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ヒストリー

ヒロシマの記録1990 5月


1990/5/1
広島市が製作した新しい原爆記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」が平和記念公園の広島国際会議場で初の一般公開
1990/5/2
訪米中のシュルトルテンベルク西ドイツ国防相が「ソ連が核戦力を維持する限り、欧州の非核化構想に反対」と講演
1990/5/3
東西ドイツ統一など欧州情勢の急変を受け、ブッシュ米大統領が記者会見。欧州配備の短距離核ミサイルおよび核砲弾システム近代化計画の放棄を発表。併せて欧州通常戦力交渉(CFE)がまとまり次第、ソ連と短距離核削減に向けた具体的交渉の意向も表明
1990/5/4
中部太平洋マーシャル諸島の核実験被害者支援グループが、同地域で大気圏内核実験再開の可能性を示唆する米エネルギー省の内部文書を下院公聴会で公表。「(米政府の)被曝者健康調査や放射能除染作業は、住民のためではなく、核実験の準備作業で人道的に容認できない」
1990/5/7
広島、長崎の被爆資料を巡回展示する「戦争と平和展」が米ボストン市で開幕。国連軍縮局と核戦争防止国際医師会議(IPPNW)などが主催
1990/5/7
国連軍縮委員会が米ニューヨークで始まり、日本の堂ノ脇光朗軍縮大使が核実験禁止を訴え
1990/5/7
広島市の被爆語り部、渡辺美代子さんら7人が米のジャスティン・メリットさんが提唱したピースリボン運動に共鳴し、原爆ドームをピースリボンで取り囲もうと呼び掛け
1990/5/8
米、英が核爆弾の起爆装置になり得ると密輸を問題視した電子機器を、イラクのフセイン大統領が国産化したと発表
1990/5/9
オランダ紙ヘト・パロールが「米政府が北大西洋条約機構(NATO)7カ国に新たな空対地戦術核ミサイル(TASM)389基の配備計画」と報道
1990/5/9
北大西洋条約機構(NATO)核計画グループ国防相会議がカナダで始まり、核抑止力堅持の方針を再確認。オランダの国防相が東西ドイツ統一など欧州新情勢への対応策として西欧州配備の核砲弾(1,450発)の全廃提案。米は一方的な削減、廃棄には触れず
1990/5/9
参院の社会、公明、共産、連合参議院、民社、参院クラブの6会派が、原爆被爆者等援護法案を共同提出。「国家補償の精神」を明文化した7章、62条。被爆者年金(最低額36万円)と原爆死没者に弔意を表す遺族への特別給付金(120万円相当の記名国債)の創設が柱
1990/5/10
中国電力島根原発が通産省の定期検査を終え、94日ぶりに営業運転を再開
1990/5/10
米マンハッタン計画の拠点になったテネシー州オークリッジ核兵器工場周辺の貯水池の放射能汚染が、エネルギー省の報告書で判明
1990/5/10
荒木広島市長がオランダの「1990ロッテルダム国際平和宣言会議」出席のため広島市を出発
1990/5/10
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部(支部長、杉本純雄広島県医師会長)が同支部事務局員の吉田恭子さんを米ケンブリッジ市の本部に派遣
1990/5/10
北大西洋条約機構(NATO)核計画グループ国防相会議がNATOの核戦略は依然有効とのコミュニケを採択し、閉会
1990/5/10
国際原子力機関(IAEA)がソ連チェルノブイリ原発事故による人体への影響、環境汚染について本格調査に入ると発表。日本からは広島市の放射線影響研究所の重松逸造理事長らが参加
1990/5/10
広島県原水禁がソ連カザフ共和国アルマアタ市で24日から開かれる核実験禁止国際市民会議に、県原水禁常任理事の松江澄さんら6人の代表派遣を発表
1990/5/11
竹下登元首相が自民党外交調査会で、盧泰愚韓国大統領訪日を踏まえて在韓被爆者救済の必要性を述べる
1990/5/11
「ロシア共和国ボロネジ市がソ連で初めて原発建設を認めるかどうかの住民投票を15日に実施」とソ連紙コムソモリスカヤ・プラウダが報道。住民投票は有権者の60%以上が投票すれば有効
1990/5/12
