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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 5月


1995/5/1
軽水炉問題をめぐる協議の決裂を避けるため、米が提案した米朝高官協議開催に北朝鮮が同意-とバーンズ米国務省報道官が発表。米朝協議は決裂を免れ、交渉継続の見通し
1995/5/2
米スミソニアン航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長が辞任。原爆展企画に絡み、退役軍人関係者や議会からの批判の責任を取った形。博物館を支持した歴史学者らが独自に原爆展を開く計画も。原爆投下の正当性をめぐる論議は尾を引く
1995/5/2
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議で、無期限延長案に対抗し、非同盟諸国会議議長国のインドネシアが25年間の「自動反復延長案」を賛同国と共同提案する意向-と同国外交筋が明かす
1995/5/2
憲法記念日を前に、中国新聞が「私と憲法」と題し、被爆者ら5人の声を掲載。被爆者、広島県議、大学教授、弁護士、主婦の5人が憲法の果してきた役割や憲法改正の是非などについて意見
1995/5/3
中国を訪れている村山首相が李鵬首相と首脳会談。包括的核実験禁止条約(CTBT)早期締結や核実験中止など中国の核軍縮促進を要請。李鵬首相は実験停止を明言せず
1995/5/3
北朝鮮が軽水炉問題に関する米朝高官協議開催に同意したことを受け、米国務省が「北朝鮮に今月半ば、協議を開くよう提案」と発表
1995/5/3
広島高校生平和ゼミナール実行委員会が「ハートに憲法」をテーマに「被爆50年 ヒロシマ高校生平和ゼミナール」を開催。原爆投下の是非について討論会
1995/5/3
中国新聞が「NPTこの人に聞く どうなる21世紀の核秩序」を連載。計3回
1995/5/4
米と北朝鮮の高官協議への対応策を協議するため、日米韓3国の高官協議が10日からソウルで開かれる-と韓国外務省が発表
1995/5/4
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が、解体した核を国際原子力機関(IAEA)の査察下に置くよう核保有国に呼び掛けることで合意
1995/5/5
軽水炉支援問題について、米が提案した米朝高官協議の開催地を平壌にするよう北朝鮮が逆提案-とワシントン外交筋が明かす
1995/5/5
中国新聞の被爆50周年企画「核と人間・ABCC編」が連載開始。31日まで4部計25回。これまで検証されなかった原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究の軌跡をたどる
1995/5/5
国連本部で開催中の核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が条約延長方式に関する提案を締め切る。「無期限延長」案の共同提案国が104カ国と加盟国の過半数を上回り、無期限延長が事実上確定
1995/5/5
核実験せずに核爆弾の近代化を実現するため、仏政府が大規模なシミュレーター(模擬装置)建設を決定-とルモンドなど仏紙が報道
1995/5/6
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が主要3委員会の協議を終了。第1委員会(軍縮)で核保有国側と非同盟諸国側の対立が解けず、本会議での3委員会報告を総括した最終文書の採択は微妙
1995/5/6
日本原水協など主催の「1995年国民平和大行進」が東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館前を出発。上野東照宮に保存されている「原爆の火」をともし、核廃絶を訴えて広島と長崎を目指す
1995/5/7
ノーベル平和賞候補といわれているカンボジアの仏僧マハ・コーサナンダ師の率いる平和行進がタイ国境のポイペトで始まる。1992年から毎年、同国内の危険地帯を行進。今年は日本山妙法寺などの呼びかけでポーランドのアウシュビッツから広島・長崎まで10数カ国を歩く「平和と命のための超宗派巡礼」の一行も合流
