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沖縄県 基地内ルポ 在日米軍 役割を強調

■記者 林淳一郎

 移設をめぐり揺れる普天間飛行場など沖縄県内の米軍5施設を3月29~31日に訪ねた。米国の在大阪・神戸総領事館と在福岡領事館が新聞記者向けに実施した視察ツアー。米側の基地関係者はそろって、在沖縄米軍が日本そしてアジア全体の平和と安定に果たす役割を説いた。日米安全保障条約改定50年の今、安保の在り方はどうあるべきか。沖縄の基地問題は、すべての国民への問いかけでもある。

 宜野湾市の密集地に隣接する普天間飛行場。ゲートそばに日米両国の国旗と国連旗がはためいていた。ちょうど滑走路は改修中で、爆音はしない。滑走路を望む小高い丘で写真撮影が許された。数機の軍用ヘリコプターが駐機する背後に住宅地が迫る。2004年8月には、隣接する沖縄国際大へのへリ墜落事故も起きた。

 第3海兵遠征軍のマイケル・アード報道部次長が、飛行場周辺の住宅は1990年代から急速に増えたと経緯を説明する。  アード次長が最も強調したのは海兵隊が沖縄に駐留する意義についてだった。「東アジアの中心にあり、部隊を迅速に派遣できる。それは日本の防衛と地域の安定のためでもある」

岩国駐留「例外」

 普天間の移設先をめぐり微妙な発言もあった。「海兵隊(の効率的な運用)は航空、地上部隊の連携にかかっている。離れると大きく機能を損なう」。県外も含めた分散移転の構想をけん制する発言とも受け取れる。

 海兵隊は沖縄から遠い岩国基地(岩国市)にも駐留している。しかしこれは、航続距離の長い戦闘機などを配備していることから、「例外」扱いという。

 普天間飛行場をめぐっては騒音など住民負担を軽減する観点から2006年、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)への移設で日米政府が合意した。しかし、日本復帰から38年たつ沖縄には今も、在日米軍基地の70%以上が集中。日本の守備の大部分を沖縄の負担に頼る実情は、普天間の県内移転だけでは変わらない。

 「人口が多い沖縄中・南部にある基地を北部に移せば、県民の暮らしを守ることができる。県外移設への期待感の高まりを否定はしないが…」。レイモンド・グリーン駐沖縄総領事も、あくまで2006年合意の移設案を念頭に語った。

 総領事はさらに、北朝鮮の核開発や中国の軍事力を指摘しながら「不安定なアジアに米軍のプレゼンスはまだ必要」と力説。「オバマ大統領が示す核兵器ゼロの目標達成前には、有効な核抑止力も大切だ」とも述べた。

政府の動き拙速

 今回は普天間やキャンプ・シュワブをはじめ、キャンプ・フォスター(北谷町など)ホワイトビーチ(うるま市)嘉手納基地(嘉手納町など)にも案内された。「在日米軍の役割を知ってもらうには情報開示が重要」とグリーン氏。ただ、基地の米軍関係者からは「個人的な見解を言う権限が私にはない」との発言も相次いだ。

 鳩山由紀夫政権は、普天間飛行場の移設先を決着する期限を5月末とする。鳩山首相は最近「腹案がある」との言葉も使う。軍事力による抑止力は果たして日本やアジアに恒久的な平和と安定をもたらすのか。沖縄の基地に接すると、日本政府の動きは国民の総意を形成するには「拙速」にも思えてくる。

普天間飛行場移設
 日米両政府は1996年、沖縄県宜野湾市の住宅密集地にある米軍普天間飛行場の返還と移設で合意。日本政府は1999年、同県名護市辺野古沿岸域への移設を決めた。2006年の在日米軍再編の一環で両国政府は、移設先を辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部に変更。移設期限を14年とした。2009年の衆院選で県外移設を掲げた鳩山由紀夫民主党代表は首相就任後、再検討に着手。県内外の代替地探しが続き、分散・段階移転案なども浮上している。

(2010年4月5日朝刊掲載)

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