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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 8月


1992/8/1
広島市中区袋町学区の住民が地域の原爆慰霊碑を袋町公園に建立。吉田正浪比治山女子短大教授が「母」と題したブロンズ像を制作
1992/8/1
大阪市天王寺区の四天王寺で「被爆47周年原爆犠牲者慰霊祭」
1992/8/1
広島市で核禁会議が全国集会。500人が参加。国連平和維持活動(PKO)の強化など盛り込んだアピール採択
1992/8/1
亡き母の腕に刺さり46年間、体内に食い込んでいた被爆ガラス片を広島市の岡田澄子さんが原爆資料館に寄贈
1992/8/2
広島市の民間平和団体ワールド・フレンドシップ・センターが米とカナダから迎え入れた平和使節5人が広島入り
1992/8/2
広島市の旧本川国民学校の1944年卒業生が母校で初の同窓会。40人が被爆死した100人以上を追悼
1992/8/2
広島市立段原中学校の前身、第一高等小・第一国民学校の原爆死没者慰霊祭営む。不明者の多い犠牲者調査の継続誓う
1992/8/2
光市でフリーカメラマン豊崎博光さんの写真展「世界の核被害1978年~1991年」
1992/8/2
日本原水協の「原水爆禁止1992年世界大会」国際会議が広島市で開幕。19カ国6国際組織の海外代表43人を含め270人が参加。4日まで。国民平和大行進の500人も広島入り
1992/8/2
中国新聞が被爆47周年のテレビ各局の原爆報道まとめる。NHK=4日「あばかれた核開発」、6日「紙の碑~被爆老人たちの手記」。広島テレビ=2日「プルトニウム元年・ヒロシマから」
1992/8/3
長崎県被爆二世の会が、中国河北大学の協力で日中共同調査を行い、長崎市の旧浦上刑務支所で被爆死した中国人4人の遺族を確認(長崎新聞8・4)
1992/8/3
沖縄県浦添市のシャンソン歌手石坂真砂さん、美砂さん母娘が原爆慰霊碑に参拝
1992/8/3
8月6日の広島市の平和記念式典の様子を電話回線で世界のラジオ局を結んで放送する「ヒロシマデー・ラジオ・プロジェクト」事務局にオーストラリアの子供たちから千羽づるが届く。世話人のロナルド・クライン広島女学院大助教授らが原爆の子の像に供える
1992/8/3
米上院が、米核実験を10月1日から1993年6月末まで停止し、96年9月30日以降は完全禁止する「核実験停止法案」を賛成68、反対26で可決
1992/8/3
原水禁国民会議の非核平和行進が広島市の平和記念公園に到着。日本山妙法寺の平和行脚も
1992/8/3
広島県が旧陸軍被服支廠の用途で「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」を設置。広島大原医研の宇吹暁助教授、原爆資料保存会の横田工氏ら12人
1992/8/4
第38回広島平和美術展が広島県民文化センターで始まる。9日まで
1992/8/4
広島YMCAが主催し、米、台湾、日の青少年が「ピース・セミナー」
1992/8/4
原水禁国民会議と日本原水協の原水爆禁止世界大会広島大会がそれぞれ広島市で開会。原水禁は市中央公園に6,500人、原水協は広島サンプラザに7,500人
1992/8/4
英訳「原爆の子」感想文コンクールに入賞した米の高校生2人が広島入り
1992/8/4
島根県邑智郡瑞穂町の「瑞穂平和を考える会」が呼びかけ「平和ウオーク」。県境を越えて約20時間かけ70キロ歩く
1992/8/4
広島県マンガ集団の主催で全国反核漫画展が広島市で開幕。6日まで
1992/8/4
愛媛県川之江市の市民が原爆の子の像に13万6,000羽の折りづるをささげる。「かわのえ紙まつり実行委員会」の呼びかけ
1992/8/4
日本原水協の原水爆禁止世界大会に参加の西シベリア・アルタイ地域の女性眼科医が、セミパラチンスクとロプノル両核実験場による核被害を報告
1992/8/4
故レナード・バーンスタイン氏によって創設されたPMF(パシフィック・ミュージカル・フェスティバル)オーケストラが、広島市で「世界平和祈念コンサート」。PMFは札幌を舞台にした国際教育音楽祭。バーンスタイン氏の長女ジェミー・バーンスタインさん一家もそろう
1992/8/4
