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ヒストリー

ヒロシマの記録1990 9月


1990/9/2
米国原爆被爆者協会(倉本寛司会長)がサンフランシスコ市内で総会を開き、120人が出席。在米被爆者に対し日本の被爆者並みの救援を日本政府に求める決議
1990/9/3
広島赤十字・原爆病院の病棟改築のための解体工事が本格的に始まる。被爆時にガラス片が飛び散った壁面などについて、被爆建物保存連絡会が「原爆資料館でなく現地保存を」と広島市に要請。街頭で署名活動
1990/9/4
爆心から1.7キロに位置し、被爆者の救護所になった広島市中心部の代表的な被爆建物、広島市信用金庫横川支店の解体作業始まる。正面玄関の古代ギリシャ風飾り柱は新店舗に保存し、敷石180枚は三篠神社へ
1990/9/5
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が10年がかりで県内被爆者の証言を集めた「語り-山口のヒロシマ」の最終号発刊へ。計7集。44人が証言寄せる
1990/9/5
広島県が提唱した「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」(仮称)の準備会議が県庁で開かれる。放射線影響研究所、広島大原爆放射能医学研究所、広島赤十字・原爆病院、県、広島市など11機関が出席し、1991年度中に被曝者の医療に協力する組織設立決める
1990/9/5
爆心から2.3キロの広島市の御幸橋で被爆者がうずくまる情景を収めた写真のセラミックスパネルが、橋の掛け替え工事完成式に合わせ除幕。撮影者は元中国新聞カメラマンの松重美人さん
1990/9/7
広島赤十字・原爆病院で、原爆の爆風で飛び散った窓ガラス片の痕跡が残る1号館階段室内壁の切り取り保存工事始まる
1990/9/7
広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所跡地の発掘調査始まる。骨片など40点が見つかる。推定1,000体の遺体を焼き、骨を埋めたとされる馬焼却炉の地下穴は確認できず
1990/9/7
インド国内の被曝者の掘り起こし続けるネール大准教授ディレンドラ・シャーマさんから原発の放射能漏れ事故の実態を伝える英字週刊紙記事が中国新聞社に届く。記事は「ラージャスタン原発周辺の住民にがんなどが増加」と伝える
1990/9/12
北大西洋条約機構(NATO)の西ドイツ、米、英、仏の4カ国がモスクワで開かれた6カ国外相会議で、ソ連の要求を受け入れドイツ統一後の旧東ドイツ領への核兵器配備をしないと同意
1990/9/12
広島市の原爆資料館の改修工事が1992年8月のオープンを目指し始まる。総事業費は10億円を超す見込み。改装後は所蔵資料7,000点のうち3,000点を展示し、被爆資料と写真、ビデオなどを組み合わせ被害の実態を解説
1990/9/14
アフリカ・ジブチ共和国のハッサン・アプティドン大統領が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1990/9/15
ジュネーブで開かれていた核拡散防止条約(NPT)第4回再検討会議が、核保有国と非同盟諸国の間で核実験全面禁止をめぐる対立で最終文書を採択できず
1990/9/16
スウェーデン与党が「核兵器の非搭載を確認できない外国艦艇の入港は拒否する措置を2年以内に実施」と決議
1990/9/17
広島市が被爆建物保存問題を検討する「被爆建物等継承方策検討委員会」(議長、伊藤利彦市長室次長)を設置
1990/9/17
国連から「ピースメッセンジャー」の称号を受けた世界の36カ国57都市と55カ国312団体の代表者会議が米で始まり、「ピースメッセンジャー都市世界協会」「同組織世界連盟」の設立を協議。日本からは広島、長崎、横浜の3都市と広島平和文化センターなど8団体が選ばれる
1990/9/18
ブラジルのフェルナンド・コロル大統領が、軍政期に造られた地下核実験場を公開
1990/9/18
長崎市の平和公園で米海軍艦長の花輪を踏みにじった被爆者2人を、長崎地検が不起訴処分
1990/9/18
原水爆禁止似島少年少女の集い実行委員会が、原爆被爆者とみられる遺骨が発見された広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所馬焼却炉跡の保存を広島市に申し入れ
1990/9/19
日本原水協が東京で結成35周年記念祝賀会。広根徳太郎筆頭代表理事、日本被団協の山口仙二代表委員、宗教NGOの関屋綾子代表委員らがあいさつ
1990/9/20
米がネバダで地下核実験
1990/9/20
広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」が開所20周年記念式典
1990/9/21
広島市の「被爆建物等継承方策検討会議」が旧陸軍被服支廠や広島城跡防空壕など7カ所の被爆建物を初視察
1990/9/21
長崎旅博「愛と平和のゾーン」が、「強制連行・徴用と長崎」をテーマに外国人被爆者シンポジウム開く。韓国、英、オーストラリアから被爆者、元捕虜らが参加
1990/9/21
荒木広島市長が20日の米核実験に抗議文
1990/9/21
国際原子力機関(IAEA)とソ連のコノワロフ原子力発電・工業相らがチェルノブイリ原発事故の環境への影響や人体被害などを研究する「チェルノブイリ国際研究センター」の設立協定に調印
1990/9/23
米核実験に抗議し、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前などで座り込み
1990/9/25
米上院が、1974年に米ソが調印した地下核実験制限条約と、76年の平和目的核実験条約を批准 1990/9/26
米の天然資源保護協会が、南アフリカが1970年代後半、イスラエルの協力の下で核兵器開発を進めていたことを示す米中央情報局(CIA)文書を公開
1990/9/26
広島赤十字・原爆病院が、原爆症治療の足跡を残すカルテや標本、被爆当時の医療器具を保管、展示する資料室新設を決定
1990/9/27
米下院が、1950年代の大気圏核実験で被曝したり、ウラン鉱山で働いてがんにかかった市民の健康被害を補償する法案を可決
1990/9/27
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1990/9/28
荒木広島市長が米核実験に抗議文。30日、広島県原水禁などが原爆慰霊碑前で座り込み
1990/9/30
仏カーン市で、被爆写真20点の「ヒロシマ写真展」始まる。4日まで
1990/9/--
広島の在韓被爆者渡日治療委員会、長崎の日韓被爆二世交流委員会など支援4団体が「在韓被爆者の問いかけるもの」を自費出版。在韓被爆者の手記や対日補償要求問題を紹介
1990/9/--
広島市特別名誉市民で、ヒロシマの世界化に貢献した故バーバラ・レイノルズさんの遺族が、遺品や蔵書などの一部を米国原爆被爆者協会に寄贈
1990/9/--
ヒロシマをテーマに抽象画を描き続ける神戸市の田中富彦さんがニューヨーク・ソーホーで個展
1990/9/--
山口県の国立山口病院と国立療養所柳井病院が保存していた1,210人の被爆軍人カルテ原本が、広島市原爆被害対策部に届く。コンピューター入力開始へ
1990/9/--
広島電鉄が本社構内にある被爆建物のレンガづくり変電所などの保存検討を始める
1990/9/--
長崎県と長崎市が9月上旬から、被爆地域の是正要求の根拠とするため長崎市と周辺70カ所で残留プルトニウムの調査に入る

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