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米新核戦略 広島の被爆者八木さん 「廃絶の訴え緩めぬ」

■記者 林淳一郎

 原爆投下国の新たな核戦略指針「核体制の見直し(NPR)」に、広島市安佐南区の被爆者、八木義彦さん(75)の思いは複雑だ。核兵器の使用を限定する内容は確かに「明るい一歩」だと思う。だがこれでは、家族5人を奪った核兵器をゼロにする道筋はまだ見えない。「廃絶の訴えを緩めるわけにはいかない」。

 7日朝。新聞が報じるNPRの概要に八木さんは喜び半分、やるせなさ半分だった。「核兵器をどう使うかであって、決して廃絶への計画ではない」。淡々とつぶやいた。

 65年前、原爆は父と3人の姉、弟の計5人を奪った。当時11歳の八木さんも爆心地から1.5キロの白島国民学校(現中区の白島小)で被爆した。母は戦前に病死していた。

 3歳下の妹と再会し、中国の戦地にいた兄は戦後2年ほどたって戻ってきた。きょうだいの苦しい生活が続き、八木さんは中学を2年で退学。以来、乾物問屋を定年退職するまで働き通しだった。

 原爆に奪われた家族5人の名を墓碑に刻んだのは戦後50年たってから。「気持ちの整理をしたくて」。核兵器の問題に向き合い、人前で被爆体験を口にするようになったのは、それからのことだ。

 新NPRは、核兵器使用を極限の状況に限って検討するとした。そこに「核なき世界」を目指すオバマ大統領の意志は感じる。「だが本音は、古い核を処分したいだけじゃないか」。そんな疑問がぬぐえない。

 核超大国は核抑止力を堅持するとの方針も変えない。「核抑止を必要とする限り、廃絶は難しくなると思うんよ」。自身の周辺でもこれまで「米国の『核の傘』は日本の防衛に必要だ」との声を何度聞かされたことか。

 その原爆投下国で5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議がある。広島医療生活協同組合(安佐南区)に誘われ、八木さんは訪米を決めた。「子や孫を危険にさらす核兵器に、どんな未来を託せるのか。米国の市民は自国の核戦略をどう見ているのか。意見を交わし、粘り強く訴えていきたい」。決意はいっそう強固になる。

(2010年4月8日朝刊掲載)

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