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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 12月 ②


1995/12/16
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の第3次立地調査団が平壌入り
1995/12/16
オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)を訪れた広島弁護士会の弁護士らが、広島弁護士会館で報告会を開催。ICJ裁判官の広島訪問を呼び掛けるはがき運動など展開へ
1995/12/16
被爆者の証言を集めた映画「世界の子らへ|原爆・1980年・広島の人々は今」などを、岡山県立美術館ホールで上映
1995/12/16
広島平和文化センターが、広島国際会議場で「留学生平和セミナー」を開催。中国やフランスなど16カ国の留学生32人が参加
1995/12/17
英国のPA通信は、英国が実戦配備しているポラリス型核ミサイル搭載潜水艦の最後の1隻となった「HMSレパルス」が来年後半に退役する、と伝える
1995/12/18
インドの有力誌インディア・トゥデーの世論調査で、都市部住民の60%以上が実験を必要と考えている、との結果が出る
1995/12/18
ガリ国連事務総長は記者会見で、包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉を「来年6月までに終えるため、国連として全力を注ぐ」と発言
1995/12/18
広島市中区の広島赤十字・原爆病院で、原爆の犠牲になったり、戦地で亡くなった日本赤十字社県支部と広島赤十字病院の医師や看護婦146人の名前を刻んだ碑「平和への祈り」を除幕
1995/12/18
原爆乙女をモデルに絵画を描き続ける東京の中学校美術教師野上邦彦さん(52)が、都内で反核をテーマに個展を開く
1995/12/19
総社市議会が12月市会で核兵器の使用、威嚇を禁止し、核兵器廃絶を求める意見書を全会一致で可決。意見書を首相、外相あてに提出へ
1995/12/19
就任後初めて中国を訪れた河野洋平外相は、北京市内の釣魚台迎賓館で銭其〓外相と会談し、核実験の中止を重ねて要請し、包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉早期妥結に協力するよう要請(〓王へんに深のつくり)
1995/12/19
県原水禁など主催の「タヒチの被曝(ばく)者・来日スピーキングinヒロシマ」集会が、広島労働会館で開かれ、タヒチ島の被曝者アニアモイ・ロジェーさん(47)が証言
1995/12/19
広島、長崎市長や学者、国会議員で構成する「核軍縮を求める22人委員会」(宇都宮徳馬会長)が、現職首相としては初出席の村山首相を招いて会合を開く。村山首相は、国際司法裁判所(ICJ)で、両市長が核兵器の違法性を陳述したことについて、「国民の気持を反映し、よかったと思う」と述べる
1995/12/19
河野洋平外相は、北京市内で李鵬首相、江沢民国家主席と相次いで会談。李鵬首相は「1996年中に包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉の妥結と調印を期待しており、そうすれば中国は核実験を停止する」と述べる
1995/12/19
ワシントンのシンクタンク、ランド研究所は、イスラエルが核兵器70個分に相当するプルトニウムを生産しているとの報告書をまとめたと、イスラエル紙ハーレツが報道
1995/12/20
もんじゅのナトリウム漏れ事故で、現場のビデオ映像をすべて公開したと発表していた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、実は数分間分の映像を隠していたことがわかり、大石博理事長が緊急記者会見して謝罪
1995/12/20
下松市議会が議員提案の「核兵器廃絶平和都市宣言」を全会一致で決議
1995/12/20
国際原子力機関(IAEA)のブリスク事務局長が、ガリ国連事務総長に対し、イラクの核開発計画に関して「未申告の核兵器関連物質を保持しているようだ」と通告
