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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 8月 ③


1995/8/21
広島市出身でオーストラリア在住の絵本作家森本順子さんが、自分の体験に基づく絵本「わたしのヒロシマ」の原画12点を広島市に寄付
1995/8/21
学生交流組織「日仏青年会議」が中心となり、日仏の大学生12人が広島で、仏の核実験再開政策などをめぐって議論。23日までの滞在期間中、原爆資料館の見学や被爆者の体験を聞くなどして意見交換
1995/8/21
日本PTA全国協議会が中国の核実験実施に対する抗議文を発表。「核廃絶に向け積極的な取り組みを進めるよう強く求める」
1995/8/21
中国の核実験に抗議し、尾道市、広島県御調郡御調町、岡山市で座り込み。労働組合や市民団体らが核実験中止を訴える
1995/8/21
中国の核実験実施に対し、呉市の小笠原市長が徐敦信駐日中国大使に核実験の即時全面中止を求める抗議電報を打つ
1995/8/21
ノルウェーの首都オスロの仏大使館前で、仏製自動車が爆発。仏核実験に抗議する環境保護グループが犯行声明。ノルウェーからの報道として共同通信が伝える
1995/8/21
ニュージーランドのマッキノン副首相兼外務貿易相が中国の黄桂芳・駐ニュージーランド大使を呼び、中国の核実験実施に抗議
1995/8/21
オーストラリアのエバンズ外相が駐オーストラリア中国大使を呼び、中国の核実験実施に抗議
1995/8/21
新党さきがけの常任幹事会で武村正義代表(蔵相)が、タヒチで開かれる仏核実験抗議集会に参加の意思を表明
1995/8/21
河野洋平外相が外務省で、デミング米駐日臨時代理大使とハンフリー英駐日臨時代理大使、チジョフ・ロシア駐日大使に、中国、仏核実験問題への積極的な対応を要請。核保有国同士の働き掛けを求めることで核実験中止に向けた圧力を強める狙い
1995/8/22
米中央情報局(CIA)の戦略計画担当官オサイアス氏が指摘。「ロシアの核管理体制は不十分で、外部に核兵器や核物質が流出する危険」。対ロシア支援で核管理体制を支えることの必要を訴える
1995/8/22
島根県飯石郡三刀屋町が第5回永井隆平和賞の入賞者を発表。国内外の小中高校生から応募のあった作文や小論文4,852点の中から13点が入賞
1995/8/22
広島市出身でイタリア・ミラノ在住のオペラ歌手岡崎智恵子さんが、6月に広島市内で開いたコンサートの収益金100万円を広島市に寄付
1995/8/22
高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)が29日に初送電-と動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発表
1995/8/22
被爆50周年に合わせ、放影研が実施した一般公開の見学者の感想がまとまる。「研究内容がよく分かった」と好意的な声が多い一方、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)時代からの複雑な思いを感じる人も。定期的な一般公開を望む声も目立つ
1995/8/22
山口県原爆被害者団体協議会の定期総会で、18支部55人が中国、仏の核実験をめぐって活発な議論。韓国人被爆者を日本に招くなどの事業を決定
1995/8/22
山口地区労働組合会議と原水禁山口市民会議が中国の核実験に抗議して山口市民会館前で座り込み。中国大使館に抗議文を送付
1995/8/22
中国新聞が、仏核実験再開決定について仏国際関係研究所のドミニク・モイジ副所長のインタビュー記事を掲載。「仏の核抑止力は欧州防衛に重要」
1995/8/22
仏核実験再開決定に抗議し、英の映画館で仏製ワインなどのボイコットを訴えるスポット広告を開始-と英反核団体「核武装反対運動(CND)」が明かす。CNDなど英国内外約20の反核団体でつくる「英核実験禁止連合」が作成
1995/8/22
南アフリカ外務省が中国の核実験を公式に非難。「中国が核兵器開発を続ければ世界の核軍縮の歩みが遅れ、世界平和に深刻な脅威」
1995/8/22
中国が実施した核実験に対し、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部が、中国の徐敦信駐日大使あてに抗議文送付。生協ひろしまは江沢民中国国家主席に抗議文を送付
1995/8/22
新党さきがけの武村正義代表(蔵相)が、仏核実験再開決定に反対し、タヒチで開かれる抗議集会に参加の意向を表明。村山首相は容認したが、自民党が反発。首相は野坂浩賢官房長官に扱いを一任
1995/8/22
仏政府に核実験中止を求める意見広告を、29日付の仏紙ルモンドに掲載-と新進党が発表。仏の代表的文化地区、モンマルトルの丘の上に広島原爆ドームを配置した図案で、実験中止を訴える
1995/8/22
廿日市市議会が中国核実験への抗議と仏核実験再開決定の中止の求める決議。「包括的核実験禁止条約の交渉が進む中での核実験強行は、核廃絶を願う国際世論を踏みにじる」と核兵器全廃を訴え。中国、仏の両大使館に送付。広島県内の市で初めて
1995/8/22
中国の核実験実施や仏の実験再開決定に抗議し、青森県の開業医や勤務医でつくる「青森県保険医協会」が、仏製品の不買運動を宣言したシラク大統領あての抗議文と中国への抗議文を、東京の両国在日大使館に送る
1995/8/22
オーストラリアのキーティング首相がフィリピンのラモス大統領と会談。仏と中国の核実験に反対することで意見一致
1995/8/23
中国の核実験実施に対し、広島県が藤田知事と桧山俊宏県議会議長の連名で、江沢民主席あての抗議文を在日中国大使館に郵送。核実験問題での抗議文送付は初。24日には友好提携先の中国四川省へ、中国政府への抗議を連絡し、抗議文を郵送へ
