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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 6月 ②


1995/6/21
米上院のレビン、サイモン両議員など民主党中心の超党派グループ24人が、クリントン大統領に核実験再開反対の書簡を連名で送付
1995/6/21
中国電力島根原子力事務所の加茂武副所長らが島根県庁で記者会見。島根原発(島根県八束郡鹿島町)増設に伴う事前調査を7月1日から始めると発表
1995/6/21
府中ボランティア貯金推進協議会が、チェルノブイリ原発事故の被曝(ばく)者救援活動を続ける府中市の市民団体「ジュノーの会」(甲斐等代表)に1995年度の国際ボランティア貯金寄付金2,872万3,000円を伝達
1995/6/21
広島県御調郡向島町の町会が「核兵器全面禁止・廃絶国際条約の締結」と「国家補償の精神に基づく被爆者援護法の制定」を求める2意見書を可決
1995/6/21
8月6日に広島市で開かれる子ども平和集会に、「原爆の子の像」をテーマとする歌をレコーディングした米シアトルの子ども5人の参加が決定
1995/6/21
広島県医師会の招きで広島赤十字・原爆病院に入院しているブラジルの被爆者3人が、退院を前に記者会見。「多くの人に世話になり、体の調子もよくなった」
1995/6/22
広島市の原爆死没者慰霊式・平和祈念式で原爆慰霊碑に奉納される原爆死没者名簿への記帳が広島市役所で始まる。前年とほぼ同数の約5千人の記載を予想
1995/6/22
広島県内86市町村すべてを走り継ぐ「反核平和の火リレー」(県青年婦人平和友好祭実行委員会主催)が原爆慰霊碑前をスタート。7月1日から施行される被爆者援護法の国家補償法化などを求め、自治体や議会に協力要請へ
1995/6/22
山口県内56市町村900キロを11日間かけて走り継いだ「反核平和の火リレー」が、終点の山口県庁前に到着
1995/6/22
原水禁山口市民会議(山本宏議長)と「連帯する山口地区労働組合会議」(山根良夫委員長)が、シラク仏大統領の核実験再開表明に抗議し山口市民会館前で約40分間の座り込み
1995/6/22
仏核実験再開発表や中国の核実験に抗議し、広島県被団協(金子一士理事長)や県原水協、ヒロシマ労連のメンバーら約120人が広島市内の八丁堀、紙屋町など中心部を1・2キロをデモ行進
1995/6/22
新進党の訪中団と会談した中国の李淑錚中央対外連絡部長が、中国核実験再開に対し無償資金協力の圧縮措置を取った日本政府を批判。「経済援助と核実験を絡めるのは賢明でない」と核実験停止を否定
1995/6/22
日本原子力研究所が、実験船の役目を終えて解体中の原子力船「むつ」から心臓部に当たる原子炉を撤去。1974年の初航海で出力上昇試験中に放射能漏れを起こし、受け入れ先が転々。支出1,200億円、航海わずか166日。原子炉撤去で進水から26年の歴史に幕。日本から原子力船が消える
1995/6/23
中国訪問中の新進党訪中団名誉団長の海部俊樹党首(元首相)が、北京で李鉄映中国共産党政治局員と会談。中国の核実験停止など要請したのに対し、李氏は「中国は核保有国の中で最も抑制的だ。核の本当の驚異は超大国にある」と停止に難色
1995/6/23
経団連が、日本、米、欧州、ロシアで共同開発中の国際熱核融合実験炉(ITER)の青森県六ケ所村誘致に乗り出すと発表
1995/6/23
米国防総省が包括的核実験禁止条約(CTBT)締結後も例外として実施を検討していた小規模地下核実験計画案をホワイトハウスが事実上拒否した-と米紙ワシントン・ポストが報道
1995/6/23
オーストラリアのキーティング首相が、仏が核実験再開決定を撤回しないことに対し、駐仏大使と武官の召還、仏との国防協力の制限など報復措置を発表
1995/6/23
ニュージーランドのウェリントンで、仏核実験再開決定に抗議する非政府組織(NGO)のグループ約40人が、駐ニュージーランド仏大使館のある建物にごみをまき、大使館員に抗議文と腐った魚を渡す
1995/6/23
生協ひろしまが核兵器の違法性を考える「´95平和のつどい」を福山市の福山商工会議所で開会。国際司法裁判所の審理に向け、井上正信弁護士が解説