1995/12/20
「市民のフランス原爆展]開催実行委員会の岡本三夫代表(広島修道大教授)と被爆者ら6人が、広島市中区の広島平和文化センターを訪れ、来年1月にフランスで開く原爆展に持参する平岡敬市長のメッセージと、原爆記録映画ビデオ「ヒロシマ・母たちの祈り」を受け取る
1995/12/20
岡山県原爆被爆者会(加藤正雄会長、1951人)が岡山市内で理事会を開き、被爆者援護法で国の補助事業として全国に拡大された被爆者相談事業を、県から会が運営を受託する形で本年度からスタートさせることを決定
1995/12/20
来年度予算大蔵原案で、国が広島市中区の平和記念公園内に建設する平和祈念館実施設計費7800万円を計上
1995/12/21
福岡県大牟田市から広島市中区の平和記念公園にある「原爆の子の像」に約12万羽の折りづるが届く。戦後50年と大牟田市の核廃絶平和都市宣言10周年の記念事業
1995/12/21
被爆者が強く求めている被爆者援護法の医療認定制度の認定基準公開について、厚生省が公開できないと、原爆被害者福祉センター(広島市中区)へ文書回答
1995/12/21
ウクライナのチェルノブイリ原発を2000年までに閉鎖するため、日本や米国など、先進七カ国と欧州連合(EU)がウクライナとの間で電力部門の改革や原子力の安全性で協力することを確認する覚書きを交わした、と外務省が発表
1995/12/22
もんじゅのナトリウム事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、これまで明らかになったのとは別の、事故直後の現場を撮影したビデオを隠していたことが新たにわかった
1995/12/23
動燃が、もんじゅ事故で撮影ビデオを隠していた建設所の大森康民所長、佐藤勲雄副所長、前田太志プラント2課長の3人を更迭
1995/12/23
ブレジネフ・ソ連書記長が中ソ対立を背景に、1973年モスクワを訪れたキッシンジャー米大統領補佐官に対し、中国の核施設への米ソ共同攻撃を打診していたことが米外交文書で判明
1995/12/23
手作りの創作人形劇に取り組んでいる、防府市小野校区子ども会リーダーズクラブ「ネオ フライング ベル」が、核実験による環境破壊をテーマにした新作「風の精霊」を制作し、恒例のクリスマスキャラバンで、防府市内の子ども会への披露を始める
1995/12/23
動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の大洗工学センター(茨城県大洗町)で、試験装置の溶接部分からナトリウム漏れ事故が1985年と88年に起きていたことが明るみに
1995/12/23
土井たか子衆院議長ら国会議員16人と市民500人が仏ルモンド紙に核実験反対の意見広告を掲載
1995/12/24
岡山市原爆被害者会会長の高尾光信さんが岡山市平井5丁目の自宅で焼死。1990年から会長に就き、岡山市で初の原爆展開催を実現。71歳
1995/12/24
グリーンピース・ジャパンのメンバー約100人が、在日仏大使館の前で仏核実験の回数と同じ208本のろうそくをともし、核実験反対を訴え
1995/12/24
東北電力の女川原発2号機(宮城県牡鹿郡、沸騰水型軽水炉)の湿分分離加熱第2段加熱機ドレンタンクの高水位調節弁付近で、水漏れ事故が発生
1995/12/24
日本原子力発電の東海発電所(茨城県東海村、炭酸ガス冷却型)の1タービン発電機の復水電導度が高くなり、冷却用の海水漏れが起きる
1995/12/24
もんじゅの運転差し止めを求めている、もんじゅ訴訟原告団(磯辺甚三団長)が建設所の大森康民前所長らを原子炉等規制法に基づき刑事告発する方針を固める
1995/12/25
もんじゅのナトリウム事故で、福井県がもんじゅの設備や運転の不備を厳しく指摘した調査状況報告書を発表
1995/12/26
広島市は長崎市と共同で96年度から海外で原爆点を開くことを実施計画に盛り込んだ。96年度はフランス、米国の2都市。97年度からも核保有国など中心に開く。インターネットを活用して原爆文献や被爆資料を世界に発信することも決めた
1995/12/26
被爆者の広島大助教授、植木研介さん(51)夫妻が、被爆建物のレストハウスの解体撤回のビラを配った。県被団協(金子一士理事長)も解体に再考を求める市長あての要望書を提出