1995/8/23
南太平洋での仏核実験再開決定に抗議する船舶がムルロア環礁に集結。オーストラリアやニュージーランドのほか米、ドイツ、チリなどからも参加。仏領海内への突入を狙うヨットもあり緊迫
1995/8/23
被爆者の体験をもとに作られた紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」を広島市郷土資料館の職員がスライド化し、資料館で上映
1995/8/23
英の市民団体「ワールド・ライト」の高校生メンバーら10人が広島女学院高校を訪問。原爆投下の背景や戦争と人種差別の関係などについて高校生と議論
1995/8/23
市民が持っている戦争や原爆関連資料を集めた「´95年平和のための広島の戦争展」が広島市の本川小学校で開幕。被爆茶わんや軍服、福山、呉両市の空襲の写真パネルなど約300点を展示
1995/8/23
米に被爆実態をボランティアが伝えるネバー・アゲイン・キャンペーン(NAC)第6期「平和大使」に、広島修道大3年の岡田美樹子さんら7人が選ばれる。日本文化など学んだ後、来年1年間、米国内を平和行脚
1995/8/23
仏核実験再開決定に抗議するため、原水禁国民会議がタヒチへ派遣する全国代表団約40人に、広島から県原水禁の宮崎安男代表委員ら4人の参加が決定
1995/8/23
中国核実験に抗議し、福岡県行橋市が10月に予定していた中国江蘇省への視察団派遣の中止を決定
1995/8/23
静岡県議会が、中国核実験や仏核実験再開決定に抗議する「すべての核実験に反対する要望書」を決め、村山首相と野坂浩賢官房長官、河野洋平外相に提出。第五福竜丸の被災に触れ、中国核実験に抗議し、仏再開決定の撤回を要求
1995/8/23
中国と仏の核実験実施や再開決定に抗議し、庄原市議会が全会一致で中止を求める決議
1995/8/24
被爆前の爆心地をテーマにした創作劇「天神町一番地」(一誠一座)の舞台展が広島市内で開幕。6月に市民の手で上演、盛況だった舞台の模型や戦前の天神町を描いた絵はがきなどを展示
1995/8/24
青森県大間町に電源開発(本社東京)が建設を予定していた新型転換炉(ATR)実証炉について、電気事業連合会が建設・発電コストの高騰を理由に計画中止を要請していた問題で、原子力委員会が建設を事実上断念する結論をまとめる。ATR実証炉に代わる原子炉として改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)建設の方針
1995/8/24
中国・北京市で開かれる第4回世界女性会議NGOフォーラムに参加する広島県派遣団8人が県庁で結団式。家久満子団長が「世界中の女性に核兵器廃絶を願うヒロシマの思いを伝えたい」
1995/8/24
中国新聞が、開館40周年を迎えた原爆資料館の原田浩館長インタビューを掲載。戦争の加害展示が不足などの指摘に対し答える
1995/8/24
原爆資料館が開館40周年を記念し、入館先着40人に記念品を配布。40人目の入館者で高知市の主婦八木晶子さんに花束や写真集を贈る
1995/8/24
原爆資料館が開館(1955年8月)40周年。累計入館者は4,117万4,000人に
1995/8/24
南アフリカのモディセ国防相が議会に送った答弁書で「旧白人政権が核兵器開発のため1974-90年の間に7億-8億ランドを投入」と報告。8億ランドは当時のレートで約1,530億円
1995/8/24
仏外務省が、ムルロア環礁で再開する核実験について、実験が環境に悪影響を与えないことを示す文書を仏欧州委員会に手渡した-明かす
1995/8/24
仏核実験再開決定に対し、1992年にノーベル平和賞を受賞したグアテマラのリゴベルタ・メンチュさんが「人類の尊厳を損なう」と実験非難の声明を発表
1995/8/24
国連人権委員会差別防止小委員会が、日本の波多野里望委員(学習院大教授)から提出された仏核実験中止を求める決議案を採決しないことを決定
1995/8/24
仏が核実験を予定しているムルロア環礁に向け、国際環境保護団体グリーンピースの抗議船「虹(にじ)の戦士2」が仏領ポリネシアのタヒチ島を出港
1995/8/24
98カ国・地域405都市が加盟する世界平和連帯都市市長会議(会長・平岡広島市長)が、中国の江沢民国家主席に核実験への抗議文を送付。加盟都市に核実験即時停止と核兵器廃絶を関係諸国へ要請する書簡を送付
1995/8/24
厚生省が1996年度予算の概算要求をまとめる。広島市に建設予定の「原爆死没者追悼平和祈念館」の実施設計費7,800万円を盛り込む。97年度着工、98年度開館を目指す。被爆者対策の要求総額は1,551億円で、被爆者援護法制定などにより本年度当初予算に比べ2.5%増
1995/8/25
元原子力安全委員長の御園生圭輔氏が死去、82歳。1936年、東京帝大医学部を卒業後、陸軍軍医となり、軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる
1995/8/25
茶道裏千家の千宗室家元が原爆慰霊碑前で犠牲者のために献茶。裏千家淡交会広島支部主催の「平和の祈り広島のつどい」に合わせ平和を祈る
1995/8/25
南太平洋の仏軍司令官が「ムルロア領海内や環礁の内海に反核抗議船がいても仏核実験は実施する」と述べる
1995/8/25
日本とオーストラリアの外相など主要閣僚による日豪閣僚委員会がキャンベラで開催。中国と仏の核実験停止を求める国連決議案の共同提案を目指す方針を確認
1995/8/25
新党さきがけの鳩山由紀夫代表幹事らが首相官邸で野坂浩賢官房長官と会談。中国核実験への抗議として対中無償援助凍結を申し入れ
1995/8/25
中国と仏の核実験に対し、広島市が江沢民中国国家主席とシラク仏大統領に送る抗議文の内容が固まる。両国に核実験の即時全面禁止と核兵器廃絶を要求
1995/8/25