1995/6/24
広島市の西区民文化センターで「原爆ドーム物語」の集い。親子連れなど約100人が参加、広島県産業奨励館(原爆ドーム)誕生の経緯や設計者について学ぶ
1995/6/24
呉市仁方地区の3世代ふれあい交流会(同地区子ども会連合会主催)が仁方公民館で開かれ、参加者約320人が平和を願い、折りづる約2千羽を作る
1995/6/24
九州大応用力学研究所が、超電導強磁場コイルを備えたトカマク型核融合実験装置TRIAM1Mで、プラズマ(原子核と電子が分離した状態)を2時間13秒持続して発生させることに成功
1995/6/24
第23回全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会など主催)が広島市の幟町中学校で開幕。25日まで。原爆正当化論の克服、アジア諸国との連帯など討議
1995/6/24
仏核実験場のある仏領ポリネシアで反核運動のリーダーを務めるファアア市のオスカー・テマル市長が中国新聞の国際電話インタビューに答える。「仏の核実験再開は許せない。国際世論で断念させたい」
1995/6/24
戦争犠牲者が多数出た3市が手を結んで戦争や平和を考える「那覇・広島・長崎ピース・トライアングル・サミット」が那覇市民会館で開会。平岡広島市長ら3市長が世界平和実現への連帯を確認
1995/6/24
中国新聞が被爆50周年を機に、広島市内に住む被爆者1,500人を対象に実施した実態・意識調査の結果を掲載。今も「被爆者」を意識している人が8割、4人に3人が原爆投下を否定、高齢化に対応した施策を求める声が多数
1995/6/25
中国新聞が実施した広島市内の被爆者実態・意識調査の回答のうち、被爆者援護法(7月1日施行)への意識分析を掲載。3割の被爆者が「国家補償を明記すべきだった」と不満回答、現行の原爆二法より前進と一定評価する意見を上回る
1995/6/25
被爆証言活動を続ける市民団体「広島の証言の会」と「長崎の証言の会」が座談会「被爆50年-広島から証言する」を広島市の幟町文化会館で開会。語り部ら約20人が50周年以降の運動の進め方など討議
1995/6/25
柳井地域労連(金子義則議長、850人)が中心で進めていた「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」の支持署名が柳井市民の半数を超す1万7,725人に
1995/6/25
岡山市民平和祭実行委員会が岡山シンフォニーホールで、戦後50年記念の「映画と話し&スライド上映」を開会。日本の加害の語り部をしている同市津島福居1丁目の角田茂さん(69)が戦争の残酷さを証言
1995/6/25
呉市の長浜中学校(西村忠顕校長)3年2クラスが、平和学習「防空ごう体験聞き取り」を発表。父母と一緒に長浜、小坪地区の戦跡マップを作る
1995/6/26
広島平和記念公園内にある被爆建物の市レストハウス(元大正屋呉服店)の保存運動をしている「元大正屋呉服店を保存する会」(代表世話人・河瀬正利広島大助教授ら3人)が、広島市議会に394人の署名を添えて保存を請願
1995/6/26
ペルーの首都リマで約200人の小学生が仏核実験再開決定に抗議し、サンイシドロ地区の仏大使館前でデモ
1995/6/26
中国新聞1面で企画「被爆者´95 半世紀を生きて」の連載開始。第1部「高層アパートに暮らす」。広島市基町地区の高層アパートに住む被爆者を追う。計5回
1995/6/26
山口県熊毛郡上関町の片山秀行町長が町会で答弁。中国電力の上関原発の立地環境調査について「第1次調査は予定通り本年度中に終えると思う」
1995/6/26
原水禁国民会議やグリンピース・ジャパンなど44市民団体と個人14人が、核実験再開を決めた仏の在日大使館に再開決定撤回を申し入れ
1995/6/26
リフキンド英国防相が英下院議会で「英政府に核実験の再開計画はない」と明言
1995/6/26
放影研の理事会が始まる。28日まで。米エネルギー省が放影研の管理運営の委託先を学士院から大学へ変更しようとしている問題などを討議
1995/6/26
平岡広島市長が広島市会で、被爆者援護法について「高齢化が進む生活実態に即したきめ細かな援護対策を要望していく」と答弁
