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ヒストリー

ヒロシマの記録1996 5月


1996/5/1
原爆資料館と被爆建造物調査研究会が、3年がかりで広島市内の被爆建造物を調査した概要がまとまる。現存する被爆建造物は108件
1996/5/2
第9条の会ヒロシマ(代表・岡本三夫広島修道大教授)が、世界平和への道を探る「日米学生平和会議イン・ヒロシマ」を開く
1996/5/2
原爆被害者相談所が、被爆者健康手帳を取得するため証人を捜している2人を公表
1996/5/5
広島市内の主婦らでつくる「千羽鶴ピースプロジェクト」(岩井肇代表)が、ひろしまフラワーフェスティバルに初参加
1996/5/6
核兵器廃絶を沿道で訴える「96年国民平和大行進」(原水協系主催)が、広島を目指して東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館前を出発
1996/5/7
「日朝被爆者交流を進めるヒロシマ訪朝団」(団長・石田明全国原爆被爆教職員の会会長)が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の被爆者団体と東北アジアの非核地帯を進める共同コミュニケに調印したと発表
1996/5/8
10回を節目に95年に幕を閉じたピースコンサートのプロデューサー会議代表の南こうせつさんが、最後のコンサートの収益金を広島市に寄付。寄付金累計は利息を含め2億602万円に
1996/5/10
55年、原爆で傷ついた女性たち25人が1年半に及ぶ渡米治療に臨んだ米ニューヨークのマウント・サイナイ病院で、「ヒロシマ・メイデンズ(広島乙女)」をテーマに国際会議。治療を受けた4人の被爆者や執刀医ら約100人が出席
1996/5/11
岡山市原爆被爆者会が、総会で96年度事業計画を決定。火事で亡くなった高尾光信会長の後任に小山守氏を選任
1996/5/13
CTBT交渉に当たるジュネーブ軍縮会議が再開。中国の沙祖康軍縮大使が、(1)平和目的核爆発(PNE)の禁止除外問題で妥協の用意がある(2)6月末交渉妥結と9月条約調印の日程に同意する―などと、大幅に柔軟姿勢に転じる方針を発表
1996/5/16
広島県原水協、県被団協(金子一士理事長)など13団体の市民や被爆者ら約50人が、広島市中区の平和記念公園で中国核実験計画に反対して座り込み
1996/5/18
平岡敬広島市長が、伊藤一長長崎市長と核廃絶を訴えるため、CTBT交渉の場であるスイス・ジュネーブに出発
1996/5/20
広島、長崎市と世界平和連帯都市市長会議(会長・平岡敬広島市長)加盟の欧州5カ国6都市が、ジュネーブで会議を開催。両市長はロシア軍縮大使らにCTBTの実現を要請
1996/5/20
原水禁などが8月に広島市で開く「被爆51周年原水爆禁止世界大会」の広島県実行委員会が、結成総会を開く。「CTBTから核廃絶へ」の大会スローガンを了承
1996/5/21
修学旅行で長崎市を訪れた広島市南区の翠町中と長崎市の山里中の生徒が、平和交流会を開く
1996/5/22
日本被団協が、在外外国人被爆者援護施設の充実・強化を米、韓国の被爆者団体とともに厚生省に要請。同省は現行の被爆者援護法では適用が難しいと回答
1996/5/22
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への軽水炉提供に伴うKEDO側技術者の領事保護などをめぐる北朝鮮との交渉に合意、議定書に調印したと発表
1996/5/23
科学技術庁が、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故で、温度検出器さや管の設計ミスが主な事故原因だとする調査報告書を原子力安全委員会に提出
1996/5/25
非核の政府を求める会(代表・渡辺洋三東京大名誉教授)の全国総会で、非核三原則の厳守・法制化を政府に要求していくことなどを申し合わせる
1996/5/25
「世界平和アピール7人委員会」(事務局長・内山尚三法政大名誉教授)が、CTBTの年内締結と核兵器禁止条約の早急な審議開始を求める国際アピールを出す
1996/5/27
財団法人広島平和文化センターが、発足20周年の記念式典
1996/5/29
被爆者医療の実績を持つ長崎大医学部(長滝重信学部長)とベラルーシのミンスク医科大(アレクセイ・クバルコ学長)が、チェルノブイリ原発事故から10周年を機に、子供の甲状腺(せん)がんの共同研究などの学術交流を進めようと、姉妹校協定調印
1996/5/30
在韓被爆者の沈載烈さんが、国外の被爆者に健康管理手当が支給されないのは納得できないと、代理人を通じて広島県に行政不服審査法に基づく審査請求を申し立て。県は「審査請求になじまない」という理由で受理せず

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