ブラジル在住の被爆者山藤俊江さんが広島赤十字・原爆病院で入院治療のため里帰り。広島県医師会の南米被爆者帰国治療事業の第1号
1990/5/12
「石田原爆訴訟」で勝訴した全国原爆被爆教職員の会の会長、石田明さんが水晶体摘出手術のため広島大医学部付属病院に入院
1990/5/12
ソ連共産党機関紙プラウダのウラジミール・スネゲロフ報道部長が広島市の平和記念館の被爆資料仮設展示場を見学。「ヒロシマを訪れることで人間は変わり得る。ゴルバチョフ大統領にも立ち寄ってもらいたい」
1990/5/12
日本原水協などの「1990国民平和大行進」が広島に向け、東京・夢の島の第五福竜丸展示館前を出発
1990/5/14
広島平和文化センターの被爆者証言ビデオ収録始まる
1990/5/14
原水禁国民会議の被爆45周年原水禁世界大会広島県実行委員会の結成総会。被爆者援護法の即時制定などが大会の基本方針
1990/5/15
広島県選出の自民党国会議員が被爆者援護について協議。死没者への国の弔意を求める意見が大勢
1990/5/15
厚生省が1985年初めて実施した原爆死没者調査結果を発表。新たに広島被爆で5,551人、長崎被爆6,378人の計1万1,929人の死没者を確認。被爆死者の総数は広島20万1,990人、長崎9万3,966人の計29万5,956人に。日本被団協は、調査対象を被爆者健康手帳所持者に限定したことなどを挙げ「原爆死の全体像に迫れなかった」と批判
1990/5/16
米ソ外相会談がモスクワで開始。30日からワシントンで始まる首脳会談での戦略兵器削減交渉(START)合意に向け最終調整
1990/5/16
ジュネーブ軍縮会議(米ソなど40カ国で構成)で核実験全面禁止条約の締結を目指す「核実験停止委員会」が発足へ
1990/5/16
広島県被団協(佐久間澄理事長)などが広島市内で被爆者援護法実現に向け県内100万人署名の街頭行動
1990/5/16
共産党国会議員調査団が広島赤十字・原爆病院を訪れ、被爆病棟の保存申し入れ
1990/5/16
ニュージーランド・オークランド市の女子高校生ら28人が「原爆の子の像」に千羽づるを供え、日本語授業で知った佐々木禎子さんのめい福を祈る
1990/5/16
日本被団協が国の原爆死没者調査継続を国会へ要請
1990/5/16
海部首相が参院予算委で、原爆死没者調査結果に関連して「一般被災者との均衡を損なわない範囲で弔意の表し方を検討」と表明
1990/5/17
日系二世の米カリフォルニア州オックスナード市長が広島を訪問。「ヒロシマのメッセージを市民に伝えたい」
1990/5/17
広島の被爆者とソ連カザフ共和国セミパラチンスクの核実験被害者が広島市の中国放送(RCC)とカザフテレビが企画した衛星中継で討論。カザフ側は「被爆者医療の経験を学びたい」と要望
1990/5/18
第41回全国植樹祭出席のため、天皇、皇后が長崎県を訪れ、平和公園で歴代天皇として初めて供花。日赤長崎原爆病院を慰問
1990/5/18
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設について、広島市の福島隆義助役と在日本大韓民国居留民団の朴炳憲団長の間で合意。「すべての霊をまつるのを前提に(今年の)8月6日までに移す」
1990/5/18
米ソ外相会談に同席したゴルバチョフ・ソ連大統領の軍事顧問が空中発射巡航ミサイル(ALCM)や海洋発射巡航ミサイル(SLCM)の規制合意を明言。「年内に戦略兵器削減交渉(START)は調印できる」
1990/5/19
米ソ外相会談終了。ベーカー米国務長官が「大きな相違は克服された」と会見。対立していた海洋発射巡航ミサイル(SLCM)の配備上限は双方880発で、空中発射巡航ミサイル(ALCM)の規制射程対象は600キロ以上で合意
1990/5/20
核実験の度に1985年から校内座り込みを続ける広島県山県郡加計町の安野中生徒や保護者らが広島市の原爆慰霊碑前で初の座り込み
1990/5/20
ソ連カザフ共和国アルマアタ市での核実験禁止国際市民会議に参加するため、広島県原水禁の6人と河合護郎広島平和文化センター理事長ら3人が広島を出発
1990/5/20
文化人らでつくる「被爆者援護法実現・みんなのネットワーク」が東京都内で初の街頭署名。大江健三郎さんが「ヒロシマ、ナガサキの存在を一番忘れているのは私たち日本人であり、日本政府」と訴え
