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ヒストリー

ヒロシマの記録1990 3月


1990/3/1
ビキニ被災36周年。静岡県焼津市の弘徳院で久保山愛吉さんの墓前祭
1990/3/1
日本原水協などが焼津市で開いた「3・1ビキニデー集会」に市民ら1,200人が参加。広島集会は100人
1990/3/1
全日赤中四国地方協議会が広島赤十字・原爆病院の本館保存を広島市議会に請願
1990/3/2
松江市議会が非核平和都市宣言決議と被爆者援護法の制定促進を求める陳情を不採択
1990/3/3
広島県賀茂郡黒瀬町の小林倫夫町長がポーランド国立アウシュビッツ博物館の遺品問題で、現地への謝罪訪問を表明
1990/3/4
映画「黒い雨」を山口県被団協と県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑の主催により山口市内で特別上映
1990/3/4
広島県医師会が南米在住被爆者の里帰り治療実施を決定。南米在住の被爆者はブラジルの153人を最高に5カ国、188人
1990/3/4
峠三吉の没後37周年碑前祭が広島市の平和記念公園内の詩碑前で営まれる
1990/3/4
米原子力空母カールビンソンが佐世保に入港。広報担当少佐は核兵器の有無について「コメントできない」。核ミサイル装着可能な戦闘機などを搭載する空母入港に、社会、共産党系の労働団体などが抗議集会
1990/3/5
ソ連ウクライナ共和国最高会議が、チェルノブイリ原発を1995年までに完全停止、閉鎖するよう連邦政府に求める決議を採択。同共和国の国営放送が報じる
1990/3/5
横須賀基地に寄港する米海軍原潜などの核事故対策を想定した神奈川県の地域防災計画の見直しが、軍事機密に阻まれ「改定見送り」に
1990/3/6
原水禁1988年世界大会・国際会議起草委の討議内容を盗聴されたと偽計業務妨害罪で告発、告訴した日本原水協が「広島地検の不起訴処分は不当」と、広島検察審査会に審査申し立て
1990/3/6
米核物理学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」の核危機を警告する「終末時計」の針が、米ソ緊張緩和を反映して4分戻り「終末まであと10分」に
1990/3/7
広島県高田郡向原町の被爆者、岡部盛雄さんが、広島市の平和記念公園の清掃用に手づくりの竹ぼうき200本を寄贈
1990/3/7
東京大医学部付属病院の放射性物質ずさん管理問題で、大学が病院長ら教授9人を訓告、厳重注意
1990/3/7
原爆詩人峠三吉の遺族が、自筆原稿や日記、書簡集などの資料3,087点を広島市立中央図書館に寄贈
1990/3/7
日米両政府が、日本原子力研究所が開発した遠隔監視システムを核兵器削減の検証に応用するためワシントンで共同実験実施の口上書を交換
1990/3/7
ソ連最高会議がカザフ共和国セミパラチンスク核実験場の閉鎖問題を討議。国防省のゲラシモフ大将は「1993年まで核実験した後、北極圏に移す」と述べる
1990/3/8
ニュージーランド野党の国民党が労働党政権の核艦船寄港を認めない非核法支持への転換表明
1990/3/8
米議会予算局が「戦略核削減条約の予算並びに軍事面での影響」と題した報告書を公表。「戦略核近代化を最大限進める限り、条約を締結しても国防費は年間1%の削減」と試算
1990/3/9
中部太平洋マーシャル諸島の核実験被害者を支援している米人類学研究者グレン・アルカレー氏が広島市を訪れ、核被害者の連帯を呼び掛け
1990/3/10
米がネバダで地下核実験。同核実験場での実験は1951年以来、通算700回に
1990/3/10
