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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 11月


1992/11/2
米誌USニューズ・アンド・ワールドリポートが「9月25日の中国地下核実験で漏れた放射性物質が風で運ばれ、日本に降下しようとしている」と報道
1992/11/2
チェルノブイリで被災したベラルーシの子供と医師ら9人が日本赤十字社などの招きで広島入り
1992/11/4
ロシア最高会議が米ソ戦略兵器削減条約(START)を批准
1992/11/5
広島市内の被爆建物の保存方策をテーマに立教大と広島大の学生が合同ゼミ
1992/11/5
ロシア太平洋艦隊など海上艦隊の戦術核兵器が、9月末までに完全撤去されたことが明らかに
1992/11/5
横浜市で第6回国際非核自治体会議開幕。アジア・太平洋地域で初。ニュージーランドのロンギ元首相、平山郁夫東京芸大学長が基調講演。7日、日本のプルトニウム海上輸送を憂慮する「カナガワ宣言」などを採択し閉幕。8日、参加者のうち30人が原爆資料館を見学
1992/11/7
プルトニウム輸送船あかつき丸がフランスのシェルブール港に入港し、積み込みを終え出港
1992/11/7
中国新聞が元米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんが撮影した被爆1カ月後の広島の写真4枚を紹介
1992/11/7
仏の画家ジルベール・ミショーさんが広島市を訪れ、原爆慰霊碑に献花、資料館を見学
1992/11/9
ウクライナの4歳の白血病女児エカテリーナ・ヤツェミールスカヤちゃん(愛称カーチャ)が、「カーチャを救う会」の招きで治療のため広島入り
1992/11/9
沖電気工業労組が広島市に91万5,000円を寄付。1967年以来毎年、総額1,550万円に
1992/11/9
国連軍縮室が1993年も国連主催の軍縮会議を日本で開くことを決める。開催地は京都で3回目
1992/11/11
広島平和文化センターが「92広島市民平和友好訪中団」(大牟田稔理事長)を中国に派遣。3回目。1988年から中国人民平和軍縮協会と相互に訪問団を派遣
1992/11/11
日本被団協が、被爆50周年に原爆投下責任を裁く国際的な民衆法廷を開催するなど、世界的な核兵器廃絶キャンペーンを進めると決定
1992/11/11
カナダ・ウエストバンクーバー市のコリングウッド・スクールの合唱団43人が、広島市の原爆慰霊碑前で祈りの曲ささげる
1992/11/11
パレスチナ問題の平和的解決をめざし、東京と京都で開かれた「世界宗教者平和会議・中東会議」に参加したイスラム、ユダヤ、キリスト教の指導者26人が広島市を訪れ、原爆慰霊碑に参拝
1992/11/13
国連総会第1委員会が、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期実現を求める決議案を採択。反対は米だけ。仏、中、英、イスラエルが棄権
1992/11/13
日本被団協などがつくる「被爆者援護法実現・みんなのネットワーク」が衆院で継続審議になっている援護法案の可決、成立を求める請願署名55万9,629人を国会に提出。累計で約760万人に
1992/11/14
広島市内で被爆建物の保存策を話し合うシンポジウム「原爆遺跡を考える」開く。「非核の政府を求める広島の会」(代表世話人、大森正信広島大教授)が主催
1992/11/16
米ニューメキシコ州ロスアラモスに広島の「原爆の子の像」の姉妹像をつくろうと、同地の子供たちが郡議会に計画支持を要請。議会は像の除幕日を8月6日から15日に変更を条件に支持
1992/11/16
広島大医学部構内の被爆建物、旧陸軍兵器支廠1号館が取り壊しへ。市内のレンガ建物研究家が構造などを調査
1992/11/18
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)がプルトニウムの原子炉燃料使用に反対の報告書
1992/11/19
広島逓信病院入り口に残る、爆風で飛ばされたとされる球形の飾り石の由来を、同病院が調査へ
1992/11/19
1993年春から使われる東京書籍発行の中学1年地理教科書に、広島原爆の死没者数が7万8,000人余と、広島市が国連に報告した推計数の約半分と記載されていたことが判明。同社は訂正へ
1992/11/21
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑(理事長、安部一成山口大名誉教授)の再建策を検討する特別委員会開く。宿泊業務を山口県生活協同組合連合会へ委託
1992/11/22
日系合弁化学工場ARE社の放射性廃棄物で健康被害を受けたと訴えていたマレーシアの7歳の子供ウー・チー・ホーちゃんが11月初めにがんで死亡。広島県上下町の福崎裕夫町議らが町内で追悼の集い
1992/11/22
平和運動団体の全国組織「脱軍備ネットワーク・キャッチ・ピース」(事務局、横浜市)が広島市内で全国会議。1984年に発足した「トマホークの配備を許すな!全国運動」の後継団体。平和資料協同組合を1993年秋に設置めざす
1992/11/24
物理学者の故仁科芳雄博士らが被爆直後に採取した土が、47年ぶりに広島に里帰り。保管していた放射線影響協会(東京)の岡野真治研究参与が広島市に寄贈
1992/11/24
広島県被団協(森滝市郎理事長)が「被爆50周年企画委員会」を設置
1992/11/24
完成後20年たっても建築当初と変わらない強度と美しさを保っている建物に贈られるBELCA賞のLLB(ロングライフ・ビルディング)部門で広島市の世界平和記念聖堂が選ばれ、受賞記念レリーフの除幕式
1992/11/25
府中市の「ジュノーの会」が、チェルノブイリで被災したウクライナ・ミハイルコツビンスキー中央学校の生徒4人を招き、府中市の府中第一中学校で交流。27日、広島市の原対協健康管理・増進センターで検査と診察
1992/11/27
日、米、EC、ロシアがモスクワで、旧ソ連の核、軍事技術の流出を防ぐ「国際科学技術センター」(本部モスクワ)の設立協定に正式調印
1992/11/28
広島医療生協原爆被害者の会(会長、丸屋博広島共立病院長)と、ヒロシマ被爆二世の会(下中奈美代表)が交流会
1992/11/29
広島市の杉本茂憲医師が広島地方眼科学会で、50年近い原爆白内障研究について発表
1992/11/29
ロシア国防省が「ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ領内にある大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射機能を解除」と発表
1992/11/-- 
1993年春から中学校で使う学校図書発行の社会科教科書に、原爆投下日の記述がないことが、東京の市民団体「世田谷区教科書研究会」の調査で判明
1992/11/-- 
広島県立宮島工業高校のインテリアクラブが旧広島県産業奨励館のコンピューター・グラフィックスを完成

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