南アフリカを訪問中のオレアリ米エネルギー長官が、南ア政府と100万ランド(約2,700万円)に上るエネルギー開発関連の援助で合意。同省当局者は、南アの原子力発電所の燃料である高濃縮ウランを低濃縮ウランに転換する支援が合意目的の一つ、と語る
1995/8/25
仏核実験再開決定に抗議してタヒチで開かれる国際抗議行動に、広島県被団協の金子一士理事長ら3人の参加が決定。日本原水協などの代表団に参加し、現地で広島、長崎の被爆写真など約80点を展示へ
1995/8/25
東広島市の川上弾薬庫を視察した讃岐市長に、在日米軍秋月弾薬廠(しょう)のスタンレー・リリィー司令官が、核兵器を配備していないことを初めて示唆。米政府は核兵器の存在を明らかにしない政策を取っており、異例の発言
1995/8/25
イラクが1991年4月に最初の核実験をする秘密計画を進めていたことを、エケウス国連大量破壊兵器廃棄特別委員長が国連安全保障理事会に報告。91年1月の湾岸戦争で多国籍軍に核関連施設を破壊されたため計画は挫折
1995/8/25
中国の核実験に抗議し、長崎市に隣接する長崎県西彼杵郡多良見町の石丸義雄町長が、11月に予定していた「多良見町少年少女友好訪中使節団」の派遣延期を表明
1995/8/25
日本とオーストラリアの主要閣僚が出席して2年ごとに開く日豪閣僚委員会がキャンベラで開会。中国、仏の核実験に対し、国連での核実験停止へ向けた決議採択で一致
1995/8/25
青島幸男東京都知事が中国核実験に抗議し、実験中止を求める江沢民国家主席あての親書を在日中国大使館に送る
1995/8/26
仏ドペレッティ海外県・領土相が仏領ポリネシアの政庁所在地パペーテに到着
1995/8/26
第4回アジア記者招請プロジェクト(広島国際文化財団主催)に参加した韓国、香港、ベトナム、イスラエルの4カ国・地域の記者5人が、24日間にわたる広島、長崎取材を振り返った思いを中国新聞に掲載
1995/8/26
南太平洋ムルロア環礁での仏核実験再開に反対し、仏領ポリネシアの政庁所在地タヒチ島パペーテでキリスト教関係者ら約3千人が抗議デモ
1995/8/26
平和運動家の故・森滝市郎さん(1994年1月死去)の願いを表した詩碑「平和の碑」が島根県飯石郡赤来町の国道そばに建立。詩は仏教詩人の坂村真民さん(愛媛県伊予郡)
1995/8/27
イスラエル・テルアビブの仏、中国大使館前で、両国核実験に抗議していた環境保護団体グリーンピースのメンバー13人を警察当局が逮捕-とイスラエル放送が報じる
1995/8/27
仏核実験再開決定に反対し、オーストラリア政府に抗議船を出すよう要求する反核団体「シドニー平和集団」のメンバーが、シドニー市内のキーティング首相私邸に侵入、5人が逮捕
1995/8/27
中国の核実験、仏の実験再開決定に抗議するため、環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」と市民団体「ヨコスカ平和船団」が神奈川県横須賀市の横須賀港でボート海上デモ
1995/8/27
広島市の吉島小学校PTAが、広島平和記念公園で平和学習「夏休み 親子で平和を考えよう」を開く。児童15人と保護者25人が被爆体験を聞き、惨状を学ぶ
1995/8/27
中国の核実験強行と仏実験再開決定に抗議し、広島の市民団体「ピース・リンク広島・呉・岩国」と「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」の呼び掛けで25人が原爆ドーム前に座り込み
1995/8/28
島根県八束郡八雲村の臨時村会が、仏、中国の核実験中止を求める決議を全会一致で採択
1995/8/28
国際会議や国際司法裁判所などで世界平和と核廃絶を訴える平岡広島市長の日程が決定。9月2日出発、オランダ、仏、カナダを歴訪。パリで仏核実験再開決定に対し抗議行動も検討
1995/8/28
1994年5月に北朝鮮から韓国に亡命した康明道氏が、北朝鮮北部の慈江道東新郡東興里に極秘の地下核施設があると発言-と韓国紙の中央日報が報道。同氏は「事実無根」。中央日報は「同氏がインタビューで発言したのは事実」と反論
1995/8/28
1950年代末、沖縄に駐留していた米空軍の元部隊員3人が、沖縄のほか米軍三沢基地(青森県三沢市)、板付基地(福岡市)で核兵器を整備した-と共同通信に証言。外務省は「一切承知していない」と否定
1995/8/28
山口県熊毛郡上関町の「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」が、中国電力の上関原発誘致反対の請願書を平生町議会に提出。大和町と同町議会には陳情書。大和町への陳情は初めて
1995/8/28
米の核開発を担ってきたロスアラモス研究所などが、マンハッタン計画から現在までの核兵器をめぐる研究や技術ノウハウの記録収集と保存に乗り出す-と米紙ロサンゼルス・タイムズが報道
1995/8/28
ロシア原子力省の前身、旧ソ連政府第1総局の発足50周年記念展示会がモスクワで開幕。1949年に実験に成功した旧ソ連製原爆第1号や51年に開発された最初の量産型原爆と同形の実物が初めて一般公開
1995/8/28
広島県安芸郡下蒲刈町などでロケが進んでいた原爆映画「夏少女」の撮影が終了。9月初めに予定の広島平和記念公園での撮影で約1カ月間の広島ロケを終了、11月に県内各地で公開へ
1995/8/28
広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市民の寄付金1,150マルク(約7万円)が広島赤十字・原爆病院に届く
1995/8/28
中国の核実験と仏の核実験再開決定について、共産党の〓恒雄広島県議が桧山俊宏県議会議長に対し、県議会として核実験抗議と実験中止を求める決議を申し入れ。藤田知事にも仏核実験再開への抗議と中止申し入れを要求(〓はテンが2つの「しんにょう」に「十」)
1995/8/28
ソウルで開かれたアジア太平洋議員連盟総会で、韓国の李洪九首相があいさつ。仏や中国に対し核実験の中止を要求