広島市で被爆、全滅した移動演劇隊「さくら隊」の悲劇を俳優の丸山由利亜さんが「さくら隊レクイエムその1」として上演
1992/8/4
広島市で5年ぶりに「非核自治体全国草の根交流大会」。呼びかけ人は西田勝法政大教授。地方議員82人が中心になり「非核・みどりの議員ネットワーク」の発足決める
1992/8/5
広島医療生協原爆被害者の会が被爆体験記「ピカに灼かれて」の第15集を発行。渡日治療で訪れた在韓被爆者5人の証言も含める
1992/8/5
全国の被爆者健康手帳保持者は3月末で34万3,712人。1年前に比べ4,318人減。平均年齢63.9歳
1992/8/5
広島市で日本被団協などが主催し「ノーモア・ヒバクシャ国民の集い」。1985年の「被爆者・遺族と国民のつどい」が最初。91年から世界の核被害者の問題も討議するため集会名を変更
1992/8/5
日本非核宣言自治体協議会(会長、葉山峻神奈川県藤沢市長)が主催し、広島市で「92非核宣言自治体全国大会」。6回目で130の市区町村から315人が参加
1992/8/5
世界連邦日本宗教委員会の招きでハワイ・アリゾナ記念館のドナルド・E・マギー館長が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝。1983年、当時のカミンズ館長が原爆資料館を訪れたのに続き2度目
1992/8/5
広島市の平和記念式典出席のため広島入りした山下元利厚相が、原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」を慰問
1992/8/5
「広島市内の高校生の4割は戦争早期終結などを理由に原爆投下を肯定」-。創価学会広島青年平和委員会(田川寿一委員長)のアンケートで判明
1992/8/5
広島市のレストハウス地下室で生き延びた同市の野村英三氏の遺族英夫さんが地下室を訪ね、父をしのぶ。英三さんは1982年6月に84歳で死去
1992/8/5
浄土真宗大谷派山陽教区の僧侶や門徒が広島市中区宝町の東本願寺別院で「非核非戦法要の集い」
1992/8/5
旧浦上刑務支所で被爆死した韓国人遺族ら4人でつくる「長崎刑務所韓国人原爆被爆者遺族会」の一行が、長崎市入り。長崎刑務所に遺骨の返還を求めるが、同刑務所は「既に合葬」と拒否(長崎新聞8・6、8・7)
1992/8/6
広島市の原爆ドーム周辺で約800人がダイイン
1992/8/6
広島市内の県民文化センターで「連合平和ヒロシマフォーラム」。2回目。1,200人が参加。連合の山岸章会長が記者会見で「原水禁国民会議と核禁会議の一本化は1994年夏にこだわらない」
1992/8/6
広島被爆47周年。広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式。この1年間で亡くなったり、新たに死亡が確認できた原爆死没者4,944人の名簿を奉納。名簿記載者は計17万6,964人に。宮沢首相代理の山下元利厚相、広島で被爆したブルネイの元首相ペンギラン・ユソフ氏ら5万人が参列。平岡広島市長が平和宣言
1992/8/6
平岡広島市長が平和宣言。「国家の安全保障を核兵器という力に依存する核抑止論を、ヒロシマは絶対に容認することができない。核兵器だけでなく、生物化学兵器などの大量破壊兵器は長年にわたって多量に蓄積され、人類の未来に暗い影を落としている。…東西の冷戦構造が崩れ、米国とロシアが核兵器の大幅削減に合意したとはいえ、人類は融和への道を歩むか、対立・抗争を繰り返すか、選択の岐路にある。…過去の戦争や植民地支配で、わが国はアジア・太平洋の人々に大きな苦しみと深い悲しみを与えた。私たちは、その痛みを自らの痛みとすることによって、未来へ向けて相互の絆をより強めなければならない。道義こそ信頼の源となるからである…」
1992/8/6
広島国際会議場で、広島市が主催し「核兵器廃絶への展望と広島の役割」をテーマに国際平和シンポジウム。ロシア・世界経済国際関係研究所のアレクセイ・アルバトフ部長、環境保護団体グリーンピースUSA核兵器情報部門のウィリアム・アーキン部長、インド国立教育・開発研究部長のコリン・クマル・ドゥスーサ氏ら海外の学者3人と日本の専門家3人が出席
1992/8/6
「ヒロシマデー・ラジオ・プロジェクト」(世話人ロナルド・クライン広島女学院大助教授)が、広島市の平和記念式典を電話回線で米、カナダ、フィリピンなど7カ国・地域に実況中継
