×

ヒストリー

ヒロシマの記録1992 2月


1992/2/1
ブッシュ米大統領とエリツィン・ロシア大統領の両首脳が米メリーランド州キャンプデービッドの山荘で会談。互いを仮想敵国とせず、友好関係の樹立を明言した「キャンプデービッド宣言」に調印
1992/2/1
「回収ウランもプルトニウムもいりません!100万人署名」実行委員会が岡山市内で街頭署名を開始。動力炉・核燃料開発事業団が岡山県苫田郡上斎原村の人形峠事業所で計画している回収ウラン転換実用化試験に反対
1992/2/1
国連軍縮広島会議の開催が正式決定。国連軍縮局主催で6月15日から18日の4日間。被爆地で冷戦後の世界秩序をめぐり意見交換
1992/2/2
ドイツ紙ベルリナー・ツァイトゥング日曜版が「旧東ドイツ軍が核戦争の際に使用する放射能測定装置の試験のため、兵士を強い放射能下にさらした」と報じる
1992/2/3
米のディーン・ノーマン医師が放射線医学研修のため広島入り。放医協が受け入れ、4日から広島大医学部、原医研、放影研などで研修
1992/2/3
広島市出身の作曲家細川俊夫氏が創作した「ヒロシマ・レクイエム」の演奏会が広島国際会議場で開催。未完だった第3楽章「夜明け」を加え全楽章を広島交響楽団など初披露
1992/2/4
平和公園で見つかった旧浦上刑務支所遺構から新たに井戸が見つかり、長崎市が本格調査始める。保存について原爆被災資料協議会が論議。市民の間で「保存する会」結成も(長崎新聞2・5、2・7、2・14、2・20、2・21)
1992/2/4
広島市の被爆建物等継承方策検討委員会(委員長、庄野直美広島女学院大名誉教授)が同市内の現存被爆建物を視察。広島大理学部1号館、広島赤十字・原爆病院本館など9カ所
1992/2/4
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長が、広島滞在中の北朝鮮の柳海永・朝鮮平和擁護全国民族委員会副委員長に、北朝鮮在住被爆者の実態調査を要請
1992/2/4
冷戦後の核戦略を検討する米戦略軍司令部諮問委員会が、日本とドイツの核武装を警戒し、その抑止に「米の核の傘」を供与し続けるべきとの報告書をまとめていたことが明らかに
1992/2/5
ブラジル原爆被爆者協会の森田隆理事長が広島県と広島市を訪れ、検診医師団派遣やブラジル医師の研修受け入れなど支援策に謝辞
1992/2/5
旧ソ連キルギスタンのアカエフ大統領から日本原水協に「核兵器廃絶に賛同」と書簡。原水協が旧ソ連の11共和国首脳に郵送した核廃絶呼び掛けへの返書第1号
1992/2/5
イスラム人民戦士機構のシャファルザデ米代表が「イラン政府は旧ソ連と中国の協力で核開発を進め、現在、国内5カ所で核関連施設を建設中」と述べる
1992/2/5
エリツィン・ロシア大統領が仏を訪問、ミッテラン大統領と会談。7日「双方の核保有量を必要最小限にする」との友好条約に調印。ミ大統領は「米とロシアの戦略核兵器削減交渉が大幅に進展したら、仏も交渉に参加し得る」と条件付き参加を表明
1992/2/6
チェルノブイリ原発事故の被災者治療の拠点、旧ソ連ベラルーシ共和国ミンスク市の女医2人が原対協健康管理センターを訪問、放射線障害の診断や治療方法を学ぶ。7日は放影研で研修。ミンスク第2児童クリニック幼児病理学部のタチアナ・ヤクボフスカヤさんとアンナ・マスリウクさん。放医協が受け入れ
1992/2/6
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のアジア太平洋地域会議(7月、韓国)準備会議が広島で開会。中国が加盟に積極姿勢。7日まで
1992/2/6
米国務省のカンター次官が上院東アジア・太平洋問題小委員会で「北朝鮮はあと数カ月で核爆弾製造に必要なプルトニウムを生産するための核再処理施設の操業が可能」と見通し示す
