×

ヒストリー

ヒロシマの記録1999 7月


1999/7/1
広島市教委が、被爆直後の「伝言」の見つかった袋町小西校舎の全面調査に乗り出すことを市議会文教委員会で表明
1999/7/6
広島県被団協(金子一士理事長)が総会で、被爆地域の見直しへ向けたアンケートを広島市に求めることなどを盛り込んだ1999年度の運動方針を決定
1999/7/7
原爆資料館が、広島平和記念都市建設法制定50周年記念の企画展「焼け跡に響く子どもたちの声―焦土から平和記念都市へ」を開催
1999/7/9
広島、長崎の両県市と各議会でつくる広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が、介護保険制度の導入で、被爆者に新たな負担を生じさせない措置を取ることなど、国の2000年度予算概算要求の要望項目をまとめる
1999/7/10
広島、長崎の韓国人被爆者に対する支援として日韓両国政府が拠出した「原爆被害者福祉基金」の残高が約14億円になり、5年後には枯渇することが判明。広島の被爆者団体からも追加支援を求める声
1999/7/11
女優の吉永小百合さんが民間平和団体の招きで、米ワシントン州ポートタウンゼンドで原爆詩を英語と日本語で朗読
1999/7/12
日本原子力発電(原電)敦賀原発2号機で、原子炉格納容器内の配管の亀裂から一次冷却水50・96トンが漏れる
1999/7/13
原爆投下で壊滅した広島市の「中島本町」北側の被災状況を中国新聞社が遺族らの協力でまとめる。1945年末までに住民や勤務者ら255人が被爆死したことを確認。うち88%の224人がその日に爆死
1999/7/16
広島市の旧猿楽町(現中区大手町1丁目付近)の被爆の様子を示す市の原爆被災説明板が設置される
1999/7/19
英と仏から日本へプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を初めて海上輸送する輸送船「パシフィック・ティール」が母港の英バロー港を離岸
1999/7/21
平和記念公園内で韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設完工式。移設委員会の権養伯委員長や秋葉忠利広島市長ら関係者約300人が参加
1999/7/22
漫画家中沢啓治さんの自伝的作品をミュージカルにした「はだしのゲン」の広島公演。23日も
1999/7/23
核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム(広島平和研究所、日本国際問題研究所主催)の最終会合。16カ国20人が参加し、インド代表は欠席。1年間の論議を総括し、核不拡散体制の再構築と核軍縮の道筋を描いた報告書を25日にまとめる
1999/7/23
広島県内の被爆者13万8689人への被爆者健康手帳の発送作業が終わる。被爆者援護法の改正で3年ごとの更新手続きが不要になり、一斉送付は今回で最後
1999/7/25
広島市内の小学生41人が共同制作した「国際こども平和壁画(キッズ・ゲルニカ)」が完成。8月6日に平和記念公園の原爆慰霊碑前に掲げる
1999/7/27
国連軍縮京都会議が開幕。24カ国60人の政府高官、軍縮専門家らが参加。「今後10年間の安全保障上の懸念と軍事戦略」をメーンテーマに意見交換
1999/7/29
広島市が原爆ドームの保存整備計画をまとめる。雨よけの設置など雨水対策中心の短期計画、劣化に対する根本的な保存工事も視野に入れた長期計画を盛り込む
1999/7/29
厚生省が介護保険制度の導入で生じる被爆者医療の自己負担分を公費で賄う方針を固める
1999/7/31
1963年、当時の大平正芳外相がライシャワー米駐日大使との会談で、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海内の通過を了承していたことを記載した外交文書が米国立公文書館で見つかる

年別アーカイブ