ヒロシマの記録1993 1月
93年1月1日
1993/1/3
朝鮮半島から強制連行され、長崎市で被爆した元徴用工3人が韓国で生存していることが、長崎県原爆被爆二世教職員の会の調査で分かる
1993/1/3
ウクライナのクラフチュク大統領が「最高会議の条約批准に時間はかかるが、約束は守る」と声明。START2が実行されるにはウクライナがSTART1を批准し、176基のミサイルをロシアへ移すことが前提
1993/1/3
エリツィン・ロシア大統領とブッシュ米大統領が、モスクワで両国の戦略核弾頭を三分の一に削減する第2次戦略兵器削減条約(START2)に調印。(1)2003年までに戦略核弾頭の総枠を各3,000~3,500個に削減(2)複数目標弾頭(MIRV)装備の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を全廃、単弾頭のみ容認(3)ロシアは大型ICBM、SS18を全廃(4)潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)弾頭数を各700~1,750個に半減
1993/1/4
プルトニウム輸送船あかつき丸の入港に抗議し、広島の脱原発グループ「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」「原発はごめんだヒロシマ市民の会」が、広島市の原爆ドーム前で座り込み
1993/1/4
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)韓国支部加盟の韓国医学生17人が、広島大医学生との交流で広島訪問。原爆資料館、放影研、原医研などを見学
1993/1/5
高速増殖炉燃料となるプルトニウム1トンを積んだあかつき丸が仏から茨城県東海港に帰港。海岸で500人が抗議デモ。輸送総額は270億円超。護衛艦しきしま建造費が154億円、搭載ヘリコプターが49億円
1993/1/5
プルトニウム大国化に抗議し被爆者ら70人が原爆慰霊碑前で座り込み。主婦らの団体「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」(大庭里美代表)はビラ配り
1993/1/5
長崎県被爆者手帳友の会が、プルトニウム輸送船あかつき丸帰港に抗議する集会を爆心地公園で開く(長崎新聞1・6)
1993/1/7
1月15日から18日まで長崎港に入港、停泊する米イージス艦モービルベイ問題で、被爆者団体、革新系団体が反対闘争展開へ
1993/1/7
米エネルギー省が、南カロライナ州サバンナリバー核工場のプルトニウム精製を再開。91年に放射能漏れ事故を起こし、92年3月以降操業をストップしていた
1993/1/8
あかつき丸のプルトニウム輸送問題で来日中の仏環境保護団体「森のロビン」のジャッキー・ボヌマン会長が原爆資料館を見学
1993/1/11
マレーシア・ブキメラ村のエイシアン・レアアース(ARE)社の放射性廃棄物問題を視察した因島国際交流会の中諄子代表が、広島県や広島市などでつくる放医協(会長、重松逸造放影研理事長)へ支援訴え
1993/1/11
放射線医療研修のため放医協が招いたアルゼンチンの前田英康医師、ブラジルのクラウディオ・シルバ研究員が広島入り。広島赤十字・原爆病院、広島大原医研などで研修
1993/1/12
ロシアの科学者ユーリー・ハリトン氏とユーリー・スミルノフ氏が「旧ソ連の最初の原子爆弾は米が開発した原爆の完全なコピーだった」と、原爆開発を指揮した故イゴール・クルチャトフ氏の生誕90周年式典で語る
1993/1/13
ミッテラン仏大統領が1992年末までの核実験停止をさらに延長すると発表
1993/1/13
広島県被団協(森滝市郎理事長)が厚生省の「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」の中間報告に対し「個別弔意の理念に欠ける」など批判的な見解
1993/1/14
1993年1月14日に87歳で亡くなった広島市の開業医於保源作氏をしのぶ「面影-原爆ガンと取組んだ町医者」を肉親らが出版
1993/1/15
米海軍のイージス巡洋艦モービルベイが、長崎県や長崎市の意向を無視し長崎港に入港。1989年9月のロドニー・M・デイビス以来
1993/1/15
米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長が「2月初めの理事会で会長職を引退」と表明
1993/1/18
クラフチュク・ウクライナ大統領が、旧ソ連戦略核廃棄のためロシアに補償金を要求する方針示す
1993/1/18
「広島県内の非核宣言自治体は80市町村」-。中国新聞が現状まとめる
1993/1/18
中国電力の島根原子力発電所2号機の再循環ポンプに異常。原子炉を手動で停止
1993/1/19
