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ヒストリー

ヒロシマの記録1994 9月


1994/9/1
財団法人ヒロシマ・ピース・センター(鶴襄理事長)の第6回「谷本清平和賞」に米のルポルタージュ作家、故ジョン・ハーシー氏(1914~93年)が決まる
1994/9/2
核禁広島県民会議初代議長の門秀一氏が死去。79歳
1994/9/2
広島市議会が、国家補償の精神に基づく被爆者援護法制定を求める意見書を全会一致で可決
1994/9/2
南アフリカ原子力公社のスタンフ総裁が「プレトリア近郊のペリンダバ原発から8月、残留濃縮ウラン計約5キロが付着しているフィルターなど放射性廃棄物の入った容器130缶が盗まれた」と発表。30缶は原発近くに捨てられているのが見つかったが、100缶は不明
1994/9/2
グラフィックデザイナーがポスターを通じて平和を訴える「JAGDA平和ポスター展」が広島市の原爆資料館東館で始まる。11日まで
1994/9/3
社会党臨時大会で、国家補償に基づく被爆者援護法制定を求める意見が相次ぎ、広島、長崎両県本部が緊急提案した決議案を全会一致で採択。自衛隊合憲や日米安保条約の堅持など党の基本政策転換を承認
1994/9/3
ロシア訪問中の江沢民中国国家主席がエリツィン大統領と共同宣言。核の先制不使用や戦略核ミサイル照準を互いに外すことを盛り込む
1994/9/4
広島大医学部第二外科の武市宣雄講師が、カザフスタンの旧ソ連・セミパラチンスク核実験場周辺住民の甲状腺がん発生状況調査のため、成田空港から出発
1994/9/4
中国の銭其〓外相がモスクワで記者会見し、中国が10月に核実験を行うとの外国報道を否定も肯定もせず。今後も実験を行う可能性を示唆
1994/9/5
中国電力が上関原子力発電所建設予定地周辺の8漁協でつくる「共同漁業権107号管理委員会」、単独で漁業権を持つ四代漁協、上関漁協の3者と、立地環境調査の協定書に調印
1994/9/5
「核不拡散条約を考える会」(代表世話人、庄野直美広島女学院大名誉教授)が、核拡散防止条約(NPT)無期限延長に反対するよう要請する書簡を各国首脳へ送付。NPTに加盟する非核兵器国のうち日本を除く158カ国
1994/9/6
劇作家の井上ひさしさんが、原爆をテーマにした演劇に取り組む。第1作の「父と暮せば」が都内で上演中。計5部作を発表する予定
1994/9/6
山口のヒロシマデー。山口市の原爆死没者の碑前で死没者追悼・平和式典
1994/9/6
ロシア南ウラルの核閉鎖都市チェリャビンスク65の化学コンビナート「マヤーク」で8月31日に起きた火災を調べていた事故調査委員会が「大気中に漏れた放射能が環境や人体に影響を与える恐れはない」と発表
1994/9/6
広島平和文化センターの脇坂清事務局長らが国際司法裁判所を訪問し、核兵器使用の違法性をめぐる審理の場で被爆者の意見陳述の機会を求めた平岡広島市長と本島等長崎市長の書簡を提出。裁判所側は「実現は難しい」
1994/9/6
ロシア原子力エネルギー省が、緊急事業計画案でノバヤゼムリャでの核廃棄物貯蔵施設の新設、核閉鎖都市チェリャビンスク65の貯蔵施設増設などを盛り込む
1994/9/7
ロシア西部のウドムルト共和国グラゾフ市で100キロのウラン238を売ろうとした3人組が逮捕され、ウラン押収。一度に100キロもの大量ウラン押収は初
1994/9/7
ジュネーブ軍縮会議(37カ国参加)が、核実験禁止特別委員会がまとめた包括的核実験禁止条約(CTBT)の草案を含む国連総会への報告を承認し、全会期を終了。兵器用核分裂物質製造禁止条約の交渉は持ち越し
1994/9/8
ジュネーブ軍縮交渉の核実験禁止特別委員会がまとめた包括的核実験禁止条約(CTBT)の草案に、米が条約脱退を容易にするための条項を挿入させていたことが判明。交渉参加国の多くが反発 1994/9/8
米エネルギー省が、日本と締結のプルトニウム再処理と高速増殖炉開発の技術協力を段階的に解消する方針を公表
1994/9/8
社会党広島県本部と広島県原水禁が、福山、呉両市の空襲被害の実態を共同調査へ。被爆者援護法制定の障壁となっている「一般戦災者との均衡論」を突き崩すには、一般戦災者の実態解明が必要と判断したため
1994/9/11
ドイツ・ベルリンの空港で、粉末の放射性核物質約850グラムを持つザイール人男性を逮捕
1994/9/12
「ピース・リンク広島・呉・岩国」のアンケート調査で「日本は核廃絶の先頭に立って発言し、行動すべき」と考える自治体が84%
1994/9/12
ライオンズクラブ国際協会のジュゼッペ・ピノ・グリマルディ国際会長が原爆慰霊碑前で世界平和を訴えるスピーチ
1994/9/13
国家補償に基づく被爆者援護法早期制定を目指し、2つの被爆地による新組織「ヒロシマ・ナガサキ連帯会議」が広島で発足。広島と長崎の被爆者団体など合わせて14団体が参加
1994/9/13
総合エネルギー対策推進閣僚会議が、中国電力の上関原子力発電所を重要電源として新規指定