英文学者で原水禁運動統一に努めた故中野好夫氏の精神を受け継ごうと学者、文化人らが東京で「中野好夫の会」を結成
1990/3/10
原爆ドーム保存工事がほぼ終り、広島市原爆ドーム保存調査技術検討委の佐藤重夫委員長らが点検
1990/3/11
荒木広島市長が米核実験抗議文を駐日米大使に送る。1968年からの核実験抗議は通算500回に
1990/3/12
米の核実験に抗議して、広島県高田郡吉田町の原爆被害者の会(青崎順三会長)が役場前の「非核」碑前で座り込み。広島県被団協の森滝市郎理事長ら40人が広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/3/13
レーマン米軍備管理軍縮局長が米下院外交委員会アジア太平洋小委員会の公聴会で「(アジア軍縮は)政治情勢が欧州と異なり、欧州通常戦力交渉(CFE)などの方式は当てはまらず困難」と述べる
1990/3/13
ブラジル広島県人会とブラジル原爆被爆者協会の「平和祈念碑」が広島市中区の本川河岸に据え付け
1990/3/14
日本被団協が総選挙後、被爆者援護法の賛同署名集めを展開し、衆院総定員(512)の過半数、改選前を上回る319人が署名
1990/3/14
広島県議会予算特別委で参考人として出席した広島経済同友会文化基金特別委員長、水馬義輝氏が原爆資料館の改修について「今の建物を取り払って地下に展示し、ゆっくり見てもらったらどうか」と発言
1990/3/14
中国の黄毅誠エネルギー相が「遼寧省錦州付近にソ連の技術協力を得て原発建設の計画が進んでいる」と記者会見で明かす
1990/3/16
竹下虎之助広島県知事が被爆45周年記念事業として県庁構内に「非核宣言」碑の設置を表明
1990/3/17
広島県の両被団協や生協連合会など9団体が、被爆者援護法実現広島県実行委を組織。県内100万人署名を始める
1990/3/17
ソウル五輪金メダリストの米陸上選手フロレンス・ジョイナーさんが夫婦で原爆慰霊碑に参拝
1990/3/19
長崎県が長崎市と共同で、被爆地域是正の要求根拠にするため、長崎市内外50カ所の残留放射能測定の方針明らかに
1990/3/20
広島県立女子専門学校(現県立広島女子大)2年生で両親らとともに被爆死した稲毛恒子さんの日記や書簡を、姉で東京都の主婦山崎よし子さんが「水島の春」と題し自費出版
1990/3/20
広島平和文化センターが証言集「原爆被爆者は訴える」の英語版を発刊。同センターの平和冊子シリーズ英語版は「ヒロシマ読本」に続いて2冊目
1990/3/21
世界各地を歩き平和への理解を深める米や西ドイツなどの学生グループ「ピーススタディ」のメンバー2人が千羽づるを「原爆の子の像」にささげる
1990/3/21
広島県原水禁などでつくる「3・21平和のためのヒロシマ行動実行委員会」が広島市内で被爆者援護法の即時制定を求める討論集会開く
1990/3/22
韓国原爆被害者協会の会員ら300人が日本政府の謝罪と個人補償を求めてソウル市内をデモ。日本大使館に要求書を提出
1990/3/24
ダニエル・ミッテラン仏大統領夫人が原爆資料館を見学。「人間が引き起こした愚かな行為に声も出ない」と述べる
1990/3/25
大衆演劇の「劇団むらさき」が、被爆死した中学生と母の悲しみをテーマにした「まっ黒なおべんとう」を広島市内で公演
1990/3/26
日本原子力産業会議(円城寺次郎会長)が1989年の世界の原発開発動向をまとめる。総計は建設・計画中を合わせ602基と4年連続減少。運転中425基のうち米が109基で1位、日本は38基で4位
1990/3/26
広島地区高校演劇連盟20校の部員が被爆電車をテーマに「夜空を駆けろ!チンチン電車」を発表
1990/3/26
「被爆体験証言者交流の集い」が語り部のテキスト「若い世代に被爆体験を語り継ぐために~原爆被害のあらまし」を発刊