1995/6/27
「平和を願う戦時遺品展」(10フィート映画を上映する下関市民の会主催)が下関市の下関図書館で開会。7月9日まで。原爆かわらや軍服、下関の戦災写真パネルなど展示
1995/6/27
ロシアのコムソモリスカヤ・プラウダ紙(27日付)が、1962年のキューバ危機の最緊張時、ソ連潜水艦が米軍艦艇に対し核弾頭付き魚雷を使用する寸前だった-と報道
1995/6/27
広島を訪れたマーシャル諸島共和国ビキニ・アトール市のトマキ・ジュダ市長(44)が、米核実験による環礁の汚染除去作業の見通しを語る。1996年早々にも放射能汚染の除去が開始予定。46年に島民が強制移住させられた以来、50年ぶりの本格的な除去作業、帰島は10年後
1995/6/27
米アメリカン大の原爆資料展(7月8日-27日)に出席する平岡広島市長の訪米日程が決定。ワシントン以外にもミネアポリス、ボストン、ニューヨーク3市で講演会などに出席
1995/6/27
藤田広島県知事が県会本会議で、中国核実験や仏核実験再開表明に対し、遺憾の意と全核保有国に核兵器廃絶を求める県宣言を送る考えを明かす
1995/6/27
原爆ドームの国史跡指定が官報に告示され、国史跡に正式決定。文化庁は世界遺産リストへの登録に向け、ユネスコ世界遺産委員会への推薦書類を提出へ
1995/6/28
国際環境保護団体グリーンピースが、ロシア軍の戦略核兵器基地の数は28カ所、計7,114の戦略核弾頭が実戦配備されている-との調査結果を発表
1995/6/28
放影研が広島市南区民文化センターで設立20周年記念式典。0B職員や厚生省、米エネルギー省の代表ら約400人が出席、調査の継続などを誓う
1995/6/28
米エネルギー省のポール・セリグマン副次官補が、放影研の理事会後に記者会見。放影研の管理運営の委託先を米学士院から米国内の大学へ変更する同省の計画について「2年間延期」と述べる
1995/6/28
「原爆ドームの世界遺産化早期実現県民の集い」が広島市の県情報プラザで開会。ドームの国史跡指定を受け、世界遺産化へ一層努力することを申し合わせる
1995/6/28
中国新聞が被爆50周年企画「核と人間」旧ソ連編の特集として、放射能事故を繰り返した「原潜(原子力潜水艦)大国」の実像を紹介
1995/6/28
被爆死した少女の霊と少年の交流を通して原爆を告発する映画「夏少女」(あびプロダクション製作)の主役に、廿日市市の四季が丘中一年八崎朝子さん(13)が決定
1995/6/28
アディスアベバで開かれていたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議が3日間の日程を終了。アフリカを核兵器のない地域にすることを目指すアフリカ非核化条約(ペリンダバ条約)などを採択して閉会
1995/6/28
デンマーク、スウェーデン、オーストリアの3カ国首相がコペンハーゲンで連名の声明発表。仏が決定した南太平洋での核実験再開に抗議
1995/6/28
米スミソニアン航空宇宙博物館で、広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示が始まる。反核団体活動家が「ノーモア・ヒロシマ」を叫び、垂れ幕を下げる抗議行動。21人逮捕
1995/6/28
世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議が、広島市の広島国際会議場で開幕。海外12カ国20都市、国内37自治体から計約120人の市長らが参加。「アジア太平洋地域の平和と都市の役割」をテーマに冷戦後の世界像を討論。30日、中国、仏の核実験再開に抗議し、核保有国に核廃絶への積極的な取り組みを求める決議をして閉幕
1995/6/29
世界平和連帯都市市長会議のアジア太平洋地域会議に出席しているマーシャル諸島ビキニ環礁の法律顧問、ジョナサン・ワイスゴール弁護士=米ワシントン在住=が分科会で、米軍部が放射線人体実験に強い関心を抱いていたことを示す文書2通を米エネルギー省から入手した-と報告
1995/6/29
世界平和連帯都市市長会議のアジア太平洋地域会議に出席した海外市長ら約50人と広島市民が市内のホテルで交流。市民らの指導で平和への願いを込め折りづるを作り
1995/6/29
