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ヒストリー

ヒロシマの記録1999 6月


1999/6/2
第5回国連東北アジア金沢シンポジウムに9カ国から政府関係者や学者ら36人が出席。北東アジア非核地帯の実現など21世紀の域内の平和と安定に向け討議
1999/6/6
広島赤十字・原爆病院の臨床データの分析で、乳幼児期や思春期前期に被爆した人は、被爆していない同年齢の人より、がんなど悪性腫瘍(しゅよう)になる割合が高いことが判明
1999/6/7
「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの母校、広島市立幟町中の生徒たちが、原爆の子の像に寄せられた後、焼却処分される折りづるに込められた平和の願いを集めた碑を校内に建設するため、平和委員会を結成
1999/6/10
日本被団協が定期総会で、米の原爆投下責任を告発する運動を本格化させる方針を決定
1999/6/13
外務省が、核実験が行われたカザフスタンのセミパラチンスクに政府開発援助(ODA)の支援プロジェクトをつくるための調査団を派遣
1999/6/15
福井県の栗田幸雄知事が、関西電力高浜原発でのプルサーマル計画受け入れを同社に伝える意向を固める
1999/6/21
平和記念式典で原爆慰霊碑に納められる原爆死没者名簿への記帳が広島市役所で始まる
1999/6/21
広島市が当初考えていた「平和記念公園」の全体計画図が市公文書館で見つかる。当初プランは現在の7倍の85ヘクタールだったことが判明
1999/6/23
広島県医師会の在北米被爆者検診団の第2班が米から帰国。第1班と合わせ被爆者や被爆二世計414人を検診
1999/6/24
中国初の原爆・水爆を製造した青海省海北チベット族自治州の核兵器製造基地跡が、初めて外国人記者団に公開
1999/6/25
被爆者医療や平和活動に尽力した外科医の原田東岷氏が急性肺炎のため死去、87歳。1955年に被爆女性の渡米医療を実現させ、65年にワールド・フレンドシップ・センターを開設した
1999/6/28
原子力安全委員会が、東京電力福島第1原発3号機でのプルサーマル計画実施を了承
1999/6/29
長崎で被爆して肝機能障害を患う東数男さん(東京都)が、国に原爆症認定申請の却下処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴

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