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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 11月 ①


1995/11/1
第2次大戦中に三重県の銅山で働かされていた元英国兵捕虜5人らが広島市の原爆資料館を見学 1995/11/1
ドイツのヘルムート・シュミット元首相が広島市の原爆慰霊碑を訪れて献花
1995/11/1
厚生省が被爆者援護法に基づく「原爆死没者追悼平和祈念館」の開設準備検討会を設置。メンバーは日本被団協の伊東壮代表委員ら9人
1995/11/1
仏政府が国際司法裁判所で、「核兵器は戦争防止のため使われる」と意見陳述
1995/11/1
核兵器の使用と威嚇を審理するオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)での口頭陳述に臨む平岡敬広島市長が、「核兵器の使用は国際法違反」と証言する考えを固める。「国際法違反とは言えない」とする外務省との食い違いが表面化へ
1995/11/1
厚生省が被爆実態調査を始める。10年ごとの調査で1965年以来4回目。質問は生存者と死没者調査、被爆体験。被爆体験は公開も検討
1995/11/2
国際司法裁判所で証言する長崎市の伊藤一長市長が、「核兵器の使用は国際法違反」との陳述原案を、外務省によって「削除、修正された」と述べる。野坂浩賢官房長官は記者会見で外務省に不快感を表明
1995/11/2
広島の市民グループ「第9条の会ヒロシマ」(藤井純子世話人)が仏での原爆展を計画し、開催協力費カンパを呼び掛け
1995/11/2
動力炉・核燃料開発事業団と米エネルギー省が、原発の映像やデータを送受信して核物質の動きを遠隔監視するシステムの共同開発に調印
1995/11/2
日本原子力発電東海事務所が、東海発電所(炭酸ガス冷却型、出力16万6千キロワット)で起きた制御棒トラブルについて、制御棒駆動装置の分解検査後の組み立てミスが原因と発表
1995/11/2
広島県原水禁の石田明代表委員ら4人が、平岡敬広島市長に国際司法裁判所で核兵器使用は国際法違反の明言を要請
1995/11/2
オーストラリア・タスマニア州で、仏の南極観測船への荷積みを妨害した反核グループ5人を逮捕
1995/11/2
被爆者指定医療機関等医師研究会が広島市で開かれ、全国から43人が出席
1995/11/2
国際司法裁判所(ICJ)が日本政府が提出した核兵器の使用についての「書面見解」を公表。「核兵器の国際法違反」の明言は避けて核兵器全廃を強調
1995/11/2
広島県の藤田雄山知事が米ニューヨークの国連本部を訪れて国連総会第1委員会議長のモンゴル国連大使と会談し、仏と中国の核実験即時停止への国連の努力を要請
1995/11/3
広島市と交流を深めるカナダ・モントリオールのピエール・ブルク市長ら市代表団10人が、広島市の原爆慰霊碑に献花
1995/11/3
国際司法裁判所が、北朝鮮が1995年5月に「核兵器による脅迫、使用は国連憲章と国際法に違反」との国連大使名の書面陳述を送付していたのを明らかに
1995/11/3
国際司法裁判所の審理を傍聴する日本被団協など4団体が、オランダ・ハーグで結団式
1995/11/3
約100カ国の政府代表が参加した「海洋汚染防止政府間会合」が、ワシントンで海の生態系に影響を及ぼす核実験に反対し、放射性廃棄物や使用済み核燃料の貯蔵・輸送・処分の安全性確保、海洋投棄を禁止する国際行動計画を採択
1995/11/3
カナダ政府が、日本などが国連総会に提案した核実験停止決議案の表現が厳しすぎると共同提案国から降りることを伝える
1995/11/3
長崎市の伊藤一長市長が国際司法裁判所で「核兵器使用は国際法違反」と陳述することを決め、外務省に日本語・英語の証言文を送付
1995/11/4
極東パブロフスク湾に停泊中のロシア太平洋艦隊の特殊タンカーTNT5が老朽化し、液体性核廃棄物の海洋流出が判明
1995/11/4
国際法司法裁判所で口頭陳述を終えた6カ国のうち4カ国が、「核兵器の使用は国際法違反」と主張。「違法」はオーストラリア、エジプト、インドネシア、メキシコ。「違法でない」は仏とドイツ
1995/11/4