広島国際女子柔道選手権大会で広島入りした英、仏、台湾選手ら70人が原爆慰霊碑に参拝
1993/1/21
平岡広島市長が文化庁と外務省に原爆ドームを世界遺産として推薦するよう要望
1993/1/22
長崎市が初めて在韓被爆者援護のために新年度予算に400万円を計上(長崎新聞1・23)
1993/1/22
広島県被団協(森滝市郎理事長)が被爆50周年に向けて(1)被爆者援護法成立に全力(2)原爆死没者に対する個別弔意を国に要求(3)「核兵器廃絶国際協定」締結に向け世論を喚起-などの運動方針決める
1993/1/25
放影研が3日間の日程で「疾病モニタリング・ワークショップ」開催。成人健康調査の充実、見直しを勧告
1993/1/25
広島県原水禁が県労センター解散を控え、個人会員の拡大で財政や組織を支える運動方針を決定 1993/1/26
被爆語り部15団体が広島市で「被爆体験証言者交流の集い」開く
1993/1/27
日赤病院被爆建造物保存連絡会(久保浦寛人代表)と原爆遺跡保存運動懇談会(後藤陽一座長)が、広島市に広島赤十字・原爆病院の旧本館保存に積極的に取り組むよう申し入れ
1993/1/27
ロシア・ウラル地方のチェリャビンスクにある軍事用プルトニウム生産工場による過去の放射能汚染で「45万人が影響を受け、5万人がかなりの放射能を浴びた」とロシア政府委員会が報告書。工場は1948年に建設された「マヤック」で過去の放射能流出量はチェルノブイリ原発事故の20倍の10億キュリー
1993/1/27
核実験全面禁止を求める国際共同行動日「ネバダ・デー」で、130人が原爆慰霊碑前で座り込み
1993/1/27
カザフ共和国で核実験場周辺住民への補償法「核実験被害市民の社会保護法」が1992年末に成立-。広島を訪問中の核被害者同盟のグリスム・カキムジャノバ事務局長が説明。セミパラチンスク州全域と周辺3州の一部に実験期間中住んでいた150万~200万人が対象
1993/1/28
ロシア対外情報局が「パキスタンが既に4個から7個の核兵器を保有」との報告書。「1970年代初めにアブデル・カデル・カーン氏を中心に核開発を開始。86年に第1号を保有」
1993/1/30
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑(理事長、安部一成山口大名誉教授)が経営難から宿泊・保養業務を分離し援護・検診業務に専念決める。宿泊・保養業務は県生活協同組合連合会に委託へ
1993/1/30
「回収ウランもプルトニウムもいりません!百万人署名」実行委員会が、岡山市で全国シンポジウム
1993/1/31
長崎で被爆し日本政府と三菱重工業に未払い賃金の支払いなどを求めている韓国の金順吉さんの裁判を支援する集会が広島市内で開く。金さんも出席。1日、韓国人原爆犠牲者慰霊碑などに参拝
1993/1/31
政府がロシアの核兵器解体について、解体後の放射能汚染除去や核の平和利用など技術的側面で協力する基本方針決定
1993/1/31
「北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)査察団に対し、寧辺の核廃棄物処理場など2カ所の公開を拒否」と韓国紙中央日報が報道
1993/1/--
広島で被爆した元韓国駐日大使の金正濂さんが、命の恩人と岡山県北出身の日出平誠見習士官の身寄りを捜す。4日、日出平さんの生存(現姓大橋=岡山県浅口郡金光町)が分かり電話で対談
1993/1/--
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)韓国支部長の李柱傑さんが広島市を訪問。広島赤十字・原爆病院、放影研を見学
1993/1/--
8月に広島、長崎で開催の「第3回世界平和連帯都市市長会議」に韓国の大邱市が参加申し込み。朝鮮半島から初
1993/1/--
広島市の原爆ドーム保存状態は良好-。広島市が委託した業者の調査で判明。3年おきに調査継続
1993/1/--
広島市の被爆建物の一つ、旧陸軍被服支廠(1913年完成)が建築学的にも貴重で、改修や補強によって再利用可能と判明
1993/1/--
原爆記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」贈呈運動が拡大。1991年3月、広島市の大原裕子さんが呼びかけ2年間で126本を世界に贈る。シカゴの公共テレビ「チャンネル11」が8月放送へ
1993/1/--
「広島の女シリーズ」で原爆をテーマに演劇活動を続ける村井志摩子さんが新作「広島の女シリーズ-螺旋階段・夜曲」のモチーフとして、産業奨励館(原爆ドーム)にあったといわれる手回しオルガンの情報求める
1993/1/--
1989年4月にノルウェー沖で沈没した旧ソ連原子力潜水艦コムソモーレツの核燃料漏れ続く。引き揚げでロシアとノルウェーが対立