1995/5/8
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が、5年ごとに開催する再検討会議の強化で合意。核軍縮実現など条約の完全履行への具体的措置の決定権を付与へ
1995/5/8
熱水循環系統のトラブルで停止していた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の原子炉を、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が再起動。核分裂反応が連続して起きる臨界を達成
1995/5/8
「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」などが広島市内で学習会を開催。7月から施行される被爆者援護法などが在外被爆者に適用されないのは不当として、厚生省などを相手に訴訟も含めた要求運動の開始を決定
1995/5/8
岡山県被爆者会玉野支部の被爆者と中学生が戦争について語り合う会が玉野市立八浜中学校で開会。2、3年生約130人が同支部副会長の高橋美智子さんら4人の被爆体験を聞く
1995/5/8
原爆投下直後の広島へ15トンの医薬品を届けたスイス人医師の故マルセル・ジュノー博士をしのぶ映画「第三の兵士・ヒロシマから世界へ」が完成、東京の日本赤十字社で試写会
1995/5/9
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議の主要国でつくる議長協議グループが、NPT無期限延長決定と核軍縮の目標などを定めた2文書について合意。11日の本会議で全会一致での採択を決定
1995/5/9
エリツィン・ロシア大統領がコール・ドイツ首相との会談で、イランに対し「ロシア製の装置を提供する」と語った-とインタファックス通信が報道。米は同装置がウラン濃縮装置の場合、イランに核兵器開発の恐れがある-と懸念
1995/5/9
ムルロア環礁での核実験再開を示唆したシラク仏大統領が当選したことについて、南太平洋諸国会議のタバイ事務局長が核実験再開をけん制-とオーストラリアABC放送が報道
1995/5/10
原子力船「むつ」から原子炉を撤去する日本原子力研究所の作業が、青森県むつ市の関根浜港沖で開始。船体を3つに輪切りし、真ん中の船腹にある原子炉室を取り出す世界でも例のない工法。改造後は大型の海洋観測船として再利用される予定
1995/5/10
米朝高官協議の再開に備えた日米韓3国の対応策協議がソウルの韓国外務省で開会。共同記者会見で「北朝鮮に提供する軽水炉は韓国型」と言及せず、韓国側の譲歩を示唆
1995/5/10
中国の李鵬首相が北京の人民大会堂で韓国の李洪九首相と会談。北朝鮮の核問題について南北対話による平和解決を図る方針で一致
1995/5/10
米アラスカ州ノーススロープ郡当局が、1950年代に米政府の行った放射線同位元素による人体実験のため住民らが被害を受けた、として米空軍、内務省、エネルギー省などに約4億ドルの賠償を求める行政請求-と発表。アラスカ州からの報道として共同通信が伝える
1995/5/10
北朝鮮の朴吉淵国連大使が核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議のダナパラ議長に書簡。今後、会議決定や文書の採択には参加しないと通告
1995/5/10
カナダ・モントリオール市が8月に予定している「広島展」に、広島市が原爆資料館の被爆資料を貸し出すことを決定
1995/5/10
中国電力島根原子力発電所の増設に伴う事前調査について、御津漁協(島根県八束郡鹿島町)が臨時総会で「条件が整えば調査に同意」の方針を可決
1995/5/11
米スミソニアン航空宇宙博物館が企画した「原爆展」に関する上院議事運営委員会の公聴会で、原爆投下機エノラ・ゲイの元乗員ら5人が原爆投下の正当性を主張。パイロットとして広島、長崎両市の上空を飛んだチャールズ・スウィーニー氏は「空襲で数10万人の日本人が死んでいたのに、日本軍は降伏しようとしなかった。原爆投下が戦争を終わらせたのは明らか」
1995/5/11
