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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 12月 ①


1995/12/1
広島市こども図書館で、被爆前後の広島を描いた絵本「絵で読む広島の原爆」原画展が始まる
1995/12/1
広島市が、「愛と平和」をテーマに来年8月に開く第6回国際アニメーションフェスティバル広島大会の概要を発表
1995/12/1
長崎市が、原爆映画「ナガサキの少年少女たち」の英語版ビデオテープを、米国の7つの州立図書館に寄贈することを発表
1995/12/2
ノルウェー・オスロの仏大使館前で、15人のサンタが核実験再開の抗議デモ
1995/12/2
広島文化女子短大助教授でパンの笛奏者岩田英憲さんが、作曲家のピアニスト丸山和範さんに作曲を依頼した「被爆50年記念作品」が完成し、エリザベト音楽大でのコンサートで発表
1995/12/2
日本建築学会中国支部が、広島市中区の県情報プラザで、報告・検討会「広島における被爆建物とはなにか」を開く。研究者ら約40人が出席
1995/12/2
広島県高田郡甲田町の被爆者、平和運動団体や労働組合などの約50人が、町公民館横の広場で、仏核実験と沖縄の少女暴行事件に抗議して、24時間の座り込み
1995/12/3
イスラエル紙ハーレツが、ペレス・イスラエル首相が9日からの訪米で、クリントン大統領らとイスラエルが第3国から攻撃を受けた場合、米国が核兵器を含む軍事力でイスラエルを防衛する義務を負う安全保障条約締結の可能性を協議すると報じる
1995/12/3
呉市の呉工業高が、「反核・平和」をテーマに学園祭を開く。原爆ドームやアウシュビッツ強制収容所の模型など展示
1995/12/3
福島県の住民グループ「巻原発・住民投票を実行する会」(笹口孝明代表)が、町長のリコール署名数が9,923人に達し、本請求に必要な有権者の3分の1以上を超えたことを明らかに
1995/12/3
広島市の主婦らが、チェルノブイリの子どもたちの民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」を広島に呼ぶ会を発足。中区で約50人が参加し、記念パーティー
1995/12/3
広島市南区のワールド・フレンドシップ・センター(森下弘理事長)の新館長ラリー・ピトリーさんと妻のアリスさんが来日し、スタッフらと懇談するオープンハウス
1995/12/4
シラク仏大統領が、米誌タイムとのインタビューで、仏製品のボイコット運動について「売り上げに影響は出ていない」と述べ、予定の核実験を最後まで行うことを確認
1995/12/5
国内外の文学者や科学者、政治家ら約50人が「希望の未来」をテーマに討議する国際会議が、広島市中区の広島国際会議場で始まる。チェコのバツラフ・ハベル大統領が、「文明の紛争や人口爆発、環境破壊など人類が直面する危機に対し、相互協力しあえるような秩序、普遍の責任感を持つ必要がある」と記念講演
1995/12/5
広島市が市民から募集した、国が建設する「原爆死没者追悼平和祈念館」についての意見はがきが120通にのぼる。平和記念公園内の既存施設との機能分担のあいまいさを批判する声が目立つ 1995/12/5
ドシャレット仏外相が、ブリュッセルでの北大西洋条約機構(NATO)外相理事会で、1966年に脱退したNATO国防相による防衛計画委員会(DPC)と参謀総長レベルによる軍事委員会に正式復帰を表明
1995/12/6
ミヨン仏国防相が、核実験は来年2月末までに終了すると繰り上げを発表
1995/12/6
被爆50周年を記念して創設された「平和・協同ジャーナリスト基金賞」の贈呈式が、都内であり、「幻の原爆紙面・ヒロシマ新聞」を製作した中国新聞労組など2団体4人に奨励賞を授与
1995/12/6
チェコのバツラフ・ハベル大統領が、広島市中区の原爆資料館を見学。「広島と同じように世界はこれらの脅威を忘れない。広島と同じように世界が平和な生活の道を歩むことを信じる」と芳名録に記帳
1995/12/6
仏・パリで開催中の西欧同盟(WEU)総会が、仏の地下核実験の中止を求める決議を採決
1995/12/6
タイのバンコクでの東南アジア諸国連合(ASEAN)高級事務レベル協議で、14、15日の首脳会議の際に東南アジア非核地帯条約の調印を決める。ASEAN加盟国にラオス、カンボジア、ミャンマーの3カ国を加えた「ASEAN10」
1995/12/7
韓国・仁川市の被爆者趙順南さん(77)が広島市に申請した被爆者援護法の特別葬祭給付金を代理人の「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」の豊永恵三郎支部長が受け取る
1995/12/7
広島平和文化センターが招いた中国人民平和軍縮協会の代表団(曹俊〓、5人)が、広島赤十字・原爆病院を慰問 【注】〓は木の下に烈の下の部分
1995/12/7
広島市での「希望の未来」をテーマに討議する国際会議が、核兵器の廃絶などを訴える「広島宣言」を発表して閉幕
1995/12/8
