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ヒストリー

ヒロシマの記録2003 10月

t color="#008000">trong>2003/10/2trong>t>
北朝鮮が、使用済み核燃料8000本の再処理を終えたと公式表明
t color="#008000">trong>2003/10/2trong>t>
ニュージーランドのハント国会議長が原爆資料館を見学
t color="#008000">trong>2003/10/2trong>t>
ロシアのイワノフ国防相が、核兵器の限定的使用も検討すると明記した軍事ドクトリン「ロシア軍近代化の指針」を発表、プーチン大統領に提出
t color="#008000">trong>2003/10/2trong>t>
イラクで大量破壊兵器を捜索したデービッド・ケイCIA特別顧問が、化学・生物兵器など「実物の大量破壊兵器」は発見されなかったと言明
t color="#008000">trong>2003/10/3trong>t>
広島、長崎両市などが英コベントリー市で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」
t color="#008000">trong>2003/10/6trong>t>
国連の軍縮フェローシップ計画の一行が、原爆ドームなどを見学
t color="#008000">trong>2003/10/8trong>t>
米英軍のアフガニスタン攻撃開始から2年、原爆ドーム前で市民が「祈りの集い」
t color="#008000">trong>2003/10/13trong>t>
米バーリントン市での国際映画祭で核に関するプログラムが開かれることになり、広島市内の被爆者たち3人が現地へ出発
t color="#008000">trong>2003/10/14trong>t>
広島市の原爆資料館で、毎年制作している被爆者証言ビデオの撮影開始
t color="#008000">trong>2003/10/16trong>t>
「NO DUヒロシマ・プロジェクト」が、ドイツでの劣化ウラン弾国際会議に、代表の嘉指信雄神戸大教授を派遣
t color="#008000">trong>2003/10/16trong>t>
広島市が英国出張中の秋葉市長名で、エノラ・ゲイを復元展示する米スミソニアン航空宇宙博物館に、原爆被害の説明を加えるよう求める要請文を送る
t color="#008000">trong>2003/10/17trong>t>
ブッシュ米大統領が来日。広島市内などで米の核政策に被爆者たちが抗議行動
t color="#008000">trong>2003/10/17trong>t>
被爆60周年に向け平和記念施設の保存・整備の在り方を検討している広島市が、ノーベル平和省受賞者ら国内外の有識者160人に意見を募るアンケートを発送
t color="#008000">trong>2003/10/19trong>t>
原爆ドーム前にある説明碑に油性の液体状のものが付着しているのを通行人が見つける。後に、前日に付着していたとの情報も
t color="#008000">trong>2003/10/22trong>t>
パキスタンを訪問中の秋葉広島市長がイスラマバードで会見し、各国の核兵器廃棄を訴える
t color="#008000">trong>2003/10/23trong>t>
ブラジルの被爆者が健康診断を受け入れることになり、医師たちが出発
t color="#008000">trong>2003/10/27trong>t>
平和市長会議が05年を節目に「核兵器廃絶のための緊急行動」に取り組むと秋葉広島市長が表明
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全国被爆教職員の会会長で広島県原水禁代表委員の石田明氏が死去、75歳
t color="#008000">trong>2003/10/30trong>t>
米政府が9月下旬、北朝鮮の核開発計画放棄の見返りに付与を検討している「安全の保証」に関連し、日本政府に「核の傘」の維持を確約していたことが判明
t color="#008000">trong>2003/10/30trong>t>
国連総会第一委員会(軍縮)が、日本が提出した核廃絶決議案を賛成146、反対2、棄権16で採択
t color="#008000">trong>2003/10/31trong>t>
原爆の爆心直下で消滅した旧猿楽町の元住民たちが、新たなコンピューターグラフィックス作品「ヒロシマ・グラウンド・ゼロ」制作に乗り出す方針
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広島県御調町出身の彫刻家、円鍔勝三氏が死去、97歳

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