1994/9/13
広島市が呼びかけ、原爆資料館東館で「平和博物館会議」が初会合。国内の7館から館長ら16人が参加。1995年、シンポジウム開催など申し合わせ
1994/9/13
日本被団協が与野党の政策担当者に、国家補償に基づく被爆者援護法の早期制定を要請。与党側は年内を目標に意見調整を進める方針を示し、野党側は与党の出方によっては議員立法提出の考えを表明
1994/9/13
ブルガリア警察が、民家の地下室からプルトニウム239、ウラニウム、セシウムなど「かなりの量」の放射性物質を収めた容器を押収し、6人の身柄を拘束
1994/9/13
国際原子力機関(IAEA)定例理事会が、イラクの核兵器開発能力をほぼすべて破壊したとの事務局長報告を承認し、事実上、同国の「核の無力化」を宣言
1994/9/14
欧州から日本への高レベル放射性廃棄物海上輸送に反対する原子力資料情報室やグリーンピースなど日米欧の4団体が、事前環境影響調査を行うよう要求する公開書簡を日、仏、米の政府と欧州連合に送付
1994/9/14
外務省が広島市内で19日に予定していたシンポジウム「外交の窓inヒロシマ」の開催を延期。外務省がシンポのメーンテーマから核問題を外し、パネリストに被爆者代表を入れないと主張し、被爆者の反発を招いたため
1994/9/15
ジュネーブで開催中の核拡散防止条約(NPT)延長検討会議準備委員会のアエワ議長(ナイジェリア)が記者会見し「委員会での各国の発言では、NPTの期限付き延長を求める意見が優勢」と表明 1994/9/15
1945年9月17日に大野町で枕崎台風による土石流の犠牲になった京都大原爆災害総合研究調査班員11人の慰霊の集い。遭難場所近くにある慰霊碑前で
1994/9/15
1995年の核拡散防止条約(NPT)延長検討会議へ向けジュネーブで開かれていた第3回準備委員会が、検討会議の手続きに細部の詰めを残して閉会
1994/9/16
原爆で倒壊、焼失した広島城二の丸の3つの櫓復元工事が終わり、完成披露式
1994/9/17
「谷本清平和賞」の第6回授与式が広島市内であり、受賞者である米のルポ作家、故ジョン・ハーシー氏の妻バーバラ・ハーシーさんへ賞状と賞杯
1994/9/19
被爆直後に広島市内の御幸橋上で被爆者を写真撮影したのは自分だと、横浜市の会社顧問宍戸幸輔さんが、撮影者の元中国新聞社カメラマンで広島平和文化センター評議員松重美人さんを相手取り、著作権の確認などを求め広島地裁に提訴
1994/9/19
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展について、ナンシー・カッセボム米上院議員(共和党)が、侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出
1994/9/20
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展問題で、米の宗教系平和団体や環境保護団体代表らが「被爆者関連の展示を増やし、核軍縮を積極的に呼びかけるべき」と同博物館に申し入れ
1994/9/20
中国電力の上関原発計画に反対している山口県上関町の祝島漁協(山戸貞夫組合長)が、立地環境調査に同意した共同漁業権107号管理委員会と賛成した7漁協を相手取り、管理委員会の採決無効確認を求めて山口地裁岩国支部に提訴
1994/9/21
連立与党の戦後50年問題プロジェクトチーム(上原康助座長)が被爆者援護法問題を協議。現行の原爆二法を一本化して新たな法案を作り、30日召集の臨時国会に提出決める。「国家補償」の取り扱いは合意せず
1994/9/21
高レベル放射性廃棄物の青森県六ケ所村への持ち込みに反対する村民らが、村が誘致した核燃料サイクル施設建設中止を青森県と六ケ所村へ要請するよう平岡広島市長に申し入れ
1994/9/22
ペリー米国防長官が今後10年間の米核戦略の概要を発表。ロシアが再び敵対国家になる可能性を考慮し、第2次戦略兵器削減条約(START2)以上の新たな核軍縮には当面応じない方針
1994/9/23
第五福竜丸ビキニ被災の故久保山愛吉さんの40年目の命日。焼津市で久保山さんと妻のすずさんを追悼する墓前の集い
1994/9/23
米上院が、広島への原爆投下機エノラ・ゲイが「第二次大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った」とする決議を採択
1994/9/24
広島市内で原爆被害者相談員の会(代表、鈴木勉広島女子大教授)が主催し、田村和之広島大教授を講師に被爆者援護法の学習会
1994/9/25
中国新聞社加盟の日本世論調査会による全国世論調査(17、18日)で、被爆者援護法の制定について61%が「制定する必要がある」。「必要なし」は9%
1994/9/26
広島市議会アジア競技大会・国民体育大会等特別委員会で、アジア大会で被爆を伝える行事が少ないとの注文相次ぐ
1994/9/26