社会党島根県本部浜田総支部(藤田祥太郎支部長)の党員ら約20人が、浜田市役所前で、中国と仏の核実験抗議などを訴えて座り込み
1995/12/8
科学技術庁が、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の新型転換炉(ATR)原型炉「ふげん」を今後10年間程度は運転を続けるとの素案を、福井県と敦賀市に提案
1995/12/8
高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市、出力28万キロワット)で午後7時47分ごろ、2次冷却系のナトリウム配管で温度の異常を示す警報と火災報知器が作動、白い煙が出ていたため、炉を手動停止
1995/12/8
世界の反核運動の理論的支柱になってきた米科学誌ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンスティスツが、核戦争による地球最後の日までの「終末時計」の針の位置を決める。1990年12月の最も長かった「あと17分」から「あと14分」まで3分進む
1995/12/8
欧州連合(EU)議長国のスペインが、EU各国外相に対し、仏と中国などの核実験の即時停止を求める国連決議に反対ないし棄権をするよう要請
1995/12/8
「平和と民主主義をめざす山口県懇話会」(桑原昌治代表世話人)や山口県労連(福江俊喜議長)などの平和キャラバンが、県内5コースの34カ所を回り、米軍基地撤去や核兵器廃絶などを訴え
1995/12/8
太平洋戦争開戦の日に合わせ、岡山県内の各地で母親らが反戦・平和を訴える街頭行動。岡山市民生協岡山西地域会議はJR岡山駅西口、社会党県本部や日本婦人会議県本部などでつくる「平和を守る女たちの会」は岡山駅前
1995/12/8
バーンズ米国務省報道官が、15日に東南アジア諸国連合(ASEAN)が調印予定の東南アジア非核地帯条約に修正を要求
1995/12/9
広島県原水禁が、もんじゅの本格運転断念を求める要請書を、村山富市首相に送る
1995/12/9
市民グループ「ストップ・ザ・もんじゅ東京」のメンバーら約20人が、東京都港区の動燃本社を訪れ、抗議文を手渡す
1995/12/9
もんじゅ事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が本格調査。ナトリウム漏れは2、3トンとみられる
1995/12/10
フランス電力公社は、労組がストを続けている西部ボルドー近くの原子力発電所で、何者かが原子炉の冷却水パイプに塩を入れた、と発表
1995/12/10
核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織「パグウォッシュ会議」(本部ロンドン)と、会議の創設者の一人で、英国人のジョゼフ・ロートブラット会長への95年ノーベル平和賞の授賞式がオスロで開かれる。ロートブラット会長が「時代遅れの冷戦思考を捨てよう」と演説
1995/12/10
ひめゆりの塔で知られる沖縄県南風原(はえばる)町の小学6年生8人が、平和教育で広島市を訪問。平和学習グループ「さだこ・くらぶ・ひろしま」のメンバーたち13人と交流
1995/12/11
もんじゅ事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、放射能を含んだ一次冷却系ナトリウムの抜き取り作業を始める
1995/12/11
広島の学者や被爆者らが呼び掛けた「憲法9条|世界へ未来へヒロシマ連絡会」の結成集会が、広島市南区の広島労働会館で開かれる
1995/12/11
戦時中に広島市内の三菱重工業に強制連行され、被爆した韓国・平沢市の朴昌煥さん(72)ら韓国人元徴用工6人が、国と三菱重工業に強制労働や原爆被害の損害賠償と未払い賃金など、総額6655万円の支払いを求めて広島地裁に提訴。6人は記者会見し、裁判の早期解決を訴える
1995/12/11
広島市の反核市民グループ「プルトニウムアクションヒロシマ」(大庭里美代表)が、もんじゅのナトリウム漏れ事故に対する抗議声明を、浦野烋興科学技術庁長官へ送る
1995/12/11
もんじゅのナトリウム漏れ事故で、科学技術庁が、中間熱交換器の出口配管に埋め込まれた温度検出器の溶接部分から漏れ出した可能性が高い、と発表
1995/12/11
浦野烋興科学技術庁長官が、もんじゅを視察。帰京後、村山富市首相に現場の様子や自治体の厳しい反応について報告
1995/12/11
東南アジア諸国連合(ASEAN)の閣僚会議が2日間の日程で開幕。東南アジア非核地帯条約について、外相会議で草案を手直ししないまま予定通り東南アジア10カ国首脳が調印する方針を決定
1995/12/11
ニューヨークでの北朝鮮と朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の軽水炉提供協定の交渉がほぼ合意。近く仮調印の見通し
1995/12/11
英国の原子力発電所の民営化移行を準備しているブリティッシュ・エナジー社が、21世紀初頭に完成予定の原発2基の建設計画をやめる、と発表
1995/12/12