中国5県の市民団体でつくる島根原発増設反対運動(安本和正代表)が中国電力に対し、7-9月に予定されている使用済み核燃料の搬出中止など5項を申し入れ
1995/6/29
広島市が米アメリカン大で開かれる原爆資料展に派遣する被爆者を発表。ワールド・フレンドシップ・センターの森下弘理事長(64)と広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の池田精子副理事長(62)
1995/6/29
世界平和連帯都市市長会議のアジア太平洋地域会議に出席しているマーシャル諸島ビキニ・アトール市のトマキ・ジュダ市長が平岡広島市長を訪問。翌年7月に開くビキニでの米核実験開始50年式典に出席を要請
1995/6/29
新進党の外交政策担当、鹿野道彦代議士が在日仏大使館を訪れ、仏核実験再開決定の撤回を申し入れ
1995/6/29
仏領ポリネシアの政庁所在地パペーテのあるタヒチ島で、仏核実験再開に反対して行進していた約1万2千人が、市街地入り口で座り込みを開始。島の交通がまひ状態に
1995/6/30
山口県議会が、核兵器の全面禁止・廃絶のための国際条約締結を国連に求める要望決議を可決
1995/6/30
広島県沼隈郡沼隈町の画家小川憲一さん(48)が同町まちづくり総合センターで平和絵画展。原爆の恐ろしさを油絵や水墨画80点で訴え。9日まで
1995/6/30
広島県議会の議会運営委員会が、開会中の県会に戦後50年決議案提出を見送ることを決める。「世界最初の被爆地」の文言を決議案に入れるか否かをめぐり、社会、自民両会派の歴史認識が違い、決議案を一本化ができず
1995/6/-- 
RCCが6-9月の毎週日曜日深夜、「ヒロシマ」をテーマに制作したドキュメンタリーやニュース企画を選び、「映像ヒロシマ50年」として22本放送へ
1995/6/-- 
広島市佐伯区内にある16公民館・コミュニティセンターが被爆50周年事業として、原爆と地域のかかわりを描いた地図「佐伯区祈念マップ」を作製
1995/6/-- 
爆心地付近の天神町(現在の広島市中区中島町)に住んでいた紋上絵師菊地繁三さん(74)=安佐南区祇園6丁目=が、被爆前の1940年当時の町並み写真を保存。8月6日に平和記念公園内の天神町北組慰霊碑前で展示へ
1995/6/-- 
広島市西区の己斐公民館で活動している「たんぽぽ・子供の絵を見守る会」の小学生の絵31点が、米サンフランシスコ市で被爆50周年を記念して開かれる美術展(7月)に展示へ
1995/6/-- 
爆心地から約2キロにあった動員先の広島鉄道局電務区(広島市南区大須賀町)で被爆した尋常高等小学校高等科の女生徒たちが、7月に初の同窓会を計画。約50人の消息を捜す
1995/6/-- 
米アラスカ北西部で野生トナカイのカリブーの死がい1,100頭以上が発見。地元では「60年代の水爆実験の放射能の影響か」と不安の声。州政府の生物学者らが原因究明へ
1995/6/-- 
米ニューメキシコ州の子どもたちが建立を呼び掛けた「原爆の子の像」の姉妹モニュメント製作が順調に進む。原爆投下50周年の8月完成を目指し、同州アルバカーキに設置の計画
1995/6/-- 
県立広島工業学校(現広島工業高)同窓会が、原爆の犠牲になった生徒をしのぶ追悼集「ああ麗しき太田川」を発行。1994年6月に続く第2集
1995/6/-- 
1950年代半ばに米政府が、核実験による放射性物質の人体残留などを調べるため、国立東京第二病院(東京都目黒区)を通じ少なくとも日本人12人の遺骨を入手し研究用に使っていたことが、公開された米原子力委員会の秘密資料で明らかになる
1995/6/-- 
カナダ・トロント在住で、反核平和活動を続ける被爆者サーロー・セツコさん(63)が27日から103日間かけて世界を回る民間交流船旅「ピースボート」に参加へ。「ヒロシマの体験と平和の尊さを伝えたい」
1995/6/-- 
漫画「はだしのゲン」の原作者で広島出身の漫画家中沢啓治さん(56)が、ヒロシマを検証するドキュメンタリー番組の制作を進める。「はだしのゲン・50年目のヒロシマ」(仮題)で、8月6日を中心にテレビ朝日系で全国放送へ
1995/6/-- 
