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ヒストリー

ヒロシマの記録1990 10月


1990/10/1
ソ連カザフ共和国セミパラチンスク州議会がセミパラチンスク核実験場の実験禁止を決議
1990/10/1
広島市が似島の旧陸軍馬匹検疫所馬焼却炉跡の一部保存を表明
1990/10/1
原爆投下作戦に関与した米空軍のカーチス・ルメイ元将軍が死去。83歳。原爆投下作戦でB29の高々度単機使用を採用。1964年、日本政府が航空自衛隊の育成功労で勲一等旭日大綬章を贈り、被爆者らが抗議
1990/10/2
三洋電機労組が広島赤十字・原爆病院に100万円を寄付。17回目
1990/10/2
ソ連近海の太平洋上でソ連太平洋艦隊の原子力潜水艦が弾道ミサイルの核弾頭を海中に落とし、後に回収。ソ連国防省機関紙赤い星が伝える
1990/10/3
原爆で父の大塚惟精元広島県知事・中国地方総監府総監を亡くした娘の中埜由美子さんが「広島への思い」を中国新聞に寄稿
1990/10/3
広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所跡で同市主催の慰霊祭。同検疫所跡から出土した骨片や骨灰の鑑定作業が広島大医学部と広島南署などで始まる
1990/10/4
被爆建物の広島信用金庫横川支店で新店舗に保存する正面玄関飾り柱を切り取る
1990/10/5
国連本部横広場で米ソの廃棄ミサイルを利用した「核軍縮の象徴」のブロンズ像「善は悪を負かす」がソ連政府から国連へ寄贈。シェワルナゼ・ソ連外相、ベーカー米国務長官ら出席し除幕式
1990/10/6
在韓被爆者渡日治療広島委員会の招きで来日した在韓被爆者3人が広島市に被爆者健康手帳を申請
1990/10/6
浄土真宗本願寺派安芸教区の基幹運動推進委員会が「平和を願う念仏者の集い」。日本の朝鮮半島植民地支配の歴史を問う
1990/10/7
長崎県労評センター、長崎県被爆者手帳友の会などで構成する「長崎の鐘を贈る会」が、米ハワイ州ホノルル市に贈る鐘の出発式が平和公園で。12月8日除幕の予定。1990年9月、中国瀋陽市へ贈ったのに続いて3つ目
1990/10/8
開発途上国の若手外交官らが参加する「国連軍縮フェローシップ計画」の27人が広島市入り。原爆資料館や放影研などの専門家から原爆被害の説明受ける
1990/10/8
ソウルの日本大使館前で服毒自殺を図った在韓被爆者の李孟姫さんが、約3カ月の治療を終え帰国
1990/10/8
被爆地ヒロシマの放射線被爆者治療技術を国際的に役立てる「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」が、広島県庁で初会合。県、広島市、県医師会、広島大原医研、広島赤十字・原爆病院、放影研など8機関。会長に重松逸造放影研理事長を選ぶ
1990/10/9
ソ連最高会議が、米ソ地下核実験制限条約(1974年調印)と平和目的核実験制限条約(76年調印)の2条約を批准
1990/10/9
ベーカー米国務長官がカーン・パキスタン外相に「核兵器開発を否定する明白な証拠を提示しない限り、援助を打ち切る」と通告
1990/10/9
核禁会議が第17次訪韓医師団を派遣。神徳通也三田尻病院長ら4医師
1990/10/10
家族を原爆で失いながら戦後1度も訪れたことのなかった韓国の女性被爆者8人が広島を訪れ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝し資料館を見学
1990/10/10
市民団体「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」(吉田嘉清さんら呼びかけ)の招きで、チェルノブイリ原発事故汚染除去作業に従事したエストニアのアンドレス・イラクさんが来日。広島大原医研で検査、入院へ。チェルノブイリ事故被曝者が日本で入院するのは初。15日、広島入り
1990/10/11
広島市が、ブッシュ米大統領から核実験抗議への初の返書が届いたと公表
1990/10/11
東京芸大学長で日本画家の平山郁夫さんが、旧制修道中学の同級生で学徒動員中に被爆した、韓国京畿道の金容元さんと45年ぶり再会
1990/10/12
広島平和文化センターが、原爆ドーム保存募金に併せて寄せられた手紙を「平和への願いを込めて-原爆ドームに寄せられた手紙」として出版。計3,500通のうち737通を掲載
1990/10/12
被爆地蔵の顔を安置する東京・目黒区の常円寺と同区の被爆者団体「萌友会」が主催し「へいわコンサート」
1990/10/12
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1990/10/13
荒木広島市長が米核実験に抗議文。15日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1990/10/13
ソ連核実験場ノバヤゼムリャ島に10月8日上陸し、ソ連当局にだ捕された国際環境保護団体グリーンピースのキャンペーン船MVグリーンピースと乗員42人が釈放され、ノルウェーに向かう
1990/10/14
「長崎原爆青年乙女の会」の結成35周年を記念した集いが長崎市内で開催(長崎新聞10・15)
1990/10/15
宇都宮徳馬参院議員が主宰する雑誌「軍縮問題資料」が創刊10周年を迎え、祝う会
1990/10/15
ゴルバチョフ・ソ連大統領にノーベル平和賞決まる
1990/10/15
ブッシュ米大統領が、ネバダ核実験とウラン採掘でがんになった住民、鉱山労働者らの核被害に最高5万~10万ドルを支払う「核被害者補償法案」に署名、同法が成立。核実験被害=1951~58年と、62年6、7月の間にネバダ、アリゾナ、ユタ州の風下地域に1、2年以上住み放射性降下物のためがんにかかった住民。ウラン鉱山=1947~71年の間にコロラド、ニューメキシコ、アリゾナ、ワイオミング、ユタのウラン鉱山で働きがん、呼吸器疾患にかかった元労働者