1995/8/28
ミヨン・フランス国防相が「南太平洋での核実験を予定通り9月1日から来年5月までの間に計7-8回実施」と言明。実験目的は「核抑止力の信頼性確保」と従来通り主張
1995/8/28
日本、米、欧州連合、ロシアの国会議員らでつくる「地球環境会議国際議員連盟」(GLOBE)の第10回総会が東京で開幕。中国などの核実験再開に抗議する姿勢を明確にし、包括的核実験禁止条約(CTBT)早期締結を訴える
1995/8/28
広島市議会が全員協議会で、中国と仏に対し核実験中止を求める抗議文を送ることを決定。市議会が核実験の抗議文を送るのは初
1995/8/28
仏領ポリネシアのタヒチ島で仏核実験再開に抗議する平和行進が始まる。行進最終日の9月2日には世界各国から1万5千人規模の反核行進へ
1995/8/28
仏の南太平洋核実験センターのベリセル司令官が「ムルロア環礁での核実験開始が極めて近い」と語る
1995/8/29
中国の核実験実施に抗議し、1995年度の対中無償資金協力を事実上凍結することを、政府が閣僚懇談会で決定。人道・災害緊急援助は除く
1995/8/29
広島市の反核団体「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」が原爆ドーム前で、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の発電、送電に反対するビラを配布
1995/8/29
中国電力の島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)の新核燃料を、1995年10月-12月に搬入すると中電から連絡-と島根県が発表
1995/8/29
第4回アジア記者招請プロジェクト(広島国際文化財団主催)に参加した4カ国・地域の5人の記者の取材や生活を中国新聞が連載報告。2回
1995/8/29
オーストラリアで開かれた8・6市民集会に参加した岡山県笠岡市の笠岡みたけ少年少女合唱団員ら18人が広島市を訪問。現地の市民団体から託された平岡広島市長あて平和メッセージを、増田学・同市平和推進室長に届ける
1995/8/29
広島市の内科医師、碓井静照さんが著書「消えた十字架」276冊を市内の学校に寄贈。被爆体験や地域医療への提言を執筆 1995/8/29

広島県原水禁が、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の発電と送電に反対する抗議声明を村山首相に送る。声明は(1)運転中止とプルトニウムの生産停止(2)非核三原則の法制化-を要求
1995/8/29
動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が福井県敦賀市で試験運転を続けている高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が、高速増殖炉として国内で初めて送電。9月上旬には炉を停止して設備点検し、10月から試験再開。本格的運転は来春以降の見通し
1995/8/29
仏核実験再開決定に抗議し、タヒチ島周辺で反核航海を計画している「広島インランドシー・ヨットクラブ」メンバーに、平岡広島市長が核兵器廃絶を訴えるメッセージを託す
1995/8/29
チリの首都サンティアゴのアレクス・フィゲロア市長が仏核実験再開に反対し、市民全員が1分間すべての活動を停止する抗議行動を9月6日に実施すると発表
1995/8/29
仏核実験再開決定に反対する超党派議員23人による「ムルロア環礁での核実験に強く反対する議員の会」のタヒチ派遣団結団式。団長に新党さきがけの武村正義代表(蔵相)
1995/8/29
長崎市の伊藤市長が中国核実験に抗議し、友好都市の中国・福州市への親善訪問団派遣を、核実験中止のめどがつくまで延期すると決定
1995/8/29
仏核実験再開問題で、全国理容環境衛生同業組合連合会が全国の加盟理容店約10万7千店を通じ、「ノーモア核実験」を市民に呼び掛ける草の根運動を計画。9月1日には世界理美容報道連盟(パリ)に抗議文を送付し、世界の理美容業者に核実験反対を呼び掛けへ。実験強行には仏製化粧品の不買も
1995/8/30
益田市の渋谷義人市長が、中国と仏の核実験再開の中止を求める抗議文を両国の駐日大使あてに郵送。益田市長の核実験反対文書の送付は初
1995/8/30
中国と仏の核実験再開に抗議し、広島県賀茂郡福富町の臨時町会が実験中止を求める決議。決議文は両国在日大使館へ郵送
1995/8/30
公明党岡山県本部の岡山北、岡西の2支部が、はがきを送って中国と仏の核実験反対を訴える「はがき運動」を開始。国別に2種類各3,000枚印刷
1995/8/30
国連主催の世界女性会議・非政府組織(NGO)フォーラムが北京で開幕。核実験を強行した中国での開催で、雇用や家庭内暴力、エイズなど女性の直面する問題のほか、「核廃絶と女性の役割」に焦点を当てる人も。中国は抗議行動を警戒
1995/8/30
山口県熊毛郡上関町で中国電力が計画している原発建設の立地環境調査に対し、祝島漁協が求めている調査差し止め仮処分申請の初口頭弁論が山口地裁岩国支部で開廷。中電と漁協の主張は平行線
1995/8/30
反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」が高速増殖炉原型炉「もんじゅ」初送電への抗議文を浦野烋興科学技術庁長官に送る
1995/8/30
中国と仏の核実験再開に対し、広島県内の73町村長でつくる広島県町村会が両国の在日大使館へ実験停止を求める抗議文を送る
1995/8/30
仏核実験再開決定に反対し、南太平洋タヒチで開かれる国際抗議集会に自民党議員でただ1人参加する林芳正氏(参院山口)のインタビュー記事を中国新聞が掲載。林氏は「実験再開は包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結を控えた駆け込み実験。核不拡散体制を揺るがしかねない」
