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ヒストリー

ヒロシマの記録2000 10月


2000/10/3
登誠一郎ジュネーブ軍縮会議大使が、国連ミレニアム総会の第1委員会で演説し、日本が核兵器廃絶への具体的道筋を盛り込んだ新たな決議案を提出すると表明
2000/10/4
被爆直後、広島に入り、惨状を初めて世界に報じたのは、両親が広島市出身でハワイ生まれの日系二世、故レスリー・ナカシマ(日本名、中島覚)さんであることが判明
2000/10/6
青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場に使用済み核燃料を本格搬入する前提となる県と村、日本原燃の3者による安全協定締結問題で、木村守男青森県知事が、安全協定締結の意向を正式に表明
2000/10/7
広島、長崎両市が、米テネシー州マーフリーズボロ市で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催
2000/10/7
原爆の惨禍、反核の思想を記録した作品を集大成した「原爆文学展 ヒロシマ・ナガサキ―原民喜から林京子まで」が、横浜市の県立神奈川近代文学館で始まる
2000/10/11
日本原水協が、米ニューヨークで開催されている国連ミレニアム総会に代表団21人を派遣し、核廃絶を訴える
2000/10/11
茨城県警が、東海村臨界事故で被ばく死した作業員2人に対する業務上過失致死の疑いで、事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所元幹部ら6人を逮捕、同事業所などを家宅捜索
2000/10/13
日本政府が、国連ミレニアム総会の第1委員会(軍縮)に核兵器廃絶の具体的道筋を盛り込んだ新決議案「核兵器の全面的廃絶への道程」を提出
2000/10/18
放射線影響研究所(放影研)が計画している被爆二世健康影響調査を前に、全国被爆二世団体連絡協議会が、広島市内で厚生省と交渉。連絡協側が放影研の調査に基づいた被爆二世への国の援護対策を求める
2000/10/18
厚生省が、広島市の平和記念公園に建設中の「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」のメーン施設である追悼空間の内壁デザイン案の一部を示す
2000/10/24
広島県原水禁と原水協、2つの県被団協などの役員たちが世話人を務める市民集会「核兵器廃絶2000年広島のつどい」が広島県民文化センターであり、新世紀での核兵器廃絶に向け、組織を超えた結集を訴える
2000/10/31
ドイツのフィッシャー副首相兼外相が、広島の若者との対話集会に出席。「広島―平和・和解・未来への責任」をテーマに意見交換
2000/10/31
中国電力上関原発1、2号機(山口県熊毛郡)建設計画の第1次公開ヒアリングが上関町民体育館で開かれる。原発反対住民たちの抗議行動の影響で、開催が3時間半遅れる

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