1995/12/26
動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が鳥取県東郷町方面地区に放置しているウラン残土の撤去問題で、方面自治会は「残土の仮置き場の使用期限が切れる26日以降は現地での保管は認めない」との通告書を動燃本社に送った
1995/12/27
広島の被爆者団体など12の組織でつくる「核実験中止広島緊急行動委員会」が96年2月6日から11日間、フランスで「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」開催決める
1995/12/27
フランス国防省は、パリ時間で午後10時半(日本時間で28日午前6時半)、フランス領ポリネシアのムルロア環礁で地下核実験を実施した、と発表した。今年五回目。規模は30キロトン以下。フランスの核実験はこれで通算209回
1995/12/27
米国務省スポークスマンは、フランスの核実験に遺憾の意を表明、「米国はフランスなど核保有国が米国に同調し、来年の包括的核実験禁止条約(CTBT)調印に向け、核実験を行わないよう求めている」と述べた
1995/12/28
ニュージーランドのボルジャー首相は、フランスの核実験に抗議声明を発表し「太平洋諸国のフランスに対する評価は最低」と述べた。オーストラリア政府も非難声明を発表した。韓国政府は遺憾の意を表明した
1995/12/28
もんじゅのナトリウム事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、もんじゅの設置許可申請書のうち試験最終段階に当たる「性能試験」の計画を変更する届けを科学技術庁に提出。96年6月に予定していた100%出力運転とその後の「本格運転」の時期を「未定」に変えた
1995/12/28
フランスの核実験強硬に対し、広島市の平岡市長と瀬川吉郎市議会議長は、ウーブリュー駐日大使に抗議文を送った。平岡市長は国連総会で核実験即時停止決議が採択された直後の実験を「国際社会に対する裏切り」と指摘、即時中止を求めた。また記者会見で政府に対し外交努力を求めた
1995/12/28
岡山市では核実験反対県連絡会、松江市では「非核の政府を求める島根の会」や「ヒロシマ・ナガサキからのアピール賛同・推進の県連絡会」が抗議行動、山口市では県原水禁や県被団協が座り込み、広島県三良坂町の「平和を願う会」も座り込みをし、呉市の小笠原臣也市長、三次市の福岡義登市長も抗議文を打った
1995/12/28
フランスの核実験に対し、二つの広島県被団協と広島県原水禁、広島県原水協は抗議談話を発表、広島県原水禁など十団体でつくる「フランス・中国の核実験中止を求めるヒロシマ連絡会議」は抗議の街頭宣伝、広島県原水協などの120人は平和記念公園で抗議の座り込み。96年1月にパリなどで原爆展を開く「市民のフランス原爆展」開催実行委員会は街頭でシラク大統領あての抗議はがきを配布、「ヒロシマ・平和のリボンの会」も原爆慰霊碑前で抗議行動
1995/12/28
広島県の藤田雄山知事、長崎市の伊藤一長市長、長崎県の高田勇知事は抗議文を駐日大使やシラク大統領に送った
1995/12/28
世界平和連帯都市市長会議(会長・平岡広島市長)は、シラク大統領に抗議文、核保有国の元首と駐日大使、国連代表に核実験即時停止と核廃絶を訴える要請書を送った。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)もウーブリュー駐日大使に「憤りと失望を覚える」と抗議文
1995/12/29
平和・民主主義尾道地区労働組合会議の約50人がフランスの核実験に抗議して座り込み。子供も加わる
1995/12/30
フランスの核実験に抗議して広島県原水禁のメンバーや被爆者らが、原爆慰霊碑で抗議の座り込み。今年12回、通算494回
1995/12/-- 
31日付けの米ニューヨーク・タイムズは、広島に投下された原爆の原料の一部にナチス・ドイツが日本向けに密かに輸送していた酸化ウランが使われていた疑いが強い、と報じた。事実とすれば、同盟国の原爆開発援助が米国に横取りされて悲惨な結果を生んだことになる
1995/12/-- 