旧海軍呉鎮守府の調査団長として被爆直後の広島の原爆被害調査をした元海軍少佐が保存していた報告書が、呉市役所である戦後50周年記念の原爆資料・写真展(6日から)で展示へ
1995/6/-- 
広島市西区己斐西町の会社員藤本正文さん(45)が、反戦・反核の理念を子どもに分かりやすく訴える童話「犬之介さんと子犬」を出版
1995/6/-- 
被爆者援護法の7月1日施行を前に、広島市が市役所本庁舎などに設けた「特別葬祭給付金相談センター」の来訪者が1万人を突破
1995/6/-- 
被爆者の保養施設である広島市東区の「神田山荘」で温泉探しのボーリングが進む。広島市の被爆50周年事業の一つで、市原爆被爆者協議会(被爆協、会長・平岡市長)は「8月6日までに掘り当てたい」
1995/6/-- 
京都市の立命館大国際平和ミュージアムが、特別展「原爆の開発と投下への道-マンハッタン・プロジェクト」を開催。アメリカの原爆開発から投下までの「政策」に焦点。7月8日まで
1995/6/-- 
政府が北朝鮮との国交正常化交渉に向けた基本方針を固める。非公式折衝で北朝鮮側が切り離しを求めている核開発も本交渉で取り上げる姿勢
1995/6/-- 
広島大原医研で1年間、研究に取り組んできたセミパラチンスク市のカザフ放射線医学・環境研究所のナイラ・チャイジュヌソワ教授(43)が1日に帰国へ
1995/6/-- 
第2次世界大戦後の1945年から3年間、米政府が実施したとされる放射性物質実験で、プルトニウムを体内に注入されたと訴えた患者の遺族が、ニューヨーク州ロチェスター大学とイリノイ州シカゴ大学を相手取り、3億ドルの損害賠償を求める裁判を19日までにニューヨーク連邦地裁に提訴
1995/6/-- 
大竹市原爆被爆者協議会(岩部守邦会長、1421人)が、同市立戸の総合市民会館前に建立されている父子像「叫魂」の隣に、石碑「叫魂(きょうこん)の碑由来記」を設置
1995/6/-- 
大阪市内在住の広島・長崎の被爆者で組織する大阪市原爆被害者の会(森田栄会長)の婦人部(藤川トヨ子部長)が、ロシア・カザフスタン共和国セミパラチンスクの核実験被曝(ばく)者らとの交流成果をまとめた冊子「HIBAKUSHA援護交流の集い」を作成
1995/6/-- 
米のビキニ環礁核実験開始から49年たつマーシャル諸島で、核実験による住民の人体被害賠償(1991年から実施)が件数、金額とも急増。米が用意した4,575ドルは底をつくことが確実に
1995/6/-- 
広島ホームテレビが、呉市の戦争花嫁の悲恋をベースに庶民の戦後を描く戦後50年記念ドラマ「とどけ愛・イッツ・ア・ロング・ウェイ」(仮題)を制作中。11月放送へ
1995/6/-- 
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展が大幅縮小された経緯を詳細に描く「スミソニアンの審判」が7月中旬に米で出版へ。著者のジャーナリスト、フィリップ・ノビーレ氏は、博物館側が日本擁護とも受け止られる総括をしたことに、退役軍人会など保守派が総攻撃を浴びせ計画中止に追い込んだ-と明かす
1995/6/-- 
呉市焼山ひばりケ丘町、音戸高校教諭水野孝彦さん(41)が小説「花咲か父」を出版。被爆した父親の生き方をベースに「人はどう生きるか」を問う
1995/6/-- 
広島市内の被爆者や支援者でつくる被爆者援護会(宗田勝会長、約200人)が、西区天満町の広島西郵便局ギャラリーコーナーで原爆絵画展を開催。被爆直後の惨状を描いた宗田さんの水墨画32点を展示
1995/6/-- 
原爆犠牲になった広島の子供を描いた絵本「伸ちゃんのさんりんしゃ」の英訳本「Shin´s Tricycle」の発刊が決まる。米出版社から8月6日発売予定
1995/6/-- 
広島市映像文化ライブラリーが被爆50周年にちなみ、原爆や平和教育の関連作品を例年の3倍の約20本収集
1995/6/-- 
アマチュア「合唱団ある」(65人)が原爆直後の惨状を歌った合唱曲「原爆小景」を、広島郵便貯金ホールでの定期演奏会(17日)で初披露へ
1995/6/-- 
写真家の土門拳の作品を集めた戦後50年記念写真展「土門拳の日本」が岡山市の天満屋岡山店で開催(14日から)へ。1957年当時の原爆ドームを撮った「ヒロシマ」など
1995/6/-- 
