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ヒストリー

ヒロシマの記録2005 7月

2005/7/1
劣化ウラン弾(DU)廃絶に取り組む民間団体「ウラン兵器禁止国際連合」(本部オランダ)が06年8月に年次総会を広島市内で開くと、ベルギーでの総会に出席した「劣化ウラン弾禁止(NO DU)ヒロシマ・プロジェクト」の嘉指信雄代表らが発表
2005/7/1
米上院本会議が、エネルギー省関連の06会計年度歳出法案を可決。下院が全額削除した新型核兵器「強力地中貫通型核」用の研究費400万ドルを盛り込む
2005/7/2
長崎市の爆心地公園から、原爆や戦争犠牲者を追悼しようと広島市まで1トンの碑石を人力で運ぶ「ストーンウォーク」が出発
2005/7/4
故アインシュタイン博士が哲学者の故篠原正瑛氏にあてた肉筆の手紙を妻信子さんが保管していた。アインシュタイン博士の理論が使われた原爆開発をめぐり、篠原氏が科学者の役割を批判する手紙を出したのが文通のきっかけ。20日、信子さんは手紙7通を原爆資料館に寄贈
2005/7/7
広島県被団協(金子一士理事長)が総会。事務局長を17年間務めた末宗明登氏を新設の筆頭副理事長とし、後任事務局長に吉岡幸雄氏
2005/7/7
米のトーマス・シーファー駐日大使が広島市を初めて訪れ、原爆慰霊碑に献花。市が要請している8月6日の平和記念式典参列について「今年は都合がつかない。将来は可能ではないか」
2005/7/12
広島県原水禁が臨時総会で、代表委員の1人に自治労県本部委員長代行の向井高志氏を選ぶ。被爆二世の就任は初めて
2005/7/13
広島市南区の似島の市道工事で遺骨1片が見つかり、市が「原爆の犠牲者とみられる」と発表。71年の発掘調査で推定617人分の遺骨が発見された区域
2005/7/16
「第五福竜丸」が被曝したビキニ水爆実験の8カ月後、東京都内で非公開で開かれた日米放射能会議に先立ち、当時の米駐日大使が会議に出席する米政府関係者に、核実験についての諸問題は公表を控えるよう忠告していたことが米公文書で判明
2005/7/18
米フォード政権が76年、日本への核搭載艦船の通過・寄港をめぐる日米間の密約が発覚した場合に日本の自民党政権が崩壊する恐れを懸念し、極東を防衛する第七艦隊の艦船から核兵器撤去を一時検討していたことが判明
2005/7/19
日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と広島国際文化財団による「ヒロシマ・アピールズ」ポスター第8作が完成。前作以来16年ぶり
2005/7/21
広島市が8月6日の平和記念式典の概要を発表。被爆60年の節目で「三権の長」らに参列を要請。要人あいさつのため、時間は前年までより20分長い65分間を予定
2005/7/22
被爆地広島で、次世代への体験継承がうまくできていないと感じる被爆者と若者が各3割を超すことが、中国新聞社が実施した被爆60年アンケートで判明
2005/7/22
日本被団協が全国の被爆者アンケート「私の訴え」の中間報告を発表。7割近くが原爆による死者や苦しんでいた人々の姿を忘れられないと回答。
2005/7/23
世界の科学者が核兵器廃絶への道筋を討議するパグウォッシュ会議の第55回年次総会が広島市内で開幕。44カ国から約170人が参加し、「ヒロシマ・ナガサキから60年」をテーマに意見交換
2005/7/23
広島への原爆投下9日後に「新型爆弾は原子爆弾」と判定した電報を、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)が寄贈を受けていたことが判明
2005/7/23
日本地図センターが、長崎への原爆投下翌日に米軍が撮影した長崎市の航空写真29こまのネガを米国立公文書館で発見し入手
2005/7/26
北朝鮮の核問題をめぐる第4回6カ国協議が北京で開会。1年1カ月ぶり
2005/7/26
原爆慰霊碑の碑文がハンマーとのみで傷つけられる。27日、広島市安佐南区の政治結社構成員を器物損壊の疑いで逮捕
2005/7/26
チェルノブイリ原発4号機を「新石棺」で覆う予備工事が作業員の被曝で3カ月間、停止していたことが判明
2005/7/26
秋葉広島市長と伊藤長崎市長が、在外被爆者が海外から被爆者援護法に基づく諸手当を申請できるよう政省令の早期改正を尾辻厚労相に求める。両被爆地の市長による同時要請は初めて
2005/7/27
パグウォッシュ会議年次総会が核兵器廃絶を訴える広島宣言「ヒロシマ・ナガサキから60年」を発表し閉幕
2005/7/28
国の原子力委員会新計画策定会議が次期長期計画となる原子力政策大綱案を策定
2005/7/29
都内で「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」開幕。内外の約350人が3日間、核兵器の犯罪性、被爆者の要求と権利などを討議
2005/7/30
平和記念公園南の平和大通り緑地帯に「平和の門」完成

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