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ヒストリー

ヒロシマの記録1991 9月


1991/9/2
日本と北朝鮮との第4回国交正常化交渉が、国際原子力機関(IAEA)による寧辺の使用済み核燃料再処理施設などへの核査察の無条件受け入れなどをめぐって平行線のまま閉幕
1991/9/3
横須賀基地に配備予定の空母インディペンデンスで核兵器事故を想定した訓練が行われていることが、国際的な反核ネットワーク「太平洋軍備撤廃運動」が入手した航海日誌で判明▽反核・環境保護団体「グリーンピース」が4日「インディペンデンスは常時核兵器を搭載」との報告書を発表
1991/9/3
エリツィン・ロシア共和国大統領がソ連臨時人民代議員大会で、核兵器の中央一元管理を初めて明確に主張。同大統領は米CNNテレビとの会見で「核兵器全廃に努力」と述べ、米に核実験停止を呼び掛け
1991/9/4
ソ連臨時人民代議員大会が共和国の独立を認めたうえで主権国家連邦を作ることなどをうたった大会議案を採択。第1次草案に含まれていた戦略核・戦術核の一方的削減や核実験全面停止の核軍縮条項は全面削除
1991/9/5
米中央情報局(CIA)の専門家が外務省で、同省、防衛庁の専門家に北朝鮮の核兵器開発疑惑について説明。寧辺周辺の衛星写真などを使い、既に原爆製造能力を持つとの分析結果を示す
1991/9/6
山口のヒロシマデー。山口市の原爆死没者の碑前で第17回原爆死没者追悼・平和式典。350人参列。1年間に亡くなった被爆者11人の名簿を奉納。死没者名簿は1,505人に
1991/9/7
島根県飯石郡三刀屋町で、同町出身の故永井隆博士の没後40年を記念した特別展が始まる。15日まで。色紙やパネル写真54点を展示
1991/9/7
エリツィン・ソ連ロシア共和国大統領がロシアテレビのインタビューで「核兵器の50%削減を目指す」と、戦略核兵器削減条約(START)の枠を超えた核軍縮を進める姿勢を表明
1991/9/7
チェイニー米国防長官が米CNNのインタビューで「北大西洋条約機構(NATO)は10月にも欧州戦術核兵器削減の検討を開始」と述べる
1991/9/7
広島市内の中高生100人が平和について考える「ピースウオーク91平和探検隊」を広島国際会議場で開く
1991/9/8
反核市民グループ「ピース・リンク広島・呉・岩国」が米空母インディペンデンスの横須賀入港に反対して広島市の原爆ドーム前で座り込む
1991/9/10
ゴルバチョフ・ソ連大統領が全欧安保協力会議(CSCE)のレセプションで、通常戦力の大幅削減と戦術核廃棄交渉の開始を提唱
1991/9/10
ベーカー米国務長官が核兵器の中央管理などを要請するためモスクワ入り
1991/9/11
核疑惑のある米空母インディペンデンスが、母港となる横須賀港に入港。1,500人が歓迎式典。周辺では50隻が海上抗議デモ。広島市や呉市でも原水禁団体や市民グループが座り込みなど抗議行動
1991/9/11
防衛庁が「ペルシャ湾での海上自衛隊掃海派遣部隊の機雷除去と処理作業をすべて終了」と発表
1991/9/12
ウィーンの国際原子力機関(IAEA)理事会に出席中の北朝鮮代表、オ・チャンリム無任所大使が記者会見で「韓国配備の米軍核の撤去と核の脅威除去が実現しない限り核査察協定に調印できない」と表明
1991/9/13
韓国に亡命した在コンゴ北朝鮮大使館一等書記官の高英煥氏が「北朝鮮には寧辺核施設のほか平安北道の博川にも地下核施設がある」と明かす
1991/9/13
米戦略爆撃調査団に加わった海軍写真班員H・J・ペーターソン氏が、被爆直後の1945年11月の広島市を撮影した写真やネガ106枚を原爆資料館に寄贈
1991/9/13
放射線被曝者医療国際協力推進協議会(会長、重松逸造放射線影響研究所理事長)が初めて招いたブラジルの医師アパレシド・クルーズさんが放射線医学研修のため広島へ
1991/9/14
米エネルギー省が「ネバダ州の実験場で14日、地下核実験を行った」と発表。ソ連科学者が視察
1991/9/15
平岡広島市長が米核実験に抗議文。17日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1991/9/16
ソ連カザフ共和国のナザルバエフ大統領がベーカー米国務長官と会談し「共和国内配備の戦略核兵器をロシア共和国などに移動させる考えはない」と表明
1991/9/16
南アフリカが国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印
1991/9/17
原爆遺跡保存運動懇談会(座長、後藤陽一広島大名誉教授)が、被爆建物の旧広島気象台を利用して整備を進めている気象資料館に「原爆コーナー」を設けるよう広島市に要請
1991/9/18
府中市の市民グループ「ジュノーの会」のチェルノブイリ原発事故被災調査団が「周辺の小児に甲状腺がんが急増」と帰国報告