原爆投下をめぐり米、カナダ、仏で制作された報道番組「破滅の雨は降った」など4本が、NHK教育テレビの「海外ドキュメンタリー」で放映へ
1995/11/4
同志社大グリークラブOBでつくる同志社クローバークラブ(長島俊司団長)の約50人が、広島市の原爆慰霊碑前で鎮魂歌をささげる
1995/11/4
国際反核法律家協会(IALANA)や核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、世界平和ビューロー(IPB)主催の「世界法廷セミナー」がオランダ・ハーグで開かれ、約20カ国から200人が参加。日本被団協の伊東壮代表委員らも訴え
1995/11/5
広島市の平岡敬市長が国際司法裁判所出廷のため広島を出発。「ヒロシマが訴え続けて来たことを述べるだけ」と陳述の決意示す
1995/11/6
外務省が包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期実現に向けて、軍備管理軍縮課内にCTBT交渉促進室を設置
1995/11/6
静岡県原水爆被害者の会(杉山秀夫会長)の一行49人が、広島市の原爆慰霊碑前で追悼式
1995/11/6
広島市の平岡敬市長と長崎市の伊藤一長市長が、国際司法裁判所でのイラン代表の陳述を傍聴
1995/11/6
廿日市市立四季が丘中(徳崎進也校長)2年生が、平和への願いをこめてピカソの名作「ゲルニカ」と「生きる歓び」をアレンジしたアートグラスを制作し、文化祭で展示
1995/11/6
国際司法裁判所(ICJ)の審理を傍聴している古川照美法政大法学部教授が、核兵器使用の違法性の審理は、ICJに裁判権があるか。使用は合法か違法か|の2点に絞られて来たと中国新聞の取材にこたえて指摘
1995/11/7
広島県原水禁など10団体でつくる「核実験抗議ヒロシマ連絡会議」が、広島市中区の平和記念公園で、国際司法裁判所での平岡敬広島市長の証言支援を込めて座り込み
1995/11/7
国際司法裁判所の日本政府の口頭陳述で、広島市の平岡敬市長が「核兵器は使用、威かくだけでなく、開発、保有、実験も国際法違反」と明言。長崎市の伊藤一長市長も「使用は国際法違反」と主張。日本政府は「国際法の精神に合致しない」と述べたが、「両市長の発言は政府の見解ではない」と念を押す。日本被団協代表ら10人が傍聴
1995/11/7
政府の安全保障会議(議長・村山富市首相)で防衛庁と内閣安保室が、新防衛計画大綱の最終案を提示。一部閣僚が「核廃絶への努力を強調すべきだ」と指摘
1995/11/7
米政府関係筋が、日本の原子力政策に大きな影響を与える米国、欧州原子力共同体(ユートラム)間の原子力協定更新手続きが遅れ、来年1月から3カ月以上失効することが確実になったことを明らかに
1995/11/7
国際司法裁判所で被爆の実相を訴えた広島市の平岡敬市長と長崎市の伊藤一長市長がオランダ・ハーグで記者会見。平岡市長は「ICJには、私たちが望む結論を出してもらえることを期待する」と述べる
1995/11/7
広島原水禁など10団体でつくる「核実験抗議ヒロシマ連絡会議」のメンバー約60人が、広島市中区の平和記念公園で、国際司法裁判所に核兵器の国際法違反を訴えて座り込み
1995/11/7
仏大統領府は、ジュペ首相がシラク大統領に辞表を提出したと発表。核実験強行などで支持率が低下したことが原因
1995/11/7
国際司法裁判所で被爆の実相を訴えた広島市の平岡敬市長と長崎市の伊藤一長市長が、証人として登録されていなかったことがわかる
1995/11/8
野坂浩賢官房長官が記者会見で、国際司法裁判所での核兵器使用の違法性に関する審理について「核兵器使用は国際法に違反している」との認識を示し、「今後、政府の見解を一致させるよう努力する必要がある」と述べる
1995/11/8
日本原水協が、日本政府が国際司法裁判所で「核兵器の使用は国際法違反」と明言しなかったことに対し、「被爆国にあるまじき姿勢」との抗議声明を発表
1995/11/8
広島県被団協(金子一士理事長)は、国際司法裁判所での日本政府陳述に対する村山富市首相あての抗議電報を送る
1995/11/9
ウクライナの首都、キエフ市の教師と子供たちでつくる劇団「エコ・ピース・スクール」が、広島市の青少年センターで、チェルノブイリ原発事故の恐怖と反核を訴えたミュージカル「遠き星の光り」を上演
1995/11/9
