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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 3月


1992/3/1
原爆遺跡を巡るフィールドワーク(原爆遺跡保存運動懇談会主催)が広島市内で開く。100人が参加。日本銀行広島支店、広島大旧理学部1号棟などを回る
1992/3/1
日本原水協の「3・1ビキニデー広島集会」が広島市内で開会。核兵器廃絶を求める署名運動推進、非核三原則法制化取り組み強化など決議
1992/3/1
ビキニデー。焼津市の弘徳院で故久保山愛吉さんを追悼する墓前祭(日本宗教者平和協議会とビキニデー静岡県実行委員会主催)。続いて同市内で「3・1ビキニデー集会」
1992/3/2
旧ソ連チェルノブイリ原発事故の被災少女6人と医師6人が日本での検診と医療研修のため長崎入り。日赤長崎原爆病院や長崎大医学部で研修。長崎では初めて
1992/3/2
アーネスト・ホリングズ米上院議員が「キノコ雲が巻き起こる絵を描き、その下に『怠け者で、字も読めない米労働者によって米で製造され、日本で実験された』と書き込んでやろうではないか」と発言。AP通信が3日伝える。桜内義雄衆院議長の「米人は怠け者」発言に反発した対日批判
1992/3/2
日本銀行広島支店の大木巍晃(たかてる)支店長が、移転する同支店跡地利用について記者会見。「被爆建物で保存を求める声があるのは承知しているが、日銀側で保存することはあり得ない」と売却方針を改めて強調
1992/3/2
旧浦上刑務支所で被爆死した韓国人の遺族ら2人が、長崎県原爆被爆二世教職員の会の招きで長崎市を訪れ、遺構に花束をささげ「遺骨を返して」と訴え。釜山で遺族会結成へ(長崎新聞3・3、5・7)
1992/3/4
対日強硬派の米下院民主党院内総務ゲッパート議員が、同党のアーネスト・ホリングズ上院議員の原爆ジョークを「人種差別的な発言で、日本に強い不快感を与えた」と批判
1992/3/4
広島市が市議会総務委員会で、被爆建物である日本銀行広島支店の保存について、膨大な購入費用を理由に跡地取得に難色を表明
1992/3/5
竹下虎之助広島県知事が県議会で、被爆建物である県所有の旧陸軍被服支廠の保存を前向きに検討する考えを示す
1992/3/5
岡山県井笠地区の主婦らが被爆朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市で再上演する練習計画決める
1992/3/6
広島大学校教育学部英語教育研究室の大学院生ら9人が、被爆地ヒロシマを英語で紹介する高校生向け教材ビデオ「PeaceMemorialPark(平和記念公園)」を半年がかりで作製
1992/3/7
被爆地広島の復興の出発点になった闇市を探るシンポジウムが広島市内で開く。70人が参加。広島駅前にあった闇市の復元模型も展示し、形成過程を議論
1992/3/8
被曝者医療の国際協力を進める放医協の初の海外派遣医師団(団長、務中昌己広島大原医研教授、10人)が、広島から旧ソ連へ出発。11日にはブラジル派遣医師団(団長、伊藤千賀子原対協健康管理センター副所長、4人)も広島を出発
1992/3/8
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が旧ソ連に派遣する「非核化教育キャンペーン」代表団に、IPPNW日本支部国際副評議員の碓井静照医師(広島市東区)の参加が決まる。27日広島を出発。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン各首脳に「1995年までの核実験全面停止、2000年までの核兵器全廃」を呼び掛け
1992/3/8
原爆詩人峠三吉をしのぶ碑前祭が平和記念公園内の詩碑前で営まれ、120人が参列。1993年の没後40周年に向け、劇画出版や手記集刊行など決める
1992/3/9
原子力安全委員会が、関西電力美浜原子力発電所2号機の蒸気発生器細管破断事故(1991年2月)で、同委発電用炉部会の報告書を了承。原発旧型炉の安全維持のため基準強化や経年劣化対策を提言。同事故は日本の原発事故で初めて緊急炉心冷却装置が作動
1992/3/9