1990/10/16
中国新聞の連載ルポ「世界のヒバクシャ」が1990年度日本新聞協会賞受賞
1990/10/17
日本原水協盗聴事件で広島地検が不起訴処分にした問題で広島検察審査会が「不起訴は相当」と議決
1990/10/17
荒木広島市長と広島県の小笠原臣也副知事が在日ソ連大使館を訪ね、ゴルバチョフ大統領への広島招請状を手渡す。18日には、米大使館にブッシュ大統領への招請状
1990/10/17
広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題で、市民グループ「平和公園のあり方を問う86人委員会」(相原一博代表)が、広島市に早期移設申し入れ
1990/10/17
海部首相が参院本会議で「被爆者援護法制定は一般戦災者との均衡上問題」と同法に否定的見解
1990/10/18
チェルノブイリ原発事故被曝者アンドレス・イラクさんに同行して広島を訪れたソ連エストニア共和国エストニア第四病院長のペーテル・マルドナさんが広島県、市に医療交流を申し入れ
1990/10/21
第4回在南米被爆者巡回医師団(団長、蔵本潔広島赤十字・原爆病院副院長)が出発。16日間でブラジル、ペルーなど南米5カ国を診察や保健指導
1990/10/22
「世界一周平和行進」のロサンゼルスのジュディ・イマイさんらがニューヨーク入りし、国連本部前で集会。2月2日にサンタモニカ出発
1990/10/22
ソ連がバルト海に核兵器搭載の艦船の配備中止を決め、各国とバルト海非核化を交渉へ
1990/10/22
参院議院運営委員会が、ソ連最高会議から10月9日付で届いた、核実験全面禁止を呼びかける書簡を各党派に配布
1990/10/22
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ元副操縦士ロバート・ルイス氏の遺族が、8月6日の攻撃当日の航空日誌をニューヨークのクリスティーズで、12月7日に競売へ。競売直前、同じエノラ・ゲイの搭乗員セオドア・バンカーク航空士から「自分が持っているのが本物」との申し立てがあり、競売成立せず
1990/10/23
ソ連チェルノブイリ原発事故の被災者救援策を検討する世界保健機関(WHO)の科学諮問委員会が放影研で初会合。ソ連遺伝学研究所のボチコフ所長、国際放射線防護委員会のベニンソン委員長ら世界10カ国の専門家30人が参加
1990/10/23
日本被団協の被爆者ら100人が被爆者援護法制定を求めて厚生省前で座り込み。座り込みは1980年11月以来、10年ぶり
1990/10/24
ソ連が北極圏のノバヤゼムリャで1年ぶりに地下核実験。タス通信が伝える
1990/10/24
「被爆者援護法実現・みんなのネットワーク」の日本被団協の伊東壮、伊藤サカエ両代表委員、青木幹雄日本青年団協議会会長らが、厚相、衆参議長に援護法の制定を求める239万人の署名提出。署名は計480万人に
1990/10/25
ソ連カザフ共和国が核実験を全面的に禁止する主権宣言を採択
1990/10/25
荒木広島市長がソ連核実験に抗議文。27日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/10/26
広島市で開いていた世界保健機関(WHO)科学諮問委が、チェルノブイリ被曝住民20万人の疫学調査や「放射線保健問題国際センター」設立への援助など6項目の勧告をまとめ閉会
1990/10/26
広島、長崎両県・市の知事、市長と議長による八者協が厚生省などに「国家補償の精神に基づく被爆者、遺家族の実態に即した援護対策」確立を陳情
1990/10/28
中国放送が「見つめる90」で、「45年目の『皇民』~元東洋工業朝鮮人徴用工・除さん」を放映
1990/10/29
ソ連最高会議で24日の核実験をめぐり反発の声。関係委員会で調査へ。31日、実験が最高会議に知らされていなかったことに抗議、1991年の実験スケジュールを明らかにし、核実験がノバヤゼムリャ地区の環境に与えた影響を報告するよう求める。11月1日、ロシア共和国最高会議幹部会と政府が「核実験はロシア共和国の主権宣言に違反」と非難声明
1990/10/30
広島平和文化センター主催の「第5回広島市民平和の集い」で、ヒロシマとチェルノブイリの悲劇を重ね合わせた脚本家村井志摩子さんの朗読劇「あの日、あの雨」を上演
1990/10/31
第4回在南米被爆者巡回医師団がブラジル・サンパウロ市で検診始める。現地医師会の協力で聴診器などを使い初の触診も
1990/10/31
広島市の原爆慰霊碑前に「海外旅行にと思ってためていたものです」と45万円の現金
1990/10/--
広島市で作家の小田実氏が呼びかけ、ユダヤ系米詩人ジェローム・ローゼンバーグ氏、評論家黒古一夫氏、詩人栗原貞子氏らが参加し講演会「危機の中の文学」
1990/10/--
被爆50周年の1995年に世界フェスティバル合唱団(本部ノルウェー、略称WFC)の合唱祭を広島市で-。WFC団員の佐々木卓也呉工業高等専門学校講師が中国新聞に寄稿し呼びかけ
1990/10/--
広島市西区南観音地区の住民が被爆体験記「被爆45年目の証言」まとめる
1990/10/--
日本原水協の国際遊説団が東京・上野の東照宮の「広島・長崎の火」を分火しニュージーランドのウェリントン市に贈る
1990/10/--
日、米、ソ、欧が、国際熱核融合実験炉(ITER)計画を本格的に進めるため「工学設計協定」を締結へ
1990/10/--
国際環境保護団体グリーンピースが、世界の海洋核戦力の現状をまとめた「核艦船と海軍核兵器1990-完全リスト」を刊行

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