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が全会一致で無期限延長を決定。「核廃絶という究極の目標」に向けた核軍縮の方向性を定めており、21世紀の核秩序の中核を形成
1995/5/11
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議での条約無期限延長決定を受け各国代表が演説。成功を強調する米に対し、非同盟諸国の一部に不満
1995/5/11
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議で「NPT未加盟国に速やかな加盟を促す」の一項を入れた決議文書を採択。核疑惑をもたれたまま条約未加盟のイスラエル、インド、パキスタンを意識した内容
1995/5/11
平岡広島市長と伊藤長崎市長が首相官邸に村山首相を訪問。8月6日と9日の平和祈念式への出席を要請。首相は「都合がつけば参加したい」と前向きな姿勢を示す
1995/5/11
村山首相が、6月12日から長崎市で開かれる「国連軍縮長崎会議」(国連軍縮センターなど主催)に出席の意向を伊藤長崎市長に伝える
1995/5/12
広島県被団協(伊藤サカエ理事長)と広島県原水禁が、核拡散防止条約(NPT)無期限延長決定を受け、村山首相と米など核保有5カ国に対し、核軍縮交渉をただちに始めることを求める声明を発表
1995/5/12
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が核軍縮推進をうたったことを受け、マクナマラ米国務次官補が「米は第2次戦略兵器削減条約(START2)以上の核削減を目指す」と言明
1995/5/12
核拡散防止条約(NPT)無期限延長決定に抗議し、広島県被団協(金子一士理事長)と広島県原水協など7団体が広島平和記念公園で座り込み
1995/5/12
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議の無期限延長決定について、広島の被爆者や平和運動関係者らは「核保有を永久化しかねない」と反発。中国新聞が声を収録
1995/5/12
核拡散防止条約(NPT)無期限延長決定に対し、反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」が村山首相らに抗議声明を送る
1995/5/12
被爆50周年を機に、広島の国際的平和貢献策を検討、推進する国会議員研究会(宮沢喜一会長)の2回目会合が都内で開催。放影研の重松逸造理事長や学識経験者ら3人から意見を聴く。広島県や広島市が研究会の意見を受け、地元としての貢献策を検討予定
1995/5/12
政府が原子力安全条約に加盟。条約は国別に行っている原子力発電所の管理運営を国際的な枠組みに置くことで原発の安全性を高めるのが目的
1995/5/12
米国務省のガルーチ朝鮮問題担当大使が北朝鮮の姜錫柱第一外務次官に書簡を送付-と聯合通信が報道。軽水炉問題協議に関し、北朝鮮が提案した「米朝準高位級会談」開催案について米の立場を伝える。ワシントン外交消息筋によると、米は会談開催に肯定的な反応
1995/5/12
米とロシアなど核保有国が核兵器解体に伴う余剰プルトニウム全量と保管施設などのデータ公表に合意-と米国務省などが明かす。核保有5カ国に日本、ドイツなどを加えた9カ国は既に民生用プルトニウム量の公表を決定
1995/5/13
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議が閉幕。過去5年間のNPT履行状況を検討した「最終宣言」は採択できず。核軍縮の評価について核保有国と非同盟諸国との見解が不一致。条約の無期限延長決定などに影響はないが、NPT体制の将来に不安を残す
1995/5/13
核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議の無期限延長決定を受けて、中国新聞が「NPT無期限延長後の世界 どうなる21世紀の核秩序」を掲載。計3回
1995/5/13
原爆投下の意味を考える集会が米ロサンゼルス近郊のカリフォルニア大サンタバーバラ校で開催。元海軍情報士官のフランク・ギブニー氏が原爆投下を正当とする立場、スタンフォード大のバートン・バーンスタイン教授が否定的立場から報告。被爆後の惨状を記録した映画上映も