1995/8/30
中国核実験に抗議する対中無償資金協力の凍結に関し、野坂浩賢官房長官が政府見解を発表。対中円借款は継続する方針
1995/8/30
新進党が核実験に反対する1ページ広告を仏有力紙ルモンドに掲載。モンマルトルの丘の頂上に原爆ドームを配した合成写真
1995/8/30
仏核実験再開に抗議するためチリ、コロンビア、ペルー、エクアドルの南米4カ国が共同行動を協議。チリのインスルサ外相が発表
1995/8/30
ミヨン仏国防相が週刊誌パリ・マッチのインタビューで、「(計画は)予定を繰り上げて終了することもある」と、1996年5月までの核実験実施の期間短縮を示唆
1995/8/30
林貞行外務事務次官が外務省に中国の徐敦信駐日大使を呼び、中国核実験は「極めて遺憾」と表明。人道・緊急援助を除く対中無償資金協力の凍結方針を伝える
1995/8/30
広島インランドシー・ヨットクラブ(猪谷茂理事長)の11人が仏核実験に抗議する「反核航海」のため仏領ポリネシアのタヒチ島入り。人民奉仕党(ポリネシア解放戦線)幹部らの出迎えを受ける
1995/8/30
広島県町村会(会長・高田大介豊田郡木江町長、73町村)が中国と仏の核実験再開に対し、実験中止を求める抗議文を両国在日大使館へ送る
1995/8/30
仏領ポリネシアのタヒチ島の女性慣習法委員会(ロティ・マキ代表)ら約100人が、「シラク大統領はテロリスト」と仏核実験に反対のデモ
1995/8/31
原水禁国民会議の「フランス核実験再開に抗議する国際交流団タヒチ」に参加する広島県原水禁メンバー6人のうち、宮崎安男代表委員ら5人が広島を出発。広島県被団協の金子一士理事長らも広島を出発。日本原水協などの原水爆禁止世界大会実行委員会が派遣する「フランス核実験再開決定抗議・タヒチ行動日本代表団」に広島から金子理事長ら3人が参加
1995/8/31
中国電力が山口県熊毛郡上関町の原子力発電所建設予定地の海域で進めている立地環境調査に対する祝島漁協の調査差し止め仮処分申請の第2回口頭弁論が山口地裁岩国支部で開廷
1995/8/31
柳井市、山口県熊毛郡上関町など2市3町の商工団体でつくる上関原子力発電所立地促進協議会が、早期立地を求める陳情書を柳井市議会議長に提出
1995/8/31
包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉を進めるジュネーブ軍縮会議が、地球規模で核実験禁止違反を監視する地震波観測網の主要拠点を50カ所で合意。気象庁松代地震観測所(長野県)も含まれる
1995/8/31
仏領ポリネシア・タヒチ島のファーア国際空港で、核実験反対と独立を求める住民約30人と武装警察と衝突。2人が逮捕
1995/8/31
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の崔英鎮事務次長が米ニューヨークで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の原発設置場所は旧ソ連の支援で設置予定だった新浦の見通しと述べる
1995/8/31
広島市の原爆資料館の8月の入館者数が256,408人と8月として過去最高を記録
1995/8/31
仏核実験に反対する武村正義蔵相のタヒチ行きをめぐり、社会党の上原康助副委員長が党の三役懇談会で金融システム危機の深刻化を挙げて、「私が蔵相なら行くのをやめる」と政府与党内に波紋
1995/8/31
原水禁国民会議が派遣する「フランス核実験再開に抗議する国際交流団タヒチ」(47人)に参加する広島県原水禁の宮崎安男代表委員や広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の池田精子副理事長ら5人がタヒチに向け、広島を出発
1995/8/31
日本原水協などの「フランス核実験再開決定抗議・タヒチ行動日本代表団」(24人)のメンバーとして広島県被団協の金子一士理事長ら広島の3人が出発
1995/8/31
岡山県原水協などでつくる「核実験反対岡山県連絡会」(代表世話人・佐藤義信さんら4人)が、中国と仏の核実験に抗議するよう長野士郎知事あてに要請書を提出
1995/8/31
広島県市長会(会長・平岡敬広島市長、13市)が、仏核実験再開への抗議文をシラク大統領と駐日仏大使に送ることを決める
1995/8/31
広島市議会の瀬川吉郎議長と会派代表ら6議員が、中国と仏の核実験中止を求める抗議文を手渡すため上京。両国の在日大使館は面会に応じず、抗議文は玄関前ポストに投函
1995/8/31
松江市の反原発グループ「島根原発増設反対運動」(安本和正代表)の約50人が中国と仏の核実験に抗議し、島根県庁前で1時間の座り込み
1995/8/31
広島インランドシー・ヨットクラブ(猪谷茂理事長)が仏領ポリネシア・タヒチ島を航海し、「ノーモア・ヒロシマ」をアピール。地元の反核拠点ファーア市役所で広島、長崎の原爆写真展も始める
1995/8/31
日本、スウェーデン、ブラジルなど8カ国の漫画家27人が、核実験停止を求めてシラク仏大統領あてに風刺漫画を送る。鹿児島市在住の漫画家坂井貞夫さんの呼び掛け
1995/8/31
仏の隔月誌オブセルベの950人を対象にした世論調査で、仏国民の63%が核実験に反対し、78%が新たな核兵器開発の必要はないと回答
1995/8/31
オーストラリアの労組や環境保護団体など27団体が、欧州の報道各社に仏核実験再開反対を求める公開質問状を送信
1995/8/31
仏の核実験再開に抗議して、ドイツのインターネットから9月1日以降仏国内へ同時刻に集中的に電話をかけ通信網をかく乱するよう呼び掛けるメッセージが流れる。発信元はハンブルクの「カオス・コンピューター・クラブ」
1995/8/-- 
