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ヒストリー

ヒロシマの記録2006 4月

2006/4/3
広島市が、被爆体験の証言を20年以上続けている14人を含む市政功労者計76人と13団体を表彰。二つの県被団協など被爆者関連7団体も表彰
2006/4/4
住民グループや地元町内会が広島市中区白島九軒町の白潮公園に植樹した被爆桜6本がすべて根元近くから折り取られているのが判明
2006/4/5
国際環境保護団体グリーンピースのロシア支部が、チェルノブイリ原発事故の死者はロシアだけで推計6万7000人に上ると発表
2006/4/6
内戦、大量虐殺で約100万人もの犠牲者を出したルワンダのエミール・ルワマシラボ駐日大使が、広島県被団協の坪井理事長と意見交換し「ぜひ経験を母国で話してほしい」と要請
2006/4/7
県立高で最後の被爆建物だった広島商高(中区)旧校舎本館の柱や階段の手すりの一部などが、新本館のモニュメントとして保存され披露
2006/4/10
広島市が、原爆ドームについて2045年の被爆100周年を目標に耐震工事を施しながら現状保存する方針を示す
2006/4/11
広島市が、有事対応の指針として06年度中の策定をめざす「市国民保護計画」に対し、広島県被団協(坪井理事長)など5団体が、核兵器攻撃を前提とした計画を作らないよう秋葉市長に申し入れ
2006/4/11
イランのアハマディネジャド大統領が演説し、ナタンツの実験用核施設で原発用核燃料にもなる3・5%の低濃縮ウランの製造に成功したと正式に発表
2006/4/13
広島市が、原爆ドーム敷地表土から法定基準の1・3―33倍の鉛が検出されたと発表
2006/4/13
世界保健機関(WHO)が4月26日に発生20年を迎えるチェルノブイリ原発事故の健康被害に関する最新の報告書を公表。ウクライナ、ロシア、ベラルーシの3カ国で、事故に起因するがんによる死者数は最大で9000人に達すると推測
2006/4/14
ブッシュ米政権が、有事に備えて年間250個の核兵器を生産できる体制を整備し、5年ごとに新型核を順次開発するとの計画が判明
2006/4/15
原爆をテーマにした巨大壁画の誕生をたどる「岡本太郎・誇らかなメッセージ『明日の神話』完成への道」展が広島市現代美術館で始まる
2006/4/17
原爆資料館が、被爆直後の広島・長崎を収めた原爆記録映画の製作者、相原秀次(本名秀二)さん=埼玉県=が収集、保存していた写真や撮影記録、関係者の報告書など約6000点に上る資料の寄贈を公表
2006/4/18
広島への原爆投下の年や日時について、広島市内の小学高学年で5割余、中学生は3割強が正確に答えられないことが市教委の意識調査で判明。正答率は、5年前の前回よりは改善されたが、被爆50年の10年前に比べると、それぞれ数ポイント低い
2006/4/19
チェルノブイリ原発事故20年の国際会議がベラルーシの首都ミンスクで開幕。現地の日本大使館が主催する原爆展も共和国宮殿で始まる
2006/4/19
WHO下部組織の国際がん研究機関がチェルノブイリ原発事故の被曝によるがんでの死者数は、旧ソ連の周辺国と欧州全域の計40カ国で発生から2065年までに約1万6000人に達する恐れがあるとの推計を発表
2006/4/20
ベラルーシで開催中のチェルノブイリ原発事故20年の国際会議で、被爆地広島から出席した武市宣雄医師と星正治広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)教授が、現地の医療支援をもとに甲状腺がんの発生や放射線量について、専門家分科会で報告
2006/4/21
広島市の原爆資料館と世界平和記念聖堂の国重要文化財の指定が内定。ともに戦後建築では初の指定となり、故丹下健三氏と故村野藤吾氏という日本を代表する建築家が設計
2006/4/26
チェルノブイリ原発事故発生から20年。深刻な被害を受けたウクライナ、ベラルーシなどの被災国各地で犠牲者を悼む行事が行われ、ウクライナの首都キエフではユーシェンコ大統領らが記念碑に献花。キエフの国際会議では、HICAREの土肥博雄会長が世界で初めての核の被害をうけたヒロシマの歴史的使命や支援実績を報告。広島でも原爆慰霊碑前で現地の被曝者支援や脱原発を訴える座り込み
2006/4/27
原爆資料館の05年度の入館者数が、前年度より11・8%、約12万6000人多い119万993人となり、3年ぶりに増加に転じる。隣接の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館も21万249人と、前年度比10・1%増える。両館が発表

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