モダニズムへの接近などを経て、現実社会に目を背けひたすら内面世界に沈潜する作風を、戦前に完成させた。「幼年画」「死と夢」にまとめられた作品群などがそうだ。

 原爆文学の作者として作家像が固定されたため、それらの作品が正当に評価されない「不幸」があったというわけだ。現在、書店で入手できる民喜の小説は「夏の花」と戦後作品の一部だけ。詩の代表作「原爆小景」を含む「原民喜詩集」も昨夏、十数年ぶりに復刊された。

熱狂的な愛好家

 ただ、文学史の中で傍流にありながら、一部熱狂的な愛好家を持ってきたのが民喜文学の特徴。3度も全集が編まれた作家もまれだ。没後60年間、「夏の花」から入り、古書を通じて読破する人がいつの時期もいた。

 古書店「蟲(むし)文庫」を経営する田中美穂さん(38)=倉敷市=もそんな愛読者の一人。「読むほどに親密感が増す作家」と評価する。広く親しんでもらおうと、パソコンで出力して製本した「蟲文庫文庫」として作品の刊行を始めた。

作品の力に着目

 集英社系列のホーム社は「夏の花」を漫画化、今夏発売する。企画した同社取締役の吉倉英雄さん(55)は脈々と読み継がれる民喜作品の力に着目、「未曾有の惨劇を冷徹に見据える視線。不条理な現実に立ち向かう鋼のような強さ。社会不安を抱える若者たちに民喜が身近になっているはず」と「民喜の時代」の到来を期待する。

 民喜が生前、編集を手掛けた雑誌「三田文学」に論考を発表してきた民喜研究者竹原陽子さん(33)=福山市=も現代を「民喜が求められる時代」とみる。

 遠藤周作のカトリック文学を通じ民喜と出合った竹原さんが民喜文学の根底にあると考えるのは「祈り」。「被爆後も極度の貧困と飢えに耐えて書き続けた民喜。誠実で研ぎ澄まされた民喜の祈りが疲弊した若者たちの救いとなる」と予測する。

文学碑計画の久保田宮司 記憶 後世に残したい

 広島市東区の広島東照宮に7月、原民喜文学碑が立つ。「水ヲ下サイ」で始まる「原爆小景」の一編と「被災時ノート」の一節が刻まれる。建立する久保田訓章宮司(77)に、思いを聞いた。

 民喜作品を読み始めたのは実は、数年前からだ。それまでは、民喜に限らず原爆を扱った作品は避けてきた。

 広島東照宮は被爆直後に重体患者の救護所になった。民喜は8月7日の夜を境内で明かし翌8日、郊外へ向け避難。旧制中学1年の久保田さんは、入れ替わるように疎開先から戻った

 石鳥居の木陰の下に、頭を西にして横たわった避難者が20~30人。中に私と同い年の女学生がいて、水を求めていた。苦しさをまぎらすためか「海ゆかば」を口ずさんでいたが、しばらくして息を引き取った。

 民喜の「被災時ノート」に「東照宮ノ欄干ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ…女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム」の記述がある

 私は記憶を封印し、民喜は記録した。たまたま被災を免れることができた運命に、私がひけめを感じたからだが、民喜作品を読んで考えが変わった。今こそ民喜が胸に響く時代だ。碑に刻む言葉の力を借りて、記憶を後世に残したい。

原民喜
 広島市幟町(現中区幟町)生まれ。旧制広島高等師範付属中から慶応大卒。作家生活の後、疎開していた実家で原爆被災。1946年、後遺症を抱えながら上京。「三田文学」を編集し1947年に「夏の花」発表。1951年、東京で鉄道自殺。

(2010年3月21日朝刊掲載)

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