1995/5/13
福山市の盈進高校1年生375人が平和学習で広島市を訪問。被爆者9人から被爆体験を聞き、原爆資料館を見学
1995/5/14
広島市の被爆者保養施設「神田山荘」で神楽観賞会。広島県山県郡加計町の安野神楽団の舞をお年寄り約六百人が楽しむ
1995/5/15
広島平和記念公園の水道管補修工事現場で墓石が見つかる。被爆当時、慈仙寺(現在は中区江波二本松1丁目)があった場所
1995/5/15
中国が新疆ウイグル自治区のロプノル核実験場で地下核実験。中国の核実験は1994年10月以来で、通算42回目
1995/5/15
中国の地下核実験強行に対し、広島の被爆者らは「包括的核実験禁止条約(CTBT)調印などが合意された直後で、国際世論を無視するもの」と一斉に反発
1995/5/15
中国の核実験に対し、五十嵐官房長官が「中国側には再三、実験中止を申し入れており遺憾」と抗議
1995/5/15
平岡広島市長が中国の核実験に対し、駐日中国大使に抗議文を送付
1995/5/15
広島市が被爆者援護法施行で新設される特別葬祭給付金の相談センターを市役所に開設。初日は307人が訪れる
1995/5/15
中国初の原爆、水爆が製造された青海省の核兵器製造基地が既に廃止され、国から地方の管理に移された-と新華社電が伝える
1995/5/15
呉原爆被爆者友の会が総会で、7月1日施行の被爆者援護法の改正運動に取り組むことを決定
1995/5/16
中国訪問中のロシアのグラチョフ国防相が中国の遅浩田・国防相と会談後に語る。「遅国防相は中国が核実験を停止する用意があると言明した」
1995/5/16
広島市が被爆100周年(2045年)を目標に魅力ある都市景観づくりを目指す「ひろしま2045ピース&クリエイト」事業の設計者選定会議(議長・平岡市長、9人)が広島国際会議場で初会合。95年度の対象事業のうち、広島大跡地公園など5件についてデザインを依頼する候補者を各3-4人選出
1995/5/16
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が戦後50年に当たってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆投下に触れ「原爆の最終的な犠牲者数はいまだに完全に分かっていないだけでなく、人間に与えた影響は計り知れない」
1995/5/16
ウクライナと先進7カ国(G7)がチェルノブイリ原発問題で協議。17日まで。その中でウクライナはG7側の資金援助を条件に、2000年までにチェルノブイリ原発を閉鎖する計画を提示
1995/5/16
広島県双三郡三良坂町の「平和を願う会」(会長・湯免龍夫町長)が、平和への願いを新たにする大壁画の制作について町民に説明会。7月中旬までに完成させ8月6日に同町平和公園で開く平和集会で除幕へ
1995/5/16
中国の地下核実験に対し、2つの広島県被団協と核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部が駐日中国大使に抗議文を送付
1995/5/17
中国の地下核実験に抗議し、広島県原水禁の役員や被爆者など約70人が原爆慰霊碑前で座り込み
1995/5/18
政府が中国核実験に抗議する具体的対応として、中国に対する本年度の無償資金協力の一時停止を含む措置の検討に入る。河野外相は米、英、仏、ロシアの核保有国に対し、中国に核実験中止を促すよう外交ルートを通じて要請したことを明かす
1995/5/18
中国の地下核実験に対し、核実験座り込み岡山市民の会(鳥越八郎代表)など約20人が、岡山市平和町の西川緑道公園で30分間座り込み
1995/5/18
社団法人笠岡愛の善意銀行(生田豊会長)が、岡山県原爆被爆者会井笠支部で被爆者相談に尽くした同市笠岡、丸山彬さん(79)と同市西大島新田、藤井勇太三さん(74)ら5人に善意賞を贈る
1995/5/18
戦時中、強制連行され広島県山県郡加計町で発電所の工事に従事中、事故で失明した中国人、宋継堯さん(66)=山東省=が、市民団体「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」の招きで広島入り
