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ヒストリー

ヒロシマの記録1994 4月


1994/4/1
広島を訪れている韓国人元徴用工の朴昌煥さんに、広島東社会保険事務所が、戦時中に三菱重工業広島機械製作所に徴用されていたことを裏付ける厚生年金の加入期間証明書を交付。同時に申請した方勲栽さんは「記録に名前が見当たらない」として交付されず
1994/4/2
52歳で亡くなった原爆詩人福田須磨子さんの20回忌が、長崎市で営まれる
1994/4/3
広島市内や周辺市町の被爆者でつくる「ヒロシマを語る会」(吉田博直代表)が結成10年を迎え、修学旅行生らへの証言活動の記録集を出版
1994/4/3
「ロシア海軍原子力潜水艦が1994年中に新たに15隻、廃棄、解体」-。東京新聞の調べで判明。うち7隻は太平洋艦隊所属。廃棄物貯蔵船がすでに満杯に近く、日本海への再投棄が切迫
1994/4/3
ペリー米国防長官がNBCテレビで「北朝鮮が年間12個の核兵器製造計画に着手」と指摘
1994/4/4
北朝鮮外務省が、国際原子力機関(IAEA)の再査察受け入れを求める国連安保理の議長声明採択を強く非難、拒否の声明発表
1994/4/4
鳥取県東郷町のウラン残土のうち、放射線量の高い貯鉱場の約290立方メートルの袋詰めと仮置きが終了
1994/4/4
ミハイロフ・ロシア原子力相が「極東の核廃棄物再処理施設の建設は2年後」との見通し表明。日本の建設費支援に期待
1994/4/4
マカリー米国務省報道官が、北朝鮮がプルトニウム抽出のための新たな設備を建設中との報道を確認
1994/4/4
「クリントン米政権が『北朝鮮がほぼ間違いなく少数の核兵器保有に成功しつつある』と認め、保有数拡大阻止に方針転換」-。米誌タイムが報道
1994/4/5
社会党が独自の被爆者援護法案大綱まとめる。国家補償を明記し、遺族への弔慰金支給を盛り込む
1994/4/5
岡山県上斎原村の動燃人形峠事業所で、ウラン濃縮原型プラントの廃品(劣化ウラン)回収用のプレコンプレッサー14台のうち1台が故障し停止
1994/4/5
動力炉・核燃料開発事業団が福井県敦賀市に建設した高速増殖炉原型炉もんじゅが初臨界
1994/4/6
平和に関する博物館を視察するため来日中の英ブラッドフォード大のピーター・ダンガン助教授が、原爆資料館を見学
1994/4/6
科学技術庁が、3月22日から日本、ロシア、韓国と国際原子力機関(IAEA)が共同実施した旧ソ連・ロシアによる放射性廃棄物投棄海域の海洋調査結果を発表。簡易測定法では異常見られず
1994/4/7
中国電力の多田公_f社長が、上関原発の1994年度施設計画への組み入れを正式発表
1994/4/7
細川首相がカザフスタンのナザルバエフ大統領と首相官邸で会談。セミパラチンスク核実験場周辺住民への医療支援を約束
1994/4/7
パキスタンのブット首相が核開発計画について「計画放棄を求める米の要求には屈しない」と表明
1994/4/9
反核平和団体「ピース・リンク広島・呉・岩国」主催の呉市内での講演会で、横浜市在住の梅林宏道さんが「核兵器禁止法」の制定を訴え
1994/4/9
詩人栗原貞子さんの第1詩集「黒い卵」(1946年刊)の英訳本が米で出版
1994/4/11
米の放射能人体実験問題で、米下院小委員会(ジョン・ブライアント委員長)がオハイオ州シンシナティの連邦地裁で公聴会。被害者の家族らが訴え
1994/4/12
広島県市長会が春季総会で、原爆ドームの世界遺産化を求める決議を採択
1994/4/12
米の放射線人体実験を報道したニューメキシコ州のアルバカーキ・トリビューン紙の女性記者アイリーン・ウェルサムさんにピュリツァー賞
1994/4/12
中国電力の上関原発計画に反対する地元住民ら300人が、広島市の中電本社を訪れ、施設計画組み入れと立地環境調査実施の再申し入れに抗議
1994/4/13
原産会議年次大会に出席した南アフリカ原子力公社のディビリアス総裁が「南アが開発した6個の原爆はコンピューターなどによる模擬実験で製造」と明言
1994/4/13
原産会議年次大会に出席した国際原子力機関(IAEA)のブリクス事務局長が記者会見で、北朝鮮の核開発疑惑で「再処理施設と実験用原子炉の追加査察が早急に必要」と言明
1994/4/13
広島市中区の江波山公園にある被爆ヤマザクラが、通常の2倍前後の花弁を持つ変種と判明
1994/4/13
ロシアが通常火薬の約300倍の爆発力を持つ超小型中性子爆弾を開発-。英民間テレビのチャンネル4がロシア科学者の証言を特別番組で放映
1994/4/13
日本原子力産業会議(原産会議)の第27回年次大会が広島市で開幕。15日「核兵器廃絶の必要性を深く認識」との「広島宣言」を発表し閉幕
1994/4/14
