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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 9月


1993/9/1
広島市の原爆養護ホーム舟入むつみ園のデイサービスセンターが開所式
1993/9/1
米エネルギー省が、小規模な地下核実験と通常爆薬の大爆発を見分ける観測技術確立のための非核爆発実験の準備状況をネバダで記者団に公開
1993/9/1
連合の山岸章会長が細川首相に被爆者援護法早期制定を要請
1993/9/2
米国防総省が「ロシアの核兵器解体支援のため米が8,500万ドルを供与する協定に調印」と発表
1993/9/3
クラフチュク・ウクライナ大統領とエリツィン・ロシア大統領が、ウクライナ配備の戦略核弾頭のロシアへの移送、廃棄で原則合意
1993/9/3
広島の市民グループ「原爆遺跡保存運動懇談会」(後藤陽一座長)と「元大正屋呉服店を保存する会」(栗栖洋幹事)が、建物疎開作業に動員された学徒の原爆被害の実相解明や元大正屋の保存を広島市に要請
1993/9/3
広島市の大田鋼管本社に仏の画家ベルナール・ビュッフェ氏が描いた原爆ドームの絵。会社創立50周年の1984年に大田和正社長が依頼し写真を送り描いてもらう。中国新聞が紹介
1993/9/5
旧広島文理科大南方特別留学生で被爆死したマレーシアのサイド・オマールさんの妹アザー・アジズさんが広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る
1993/9/5
広島市の平和記念公園の「原爆の子の像」の専用台に供えてあった折りづるから出火。台を作ってから初の不審火
1993/9/6
山口市宮野江良で第19回山口原爆死没者追悼・平和式典。死没者名簿登載者は7人増え1,526人に
1993/9/6
広島の市民団体「核不拡散条約を考える会」(庄野直美代表)が核拡散防止条約の無条件無期限延長に反対する要望書を細川首相に送付。有識者150人が連名
1993/9/6
韓国原爆被害者協会の李鍾万会長が広島で、日本政府の拠出金40億円を用いソウルに平和資料館建設計画を表明
1993/9/6
世界保健機関(WHO)が8月27日付で、核兵器使用が国際法違反かどうかの判断を求める決議を国際司法裁判所に送付。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部に入った連絡で判明
1993/9/7
韓国原爆被害者協会の李鐘万会長が本島等長崎市長を訪れ、ソウルに1995年春着工の原爆資料館を建設する計画を明らかにし、資料提供の要請(長崎新聞9・8)
1993/9/7
英セラフィールドの使用済み核燃料再処理工場で、換気装置の実験に使われていたガスが漏れて300人の従業員が避難。負傷者、放射性物質の漏出はなし
1993/9/8
広島市の被爆者保養施設「神田山荘」が開設20周年記念式典
1993/9/11
新聞労連などの招きで来日中のアンドラーシュ・バールショニィ・ハンガリー印刷産業労組委員長らが原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1993/9/11
全国平和教育シンポジウム東京集会(日本平和教育研究協議会主催)が東京で開幕。350人が参加
1993/9/12
第五福竜丸の無線長故久保山愛吉さんの妻で、核兵器廃絶運動に貢献した久保山すずさんが大腸がんのため死去。72歳
1993/9/15
広島県佐伯郡大野町で京大原爆災害総合研究調査班の慰霊の集い。遭難を記録した記録集も完成
1993/9/17
「核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団」(代表、大下由宮子八戸工大助教授)の111人が、国に青森県六ケ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵施設の事業認可取り消しを求める訴訟を青森地裁に起こす
1993/9/17
「中国が約1年ぶりに地下核実験を再開しようとしていると、米情報機関が偵察衛星の写真から判断」-。ワシントン・ポストが伝える。クリントン米大統領が再開しないよう説得を開始