広島市内の被爆者健康手帳の保持者が9万8,473人(3月末現在)となり、1971年度以来23年ぶりに10万人を下回る。高齢化が進み平均年齢は66歳
1995/6/-- 
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展中止を受け、日本被団協が被爆語り部代表団5人を米に派遣へ。7日から2週間、米各地で市民と交流、原爆投下をめぐる日米認識の差を埋め、原爆被害の実態をアピール
1995/6/-- 
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が企画した被爆50周年の記念歌「鳥のかたち」が完成。公募の歌詞にシンガー・ソングライターさとう宗幸さんが作曲。18日のコンサートで披露へ
1995/6/-- 
岡山県原爆被爆者会(加陽正雄会長、1,951人)が戦後50周年記念事業として、平和を祈る記念碑建立を計画。夏の完成を目指し、場所など検討
1995/6/-- 
ドイツ・ポツダム市がポツダム映画祭(15日開幕)で、参加作品中、最も平和や軍縮に貢献した映画に「ヒロシマ賞」を贈ることを決定
1995/6/-- 
大阪・泉佐野原爆被害者協議会(前藤昭甫会長)が2年がかりで会員の被爆体験をまとめた冊子「閃光(せんこう)のかたりべ」を発行
1995/6/-- 
広島県御調郡向島町のアマチュア写真家山口邦夫さん(78)の写真展「ヒロシマ光と影」が、尾道市内の画廊喫茶「あすなろ」で始まる。被爆半世紀を迎える広島をとらえたカラー写真18点
1995/6/-- 
共同通信が国連軍縮長崎会議の参加者にアンケート。「広島・長崎への原爆投下の正当性」について6割が「正しくなかった」と回答
1995/6/-- 
仏核実験再開発表に対し、南太平洋諸国が強く反発。オーストラリアとニュージーランドで仏製品の不買運動が広がる
1995/6/-- 
大学教授らでつくる「非核の政府を求める広島の会」(代表世話人・舟橋喜恵広島大教授)が広島市中区胡町、JTインフォプラザ広島で原爆絵本の原画展(18日-23日)を企画
1995/6/-- 
母親の胎内で被爆した原爆小頭症患者の80%が、保護者の高齢化のため、受給資格のある各種福祉制度を完全に利用していないことが広島市の安佐市民病院の平位剛院長らの調査で判明
1995/6/-- 
広島県安芸郡下蒲刈町や広島市を舞台に原爆の悲惨さを描く映画「夏少女」の製作が順調に始まる。主役の子ども一般公募に多数が応募、7日までに約300通に
1995/6/-- 
核のない社会への希望を世界中に伝えるため、アメリカ・インディアンら約120人が日本列島を走る「セイクレッド・ラン´95(聖なる走り)」が広島、長崎を目指し、24日に北海道・利尻島をスタートへ
1995/6/-- 
山口県労連や同県医労連などの青年部でつくる「PEACE JAM」県実行委員会(委員長・森山文夫県高教組青年部長)が山口市のニューメディアプラザ山口で「PEACE JAMinやまぐち」の開催(25日)を企画
1995/6/-- 
原爆で空白になった校史を埋めるため、広島市中区の神崎国民学校(現神崎小)の1941年から45年在校生が資料集めを開始。7月1日に初会合へ
1995/6/-- 
米ニューメキシコ州アルバカーキで製作中の「原爆の子の像」の姉妹モニュメントに協力するため、広島市安佐南区安東1丁目、会社社長鉄増亘芳さん(56)が寄付金1,000ドルを送付へ
1995/6/-- 
米中央情報局(CIA)、国防情報局(DIA)など情報機関が核・化学・生物兵器や弾道ミサイルの国際的拡散状況に関する報告書を共同で作成。北朝鮮、イラン、イラク、リビア、シリア5カ国を「最大の脅威」と名指しで非難。共同通信が報告書全文を入手
1995/6/-- 
公益信託「ヒロシマ平和基金」の運用益を市民の平和活動に助成しているヒロシマ・ナガサキ平和基金推進委員会(理事長・庄野直美広島女学院大名誉教授)が、1995年度の募集
1995/6/-- 
広島県世羅郡甲山町の雑貨店経営、西本操さん(86)が、原爆ドーム前の河原で集めた被爆かわらを「平和教育に役立てて」と甲山小学校(新谷隆之校長、180人)に寄贈

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