1991/9/19
米エネルギー省が「ネバダ実験場で19日、地下核実験を行った」と発表
1991/9/19
政府が国連平和維持活動(PKO)協力法案と国際緊急援助隊派遣法改正案を国会に提出。広島市や自衛隊基地のある呉市で市民グループが反対行動
1991/9/20
平岡広島市長が米核実験に抗議文。22日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1991/9/20
「北朝鮮が西日本を射程内とした新型地対地ミサイル(SSM)を開発中」と在京国際軍事筋が表明
1991/9/21
広島県原水禁や広島県朝鮮人被爆者協議会などが北朝鮮在住の被爆者との交流窓口となる「日朝被爆者の連帯を進める会」を設立
1991/9/23
反核・環境保護団体グリーンピース主催の海洋放射能汚染セミナーで、ソ連人民代議員のゾロトコフ氏が「1963年から86年まで北極圏のバレンツ海とカラ海の浅い海底に、ソ連が炉心を含む放射性廃棄物を投棄していたことを確認する文書を入手」と報告
1991/9/24
イラクが国連核査察団チーム(44人)を駐車場に車ごと監禁状態に置く。アジズ・イラク副首相は「査察団は米中央情報局(CIA)のためのスパイ行為をしている」と非難。ブッシュ米大統領は軍事行動も辞さない構えを示し、弾道弾迎撃ミサイル「パトリオット」部隊をサウジアラビアに急派。査察団は28日に解放
1991/9/24
ゲンナジー・パブロフ・ソ連科学アカデミー上級研究員が米上院外交委員会で「ソ連の核兵器使用は大統領、国防相、参謀総長に加え戦略核戦力3軍司令官の計6人の同意が必要」と証言
1991/9/24
パンキン・ソ連外相が国連総会で演説し、主権国家連邦移行後も核兵器を連邦政府の管理下に置くことを強調
1991/9/24
盧泰愚韓国大統領が国連総会で演説し、北朝鮮が主張している在韓米軍の核兵器削減・撤去問題を含めた軍縮協議に応じる考えを表明
1991/9/26
原爆遺跡保存運動懇談会が広島大理学部1号館の保存を田中隆荘学長に請願
1991/9/27
ブッシュ米大統領がテレビ演説し、多弾頭の大陸間弾道ミサイル(ICBM)全廃を盛り込んだ新たな核軍縮を提案。「韓国、欧州など地上配備の戦術核ミサイルと核砲弾、洋上艦と攻撃型潜水艦に搭載している海洋発射巡航ミサイル(SLCM)などの海洋戦術核は一方的に撤去」と言明。ソ連にも同様の措置を取るよう要請。ゴルバチョフ・ソ連大統領は国営テレビを通じ「真剣な提案だが、具体的な評価を下すのは時期尚早」と語る
1991/9/28
広島の原水禁運動の草分けで広島県原水協(共産党系)理事長、同県被団協理事長の佐久間澄氏が心臓発作のため死去。80歳。広島大名誉教授。分裂後の1964年から広島県原水協の理事長を務める
1991/9/29
第2回アジア太平洋法律家会議広島会議が広島市で開催。12カ国の法曹関係者ら70人が出席。核廃絶に向け、法律家同士の連帯強化を確認
1991/9/30
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑の永松初馬理事長が交通事故のため防府市内で死去。66歳。1957年の山口県被団協結成後、事務局長を23年間務めゆだ苑建設運動の先頭に立つ
1991/9/30
非核政策をめぐり米と対立関係にあるニュージーランドのボルジャー首相が、米艦船寄港締め出しの根拠となっている反核法の見直しを言明
1991/9/30
国連第6次核査察団のケイ団長がイラクを出国。「イラクが核兵器の製造を試みていた完全な証拠をつかんだ」と断言
1991/9/30
訪米中のパンキン・ソ連外相が米PBSテレビのインタビューで「ブッシュ米大統領が発表した核軍縮提案に基づく米ソ戦略核協議がワシントンで10月9から始まる」と述べ、協議開始前にも米の核軍縮に呼応して戦術核の撤去などの措置を講じる意向言明
1991/9/30
笹川記念保健協力財団(東京都)のチェルノブイリ支援プロジェクトによる受け入れ第1弾として、キエフ州立総合病院のバディム・シュベツソフ副院長ら医師9人が広島市の放射線影響研究所などで研修開始
1991/9/--
北大西洋条約機構(NATO)が、ソ連の激変による軍事バランス変化に対応するため、欧州配備の戦術核兵器(SNF)を全廃する方針を固める
1991/9/--
広島県内在住のアジアからの留学生の7割以上が広島への原爆投下を肯定していることが、創価学会広島青年平和委員会のアンケート調査で判明
1991/9/--
被爆45周年にピースリボンで原爆ドームを囲んだ女性の語り部グループ「ヒロシマ・平和のリボンの会」(渡辺美代子代表、7人)が運動の経過を冊子に
1991/9/--
佐々木禎子さんの物語「折り鶴の子どもたち」(那須正幹氏著)の英訳本が米で出版

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