1995/5/18
米スミソニアン航空宇宙博物館が企画した原爆展に関する上院議事運営委員会の2回目公聴会で、スミソニアン協会のヘイマン事務局長と展示を推進したトム・クラウチ同館航空部長が、企画段階で落ち度のあったことを認め謝罪。ウィスコンシン大学のエドワード・リネンゾール教授(宗教・文化専攻)は「全体主義国家と違い、われわれは歴史の浄化に刺激を与えるようなことは決して望んでいない」と原爆展中止を批判
1995/5/18
村山首相が衆院予算委員会で、日本に寄港する米艦船の核搭載問題について、これまでの政府答弁を踏襲。米側から事前通告がない以上、核持ち込みはないと見解を表明
1995/5/19
文化保護審議会が、原爆ドームの国史跡指定を与謝野文相に答申。史跡指定が事実上決まり、世界遺産リストへの登録推薦の前提条件が整う
1995/5/19
バーンズ米国務省報道官が記者会見で「イランの原子力施設で働いている約150人のロシア人技術者がイランの核開発を助ける」と懸念を表明。エリツィン政権に本国への引き揚げを要求
1995/5/20
岡山県被爆者会玉野支部が、被爆体験を朗読テープで保存継承するため録音活動を開始。テープは市の図書館などに置き一般に貸し出す
1995/5/20
原水爆禁止山口県協議会(県原水協)などでつくる「被爆50周年核兵器廃絶世界草の根共同行動」県実行委員会が、ニューメディアプラザ山口で「県民の集い」。約200人が参加。集いの前に市中心部で核兵器廃絶を求める署名活動
1995/5/20
米と北朝鮮がクアラルンプールの米大使館で準高官協議を開会。軽水炉問題をめぐり集中的に意見交換
1995/5/20
植樹祭(広島県豊田郡本郷町)に出席のため広島入りした明仁天皇、皇后両陛下が、原爆資料館を見学。広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を訪問
1995/5/21
ノーベル文学賞を受賞した作家大江健三郎さんが長崎市の浦上天主堂で講演。「広島、長崎から原爆の悲惨さについて世界に声を上げる必要を強く感じる」
1995/5/21
被爆者や教員で組織する原爆遺跡保存運動懇談会が、被爆建造物を見学する「原爆遺跡フィールドワーク」を実施。45人が参加
1995/5/22
核拡散防止条約(NPT)無期限延長に反対し、核兵器廃絶を訴えるため渡米していた被爆者で元広島平和文化センター職員の松原美代子さん(62)が帰国し会見。「米国人の反応は厳しかった」
1995/5/22
米中央情報局(CIA)が、中国初の地下核実験(1964年)を事前に予測した米最初のスパイ衛星「コロナ」計画に関する報告書と写真を公開
1995/5/22
中国が近く、射程8千キロの新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風三一型」の初の発射実験を行う計画-と台湾の中国時報が伝える。台湾の軍関係機関の情報
1995/5/22
広島県山県郡加計町の安野中学校(尾田敏直校長、29人)の全校生徒が、同校から被爆者が避難した広島平和記念公園まで38・5キロを歩破
1995/5/22
中国核実験に抗議し、政府が在日中国大使館を通じ遺憾の意を正式に伝える。五十嵐官房長官は対中無償資金協力を圧縮する方針を明かす
1995/5/23
広島の市民らでつくる原爆ドームの世界遺産化をすすめる会(代表・松島悌二広島県歯科医師会長ら8人)が、村山首相と与謝野文相を訪問。国史跡に指定された原爆ドームの世界文化遺産への登録を早期実現するよう要請
1995/5/23
経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会に出席した河野洋平外相が仏のドシャレット外相と会談、核実験の自制を要求
1995/5/23
北朝鮮反核平和医師の会が、7月に広島市で開かれる核戦争防止国際医師会議(IPPNW)に代表3人を派遣することを明かす
1995/5/23
広島県医師会の招きで来日したブラジル在住被爆者5人が広島赤十字・原爆病院に入院。1カ月の日程で検査や治療へ
1995/5/24
広島平和文化センターで「被爆者証言ビデオ」の収録が始まる。7月下旬までに50組の被爆者を収録
1995/5/24