広島アジア大会閉会式の自衛隊祝砲は被爆地で開かれる平和のスポーツ祭典にふさわしくないとして、広島の被爆者団体など13団体が祝砲中止をアジア大会組織委員会の福島隆義事務総長あて文書で申し入れ
1994/9/26
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展に対し米上院が展示内容の修正を促す決議をした問題で、広島県被団協(金子一士理事長)や広島県原水協などが、米上院への抗議などを求める要請書を平岡広島市長に提出
1994/9/26
エリツィン・ロシア大統領が国連総会で演説し、核兵器保有5カ国による新たな核軍縮条約の締結を提案
1994/9/27
日ロ協会岡山支部(寺田熊雄会長)がチェルノブイリ支援で、現地の医療機関に医療機器を送るため募金活動を始めると発表
1994/9/27
広島県黒瀬町の9月町会が、ポーランドのオシフィエンチム(旧アウシュビッツ)市との姉妹都市協定を解消する議案を可決
1994/9/27
広島県庁前で「国家補償に基づく被爆者援護法を求める広島県中央集会」。広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、連合広島、広島県原水禁、核禁広島県民会議など11団体が主催。1,500人が参加 1994/9/27
河野洋平副総理兼外相が国連総会で日本の国連安保理常任理事国入りに意欲を表明する演説。この中で、全面核実験禁止条約交渉妥結の際の署名式招致に関連して、用意された原稿にあった「最初の被爆地たる広島市において」との表現から「被爆地」を削り「日本、例えば広島市において」に変更して読み上げ
1994/9/27
米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展問題で、米下院にも計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明
1994/9/28
シベリアのペチョラ川、カマ川の水路を変更して水位低下が進むアラル海、カスピ海に流すため、旧ソ連政府が1971年に3個の核爆弾を地下爆発させ、放射能汚染が現在も残っている-。ロシア紙イズベスチヤが報道
1994/9/28
連合と原水禁国民会議、核禁会議が首相官邸に五十嵐広三官房長官を訪ね、30日からの臨時国会で国家補償に基づく被爆者援護法制定を要請。五十嵐長官は国家補償に難色を示し、原爆死没者の遺族への弔意措置を検討中と表明
1994/9/28
クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領が、両国の核兵器削減促進をうたった「戦略的安定」に関する共同声明に調印。第2次戦略兵器削減条約(START2)の実質的な前倒し実施など盛り込む
1994/9/28
旧広島文理科大(現広島大)の元留学生で、中国人被爆者の由明哲さんが広島アジア大会の開会式出席のため広島入り。広島県が「特別ゲスト」として招待
1994/9/28
広島アジア大会開幕を前に、選手らが練習の合間を縫い平和記念公園を訪れ、核兵器廃絶に共感する声が広がる。一方、被爆者から「もっと体験を聞いてもらう機会があれば…」との声も
1994/9/28
中国の銭其〓外相が国連総会演説で、核保有国による核兵器先制不使用など7項目の核軍縮提案
1994/9/29
「核不拡散条約を考える会」(代表世話人・庄野直美広島女学院大名誉教授、180人)が首相官邸に村山首相を訪ね、政府が核拡散防止条約(NPT)無期限延長を支持しないよう要望書提出
1994/9/29
被爆直後の広島、長崎で撮影した記録映画「広島・長崎における原子爆弾の効果」の日本語版を作るため、市民グループ「平和博物館を創る会映画委員会」(羽仁進代表理事)が全国で募金活動
1994/9/29
広島、長崎の被爆者団体などでつくる「ヒロシマ・ナガサキ連帯会議」が自民、社会両党を訪れ、国家補償に基づく被爆者援護法の早期制定を要請。自民党は「国家補償」に難色。社会党は積極姿勢
1994/9/29
米スミソニアン航空宇宙博物館が、原爆投下展問題での全米退役軍人協会からの抗議に対し、展示内容変更を事実上決定-。ワシントン・ポスト紙が報道
1994/9/29
スロバキア内務省が、国境を越えてハンガリーへ750グラムのウラン235を密輸しようとした4人組を28日に逮捕したと発表
1994/9/30
カザフスタンのセミパラチンスク核実験場周辺で1980年代以降、甲状腺がんが増加-。現地調査から帰国した広島大医学部の武市宣雄講師が公表
1994/9/30
自民党社会部会(衛藤晟一部会長)が、被爆者援護法をめぐる連立与党間の協議に臨む基本方針。「国家補償」は認めず、原爆二法を一本化し新法制定を目指す
1994/9/-- 
被爆者援護法制定を訴える広島の被爆者団体などが、冊子「なぜ国家補償を求めるのか」をまとめ、原爆被害者福祉センター広島平和会館が発行

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