1992/2/7
訪米中のカーン・パキスタン外務次官が「パキスタンは原爆1個を生産する技術と濃縮ウランを保有」と初めて認める。ワシントン・ポストが報道
1992/2/8
旧ソ連の核科学者の中東などへの頭脳流出を防ぐため、米が科学者の職を探す情報センター創設をロシアに提案する計画-。米紙ニューヨーク・タイムズが報道
1992/2/8
原子力委員会が高速増殖炉の実用化について、今後、国主導で実証炉建設を進める基本方針固める。従来の電力業界主体の方針を修正
1992/2/10
旧ソ連のセミパラチンスク核実験場(閉鎖)で、1954年から62年にかけプルトニウムの大気飛散実験が行われ、一部地域で放射能レベルが許容範囲を大幅に超過-。共同通信が元幹部の書簡を入手し配信
1992/2/11
現代俳句協会会員の小田保さん(尾道市防地町)が句集「黒雨以後」を自費出版
1992/2/11
被爆者で原爆を根底に創作を続けた環境アーチストの殿敷侃(とのしき・ただし)氏が死去。50歳
1992/2/12
イランを訪問した国際原子力機関(IAEA)視察団のジェンキンス代表が「イランの原子力施設はすべて平和目的であることを確認」と言明。西側報道による核兵器開発の証拠は得られなかったと明かす
1992/2/13
日本原子力産業会議が新会長に向坊隆氏(元東大学長)を選任。円城寺次郎会長の後任
1992/2/14
原爆直後に降った「黒い雨」の降雨地域見直しを求めている「広島県『黒い雨・自宅介護等』原爆被害者の会連絡協議会」(花本兵三会長)が同県と市に住民実態調査を要望
1992/2/14
ベーカー米国務長官がロシア・ウラル地区チェリャビンスク近郊の工業物理研究所を視察。ウラル山脈東部に分散建設された極秘「核都市」の1つで、旧ソ連の核弾頭設計を一手に担う。西側高官の訪問は初
1992/2/14
外務省が、旧ソ連の核兵器拡散や核技術者流出への対応策を検討する作業チーム発足を決定
1992/2/15
被爆語り部の研修会(被爆体験証言者交流の集い主催)が広島国際会議場で開会。60人が参加
1992/2/17
北大西洋条約機構(NATO)欧州連合軍のガルビン最高司令官が「欧州配備の戦術核撤去作業が始まっている」と明かす。主にドイツ配備の戦術核や核砲弾など推定2,000発で、3年間で完了予定
1992/2/17
欧州共同体(EC)外相会議のドイツ筋が、ソ連核科学者の頭脳流出防止のため、米、ドイツ、ロシア3国が「国際科学技術センター」をロシア内に設立することで合意と語る
1992/2/18
ベーカー米国務長官とコズイレフ・ロシア外相がロシア外務省で会談、米ロ戦略核の大幅削減を中心に協議。「削減後の両国の保有核兵器数の水準が接近」と強調
1992/2/18
北朝鮮の金日成主席が「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」などを承認する批准書に署名
1992/2/18
科学技術庁と動力炉・核燃料開発事業団が、旧ソ連や米の核兵器解体に伴うプルトニウムを消費する専用高速炉の設計、建設をロシアや米、国際原子力機関(IAEA)などに提案する方針を決定
1992/2/19
韓国と北朝鮮の第6回南北首相会談が平壌で開会。「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」と「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」を交換、正式に発効
1992/2/20
被爆語り部15団体で作る「被爆体験証言者交流の集い」が平岡広島市長と初の懇談会。体験継承の方法や市の平和行政などで意見交換