イタリアの55自治体で組織する「オリーブの都市協会」の一行が、広島市を訪れ、オリーブの木を寄付
1995/11/10
原爆の子の像のモデル佐々木禎子さんの小学校時代のクラスメイト川野登美子さんが、広島市の国際会議場で禎子さんの思い出を初めて証言
1995/11/11
京都広島県人会(麻生文雄会長)が、戦後50年で世界平和を祈念して京都市の伝統工芸作家、藤林徳扇さん(74)が描いた貴石工芸画・弥勒菩薩(みろくぼさつ)を広島県に贈る
1995/11/12
音楽を通して被爆者への支援活動を続けている「ひろしま弦楽四重奏団」が、岡山市で被爆者支援のためのチャリティーコンサートを開く
1995/11/13
広島県朝鮮人被爆者協議会(李実根会長)のメンバー5人が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問のため広島を出発。北朝鮮が在日朝鮮人の被爆者団体を受け入れるのは初めて
1995/11/14
国際環境保護団体「グリーンピース」が、米国が包括的核実験禁止条約(CTBT)締結後に予定している核実験を伴わない模擬実験について、CTBT交渉を阻害するとして実施計画の撤回を呼び掛ける声明を発表
1995/11/14
長崎県最大の被爆者団体「長崎県被爆者手帳友の会」(深堀勝一会長)が、福岡市内のホテルで、平和運動に貢献した人に贈る「米田正利平和記念賞」をゴルバチョフ元ソ連大統領に贈る
1995/11/14
オーストラリア・パース市のリーミング高校の生徒の折りづる1,100羽が広島市に届く。託された日商岩井の芝田節男中国支社長が平岡敬市長に手渡す
1995/11/15
府中市立第2中学校の全校生徒580人が、1万羽の折りづるを折って長崎の平和祈念像の張り絵を作り、文化祭で披露。3年生の平和文集も長崎市の国際文化センターに展示を予定
1995/11/15
全国被爆二世団体連絡協議会の開彰人会長と広島、長崎などの代表10人が、厚生省を訪れ、被爆者援護法を改正して被爆二世、三世対策に力を入れるよう申し入れる
1995/11/15
国の「原爆死没者追悼平和祈念館」の機能について、広島市が市議会の決算特別委員会分科会で、市民や被爆者の要望を反映させる努力を約束
1995/11/15
広島キワニスクラブ(堀口勲会長)が、被爆50周年を記念して、米国在住の洋画家杉山冽氏の油絵「ドーム観音」を広島市に寄贈
1995/11/15
広島市の放射線影響研究所の移転問題が広島市議会決算特別委員会で取り上げられ、市側が「移転費用を折半する米国政府の予算が付くよう打開の道を探りたい」と報告
1995/11/15
核兵器使用が国際法違反かどうかを審理するため、国際司法裁判所で10月30日から行われていた各国の口頭意見陳述が米国、英国代表の陳述で終わる
1995/11/15
国が広島市の平和記念公園に建設する「原爆死没者追悼祈念館」に市民の声を反映させようと、市は内容や運営についての意見を募集
1995/11/15
広島県安芸郡海田町の高齢者グループ「さわやか学習会運営委員会」(勝矢勝会長)が、子どもたちと折った千羽づるを広島市中区の原爆の子の像にささげる
1995/11/16
横浜市での日米市長会議に出席のため来日した米国サクランメント市のジョー・サーナ市長、ロジャー・ニエロ商工会議所会頭ら訪問団6人が、広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花
1995/11/16
広島市が、日本画家の故丸木位里さん、妻の俊さん(83)を市政功労者として表彰を決定。17日、山田康市民局長が埼玉県松山市の自宅で表彰状と銀製メダルを渡す
1995/11/16
柳井高校の全校生徒424人が、文化祭で、手形で描いた原爆壁画を展示
1995/11/16
東京・銀座のジャズクラブが、仏核実験に抗議し、ボジョレ・ヌーボー解禁に合せてヌーボー追放キャンペーン
1995/11/16
国連総会第一委員会が、日本やオーストラリアなど41カ国共同提案の核実験即時停止決議案を賛成95カ国、反対12カ国、棄権45カ国で採択。中国、仏の名指しは避けたが、広島の被爆者や原水禁団体は「核実験禁止、核兵器廃絶の国際世論が広がっているあかし」と受け止め
1995/11/16
ニュージーランドのマッキノン副首相兼外務貿易相が、大阪市内で中国の銭其〓(しん)外相と会談し、核実験への懸念を表明