1992/8/6
米子市で市内の朗読ボランティアグループ「火曜の会」(南家教子代表)が朗読コンサート「星はみている-原爆の日によせて」
1992/8/6
広島市の平和記念式典に参列したブルネイの元首相ペンギラン・ユソフ氏が、佐伯区五日市のイスラム式墓の前で友人のニック・ユソフさんをしのぶ
1992/8/6
中国新聞がスライド劇「手紙の波紋」の脚本家北相馬宏さんと、一人オペラ「残した影」の作曲者中村茂隆さんのインタビュー記事を掲載
1992/8/6
劇団「はぐるま座」(山口市)が広島市で峠三吉氏の「原爆詩集」などをもとにした音楽詩劇「夏の約束」を上演
1992/8/6
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が、山口市の原爆死没者の碑前で「広島原爆忌・死没者追悼式」
1992/8/6
鳥取市で鳥取県原爆被害者協議会(小谷武延会長)が、原爆死没者追悼・平和式典
1992/8/6
岡山市被爆者の会(高尾光信会長)が同市東山の市原爆慰霊塔で慰霊祭。高梁市でも原爆死没者慰霊・平和祈念祭
1992/8/7
笠岡市で、おかやまコープ井笠地域平和部会が主催し朗読劇「この子たちの夏」を上演
1992/8/8
広島赤十字・原爆病院(冨重守院長)が原爆医療部門の概況を発表。外来患者数が4年連続、入院患者も2年連続で減る
1992/8/8
長崎での日本原水協の原水禁世界大会で「チェルノブイリの事後処理に当たったリトアニア人に甲状腺障害や染色体異常が多発」と報告。リトアニアのチェルノブイリ医療センターのゲディミナス・リムディカ所長が証言
1992/8/8
新藤兼人監督が、広島市映像文化ライブラリーで女優の乙羽信子さんと「新藤兼人の世界を語る-シナリオと監督と女優と」と題し対談
1992/8/9
長崎被爆47周年。長崎市の市営ラグビー・サッカー場で原爆犠牲者慰霊・平和祈念式典。平和公園の地下駐車場建設工事で会場を移転。宮沢首相ら等2万5,000人が参列。4,992人の死没者名簿が奉納され、本島等市長は「核兵器を二十一世紀に持ち越してはならない」と平和宣言
1992/8/9
長崎市の平和祈念式典に出席した宮沢首相が、記者会見で被爆者援護法制定に否定的な姿勢
1992/8/9
本島等長崎市長が平和宣言。「当時の朝鮮、中国の人たちや連合国の捕虜は強制連行され、非人道的扱いを受け、被爆して世を去り、あるいは帰国後原爆症や差別に苦しんでいる。速やかに実態を調査し、謝罪し、援護しなければならない。…政府は世界に軍縮を訴え、軍事費削減によって生じる『平和の配当』を飢餓や環境破壊などの問題解決に使うよう呼びかけてほしい…」
1992/8/10
米週刊誌タイム8月10日号が、核戦争発生時の米政府の緊急避難計画の全容を明らかにした特集記事を掲載。ワシントン西約100キロのバージニア州ベリービル郊外に大統領専用地下壕
1992/8/10
長崎市が北朝鮮在住の被爆者、朴文淑さんに初の被爆者健康手帳を交付
1992/8/12
中国青島市の徐立伝さんが原爆投下当日に広島刑務所に在監して被爆していたことを同刑務所の公式通知(7月22日付)で確認-。支援の市民団体が発表。徐さんは7月21日死去。70歳
1992/8/12
紀宮が広島市の原爆慰霊碑に参拝。福岡市で開催の「アジア太平洋こども会議・イン・福岡」に出席後、立ち寄る。広島訪問は中学校の修学旅行以来8年ぶり2回目
1992/8/14
広島市内で原爆開発のマンハッタン計画を描いた米国映画「シャドー・メーカーズ」(原題「ファットマンとリトルボーイ」)特別試写会。3年前に完成したが日本では未公開。ビデオ発売を記念し広島で上映会
1992/8/15
米紙ニューヨーク・タイムズが、核抑止力の維持と核兵器拡散防止のため「米ロ両国は各500~1,000発の核弾頭を保有する必要」との社説掲載
1992/8/15
政府主催の全国戦没者追悼式に、三男を原爆で亡くした広島市佐伯区の茨木イチノさんらが参列
1992/8/18
広島刑務所で被爆したと証言する新たな中国人生存者が判明。湖南省長沙市の張文彬さん。河北省から新潟県の港湾荷役に強制連行された後、破壊活動容疑で逮捕され同刑務所に収監
1992/8/19
米の海外配備の核弾頭は欧州7カ国の970発に-。グリーンピースなどの軍事専門家が公表
1992/8/20
