×

ヒストリー

ヒロシマの記録1996 3月


1996/3/1
原水禁国民会議が、静岡市で全国委員会。96年8月の広島、長崎での原水禁世界大会の運動方針を決める
1996/3/1
焼津、静岡両市で、静岡県実行委員会、原水禁国民会議、日本原水協がそれぞれ「3・1ビキニデー集会」。東京でも第五福竜丸平和協会が「3・1ビキニ事故記念集会」
1996/3/2
「非核アジア太平洋国際フォーラム」が東京都の江戸東京博物館で始まる。「地域自立をはばむ基地と原発」などのテーマで3分科会
1996/3/4
元大正屋呉服店を保存する会と原爆遺跡保存運動懇談会が、被爆建物「広島市レストハウス」(中区)の保存を求める要望書を署名を添えて市に提出
1996/3/6
インドが地下核実験を行う事態に備えて、パキスタンが初の地下核実験を実施する準備を進めている―と米ワシントン・ポスト紙が報道
1996/3/6
党派を超えて非核三原則の立法化などを目指す衆、参両院の若手議員らが、第1回「非核法」制定議員懇談会を開く。国会議員ら24人が参加
1996/3/8
広島県が厚生省の委託を受け被爆者の生活や健康状況を把握するため、10年ごとに行っている被爆者実態調査が終わり、調査票を厚生省に発送
1996/3/8
反核平和運動に半生をささげた広島県被団協理事の下江武介氏が心筋こうそくのため死去。92歳
1996/3/9
日米両政府が米の入手した中国やロシアの核ミサイルを中心とする戦略軍事情報を、日本に全面提供することで合意していたことが明らかになる
1996/3/11
ヒロシマを象徴する平和大橋と西平和大橋の欄干をデザインした世界的な彫刻家故イサム・ノグチ氏の遺作などを紹介する「イサム・ノグチとひろしま」展が、広島市中区の原爆資料館東館で始まる
1996/3/12
広島市の平和大通りの整備構想を検討していた「平和大通り将来構想検討委員会」が、平岡敬広島市長に提言を提出
1996/3/13
マーシャル政府が、米政府を相手に米核実験により引き起こされた健康・財産被害に支払われる賠償金増額交渉を始めることを明らかにする
1996/3/14
広島県安芸郡熊野町が非核宣言と併せて、平和実現のため具体的な行動指針を分かりやすくうたった「野の花宣言」を町議会で全会一致で可決
1996/3/18
原爆資料館(広島市中区)の95年度の入館者が4年ぶりに150万人を突破
1996/3/20
胎内被爆による原爆小頭症の患者とその家族でつくる「きのこ会」が、50歳の誕生会。支援組織の結成を決定
1996/3/21
広島県原水禁が、原爆資料館東館で「3・21平和のためのヒロシマ行動」を開催
1996/3/21
タス通信が、ソ連の軍用機が45年8月6日、米軍が広島に原爆を投下した直後に被災地の写真を撮影していた―と伝える
1996/3/25
仏、米、英が、フィジーのスバで南太平洋での核実験や核兵器配備を禁止した南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)調印式
1996/3/25
広島平和文化センター制作の在韓被爆者の証言ビデオ「韓国人被爆者―ヒロシマの証言」(全30巻)が完成
1996/3/25
松江市議会が本会議で、「核兵器の使用、威嚇は国際法違反」との表明を国に求める意見書を可決

年別アーカイブ