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井上ひさしさん死去 核廃絶 願いやまず 被爆者の声 舞台に

■記者 伊藤一亘、道面雅量

 「被爆者の言葉は人類が立ち直るためのよりどころ」。9日亡くなった井上ひさしさんは広島への原爆投下をたびたび戯曲にして発表し、戦争責任を問い掛け、核兵器廃絶を願ってやまなかった。

 「父と暮せば」(1994年初演)は被爆で生死を分けた父娘の対話を描き、映画化もされた。広島でも、座付作家を務める東京の劇団「こまつ座」や地元劇団が上演した。

 徹底した資料の収集と読み込みによる労作。被爆者の鳥越不二夫さん(79)=広島県府中町=は、こまつ座団員に被爆体験の取材を受けた。広島初演を見て「無数の被爆者の体験を結晶させた舞台に感嘆した」。プロデューサーを務める劇団で3度上演した中井久美さん(40)=広島市安佐南区=は「『何度でも上演して』と頼まれ、平和への思いをひしひしと感じた」と語る。

 演劇鑑賞団体の広島市民劇場は8月例会で上演する。亀岡恭二事務局次長(66)は「考証が行き届き、人間観察が深い。演劇が人を変える力を持つことを信じた人だった」と悼む。

 井上さんは、原爆で全滅した移動演劇隊を描いた「紙屋町さくらホテル」(1997年)、被爆直後に口頭でニュースを広めた逸話を基にした朗読劇「少年口伝隊一九四五」(2008年)も発表。「長崎のことも書きたい」と意欲を見せていた。

 こまつ座社長で三女の井上麻矢さん(42)は「井上芝居を守り、次の世代に必ずつなげる」と決意を述べた。東京・新国立劇場で上演中の「夢の裂け目」など、井上作品を多く手掛けてきた演出家の栗山民也さん(57)は「歴史や経済、政治への大きな視点で世界や日本、人間を切り取った人」と話した。

 昨年6月、広島市内であった「子どもの本・9条の会広島」の設立総会に井上さんを招いた児童文学者三浦精子さん(73)は「私たちが井上さんの精神を引き継ぐことで応えたい」と力を込めた。

(2010年4月13日朝刊掲載)

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