ポーランドのユゼフ・オレクシ下院議長が、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に献花
1994/4/14
チェルノブイリ原発事故で被曝したウクライナの化学技師ユーリ・コルスンさんが、「チェルノブイリ友の会・広島」(羽熊直行代表)の招きで広島入り、放影研で受診
1994/4/15
広島県原水禁などが広島市内で、原産会議年次大会を批判して総括交流会
1994/4/15
広島県教委が、広島市中区の被爆建物、頼山陽記念館を解体し、頼山陽史跡資料館建設の起工式
1994/4/15
開学したばかりの広島市立大学(田中隆荘学長)で、平岡広島市長が第1期生を対象に講演。学生らが核の平和利用問題など活発に質問
1994/4/16
北朝鮮の金日成主席が平壌で各国の学者や記者と会見し、核兵器保有を否定
1994/4/17
「原爆の父」米のロバート・オッペンハイマー博士が、開発段階から詳細な資料をソ連へ渡していた-。英紙サンデー・テレグラフが、18日発売の旧ソ連情報部幹部の回想録「特殊任務」の抜粋を掲載
1994/4/17
広島市内で、建物疎開などの勤労作業中に被爆して亡くなった動員学徒らの50回忌法要
1994/4/18
有事に備え在韓米軍基地に配備の米地対空ミサイル、パトリオット第1陣が釜山港に到着
1994/4/18
核戦争を想定した米の極秘政府機能維持計画が、東西冷戦の終結に伴い1994年10月1日をもって正式に中止-。ニューヨーク・タイムズが報道
1994/4/19
広島で被爆し京都で亡くなった旧広島文理科大の南方特別留学生サイド・オマールさん(マレーシア)について学んでいる京都市の修学院小学校6年生166人が、修学旅行で広島を訪問。留学生寮跡で歌を披露
1994/4/19
広島県朝鮮人被爆者協議会が、原爆を投下した米に補償を求めるクリントン大統領あて要望書を在日米大使館へ提出。朝鮮人被爆者が米に補償要求するのは初
1994/4/20
電気事業連合会が「仏で再処理された使用済み燃料の高レベル放射性廃棄物が、1995年3月にも返還」と表明
1994/4/20
被爆者や遺族が保存している被爆資料を紙面で紹介し、リストづくりを目指す中国新聞のキャンペーン企画「ヒロシマの形見伝えよう被爆資料」が始まる
1994/4/21
事故を起こしたチェルノブイリ原発の安全対策をめぐる特別会議が、ウィーンの国際原子力機関(IAEA)本部で開幕
1994/4/21
放射線被曝者医療国際協力推進協議会(放医協)が広島市内で理事会。シンポジウムなど被爆50周年記念事業の基本計画を決定
1994/4/21
韓国を訪問中のペリー米国防長官が「北朝鮮の実験用原子炉で数週間以内に燃料棒を交換」と述べ「核爆弾4、5個の製造が可能なプルトニウムを抽出できる」と表明
1994/4/22
広島市内で「ひろしま世界賢人会議」。グローバル・ガバナンス委員会のメンバーらが「今、将来世代のために何をすべきか」をメーンテーマに意見交換
1994/4/22
広島、長崎両県知事と広島、長崎両市長が「政府として核兵器使用の違法性を訴える陳述書を国際司法裁判所へ提出を」と羽田孜外相に文書で要請
1994/4/23
被爆3カ月後に廃校となった広島市の私立光道小学校の卒業生らが中区の母校跡で、50回忌法要
1994/4/23
「米オッペンハイマー博士はソ連のスパイだった」と旧ソ連情報当局幹部が証言した問題で、別の元幹部が否定
1994/4/25
26日のチェルノブイリ原発事故8周年を前に、ウクライナ国家統計委員会が「汚染除去作業に従事した約12万人のうち3割以上が病気、約4,000人が死亡」と発表▽クラフチュク・ウクライナ大統領が、エネルギー危機を理由にチェルノブイリ原発の運転続行を表明
1994/4/26
羽田首相の誕生、社会党の連立政権離脱(25日)で、被爆者援護法の原案づくりを進めてきた連立与党のプロジェクトチームが宙に浮く心配
1994/4/26
チェルノブイリ原発事故8周年で、広島市の原爆慰霊碑前で被爆者らが座り込み「ノーモア・チェルノブイリ」など訴え
1994/4/26
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長が、ジュネーブの国連人権委員会作業部会で被爆体験を証言
1994/4/27
英の検証技術情報センターが「中国は今年2回の核実験を実施する可能性」と発表
1994/4/28
3月18日に韓国へ亡命した北朝鮮人民武力(国防)省参謀部の核化学防衛局所属の李忠国軍曹が「北朝鮮はいつでもスカッド・ミサイルに化学兵器を搭載でき、ミサイル基地が咸鏡北道の明川と花台に完成済み」と語る
1994/4/-- 
被爆語り部の広島市東区、沼田鈴子さんの半生をつづった「ヒロシマ花一輪物語被爆者・沼田鈴子の終わりなき青春」を報道人らが刊行

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