友好親善のため来日した米カリフォルニア州ギルロイ高校のコーラス部一行が原爆慰霊碑前で合唱6曲を披露
1995/5/26
原水禁国民会議などの被爆50周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会が結成総会。8月の世界大会に米、ロシア、中国、韓国、北朝鮮の5カ国から核被害者を招待することを決定
1995/5/26
崇徳学園が120年史を刊行。500人以上の犠牲者を出した原爆について99ページを割く
1995/5/27
北海道十勝観光連盟のキャンペーンガールと日本エアシステムのスチュワーデスら8人が、広島赤十字・原爆病院の患者に十勝から空輸したスズラン55鉢をプレゼント
1995/5/27
全国の若者が被爆の実相に触れる「第6回ヒロシマの旅」が広島労働会館で開会。26都道府県から約300人が参加、2日間の日程で被爆者との話し合いや慰霊碑巡り
1995/5/27
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が、ビル取り壊しを前に、これまで使用してきた食器、寝具など約500点のバザーを開く。経営難から、自治労山口県本部に土地、建物を売却、6月4日から取り壊し作業へ
1995/5/27
在韓被爆者渡日治療広島委員会が年度総会。在韓被爆者30人の渡日治療を支援した94年度の活動を報告
1995/5/27
広島原対協主催の原爆被爆50周年記念特別講演会が広島国際会議場で開会。評論家の上坂冬子さんと作家の渡辺淳一さんが聴衆約400人に講演
1995/5/28
米が李登輝・台湾総統の訪米受け入れを決めたことに抗議し、中国政府がミサイル関連技術輸出規制(MTCR)と核エネルギー協力に関する対米専門家協議の延期を決定。中国の抗議行動は、訪米中の2代表の日程切り上げなど4件目
1995/5/28
広島国際会議場で開かれた原爆後障害研究会で、原対協の藤田恵子医師が、男性被爆者の場合、爆心地からの距離が近いほど骨粗鬆(しょう)症の恐れが強いと発表
1995/5/28
核兵器廃絶を訴えて若者が全国各地を走る「反核平和の火リレー」(日本青年学生平和友好祭実行委員会主催)の採火式が広島平和記念公園で。28都道府県から282人が参加、同公園内にある「平和の灯」を地元に持ち帰る。6-8月間、各都道府県をリレー
1995/5/29
包括的核実験禁止条約(CTBT)の策定交渉を中心議題としたジュネーブ軍縮会議の1995年第2会期が開始
1995/5/29
島根県の「環境問題を考える女の集い」(高山幸子代表)が、松江市母衣町の中国電力島根支店に、島根原子力発電所の地震対策について17項目の公開質問状を提出。中電は7月中にも回答へ
1995/5/30
原爆慰霊碑に納めてある原爆死没者名簿63冊の虫干し。梅雨を避け、例年より1カ月早める
1995/5/30
被爆者援護法の施行に伴い、広島市が特別葬祭給付金の支給請求時に必要な戸籍証明を無料化する「戸籍の無料証明に関する条例」を制定。援護法と同時に7月1日から施行へ
1995/5/31
中国が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験をしたとされる問題で、五十嵐官房長官が「5月末にICBM関連実験をしたと推定している」と述べ、政府が情報を得ていることを公式に認める
1995/5/31
鳥取県原爆被害者協議会(大坪久行会長代行)が鳥取市の丸山墓苑に建立していた「平和の鐘」が完成、除幕式と打ち初め。鐘は高さ68センチ、口径45センチ、重さ100キロの青銅製、正面に西尾知事の筆による「平和」の文字を入れる
1995/5/31
呉市の主婦らでつくる折鶴(おりづる)会と香折(かおり)会が終戦50周年を記念して、2千個の折り紙を張った原爆ドームの総仕上げ作業。6月6日から呉郵便局での合同折り紙展に展示へ
1995/5/-- 
山口県原爆被害者団体協議会(中谷亘会長)と、同県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑(安部一成理事長)が、被爆50周年記念事業として在韓被爆者3人を招いて交流会を開くなどの事業計画を決定
1995/5/-- 