広島市立中央図書館が同市内の10市立図書館の所蔵する原爆関係図書の総目録「広島市立図書館所蔵 原爆資料目録」を発行。国内外で出版された5,181種類,延べ1万6,500冊を9項目に分けて収録
1995/8/-- 
広島市の西部総軍広島赤十字分院(現広島赤十字・原爆病院)で被爆しながら、治療活動に当たった山口県玖珂郡周東町の元軍医大藤重道さん(79)が手記をまとめる
1995/8/-- 
学徒動員中の長女を原爆で奪われた広島市中区の脇谷愛子さん(84)が、戦後再婚して改姓したため戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく遺族給与金を受けられないでいることが判明。「『再婚改姓』は遺族の対象外」が理由。厚生省援護局は「実態に合わない面があるかもしれないが、法律の規定でやむを得ない」
1995/8/-- 
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイス氏(故人)が機内で書いた航空日誌が、ニューヨーク市のフォーブス博物館に展示。「もし百年生きたとしても、この数分間の出来事を忘れることは出来ないだろう」と一節に記す
1995/8/-- 
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が「山口のヒロシマデー」を前に、1945年8月6日以降、現在までに死亡した被爆者の分骨と死没者名簿への搭載を呼び掛け。山口市宮野の「原爆死没者之碑」の納骨堂には現在、77体以上が分骨、1,543人が名簿搭載
1995/8/-- 
広島市南区の大河公民館の利用者が仏核実験再開中止を求め、シラク大統領あての「ピースカード」を仏総領事館(大阪)に送付
1995/8/-- 
島根県飯石郡三刀屋町で、平和の願いを込めた千羽づるを折る町民運動が進む。15日の50周年戦没者合同慰霊追悼式で披露へ
1995/8/-- 
長崎市の黒崎晴生さん(60)、美千子さん(59)夫妻が、写真集「ナガサキ・傷痕癒(い)えぬままに」と絵本「めがね橋とヤコちゃん」を自費出版
1995/8/-- 
長崎原爆の体験をもとに書かれた児童書を原作にしたアニメ映画「サヨナラはお乳の匂い」(学習研究社製作、出崎哲監督)が完成し、日本視聴覚教育協会の教育映画祭児童劇動画部門で優秀作品賞を受賞
1995/8/-- 
原爆開発「マンハッタン計画」を担った米ニューメキシコ州のロスアラモス研究所で、付属「ブラッドベリー博物館」の「核の歴史」を伝える展示をめぐり、退役軍人ら原爆使用の是認派と反核グループが攻防戦を繰り広げる
1995/8/-- 
広島、長崎への原爆投下訓練のため、米軍が宇部市などに投下した模擬爆弾「パンプキン」の実物写真が、戦後50年を機に発刊された「宇部大空襲-戦災50年目の真実」(宇部市の空襲を語り継ぐ会編)に掲載
1995/8/-- 
原爆資料館が今年8月6日の入館者数をまとめる。1日の入館者としては過去最多の1万8,883人を記録
1995/8/-- 
原爆被害者相談員の会(代表・鈴木勉広島女子大教授)が、発足以来14年間の活動記録と被爆者援護の在り方について問題提起をまとめた「被爆者とともに」を発刊
1995/8/-- 
「原爆被害者証言のつどい」(久保浦寛人代表)が活動記録集「For アス SHOGEN」を発行
1995/8/-- 
広島医療生協原爆被害者の会(丸屋博会長)が毎年発行している被爆体験記「ピカに灼(や)かれて」の第18集を発行
1995/8/-- 
東西関係が緊張した1950年代末、極東の共産勢力に対し米が核兵器を使用した場合、「日本国民が強く反発し、在日米軍基地の撤退を要求する恐れもある」と米中央情報局(CIA)が警告していたことが、極秘文書で判明。58年7月22日付の「極東における限定戦争での米国の核兵器使用に対する中ソと自由世界の反応」と題する国家情報評価文書
1995/8/-- 
原爆資料館が、オーストリアで開会される第2回平和博物館国際会議(16-20日)に石田信之副館長を派遣へ。各国の戦争・平和に関する博物館の会議で、原爆資料館の現状報告や参加者との意見交換を予定
1995/8/-- 
旧ソ連時代の1985年8月10日、極東ウラジオストク近郊で太平洋艦隊の原子力潜水艦が起こした爆発事故で、艦隊関係者約350人が被曝(ばく)、即死10人を含めこれまでに40人以上が死亡-との事故詳細が明らかになる。関係者らが共同通信に明かす
1995/8/-- 
自分史をつづる自費出版センター(大阪市、福山琢磨主宰)が「孫たちへの証言」第8集を発刊。「50年前のあのことこのこと」をテーマに、全国から戦争、被爆体験を募る
1995/8/-- 
仏核実験再開決定への抗議が高まるオーストラリアで、「実験終了後はムルロア環礁をリゾート地に」との仏外務省当局者の発言に、「あまりに無神経」と反発が広がる
1995/8/-- 
オーストラリアの新聞「デイリー・ニューズ」1947年10月4日付に掲載された被爆体験記事の切り抜きを、執筆者の広島県豊田郡川尻町小用2丁目、浜本滋さん(68)が保存していることが判明。戦後、呉市に進駐した英連邦軍に勤務時、同職場のオーストラリア人兵士が掲載を橋渡し。原爆資料館も「この時期に、個人の被爆手記が海外で報じられたのは極めてまれ」
1995/8/-- 
広島県職員原爆犠牲者遺族更生会(児玉秀一会長)が、被爆50周年の今年いっぱいで解散へ。会員の老齢化が目立ち、活動が限界。1952年に発足、原爆犠牲の県職員1,141人の供養と遺族の生活支援を続けたが、役目を終える
1995/8/-- 
広島県豊田郡川尻町教育委員会の戦後50周年の平和教育事業として、町民有志による手づくり平和劇「赤い傘」が15日、町総合文化センターで上演へ
1995/8/-- 