1993/9/20
広島県原水禁が中国の李鵬首相に、核実験を再開しないよう求める要請書を送付
1993/9/20
日本被団協が細川政権発足後、初の被爆者援護法の早期制定を求める国会要請行動
1993/9/21
三次市議会が原爆ドームの世界遺産化を政府に要望する意見書を全会一致で採択。22日、呉、福山、竹原市議会も
1993/9/21
ヒロシマ、チェルノブイリなどをテーマにした作品を描き続けている名古屋市の画家岡田徹さんが東京で個展。26日まで
1993/9/25
大阪でプルトニウムの平和利用をめぐり推進派と反対派が共催シンポジウム
1993/9/26
広島市基町の太田川堤防沿いにある枯死した「被爆エノキ」の幹が崩れてばらばらに
1993/9/27
日本被団協が中国政府に核実験停止の継続を求める要請書を送付
1993/9/27
クリントン米大統領が国連総会で「核兵器を含む大量破壊兵器・技術の拡散防止が米外交の最優先課題」と強調し、新たな国際協力体制の構築を提案。核兵器解体によって生じるプルトニウムと高濃縮ウランを国際原子力機関(IAEA)の保障措置(査察)にゆだねることも提案
1993/9/27
ウィーンで開かれた国際原子力機関(IAEA)総会で江田五月科学技術庁長官が、原爆の悲劇を訴えプルトニウムの国際管理体制づくりを呼びかける
1993/9/28
広島県佐伯郡能美町議会が被爆者援護法の制定を求める意見書を採択。県内の86市町村と県の全自治体議会で100%を達成
1993/9/28
「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」(代表委員、古田隆規広島弁護士会長ら6人)の賛同署名が目標の100万人を突破、105万9,797人に。全体の30%から40%は県外から
1993/9/28
放医協などの招きでロシア保健省生物物理学研究所のアレクサンダー・パラノフ血液学骨髄移植部長ら2人が広島入り。広島大原医研で10月14日まで研修
1993/9/28
米下院本会議が、日本などの商業用プルトニウムを含め兵器に使用可能なすべての核分裂物質の生産を早急に中止する国際協定づくりを米政府に求める国防支出権限法案の修正案を可決
1993/9/29
長崎市立山里中学の2年生が修学旅行で広島を訪れ、広島市立翠町中と交流
1993/9/30
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の第11回世界大会がメキシコ市で開幕。日本から横路謙次郎放射線影響研究所顧問研究員、土肥博雄広島赤十字・原爆病院医師らが出席
1993/9/-- 
在韓被爆者の治療にあたる韓国医師2人が長崎市の招きで初めて9月21日から長崎市へ(長崎新聞9・9)
1993/9/-- 
広島県農協連合会の前身である県農業会の被爆から復興までを県同栄社共済連合会長の行広守さんが手記「広島県農業会被爆の実相」にまとめる
1993/9/-- 
広島市出身の被爆作家原民喜氏の原稿や書簡、遺書、写真など遺品約1,000点を、義弟の佐々木基一氏の遺族が広島市に寄贈
1993/9/-- 
長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(会長、今村臣正県医師会長)の招きで8月9日から、長崎市内の医療機関で被曝者治療の研修をしていた旧ソ連の医師ら5人が研修終える。12日帰国(長崎新聞9・11)
1993/9/-- 
「徳山の空襲を語り継ぐ会」の工藤洋三さんらが、原爆を投下した米第20航空軍第509混成部隊の記録を入手、翻訳、解説した「米軍資料原爆投下報告書-パンプキンと広島・長崎」(東方出版)を刊行。目標地の選定理由や、29市町に49発投下された模擬爆弾などを記す
1993/9/-- 
広島市教委が爆心地から約500メートルの袋町小学校の被爆校舎の建て替えで内部協議を開始
1993/9/-- 
旧広島県立西条農学校(現西条農業高校)から学徒動員され被爆した廿日市市の桝井治さんが体験記「私の原爆の記」まとめる。同校の被爆記録は初

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