1992/2/20
中国電力島根原子力発電所の1号機(島根県八束郡鹿島町)が運転中に緊急停止。中性子束の制御系統に誤信号が流れる。3月3日、「原因は落雷」と発表。同5日、営業発電を再開
1992/2/22
政府が旧ソ連の核兵器解体に伴うプルトニウムや高濃縮ウランの管理、再利用問題を協議する東京国際会議の開催方針固める。米、ロシアなどに呼び掛けへ
1992/2/22
「広島の願いと非核の政府」シンポジウムが広島市内で開会。200人が参加。置塩信雄神戸大名誉教授や関屋綾子元日本YWCA会長らが基調報告
1992/2/23
世界平和記念聖堂(広島市中区幟町)で浄土真宗本願寺派安芸教区平和委員長の光寺重信さんが講演。ローマ法王来広11周年で教会が招く
1992/2/23
米紙ワシントン・ポストが「北朝鮮はあと数カ月で核兵器開発能力を持つ段階に」と報じる
1992/2/24
国際原子力機関(IAEA)の理事会がウィーン本部で開会。25日、未申告の核関連施設に対する特別査察権を確認する議長総括文書を承認。北朝鮮の寧辺など疑惑施設を強制査察する道を開く。拒否すれば国連提訴へ。同日、北朝鮮の呉昌林大使は「IAEAとの保障措置協定を4月に批准、これを受けた第1段階の特定査察は6月初めに行われる」との見通しを明かす
1992/2/25
英チャンネル4テレビが「旧ソ連は20年以上にわたり、数千トンに上る核廃棄物をバレンツ海に投棄」と報道。ロシア人核専門家アンドレイ・ゾロトコフ氏が証言
1992/2/25
被爆二世の米のジェフリー・シモヤマ医師が、被爆者医療研修のため広島入り。27日から広島大原医研や放影研などで研修。母親が被爆。放医協が在米被爆者治療のため受け入れ
1992/2/26
米で最初に商業運転を開始(1961年)したマサチューセッツ州ヤンキーロー原子力発電所が安全上の理由から閉鎖
1992/2/27
環境保護団体グリーンピースが「旧ソ連は原子力潜水艦の原子炉12基と砕氷船原子炉3基を1960年代から北極圏内の海域に投棄」と発表
1992/2/27
原爆遺跡保存運動懇談会(座長、後藤陽一広島大名誉教授)が、広島市議会に被爆建物保存への積極的な取り組みを請願。9,690人の署名添える
1992/2/27
広島で被爆したエノキの二世苗木が広島市の児童から出雲市の今市小学校に贈られ、校庭に植える
1992/2/28
原水禁国民会議(社会党系)の「3・1ビキニデー全国集会」が静岡市で開会、300人が参加。「核拡散を防止しアジア・太平洋の非核地帯化を目指す」アピールを採択。日本原水協(共産党系)の国際交流会議も同市内で開会、70人が参加。29日、原水禁は第五福竜丸の故久保山愛吉さんの墓前祭を焼津市の弘徳院で営む。原水協は静岡市内で全体集会、非核三原則の法制化に向けた草の根キャンペーン展開などアピールを採択
1992/2/28
日本原水協が世界の核実験被害を解明する国際調査団の派遣計画を発表。第1陣は4月に旧ソ連カザフ共和国のセミパラチンスクへ
1992/2/-- 
米の国防情報センターが冷戦終結後の国防の在り方に関する10項目の提言を発表。「世界の警官」の役割を終え、国連平和創出に協力し、核兵器生産や核実験を中止、保有戦略核弾頭を1万2,000発から3,000発に削減など
1992/2/-- 
中国電力の上関原子力発電所の建設計画に反対する山口県熊毛郡上関町祝島の住民組織「愛郷一心会」(山戸貞夫会長)が、10周年を機に発展解消し、14日に「上関原発を建てさせない祝島島民の会」を結成へ
1992/2/-- 
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被災者救済活動の拠点として、東京のカタログ販売会社がモスクワ・ゴーリキー通りに連絡事務所開設

年別アーカイブ