1990/5/22
大阪の「日ソ市民交流をすすめる会」代表で大阪外国語大の高橋純平さんが、広島の被爆者とソ連反核市民団体の学生を相互招待する計画への協力を呼び掛け
1990/5/22
広島県生活協同組合連合会が総会で被爆者援護法の制定と核兵器廃絶完全禁止を特別決議
1990/5/23
広島県がブラジル・ゴイアス州で起きた医療放射線源セシウム137被曝事故で治療に当たる現地医師を県の海外技術研修員として招き、広島赤十字・原爆病院での受け入れを公表
1990/5/23
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折りづるが焼失。放火の疑いも
1990/5/24
中国新聞が厚生省原爆死没者調査について特集紙面。「被爆40年後の調査でありながら未判明だった死者が見つかる意味は重い」
1990/5/24
核実験禁止国際市民会議がソ連カザフ共和国の首都アルマアタ市で始まる。同共和国セミパラチンスクと米ネバダ両核実験場の風下の住民や広島の被爆者ら世界20カ国の核被害者、医師ら1,000人が参加
1990/5/24
日韓首脳会談始まる。日本政府が在韓被爆者の医療支援に総額40億円程度の基金拠出を表明。海部首相は「多くの被爆者が後遺症に苦しんでおられることは誠に気の毒に思う」、盧泰愚大統領は「被爆者に直接会って、いたましい環境を身にしみて感じた」とそれぞれ述べる
1990/5/26
訪日中の盧泰愚韓国大統領が大統領補佐官を広島市に派遣し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に花輪 1990/5/26
ソ連カザフ共和国での核実験禁止国際市民会議がすべての核実験場閉鎖と包括的核実験禁止条約締結アピールを採択し、閉会。アルマアタ市民2万人とデモ行進
1990/5/27
英紙サンデー・タイムズが「カシミール帰属問題をめぐりインドとパキスタンの間で核戦争の危険性があり米ソ軍事当局が厳戒態勢」と報道
1990/5/27
広島県原水協などが被爆者援護法を目指す「被爆者と県民のつどい」を広島市内で開き、市民ら1,200人が参加
1990/5/28
ソ連カザフ共和国での核実験禁止国際市民会議の参加者が、米の核実験に抗議してモスクワ米大使館にデモ
1990/5/29
中国新聞が在韓被爆者への基金拠出を受け特集記事を掲載
1990/5/29
スウェーデン国防研究所が「中国北西部の核実験場ロプノルで地下核実験とみられる地震波を26日観測」と発表
1990/5/30
中国電力の上関原発に反対し、上関町祝島の祝島漁協組合員ら280人が広島市の中電本社を訪れ立地環境調査拒否を通告。本社前で抗議の座り込み
1990/5/31
米ソ首脳会談がワシントンで始まる。ゴルバチョフ大統領は「最も危険で政治的意味を失いつつある兵器の削減での合意的達成に向け、決定的歩みをするために私は来た」と声明
1990/5/--
社会党の田辺誠副委員長が条件付き「自衛隊合憲論」を党内右派の政権構想研究会が発行する「政権構想レポート」で提案へ
1990/5/--
広島市で1989年開かれた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会に参加した国内外の女性医師たちの証言を集めた「女医の記録」が広島女医の会(浜野浩枝会長)から出版
1990/5/--
広島市の原爆資料館の1989年度入館者数が157万5,403人と55年の開館以来最高を記録
1990/5/--
被爆体験を東京の小学校で教えてきた被爆教師畑島喜久生さんが「授業=ナガサキ」を出版
1990/5/--
長崎で被爆し、北朝鮮籍の男性と結婚し北朝鮮へ渡った女性から「日本で診療を受けたい」との手紙が、長崎原爆遺族会理事の下平作江さんに届く(長崎新聞5・27)
1990/5/--
広島市安佐南区川内の主婦たちの証言集「原爆に夫を奪われて」を英訳出版した、英ヨーク大教授のジョン・クランプさんと妻の妙子さんが川内地区を訪れ、証言者2人と交流

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