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ヒストリー

ヒロシマの記録2004 10月

2004/10/1
米海軍が、ミサイル防衛の一環として高性能イージス艦1隻を日本海に配備したと表明
2004/10/2
アフガニスタン侵攻でソ連脅威論が高まっていた1980年代初頭、日本の核武装の可能性を防衛庁の防衛研修所(現防衛研究所)が検討していたことが、共同通信が入手した報告書で判明
2004/10/2
広島市中区の袋町小にマルセル・ジュノー博士の遺徳をたたえる「ジュノー広場」が完成
2004/10/4
小泉首相の諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」が、今後の防衛力整備の在り方に関する報告書をまとめ首相に提出。テロや弾道ミサイル対応が主眼
2004/10/4
看護・救護や遺体処理に当たった「3号被爆者」について、2つの広島県被団協が連名で、被爆者健康手帳交付の認定基準を明確に示すよう求める質問状を広島市に提出
2004/10/4
米国原爆被爆者協会名誉会長の倉本寛司氏が死去、78歳
2004/10/5
「広島・長崎講座」を海外で初めて4月に開設したドイツ・ベルリン工科大のオイゲン・アイヒホルン教授が広島市役所を訪れ、講座の状況を秋葉市長に報告
2004/10/5
宇部市の僧侶隅井妙典さんが、被爆のつめ跡を残すすずり2個を原爆資料館に寄贈
2004/10/5
原爆開発のマンハッタン計画にも携わったノーベル医学生理学賞受賞者のモーリス・ウィルキンス博士が死去、87歳
2004/10/6
GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーが原爆投下翌年に、捕虜として収容中の広島で被爆死した米兵の遺族にお悔やみ状を送っていたことが森重昭氏の調べで判明
2004/10/8
科学技術者ネットワーク「INESAP」の反核国際会議が広島市内で開幕
2004/10/8
核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所が統合して2005年10月に発足する日本原子力研究開発機構に、核拡散防止分野での国際貢献を目指す研究開発機関「核不拡散センター」を新設する構想
2004/10/12
原爆資料館の施設整備の方向性や展示内容について有識者の意見を聞く「更新計画検討委員会」が広島市内で初会合。西館の保存を求める意見が相次ぐ
2004/10/14
在外被爆者への健康管理手当が時効を理由に支給されなかったとしてブラジル在住の向井昭治さんたち3人が起こした訴訟で、広島地裁が請求を棄却する判決。原告は控訴
2004/10/14
広島大が東広島市のキャンパスで全学シンポジウム「広島大は平和について何を教えるべきか」を開催
2004/10/14
広島平和文化センターが本年度の被爆者証言ビデオの撮影を始める
2004/10/14
鳥取県湯梨浜町の方面(かたも)地区に放置されているウラン残土をめぐり地元自治会が核燃料サイクル開発機構(核燃)に撤去を求めた訴訟で、最高裁が核燃の上告を退ける決定。すべての撤去を求めた一、二審判決が確定
2004/10/18
冷戦終結後も欧州に残された空爆用の戦術核兵器が削減されず、500個近くが温存されていることが判明
2004/10/19
広島、長崎の原爆被害を調べた米戦略爆撃調査団の副団長を務めたポール・ニッツ氏が死去、97歳
2004/10/20
南米の被爆者診断のため広島、長崎両県が派遣する医師団が現地に出発
2004/10/21
韓国が1980年代にIAEAに通告せず、劣化ウラン弾を用いた対戦車用の砲弾を製造していたことが判明
2004/10/22
米国人平和活動家フロイド・シュモー博士が被爆者たちのために建設した広島市中区の「シュモー会館」について、秋葉市長が移転して保存する方針を表明。道路建設で取り壊される可能性もあった
2004/10/24
佐々木禎子さんをしのび、兄の雅弘さんたちが広島市内で追悼イベント。50回忌の25日は原爆の子の像の前で歌の集いがあり、米シアトル市の音楽家の美智子パンピアンさんたちも参加
2004/10/25
熊本市の市立小学校の男性教諭が「肝試し」と称して児童に原爆犠牲者の写真を見せていたことが判明。同市教委は広島、長崎の被爆者団体などに謝罪

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