中国電力島根原子力発電所1号機の緊急停止事故で、住民団体が落雷対策を要請
1992/3/9
韓国原爆被害者協会慶北支部の被爆者18人が浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで広島を訪問。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。5人が被爆者健康手帳を申請、後に全員申請へ
1992/3/9
山口県原爆被害者団体協議会(竹内一作会長)が被爆者相談員研修会を同県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑で開会。23支部の60人が参加
1992/3/10
スカッド地対地ミサイルを積んでいるとされる北朝鮮船籍の貨物船1隻が、イランのバンダルアバス港に入港-。イスラエル放送が伝える
1992/3/11
山口県玖珂郡本郷村議会が核兵器廃絶平和宣言を決議
1992/3/11
2つの広島県被団協が被爆者援護法制定を目指し、広島市内で国会請願の街頭署名
1992/3/11
レーマン米軍備管理軍縮局長が講演。「北朝鮮は依然、核開発計画を活発に進めている」
1992/3/11
ホアー米中東軍司令官が米下院軍事委員会で中東情勢について証言。「イランは10年以内に核兵器を保有する可能性」
1992/3/11
ウクライナ環境保護省顧問のウラジーミル・チヒー博士が、チェルノブイリ原発事故の汚染のひどいキエフ地区で動物の異常出産が増加-と指摘。大半は死産
1992/3/11
旧ソ連の核科学者、技術者の国外流出を防止する「国際科学技術センター」設立会議がブリュッセルで開会。3月末までに設立協定の調印を目指すことで合意
1992/3/11
エリツィン・ロシア大統領が北極海ノバヤゼムリャ島での核実験再開準備を指示-。ロシア大統領報道部が表明。日本外務省は13日「照会の結果、核実験場の技術状態の維持に関する大統領令で、実験再開予定はないとの回答だった」と述べる
1992/3/12
第五福竜丸のビキニ水爆被災後、全国で集まった水爆実験反対署名の一部が、立命館大の国際平和ミュージアム(5月会館予定)に展示のため、日本原水協から同大に引き渡し。約3,400万人署名のうち原水協が保管していた約1,700万人分
1992/3/12
動力炉・核燃料開発事業団の大規模な回収ウラン転換実用化試験が計画されている岡山県苫田郡上斎原村議会が試験推進を決議
1992/3/12
岡山市の河田英正弁護士と市民グループ「核に反対する津山市民会議」が、動力炉・核燃料開発事業団人形峠事業所(岡山県苫田郡上斎原村)が毒劇物取締法の製造業未登録のまま六フッ化ウランなどを製造、販売したとして、動燃と早川倫仗所長を岡山地検に告発
1992/3/12
ウクライナのクラフチュク大統領が、同国からの戦術核兵器廃棄の一時停止を命じる。「ロシアに移動された核兵器の解体廃棄に保証がない」との理由。米管理下での廃棄を要請
1992/3/12
イスラエルが米製弾道ミサイル迎撃ミサイルか関連技術を中国に秘密供与した可能性-。米紙ワシントン・タイムズ(12日付)が報じる
1992/3/13
広島県原水禁が、ロシアの核実験再開準備指令の報道で、エリツィン大統領と在日大使館に抗議文
1992/3/13
旧ソ連の独立国家共同体(CIS)諸国を歴訪した米上院議員団が帰国報告書を発表。「戦術核ロシア移送を停止したウクライナが、自国内の戦略核兵器も維持する動きをみせ、大きな懸念材料」
1992/3/13
「原爆資料および情報ネットワーク委員会」(委員長、吉沢康雄東京大名誉教授)が第3回会合。在米資料の予備調査のため、蔵本淳広島大原医研所長ら3人を米に派遣すると決定
1992/3/14
ウクライナ大統領報道部が核廃棄問題について声明を発表。「1994年までに戦略核を含むすべての核兵器を撤去し、非核国家になる方針は変わりない。撤去中止は一時的」。独立国家共同体(CIS)での共同管理の検討を呼び掛け
1992/3/14
クリュチコフ元ソ連国家保安委員会(KGB)議長が旧ソ連共産党中央委員会に報告した2年前の極秘文書(1990年2月8日付)をロシア週刊誌「論拠と事実」が掲載。内容は「北朝鮮は核爆弾の開発を完了した」
1992/3/14