岡山県が動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の人形峠事業所(同県苫田郡上斎原村)周辺で続けている環境放射線と回収ウラン転換実用化試験に伴うプルトニウムの1994年度測定結果を公表。空間ガンマ線などの数値はいずれも自然に存在する放射線量の範囲内で、県環境放射線等測定技術委員会は周辺環境は平常と判定。プルトニウムも土壌などから微量に検出されたが、同委員会は過去の海外核実験によるもので人形峠事業所の試験とは無関係と判断
1995/8/-- 
ひろしま国体の広島市実行委員会が、12月まで同市内で開かれる国体リハーサル大会の関係者に原爆資料館の無料入場券を配布中。既に1万2千枚発行。国体選手にヒロシマを伝える狙い
1995/8/-- 
広島大の元留学生で「ヒロシマと被爆問題」を研究しているスイス人のマヤ・モリオカ・トデスキーニさん(33)=パリ在住=が、亡き母の森岡洋子さんの故郷広島市を2年ぶりに訪問。被爆者をテーマにしたドキュメンタリー映画づくりを計画
1995/8/-- 
広島県甲奴郡上下町の上下高校3年生が企画した「戦後50年・平和への願い」と題する特別書道展が上下郵便局ロビーで開会中。31日まで
1995/8/-- 
広島県佐伯郡大野町の華道草月流師範、橋口篁靖さんが広島市のヱビデンギャラリーで作品展。前年亡くなった被爆者の母をしのび、竹で作った作品「鎮魂」を展示
1995/8/-- 
ニュージーランドのオークランド日本語補習学校の6年生7人から、原爆や戦争をテーマにした作文が広島市役所に届く。仏核実験再開決定への反対など訴える
1995/8/-- 
広島市内の7劇団が集まり、被爆体験の継承を訴える創作劇「川面の美し物語」の合同公演が26、27日に同市のアステールプラザで上演へ
1995/8/-- 
中国の核実験に抗議するため、福岡県大牟田市議会が「友好訪中団」への議員派遣の中止を決めていたことが判明
1995/8/-- 
仏核実験再開決定に抗議し、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が10月に仏で開催される日本文化をテーマにした芸術祭への出席を断る通知を出していたことが分かる。「ヒロシマ・ノート」などの著書で核問題を考えてきた文学者として、核実験再開に反対の立場を示す
1995/8/-- 
長崎市のボランティア団体「MUPながさき」が「長崎ピース・トレイル」を出版。英、中国、韓国、日本の4カ国語で市内の被爆遺構や観光名所、長崎原爆や世界の放射能被害などを紹介
1995/8/-- 
中国の核実験実施に対し広島県議会内に、中国・四川省の「広島・四川友好会館」(仮称)建設事業への資金提供を見直す動き。9月県会へ補助金3,000万円の支出を提案する予定だった県は、被爆地の心情と友好提携の間で苦慮
1995/8/-- 
広島県安芸郡府中町のこばと幼稚園の保護者らがまとめた原爆や戦争体験手記「真赤な原子雲-祖父母が孫に語る戦争と原爆の話」が発刊。園児の祖父母ら71人が「銃後」「戦場」「原爆」など5つのテーマで体験記を寄せる
1995/8/-- 
広島市西区の福島地区被爆者の会が「未解放部落原爆被爆者の手記-壁」第12集を作る。体験の継承へ16年ぶりの発行
1995/8/-- 
広島市安佐南区の安公民館が文集「へいわ」を発行。住民43人が被爆、戦争体験などを寄稿
1995/8/-- 
新日本婦人の会広島県本部編の被爆体験集「木の葉のように焼かれて」第29集が発刊。手記11編、聞き書き12編を収録
1995/8/-- 
呉市本町、元山陽ジャスコ会長の荒角理宰さんが、中国軍管区通信補充隊の電報班員だった当時の被爆体験記をまとめる
1995/8/-- 
被爆50周年のヒロシマ報道のため、世界各国のテレビ取材チームが続々と広島入り。広島市広報課のまとめで、外国のテレビ局は9カ国・地域22社、新聞、ラジオを含め17カ国71社。前年より大幅増
1995/8/-- 
広島県安芸郡府中町の広島府中教会の牧師宗藤尚三さんが、反核運動や平和教育に関する論文集「ヒロシマの平和の福音」(新教出版社)を出版
1995/8/-- 
中国の核実験実施に対し、広島の反核市民団体「ピース・リンク広島・呉・岩国」と「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」が、27日に原爆ドーム前で座り込み抗議へ
1995/8/-- 
原爆ドーム周辺の広場の敷き石が傷み、亀裂や段差が生じる。樹木の根に押し上げられたのと重量制限を無視した車の乗り入れなどが理由。特注の御影石で代替品がなく修理できず
1995/8/-- 
8月6日に広島平和記念公園を中心に遺族や若者の表情などを撮った写真展がJR三原駅のうきしろロビーで開催。三原市の写真グループ「三光クラブ」の10人が撮影
1995/8/-- 
米情報当局が、1983年当時、パキスタンが「数個の原爆」を完成させていたことや、中国が74年以来、核技術者をパキスタンに派遣して同国の核兵器開発を直接援助した実態の具体的情報を得ていたことが判明。共同通信が米中央情報局(CIA)を通じて陸軍当局から入手した秘密文書に明記。パキスタン外務省スポークスマンは「文書内容は根拠がなく、核兵器は保有しない」
1995/8/-- 
ロシア国内にある核兵器用プルトニウムをドイツ国内で原子力発電所燃料に転換加工する構想をドイツ政府が検討。25日から始まる両国の軍縮問題合同委員会でドイツ政府がロシア側に打診へ
1995/8/-- 
「ヒロシマ50 入野忠芳・香川龍介・田谷行平」展の画家3人が、広島県内6カ所の巡回展会場で来場者と語る「ギャラリートーク」を展開
1995/8/-- 
山口県熊毛郡上関町の祝島の住民が、中国電力の原発計画に反対する姿を写真家・福島菊次郎さんが記録した写真展「反原発写真展」が下関市の旧英国領事館で開催。反原発団体「原発いらん!下関の会」の主催
1995/8/-- 
仏核実験の賛成派が地元議会などで多数を占める仏領ポリネシアのタヒチ島で、反核と独立を掲げる小さなFMラジオ局「テレオオ・テファナ」が各国の言葉で「核実験反対」を放送