1995/11/16
マクナマラ米国務次官補が、米下院東アジア・太平洋小委員会で証言し、東南アジア諸国連合(ASEAN)が実現を目指している東南アジア非核地帯条約について条件付き支持を検討している、と証言
1995/11/16
広島市内の被爆者7団体が、市が開いた国の「原爆死没者追悼平和祈念館」について要望を聞く会で、「施設の性格が不透明」などと批判
1995/11/16
仏核実験への抗議のための仏製品不買運動の影響で、世界各地で解禁されるワイン「ボジョレ・ヌーボー」の売れ行きが日本市場などで大きく落ち込む。日本の輸入量はピーク時の1990年以来最低の見込み広島市内の百貨店でも予約が激減
1995/11/16
中国政府が、新華社電を通じて、初めて「中国の軍備管理と軍縮」と題した白書を発表。国防費は抑えられ、武器輸出や核実験でも抑制した行動を取っていると主張
1995/11/17
仏大統領府が、国連第一委員会の核実験即時停止決議案にイタリアが賛成したことを理由に、24、25日に予定されていた両国の首脳会談中止を表明。決議案には欧州連合(EU)諸国のうち仏、英国が反対、ドイツ、スペイン、ギリシャは棄権、イタリアなど10カ国が賛成
1995/11/17
広島県の藤田雄山知事らが、ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部で、「ひろしまの被爆者医療とこれからの国際貢献」展のテープカット
1995/11/17
国連総会第一委員会が、「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議案」を賛成144、反対0、棄権13(中国、朝鮮民主主義人民共和国など)で昨年に続き再採択
1995/11/17
リトアニアからロシアにウラン238を持ち込んだリトアニア人2人が、スモレンスクで逮捕される。買おうとした3人も逮捕
1995/11/17
河野外相が、大阪市内のホテルで中国の銭其〓(しん)外相と会談し、核実験停止を求める。銭外相は直接的な返答を避ける
1995/11/18
広島市中区の本川小の5年生73人が、体育館で被爆者の体験を基にした創作スライド劇「ろく地ぞうに聞いたあの日のヒロシマ」を上演
1995/11/18
「人権と平和問題」をテーマに高校生が交流する広島県高校生集会が広島市の広島国際会議場などで開かれる。19日まで
1995/11/18
広島県内の高校生が、広島市中区の広島国際会議場で集会を開き、全国から募った核実験反対の手形3,000枚を超えたと報告
1995/11/18
ひろしま平和能楽祭(ひろしん文化財団など主催)が、広島市中区のアステールプラザで開かれる
1995/11/18
山口県大津郡油谷町の向津具中が、文化祭で戦後50年の節目と仏や中国の核実験に抗議して、10万人分の顔写真を体育館いっぱいに展示
1995/11/18
中国の江沢民国家主席と米国のゴア副大統領が、大阪市内で会談し、包括的核実験禁止条約(CTBT)についてすべての核実験を禁止する「ゼロ・オプション」を検討するための専門家を相互派遣することで一致
1995/11/18
オーストラリアのキーティング首相が、大阪市内で村山富市首相と会談し、核兵器廃絶へ向けて安全保障問題などを研究する専門家グループ創設構想を提案
1995/11/19
庄原市立庄原中の生徒会(三田拓輝会長)が、文化祭で中国新聞社が10月に広島市で行った「原爆・平和報道50年展」の展示作品を借り、原爆展を開く
1995/11/19
下関市原爆被害者の会が、総会を開き、被爆二世の懇談会開催などに取り組むことを決める
1995/11/19
笠岡市民が、笠岡動物公園であった勤労者まつりで、模造紙20-30枚を張り合わせたジャンボ折りづるをつくり、平和を祈る
1995/11/19
中国新聞社が広島市中区の本社で開いた「原爆・平和報道50年展」の展示品約400点が、庄原市の庄原市中学校の文化祭で展示される。NIE活動への貸し出し第1号
1995/11/19
反核日本画家、丸木位里さんの美術館葬が、埼玉県松山市の「原爆の図丸木美術館」で営まれる
1995/11/19
仏ルモンド紙が、仏が南太平洋での4回目の核実験を20日か21日に行うと伝える

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