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折りづる約2,000羽が焼失。1977年1月8日夕に約1万羽、90年5月23日未明にも約1,000羽が焼失
1992/3/16
広島市安佐北区の亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」が原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を同校で上演
1992/3/17
旧ソ連チェルノブイリ原発事故の被災者治療に当たるベラルーシの医師2人が、広島市の放影研などで放射線医学研修を開始。日本キリスト教協議会が招く。バルト3国のエストニアの医師2人も22日に来日。「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」(東京)が招待。広島大原医研などで研修へ 1992/3/17
「核兵器廃絶・被爆者援護法の実現をめざす広島総決起大会」(日本被団協など主催)が広島市内で開会。1,000人が参加。「再び被爆者をつくらない決意のあかし」として援護法制定を求めるアピール採択
1992/3/19
「3・21平和のためのヒロシマ行動・10周年記念集会」(広島県原水禁など主催)が広島市で開会。200人が参加。「核兵器廃絶を求める集会アピール」を採択
1992/3/19
韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核化共同宣言」に基づく核管理共同委員会第1回会議を板門店で開き、相互核査察実施のための具体策を協議。初回は意見対立
1992/3/19
岡山県苫田郡上斎原村議会の回収ウラン転換実用化試験の推進決議に反対し、市民グループ「回収ウランもプルトニウムもいりません!100万人署名」実行委員会が村議会に決議撤回を求める要請書を提出
1992/3/20
旧ソ連の独立国家共同体(CIS)首脳会議がウクライナの首都キエフで開会。核管理問題で保有4カ国が特別会談し、ベラルーシからの戦略核撤去に関する条約を4国が結ぶことで合意。ウクライナ戦術核のロシアへの移送停止問題は決裂
1992/3/21
第1回「広島フェニックス子供弁論大会」(広島フェニックスライオンズクラブ主催)が広島市内で開会。小中学生が平和などについて意見発表。大賞に落合中2年の野中亜希子、落合東小6年の高畠和美さん
1992/3/21
平和記念公園の「平和の灯」が、アジア大会の前開催地、中国・北京で採火した「アジアの火」と混合し、広島アジア競技大会の聖火に使われることが決まる
1992/3/21
イラクのミサイル検証や破壊作業監視のため、国連査察団が同国入り。核兵器の有無なども調査へ 1992/3/23
中国新聞が広島訪問中の旧ソ連ベラルーシのミンスク遺伝医学研究所のゲンナディ・ラジューク所長インタビューを掲載。チェルノブイリ原発事故に関し「汚染地区で障害児出産が増加。事故前の1,000人当たり3.87人が、事故後は7.17人に上昇」
1992/3/24
ロシアのレニングラード原発3号機で圧力管が損傷、放射能が大気中に漏れる。25日、フィンランド放射線防護局が同国南部で異常放射能を検知と発表
1992/3/24
米下院に「核実験1年間停止法案」を提出したリチャード・ゲッパート下院議長(民主党)が中国新聞の書面インタビューに回答。「核実験全面停止への第一歩として法案を提出」
1992/3/24
原爆投下直後、広島上空を飛んだ旧陸軍第12飛行師団司令部の先任将校安沢松夫さん(徳山市上村)が、体験記などを同市の中央図書館に贈る
1992/3/25
国際ロータリーのラジェンドラ・サブー会長が広島を訪問。原爆慰霊碑に献花、原爆資料館を見学
1992/3/26
米エネルギー省が「26日、ネバダで1992年初の地下核実験を実施した」と発表
1992/3/26
原子力安全委員会が青森県上北郡六ケ所村の核燃料サイクル基地に建設される海外返還高レベル放射性廃棄物貯蔵施設について「安全性に問題はなく、施設の運転技術も信頼できる」との結論をまとめ、宮沢首相に答申
1992/3/26
埼玉県所沢市の前市長武藤保之助さんが広島市に500万円を寄付。5回目で計2,500万円に
1992/3/26
