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ヒストリー

ヒロシマの記録1999 8月


1999/8/1
原爆罹災者名簿の公開が広島市の原爆資料館で始まる
1999/8/1
広島市が初めて各国の駐日大使に依頼した平和メッセージが44カ国から寄せられ、原爆資料館で展示
1999/8/1
広島市とユネスコ共催の「オーガスト・イン・ヒロシマ’99」開幕
1999/8/1
被爆の後遺症に苦しむ広島の独身女性を1955年に治療した米国のバーナード・サイモン博士が老衰で死去、87歳
1999/8/2
原水禁系の原水爆禁止世界大会の国際会議が開幕
1999/8/3
被爆者健康手帳を持つ広島県内の被爆者が初めて14万人を切り、13万9113人。平均年齢は69・7歳
1999/8/3
爆心地直近の「中島本町」南側の被災状況を中国新聞社がまとめる。1945年末までに被爆死した180人を確認。7月13日付朝刊掲載の北側と合わせ、確認できた死者は436人
1999/8/3
電源開発調整審議会が、ウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)燃料を使用する電源開発(東京)の大間原発(青森県大間町)など新たな3カ所の発電所建設を含む1999年度の電源開発基本計画を了承
1999/8/3
東京と富山をスタートした「原水爆禁止国民平和大行進」が広島市の平和記念公園に到着
1999/8/3
原水協系の原水爆禁止世界大会国際会議が開幕。13年ぶりに中国が参加
1999/8/4
広島と長崎の原爆をかたどったピアスが米エネルギー省の国立原子博物館の売店で販売されていることに対し、日本原水協が抗議
1999/8/4
笠岡・広島市をリレーマラソンでつなぐ「ピースラン’99」が笠岡市役所を出発
1999/8/4
原水禁系の原水爆禁止世界大会広島大会が開幕
1999/8/4
四国4県の生活協同組合が、瀬戸内しまなみ海道の多々羅大橋で平和行進
1999/8/5
非核宣言自治体全国大会が広島市内で開かれ、非核宣言をしている128自治体の代表284人が核廃絶へ連帯を決議
1999/8/6
広島被爆54周年。広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式が営まれ、約5万人が参列。この1年間で新たに5071人が記帳された原爆死没者名簿を奉納。子ども代表の本川小6年新谷仁美さん、矢野南小6年住吉竜典君が「広島の人々の心を学び、語り継ぎ、一人ひとりが輝き豊かに生きる社会を創(つく)るよう、世界の多くの友達とともに努力することを誓います」と「平和への誓い」を読み上げる
1999/8/6
秋葉忠利広島市長が平和記念式典で平和宣言。「多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さずにはいられません。一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。二つ目は、核兵器の使用を阻止したことです。三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された『新しい』世界の考え方を提示し実行してきたことです。私たちは改めて日本国政府が、被爆者の果たしてきた役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、すべての施策に優先して核兵器廃絶のための強い意志を持つことを求めます」
1999/8/6
小渕恵三首相が広島市で記者会見。介護保険制度導入に伴う被爆者の医療費負担分を公費で賄う方針を正式に表明。「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」の報告書を評価
1999/8/6
山口県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」が、山口市の原爆死没者の碑前で追悼式。被爆者ら約30人が参列
1999/8/9
長崎市の平和公園で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、被爆者や遺族、宮下創平厚相ら約4000人が参列。伊藤一長長崎市長が平和宣言で各国指導者に核廃絶を20世紀中に宣言するよう訴える
1999/8/10
長崎市で、全国から集まった大学生が「ナガサキ学生平和8・10(ハト)会議」を開く
1999/8/13
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)での初の本格的な原爆写真展が平壌市内で始まる
1999/8/24
世界音楽祭「オーガスト・イン・ヒロシマ’99」の主要コンサートの最後を飾る民族音楽の祭典「音楽の地球儀」が広島市のアステールプラザである。主催6イベントに計1万人が入場
1999/8/29
市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」の訪問団(団長・平岡敬前広島市長)が、巡回検診用の車などをセミパラチンスク市内の国立放射線医学・環境研究所に寄贈

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