広島市の被爆建物等継承方策検討委員会(委員長、庄野直美広島女学院大名誉教授)が、平岡広島市長に答申。建物所有者への助成制度新設など市の率先努力を要請。現存する被爆建物29件(木造を除く)をまとめる。広島大理学部1号館=修学旅行生が宿泊できる平和教育センターに。全体保存が無理なら前半分を残すべき。広島市レストハウス=外見は改修され被爆の痕跡はない。当時のまま残る地下室だけの保存を。爆心地から近く、取り壊せば禍根を残す。被爆直前の姿に戻す方法も
1992/8/20
故長田新博士が編さんした「原爆の子」(岩波書店)のスウェーデン語版が、現地の生協から出版。海外12番目の翻訳。ストックホルム在住のコウコ・ナカジマさんと日本語研究者ヘレナ・エリクソンさんが翻訳
1992/8/21
厚生省の1993年度予算概算要求に、原爆死没者慰霊等施設の基本計画検討費900万円と、放射線影響研究所移転に伴う建設設計費8,400万円
1992/8/24
米西海岸のオークランド市が核兵器関連企業の製品を購入することを禁止する「核フリーゾーン条例」施行。シカゴ、ボルティモアに次いで3番目
1992/8/24
仏から日本にプルトニウムを運ぶ輸送船あかつき丸が横浜港を出港。広島で反原発市民団体が抗議
1992/8/26
韓国原爆被害者協会の新会長に郭貴勲氏。在韓被爆者への拠出金40億円の使途をめぐり7つの支部が対立、6月から会長不在が続いていた
1992/8/27
8月6日に職員がゴルフをしていたことが判明した広島市が、良識ある行動を全職員に指示
1992/8/28
広島県原水禁の横原由紀夫事務局長が、原爆投下正当化発言のフィリップ・ゼリコー氏に反論文
1992/8/28
広島市の「平和に関するデータベース構築検討委員会」が初会合。委員長に阿部耕一朗広島修道大教授
1992/8/29
広島市が、原爆ドームを世界遺産条約に基づく「文化遺産」に登録するよう国に推薦を求め、文化庁に要望書提出へ
1992/8/31
米がロシアの核兵器用高濃縮ウランやプルトニウムを買い取り、民需用に転換する協定に両国が仮調印-。ブッシュ米大統領が発表
1992/8/-- 
広島市の歌人深川宗俊さんが「鎮魂の海峡」(1974年)の増補版「海に消えた被爆朝鮮人徴用工」を出版。明石書店
1992/8/-- 
チェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシのエフゲニー・コノプリヤ放射線生物学研究所長が、広島市で「汚染地区で甲状腺がんとともに、慢性リンパ性白血病が増加」と言明。広島、長崎の場合は急性白血病は増えたが、慢性は増えていない
1992/8/-- 
広島川柳会名誉会長で、広島女性川柳会会長の森脇幽香里さんが被爆の惨状などをおさめた「捧げる」を発刊
1992/8/-- 
広島の反核市民グループ「ピース・リンク広島・呉・岩国」(28団体)が軍縮を考えるパンフレット「ヒロシマの軍縮マニュアル」を刊行
1992/8/-- 
運動方針をめぐる幹部の意見の違いから米国原爆被爆者協会(倉本寛司会長)が内紛。ロサンゼルスとサンフランシスコの両グループに分裂の可能性高まる
1992/8/-- 
広島市内の主婦やOLでつくる「アカシアの花を愛する会」(前原於矢子代表)が平和大通りのアカシアの木を守る運動
1992/8/-- 
アルゼンチンの民族音楽家の故アタウルパ・ユパンキが残した詩「ヒロシマ…忘れえぬ町」を、ニューヨーク在住のギタリスト大竹史朗さんが訳詞、作曲
1992/8/-- 
劇作家の村井志摩子さんが戯曲集「広島の女・八月六日」を出版。村井さんは広島市の第一県女(現皆実高)から東京女子大に進学
1992/8/-- 
広島県双三郡君田村の原爆被爆者友の会が被爆体験記「閃光の下で」を発刊へ
1992/8/-- 
元NHKディレクターの白井久夫氏が「幻の声NHK広島8月6日」(岩波新書)を出版
1992/8/-- 
原爆詩人峠三吉氏の最期をみとった診療エックス線技師坪田正夫さんの遺文集「かのいっぱつの原爆に」(新樹社)が弟の手で出版。坪田さんは1991年7月18日、大阪赤十字病院で肝臓がんのため死去。67歳
1992/8/-- 
被爆1年後に広島で発刊された児童向け雑誌「ぎんのすず」の創刊号などを、創刊に参加した広島市西区の下村赳夫さんが市中央図書館に寄贈へ

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