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑と山口県被団協が同県内の被爆者健康手帳保持者約6,500人を対象にアンケートを実施。3,956人から回答、高齢化に伴う不安や医療・福祉の充実を望む実態が判明
1995/5/-- 
牧師の故・岡正治さん(1994年7月死亡)の遺志を継ぎ、日本の戦争責任を明らかにし戦後補償を実現するため、市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」らが「岡まさはる記念長崎平和資料館」建設を進める
1995/5/-- 
山口県原爆被害者団体協議会(中谷亘会長)が被爆者組織のなかった岩国地区に支部を結成することを決定。年内発足を目指す
1995/5/-- 
放影研が実験用マウスの骨髄に人の血液を作る幹細胞を移植することに成功。被爆者に多い造血機能異常や白血病のメカニズム解明に役立つと期待。29日の日本放射線影響学会・日本環境変異原学会合同シンポジウムで発表へ
1995/5/-- 
朗読ボランティアの元アナウンサー角井康さん(61)=広島市東区=が中国新聞の被爆50周年企画「検証ヒロシマ1945-1995」などの連載記事の録音を進める。県立点字図書館などに定期的に寄贈
1995/5/-- 
岡山県原爆被爆者会が被爆50年を機に「被爆体験記」の発刊作業を進める。7月刊行を目指す
1995/5/-- 
戦後・被爆50周年を記念し、ドイツ在住のオペラ歌手番場ちひろさんらが出演する「マイ・ハート・コンサート・スペシャル」(同コンサート推進委員会主催)が、広島市のアステールプラザで6月1日開催へ
1995/5/-- 
広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」が、強制連行についての調査結果をまとめた「中国人被爆者・癒(い)えない痛苦(トンクー)-獄中被爆の真相を追う」を発刊へ
1995/5/-- 
山口市の劇団はぐるま座が被爆50周年を記念し、平和をテーマにした音楽詩劇「夏の約束」の全国上演を計画。23日の福岡県柳川市を皮切りに全国約50カ所で上演へ
1995/5/-- 
大阪在住の米人フリー映像プロデューサー、ジェフリー・ポイスターさん(40)が、被爆50周年を迎えるヒロシマの8月5日から6日午前8時15まで1日のドキュメント制作を計画。資金提供の団体や個人を探す
1995/5/-- 
岡山県被爆者会玉野支部の永田昭年さん(66)が、子供らに戦争の悲惨さを知ってもらうため、被爆直後の広島の町を再現する模型を作製。7月下旬に児島郡灘崎町の町民会館と玉野文化センターでの原爆展で展示へ
1995/5/-- 
オーストリア・ウィーン大学生カタリナ・ウィンディッシュさんが被爆者援護法について卒業論文を書くため、広島で資料収集を続ける。被爆者から聞き書きや原爆資料館などを訪問、被爆者の視点で援護法を考える。ウィンディッシュさんは3月末に来日、5月末に帰国予定
1995/5/-- 
原爆資料館の1994年度入館者総数は141万7,040人に。3年ぶりで増加。6月に東館が開館、展示内容を充実したのが反映
1995/5/-- 
無期限延長が確実となっている核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議で、一部の非同盟諸国が核軍縮の日程設定などを盛り込もうと抵抗。「全会一致」で無期限延長に同意することを条件に交渉するが、核保有国との溝を埋めるのは難しい状況
1995/5/-- 
広島県御調郡御調町が総合文芸誌「御調文学」第29号を発行。被爆50周年を記念して被爆体験記など9編を約30ページにわたって掲載
1995/5/-- 
広島市がノルウェー・オスロ市とナルビク市に、広島市役所旧庁舎の被爆石を6月1日に発送へ。平岡市長のメッセージも。ナルビクは8月6日、オスロは8月9日に被爆石を使った平和記念碑を除幕予定
1995/5/-- 
原水禁国民会議(社会党・旧総評系)と核禁会議(旧民社党・同盟系)が被爆50周年で、連合とともに広島、長崎で合同平和集会を開くことを決定。1961年に社会、民社党系に分裂以来初めての8・6共同集会に

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