国連総会で、仏と中国の核実験即時停止を求めて日本、オーストラリアなどが共同提案した核実験停止決議を賛成85、反対18、棄権43の賛成多数で採択。賛成10カ国減る
1995/12/12
広島市が、被曝建物「市レストハウス」の地上部分を取り壊して地下室だけを保存する方針を明らかに。保存運動を進めてきた市民グループは強く反発
1995/12/12
国が平和記念公園に建設する「原爆死没者追悼平和祈念館」の基本設計が、公園設計者の建築家丹下健三氏が代表を務める丹下健三・都市・建築設計研究所に決まる
1995/12/12
広島県の藤田雄山知事が、県会本会議で、核兵器の使用は国際法の精神に違反しているとの見解を初めて明言
1995/12/12
青森県六ケ所村に建設中の使用済み核燃料再処理工場で、燃料貯蔵プールの冷却系ポンプ1個に欠陥とみられる部品を使っていたことが、内部告発を受けた「核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団」の指摘で分かる
1995/12/12
笠岡市の渡辺嘉久市長が、度重なる仏核実験に抗議し、シラク大統領あての抗議文を在日仏大使館に送る
1995/12/12
岡山県の長野士郎知事が、動燃が鳥取県東郷町の方面地区で採掘したウラン残土問題で、動燃人形峠事業所への受け入れをあらためて拒否姿勢示す
1995/12/13
広島市の平岡敬市長が、国連総会の核実験停止決議を歓迎し、仏と中国の核実験即時停止を求めるコメントを発表
1995/12/13
広島の被爆者団体や原水禁運動の関係者が、国連総会の核実験停止決議を「核兵器廃絶を願う国際世論の反映」と評価。日本政府に核抑止論を打破するための踏み込んだ姿勢を注文
1995/12/13
もんじゅのナトリウム漏れ事故で、温度検出器の施工後の検査時に溶接内部にできやすい微小な亀裂やすき間については検査されていなかったことが判明
1995/12/13
韓国政府が統一関係閣僚会議で、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)と北朝鮮の軽水炉提供協定案を「韓国標準型提供と、韓国の中心的役割履行の原則が貫かれた」と評価し、承認
1995/12/13
反核団体「ザ・アトミック・バスターズ」(事務局東京)が、モスクワでミハイロフ・ロシア原子力相と直談判し、核弾頭撤去後のミサイルを譲り受ける約束を取り付ける。特殊合金を再生利用して平和運動に役立てへ
1995/12/14
もんじゅのナトリウム漏れ事故は、漏出の激しさが世界最大規模の重大な事故であることが、科学技術庁などの資料で分かる
1995/12/14
「原爆死没者追悼平和祈念館」の開設準備検討会が、都内で2回目の会合を開き、広島市の被爆者団体代表から意見を聞く。近く地元にも「検討委」を設置へ
1995/12/14
被爆建物「広島市レストハウス」の解体方針に対し、原爆遺跡保存運動懇談会など市民グループ3団体の約40人が、レストハウス前で抗議の座り込み
1995/12/14
スウェーデンの核戦争防止国際医師会議(IPPNW)理事会に出席していた日本支部の横路謙次郎事務総長が帰国。新たに中国、パレスチナ、ウルグアイが加盟し、86国・地域に
1995/12/14
核に反対する津山市民会議が、動燃人形峠事業所の濃縮施設問題で浦野烋興科学技術庁長官に追加の公開質問状
1995/12/15
米紙ニューヨーク・タイムズ紙が、インドが1974年以来初めての核実験を準備している疑いと報じる。米国務省のデービス副報道官が「国際的な軍縮努力を後退させる」と懸念を表明
1995/12/15
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)と北朝鮮が、KEDOが北朝鮮に軽水炉型原子力発電所2基(合計200万キロワット)を提供する協定に調印。建設工事は2003年の運転開始を目標に、来春から開始
1995/12/15
米国務省のデービス副報道官が、東南アジア非核地帯条約への参加拒否をあらためて表明
1995/12/15
東南アジア諸国連合(ASEAN)は、ミャンマー、カンボジア、ラオスの未加盟3カ国首脳を加えた10カ国首脳会議をバンコクで開き、東南アジア非核地帯条約を調印
1995/12/15
平和の願いを託すキャンペーン「20万の折り鶴を21世紀へ」(広島国際文化財団など主催)が、目標の20万羽を達成。モニュメントにして永久保存へ
1995/12/15
広島市議会総務委員会が、被爆建物「広島市レストハウス」の保存を求める請願を全会一致で不採択
1995/12/15
ジュネーブ軍縮会議核実験特別委員会の会期外交渉が、核実験監視網の概要を決める。北海道や大分など日本の5カ所を含め世界に119補助地点
1995/12/15
広島原爆被爆者援護事業団が、市内の3原爆養護ホームの入所の被爆体験集「紙碑」第4集を発刊
1995/12/15
厚生省が、長崎で被爆し、がんで死亡した長崎県の男性の遺族に対し、1972年に退けた遺族給付金の請求について、がんと被爆の因果関係を認めて、支給を決定

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