長崎の造船所に強制徴用され被爆した韓国人の金順吉さん(73)=韓国釜山市=が当時強制加入させられていた厚生年金の脱退手当金の支払いを求めていた問題で、厚生省の社会保険審査会は受給権の時効を理由に不支給とした長崎北社会保険事務所の処分を取り消す裁決をした。支給されれば韓国人元徴用工への初の給付になる
1995/12/-- 
戦時中の動員学徒や遺族たちの「広島県動員学徒等犠牲者の会」が、被爆50周年を記念して「動員学徒誌」を出版。会員52人の追悼文のほか高校生も寄稿。A5判70ページ
1995/12/-- 
広島市中区の竹屋地区社会福祉協議会が「心に残るあの日の手記集」を発行。戦争や被爆を体験した73人の75編を収録
1995/12/-- 
広島国際文化財団が、主催している「アジア記者招請プロジェクト」の過去18人の取材活動などを紹介するニュースレター第一号発行A4判6ページ
1995/12/-- 
広島市の私立城北中・高校の社会問題研究部が地元の古老から体験を聞き書きした冊子「あの時戸坂で…五○年に古老が語るピカの実相」を発刊した。B5判、43ページ
1995/12/-- 
ピースヒロシマ障害者の会(はらみちを会長、六十人)が、1995年7月に開いた「戦後五十年 戦争・平和・障害者フォーラム」の記録集「あのとき障害者は」を五百部作製
1995/12/-- 
広島市東区のミニコミ紙「牛田ニュース」が、被爆五十年誌「牛田の被爆」を刊行
1995/12/-- 
広島県双三郡の作木村原爆被爆者友の会(増田準一会長、百二十一人)が被爆体験記「被爆五十年を生きて」を発刊
1995/12/-- 
「核兵器廃絶への道」が朝日新聞社から出版
1995/12/-- 
広島平和文化センターが委託した、在韓被爆者証言ビデオの作成が、広島市のナック映像センターで進んでいる
1995/12/-- 
世界的な多機能通信ネットワーク、インターネットを使う万国博覧会で、県が原爆ドームと宮島の立体的な動画を中心に、県の推進する国際貢献構想などを盛り込むことを決める
1995/12/-- 
生協ひろしまは来年1月から、核兵器使用の違法性を審理中の国際司法裁判所(ICJ)裁判官に、広島への訪問を訴えるはがき運動を展開
1995/12/-- 
被爆50周年事業「ひろしま2045ピース&クリエイト」の一環として、広島市は「写そう残そう私の広島1995」をキャッチフレーズに写真を募集
1995/12/-- 
映画「無法松の一生」で阪東妻三郎と共演し、公演旅行先の広島市で被爆死した女優園井恵子の碑を建てる計画を、小学校時代の同級生らで結成した「園井恵子を顕彰する会」(工藤剛嗣会長)が進める
1995/12/-- 
広島平和教育研究所が、戦後50年記念事業として、平和学習向けに軍都広島の歴史や被爆の実相を踏まえ、原子力エネルギーに頼る現代文明への批判を盛り込んだビデオ「カウントダウン」を制作
1995/12/-- 
もんじゅのナトリウム漏れ事故で、動燃からの連絡通報が大幅に遅れたことを重視した福井県は、原子炉内の情報や、排出される放射線のデータを速やかに入手できるよう、既にあるオンラインシステムの拡充を国に要望した
1995/12/-- 
もんじゅのナトリウム漏れ事故は、漏えい確認後の原子炉停止とナトリウム抜き取り操作が遅れたため、三時間以上漏えいが続き、事故の規模を拡大させたことが科学技術庁の調査で判明
1995/12/-- 
大阪市箕面市の小学生が、中国、仏両国へ原爆を題材にした絵本を送る活動を取り組み
1995/12/-- 
広島県立広島第二高等女学校(第二県女)の同窓会が、記念誌「しらうめ」を発刊。被爆体験や戦中の詩、作文などを収録
1995/12/-- 
反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」が、仏核実験に抗議し、仏製品の不買を呼び掛けるポスターを作製
1995/12/-- 
建設省太田川工事事務所が、原爆ドーム沿いを流れる元安川両岸の親水性を高める整備計画をまとめる。来年2月にも着工し、8月までの完成を目指す
1995/12/-- 
動燃が公開したもんじゅのナトリウム漏れ事故現場のビデオ映像をめぐり、福井県などが意図的に情報を隠したのではないかと、動燃を批判の声

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