ロシア原子力エネルギー省が、放射能漏れ事故を起こしたレニングラード原発と同型の黒鉛減速軽水冷却炉を閉鎖しないことを明らかにする。同型炉はロシアの11基など旧ソ連で計16基
1992/3/27
平岡広島市長が米核実験に抗議文。29日、雨の原爆慰霊碑前で被爆者らが抗議の座り込み
1992/3/27
ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部の田中義具大使が平岡広島市長を表敬訪問。市長が国連軍縮広島会議(6月)への各国参加の呼び掛けを大使に依頼
1992/3/27
青森県上北郡六ケ所村の核燃料サイクル基地3施設のうちウラン濃縮工場が本格生産を開始
1992/3/27
旧ソ連の独立国家共同体(CIS)軍のマニロフ情報局長が「創設予定のロシア独自軍が将来、核兵器の管理に携わる可能性」との見方示す
1992/3/27
放影研の専門評議員会に出席した米エネルギー省のポール・ジーマー環境安全保健担当次官補が「移転計画を検討したうえ予算要求したい」と述べる。米政府高官が移転に前向きな意向を公表したのは初
1992/3/27
放影研の専門評議員会が開会。「将来計画報告書」を大筋で承認。現施設の老朽化や今後の研究テーマに触れ、移転の必要性を強調
1992/3/28
旧ソ連領内で戦略ミサイルから核弾頭3個が紛失-。米週刊誌USニューズ・アンド・ワールドリポートが報じる
1992/3/28
広島赤十字・原爆病院の新本館が完成し、引き渡し式。5月から外来診療開始へ。被爆建物の旧本館は取り壊しの方針
1992/3/28
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部の新支部長に福原照明氏(広島県医師会次期会長)を選出。任期は4月から2年。支部顧問になる杉本純雄支部長の後任
1992/3/29
韓国政府が朝鮮半島の非核化宣言に基づく韓国、北朝鮮相互核査察を、定期査察(核物質と核施設)と特別査察(軍事基地)に分けて実施する方針を決定。北朝鮮に提案へ
1992/3/31
広島「憩いの家」が35年の歴史に幕。事務局長、田辺耕一郎氏の遺族が土地を広島県に返還し閉鎖。1957年、作家のアイラ・モリス氏が資金を出し誕生。「ヒロシマハウス」と呼ばれ国際的にも知られたが、モリス氏が72年、91年8月に田辺氏が死去し役目終える
1992/3/31
米下院軍事委員会エネルギー小委員会が「米核実験1年間停止法案」で専門家を招き公聴会。6人中、5人が反対意見
1992/3/31
国が原爆死没者に弔意を表す施設の在り方を検討する原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会(座長、森亘元東大学長)の専門委員会が厚生省で初会合。6月までに素案づくりを決定。座長に石丸隆治公衆衛生審議会長
1992/3/-- 
広島市制100周年記念に出版された「図説広島市史」に、広島原爆投下機エノラ・ゲイの発進地「テニアン島」が「グアム島」と誤記されていることが判明
1992/3/-- 
米シアトル市で美容奉仕活動の傍ら、被爆体験の語り部を続けたメアリー・フジタさん(広島市出身)が、シアトル日系人会から「日系人社会功労者賞」を受ける
1992/3/-- 
長崎原爆の体験などを絵で紹介した「長崎平和絵本シリーズ」(全6巻)が完成。汐文社(長崎新聞3・18)
1992/3/-- 
核実験場の風下住民の被害を描き、核実験全面禁止を訴えるドキュメンタリーフィルムの試写会が全米で続く。記録映画作家デービッド・ブラウン監督が製作
1992/3/-- 
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が実施した初の被爆者生活実態調査で、東京都内の被爆者の四分の一余が健康管理手当などをよく知らないことが判明
1992/3/-- 
長崎県原爆被爆二世教職員の会が韓国で行った被爆者実態調査で長崎三菱造船所の徴用工37人を新たに確認。調査は1990年7月から5回(長崎新聞4・2)
1992/3/-- 
米エネルギー省が中心になりワシントン州ハンフォード核施設に放射能汚染除去問題を研究する「国際環境研究所」を設立

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