1995/8/-- 
被爆直後の広島、長崎を撮影した大量の未発表写真計116枚が見つかる。文部省・原爆被害調査団の一員として両市に入った菅義夫・元東京大教授(1985年死去)が、45年9月から10月にかけて報告書用に私的に撮影。50年前の惨状を克明に記録
1995/8/-- 
被爆直後の広島工業専門学校(広島市中区千田町3丁目、現・広島大工学部)の惨状を撮影した白黒フィルム16コマが見つかる。広島大の故・平松高市元教授の撮影、遺族が遺品から発見。「原爆被害の状況を示す貴重な資料」と研究者
1995/8/-- 
旧ソ連が水爆製造で米スパイ情報を盗用し、開発期間も当初の4分の1に短縮されたことが、ロシア原子力省保存文書や物理学者の証言で判明。旧ソ連の最初の原爆がスパイ情報による米原爆のコピーだったことに加え、水爆開発競争でも米機密情報を盗用した事実が、初めて旧ソ連側当局者の証言で確認
1995/8/-- 
原爆で壊滅した旧広島県庁跡の記念碑が広島市中区加古町の庁舎跡に完成、6日に除幕へ
1995/8/-- 
広島の被爆者運動の先駆者、故・川手健さんの追悼集「川手健を語る」が、元高校教諭の岡本智恵子さんの手で発刊。川手さんは入市被爆、広島大生の当時の1952年、被爆者組織「原爆被害者の会」の結成に参画
1995/8/-- 
広島市安佐北区の高陽第一診療所の患者で作る「ひまわり会」が被爆50周年を記念し、被爆体験記「わたしたちの8月6日」を出版
1995/8/-- 
尾道地区原爆被害者の会が被爆体験記「原爆ドーム、慰霊碑は語る」第2集を発刊
1995/8/-- 
広島市内の浄土真宗安芸教区広陵東組仏教壮年会が終戦50年を記念し、門徒の被爆、戦争体験をつづった「炎の記憶」を発刊。28編を収録
1995/8/-- 
広島市に住む英写真家ポール・クェールさんが、広島平和記念公園の日常の光景を撮影した写真集を自費出版
1995/8/-- 
山形県長井市のアマチュアフォークグループ「影法師」が、仏核実験への抗議を込めた歌「いまどきのフランス」を作る。フランス製ワイン販売を中止した山形市の酒店経営小山博道さんの詩に曲をつけたプロテストソング
1995/8/-- 
広島市教育センターが被爆50周年にあたって「子どもの平和に関する意識調査」を実施。市内の小中学生は原爆投下の年月日などは知っているが、被害内容や加害面についての認識は不十分-との結果
1995/8/-- 
広島国際会議場に設置された世界平和を願うブロンズ像「レコンシリエーション(和解)」と同じ像が、戦災都市の英コベントリー市の大聖堂に設置。広島の被爆50周年の6日に除幕へ
1995/8/-- 
米の精神医学者ロバート・リフトン氏と元アキバ・プロジェクト招請記者グレッグ・ミッチェル氏が共著「アメリカの中のヒロシマ-50年間の拒絶」を出版。米でヒロシマがどう受け止められたかの軌跡をまとめる
1995/8/-- 
日本PTA全国協議会が仏核実験再開決定への抗議文を在日仏大使館に提出
1995/8/-- 
広島県安芸郡府中町の府中公民館で、地元の子どもたちが平和の願いを込めて6羽のジャンボ折りづるを作る。6日、町役場前の原爆慰霊碑と平和記念公園の「原爆の子の像」に飾る
1995/8/-- 
被爆直後の広島で救援活動した賀茂高等女学校(現賀茂高校)の1946年卒業生が体験集「被爆 50周年を迎えて」を発刊
1995/8/-- 
被爆50周年を祈念して、元ビートルズの故ジョン・レノンの夫人オノ・ヨーコさんが作曲し、元メンバーのポール・マッカートニーと家族ぐるみで録音した曲「HIROSHIMA SKY IS ALWAYS BLUE」が、6日のNHKニュース番組「おはよう日本」で放送へ。1月末、ロンドンのマッカートニーの別荘で録音
1995/8/-- 
京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)が、広島で被爆し、帰国途中の京都で急死したマレーシアからの南方特別留学生サイド・オマールさんをしのぶ反核ビデオ「オマールさんを知ってますか?」を製作。永原教授の父は留学生の興南寮の寮監で被爆死
1995/8/-- 
被爆50周年を記念し、広島西郵便局が前身の広島郵便局で勤務中に被爆死した職員ら288人にささげる追悼誌「いしぶみ」を発行。遺族や関係者らに配る
1995/8/-- 
世界の情報ネットワーク「インターネット」を通じ、仏核実験再開決定への抗議が世界に広がる。東京大理学系研究科の清水青史さんらはインターネットで実験再開抗議の署名運動を呼び掛け。8月15日までに102カ国約6万人分の署名が寄せられる。広島市立大の大場充教授はヒロシマ情報を世界に発信するホームページ「A-Bomb WWW Museum」を開設。7月下旬から8月中旬までに米中心に約8万件の利用
1995/8/-- 
ムルロア環礁での仏核実験再開が迫り、仏領ポリネシアの政庁所在地パペーテに世界中の反核団体や議員、報道機関が集まる
1995/8/-- 
仏核実験再開決定に抗議し、仏領ポリネシア・タヒチで反核行動に参加する「広島インランドシー・ヨットクラブ」メンバーが出発(30日)を前に、英文横断幕づくりなど最後の準備に追われる
1995/8/-- 
広島市役所旧庁舎の被爆石が、ノルウェーの首都オスロ市で仏核実験反対集会のシンボルとして紹介-と欧州旅行でオスロに立ち寄った広島市の和田実夫さんが伝える
1995/8/--
染色を中心に版画、水彩画約100点を展示した「ヒロシマ50年 杉谷冨代展」が広島国際会議場で開催。広島の染色工芸の草分けの1人、平和の祈りを込めた作品
1995/8/-- 
ユニバーシアード福岡大会の参加選手の間で、被爆地広島、長崎の見学申し込みが相次ぐ。大会組織委員会に対し、「広島か長崎へのルートを教えて」との声が数百人に上る見込み

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