1990/3/27
韓国政府が、日本政府に在韓被爆者援護基金として95億円を要求していることが判明
1990/3/27
広島市議会が原爆遺跡の保存決議。「老朽化の名のもとに次々と取り壊されている被爆建物は、その歴史的財産を後世の広島市民に伝承すべき」
1990/3/27
広島県相互扶助会が広島市内にある原爆慰霊碑を写真と碑文でまとめた「広島のいしぶみはみつめる」(西尾隆昌氏著)を増刊。全国の小、中学校に無料配布
1990/3/27
原水禁国民会議や単産被爆連(旧総評被爆連)などが東京で「被爆者援護法制定中央行動」展開。全国から300人が参加。28日、厚生省へ要請書提出
1990/3/27
「第1回少年少女ナガサキの旅」(日本生協連主催)が長崎市で始まり100人が参加
1990/3/28
広島県立賀茂高合唱部が峠三吉の原爆詩「炎」などを定期演奏会で合唱
1990/3/28
反核市民グループ24団体でつくる「ピース・リンク広島・呉・岩国」が米空母タイコンデロガの水爆搭載機水没事故の真相究明を政府に求め、広島県内を回る「がんばれ非核自治体キャラバン」を始める
1990/3/28
東京都教職員組合の教師らが主任手当を拠出し続ける「東京・ヒロシマ子ども派遣団」が2泊3日で広島入り。90校の児童、生徒107人と教師ら24人が参加
1990/3/28
旧日本軍の泰緬鉄道で強制労働に就いたオーストラリア・クィーンズランド州元捕虜賠償委員会の会長、デビッド・バレットさんが原爆資料館を見学
1990/3/29
原子力船「むつ」原子炉の出力上昇試験が、母港の青森県むつ市関根浜港で始まる。1974年9月の放射線漏れ事故以来、16年ぶりに原子炉が再起動
1990/3/29
米紙ワシントン・ポストが、入手した国防総省の「国防計画指針」付属文書(極秘)に基づき「政府は1992年から97年にかけ戦略核関連予算の年3~5%削減を検討中」と報道
1990/3/29
フォトジャーナリスト桐生広人さんの「南の島のヒバクシャ」が発刊。マーシャル諸島での米核実験のつめあとを写真とリポートで伝える
1990/3/29
広島平和会館内の原爆被害者相談所が1989年度の被爆証人捜し状況を発表。証人捜し申請者は22人と72年の事業開始以来、最少
1990/3/31
日本生活協同組合連合会の「少年少女ヒロシマの旅」が始まり、児童、生徒ら460人が参加
1990/3/31
米ネバダ核実験場入り口で軍拡を止める世界行動。同実験場の風下に住む被害者団体「市民の声」や、ソ連カザフ共和国セミパラチンスクの核実験被害者らでつくる「ネバダ・セミパラチンスク運動」など7カ国の反核団体から2,000人が参加
1990/3/31
広島市の原爆資料館改装に伴い、展示被爆資料を東隣の平和記念館に移設。1日、仮展示場オープン。原爆資料館は1991年7月末まで閉館に
1990/3/--
科学技術庁が低線量放射線の影響を解明するため、原発など放射線作業従事者23万人を対象に初の本格的な疫学調査へ
1990/3/--
広島市が被爆建物である平和記念公園レストハウスの整備費を1990年度当初予算案に計上。存廃論議が市議会で広がる
1990/3/--
日本弁護士連合会が「被爆者援護法に関する第3次報告書」をまとめる。西ドイツの戦争犠牲者援護法などを紹介しながら援護法制定を求める
1990/3/--
チェルノブイリ原発事故4周年を前に、「風下地域」に当たる白ロシア共和国で子供の白血病急増。医療支援を訴える手紙がソ連留学経験を持つ名古屋工業大助教授の山里真さんに届く
1990/3/--
広島市が平和記念公園での花見にカラオケや焼き肉用コンロの持ち込み自粛を呼び掛け

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