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ヒストリー

ヒロシマの記録1999 9月


ont color="#008000">ong>1999/9/1ong>ont>
日本放射線影響学会の第42回大会が広島国際会議場で始まる。原爆投下後に、調査班として広島を訪れた研究者2人が体験談を語る
ont color="#008000">ong>1999/9/6ong>ont>
広島県原水協が第54回国連総会で、期限を切った核兵器廃絶決議などに賛成するよう政府に要請する署名運動を始める
ont color="#008000">ong>1999/9/9ong>ont>
米が月末にも臨界前核実験を行う準備をしていると表明
ont color="#008000">ong>1999/9/10ong>ont>
セミパラチンスク核実験場があったカザフスタンの高校生アイヌル・ムンクガリアバさんが、広島県安芸郡の済生会広島病院でリンパ節の切除手術を受ける。20日に退院し、帰国
ont color="#008000">ong>1999/9/10ong>ont>
広島県被団協(金子一士理事長)や県原水協など8団体が、米の臨界前核実験の実施予告に対し平和記念公園で抗議の座り込み
ont color="#008000">ong>1999/9/11ong>ont>
第27回全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会主催)が広島市の幟町中で始まる。平和教育の継承問題など議論。約400人参加
ont color="#008000">ong>1999/9/13ong>ont>
米下院が、米が核実験場に使用した南太平洋のビキニ環礁の元住民に、強制移住への賠償金計380万ドルを支払う法案可決
ont color="#008000">ong>1999/9/17ong>ont>
平和記念公園にある被爆建物・市レストハウスの全面保存を求め、「元大正屋呉服店を保存する会」と「原爆遺跡保存運動懇談会」が2521人の署名を市に追加提出。通算11万2896人に
ont color="#008000">ong>1999/9/25ong>ont>
「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」が、カザフスタン・セミパラチンスク訪問団の報告会を広島市で開催。核実験場周辺の被害状況を報告
ont color="#008000">ong>1999/9/29ong>ont>
米の臨界前核実験予告に対し、広島市の秋葉忠利市長がクリントン大統領あての抗議文を送る
ont color="#008000">ong>1999/9/30ong>ont>
茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の転換試験棟で日本初の臨界事故。社員3人が大量被曝(ばく)し、他の社員や隣接地にいた人たちも被ばく。県は、現場から半径10キロ以内の9市町村の約31万人に屋内退避を要請。政府は小渕恵三首相を本部長とする事故対策本部を設置。JR常磐線の水戸―日立駅間で運転中止。広島では放射線研究者が事故の深刻さを懸念。被爆者などから核施設の危険性を指摘する声相次ぐ
ont color="#008000">ong>1999/9/30ong>ont>
米がネバダ州の地下核実験場で7回目の臨界前核実験(日本時間10月1日)

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