ヒロシマの記録1990 11月
90年11月1日
1990/11/1
太平洋戦争の犠牲になった韓国人遺族の組織「太平洋戦争犠牲者遺族会」の14人が広島市を訪れ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。夫が戦死、弟が被爆の李英子さんは「要は日本人の良心の問題」と語る
1990/11/1
スウェーデンで開かれた国際シンポジウムでソ連のザンゲローバ教授が「セミパラチンスク地方の過去40年の核実験で50万人が健康障害」と報告
1990/11/2
ノーベル平和賞受賞者でアイルランドの女性平和運動活動家メイリード・マグアイアさんが原爆資料館を見学
1990/11/2
米カリフォルニア州の元ロサンゼルス郡医師会長のウィルソン・マイスナー医師が荒木広島市長に、在米被爆者を治療する米医師の研修受け入れを要請
1990/11/3
広島市の「デルタ・女の会」などが、国連平和協力法案と自衛隊海外派遣に反対し、平和記念公園対岸の中曽根句碑前で座り込み
1990/11/6
「被爆者援護法実現広島県100万人署名大運動」実行委員会(荒木広島市長ら呼びかけ人60人)が、広島市の繁華街で街頭署名
1990/11/8
ポーランドの作曲家クシシトフ・ペンデレツキ氏が、広島市でハンブルク北ドイツ放送交響楽団を指揮し「広島の犠牲者のための哀歌」演奏
1990/11/8
参院社会労働委員会が野党6会派提出の被爆者援護法案の継続審議決める
1990/11/8
広島、長崎両県選出の自民党国会議員が会合。原爆死没者遺族への弔慰金は「一般戦災者との均衡上、困難」
1990/11/8
英グラスゴー市で第5回非核自治体国際会議。開会式で土田康子神奈川県被団協会長が証言
1990/11/8
被爆した壁の保存先が決まらないまま広島赤十字・原爆病院建て替えの起工式
1990/11/10
爆心近くの広島市中島国民学校の1943年卒業生が47年ぶりに同窓会。300人中82人の消息判明
1990/11/10
ホンジュラスのラファエル・カジェハス大統領が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1990/11/12
米エネルギー省が「14日にネバダ核実験場で英米共同核実験を実施」と予告
1990/11/12
ソ連セミパラチンスク核実験場周辺の住民の健康を調査しているカザフ共和国セミパラチンスク放射線医学研究所のボリス・グシェフ所長ら2人が、市民団体の招きで医学研修のため広島入り。広島大原爆放射能医学研究所などを視察へ。13日、記者会見で「核実験場周辺の住民のがん発生率は一般住民より40%高い」「住民の被曝事実を知りながら、それを隠し治療もしなかった」と発表
1990/11/13
ネバダの英核実験を阻止するため、国際環境保護団体グリーンピースの4人が実験場に侵入 1990/11/13
財団法人ヒロシマ・ピース・センターの第3回「谷本清平和賞」に、原爆詩人の栗原貞子さん決まる。24日授与式
1990/11/14
仏が南太平洋仏領ポリネシアのファンガタウファ環礁で核実験。仏国防省が発表
1990/11/14
ネバダで、英米共同の核実験を強行。実験場に侵入したグリーンピースの4人は実験数分前に逮捕 1990/11/15
荒木広島市長が英米、仏の核実験に抗議文
1990/11/15
ソ連カザフ共和国セミパラチンスク放射線医学研究所と広島大原医研が研究・治療協力で合意
1990/11/15
明仁天皇の即位の礼出席のため来日中のナイジェリア元国家元首ヤクブ・ゴウォン将軍が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1990/11/15
11月末退任を控え、送別会などで広島市を訪れた金宇相駐下関韓国総領事が、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設を市に改めて要望
1990/11/15
荒木広島市長と東京で会談した国連のデクエヤル事務総長が、国連軍縮会議の1992年広島開催に前向き姿勢
1990/11/16
国連総会第1委員会が、1991年1月にニューヨークで開く部分的核実験停止条約(PTBT)改定会議で、包括的核実験禁止条約(CTBT)実現のため加盟各国が努力するとの決議を賛成98、反対2、棄権28で可決。米、英が反対、日本は棄権
1990/11/16
広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所跡地で発掘された骨片から、人の歯五片が見つかる。広島市が発表
1990/11/17
広島市と「核軍縮を求める22人委員会」のシンポジウム「非核三原則の法制化とヒロシマ」が、広島国際会議場で開く。荒木広島市長、鯨岡兵輔元環境庁長官、鴨武彦東大教授ら10人がパネリスト
1990/11/17
広島県原水協の横原由紀夫事務局長、カザフ共和国の医師らが、14日の英米と仏の核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/11/21
日弁連の在韓被爆者問題調査研究委員会(高木健一委員長)が、東京の三菱重工本社で広島市の同社朝鮮人徴用工問題で事情聴取。会社側は(1)ピーク時は約2,700人がいた(2)1945年8月末の徴用解除時にいなかった1,951人には46年9月、賃金未払い分17万8,479円66銭を広島法務局に供託(3)他の徴用工には帰国時に賃金、退職金、帰国旅費を支払った-と強調
1990/11/21
被爆アオギリ二世が宮城県女川町の女川高校から広島市の被爆語り部沼田鈴子さんのもとに帰る
1990/11/21
北朝鮮が国内に住む広島、長崎の被爆者実態調査実施のため、政府内に担当部署設置へ。社会党朝鮮問題対策委員会訪朝団の田口健二代議士が明らかに
1990/11/21
仏が南太平洋ムルロア環礁で地下核実験。仏政府が発表
1990/11/22
ニュージーランドの反核運動団体「反基地キャンペーン」のファーガス・ウイーラーさんが「ピース・リンク広島・呉・岩国」の招きで広島市を訪問
1990/11/22
日本被団協が原爆死没者弔慰金の支給で当面、認定被爆者の死没者、1945年末までの急性放射線障害による死没者、がんで死亡した人の遺族に対象絞る
1990/11/22
荒木広島市長が21日の仏核実験に抗議文。24日、広島県被団協の迫田正利事務局次長らが原爆慰霊碑前で座り込み
1990/11/24
広島平和文化センターの留学生平和セミナーが広島国際会議場で開く。27カ国81人が参加
1990/11/26
被爆米兵のヒュー・アトキンソン軍曹の娘夫婦が広島市を訪れ、父の最期を調査。シャロン・オルソンさんとサム・オルソンさん。28日、広島市の鈴谷清さんが「軍曹を逮捕したのはわれわれ」と名乗り
1990/11/26
広島逓信病院で原爆資料展。院長だった故蜂谷道彦氏の「ヒロシマ日記」など。12月28日まで
1990/11/27
広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所跡地で発掘された骨片が平和記念公園内の原爆供養塔に納骨
1990/11/28
米コネティカット州立大が、広島から被爆者の友田博子さんと広島大原医研の宇吹暁助教授を招き「広島からの声シンポジウム」開く
1990/11/28
コロル・ブラジル大統領とメネム・アルゼンチン大統領が「両国内での核爆発を平和目的でも禁止」など、核兵器開発放棄を宣言
1990/11/28
米、英、ソ3国の国会議員ら8人が、ブッシュ米大統領に包括的核実験禁止条約の実現を要望
1990/11/29
マレーシアのエイシアン・レアアース(ARE)社の放射性廃棄物のため白血病になったと訴えていた12歳の少女ラム・ライ・クアンちゃんが死去
1990/11/30
放射線被曝者医療に関する国際協力検討員会が2回目の会合。海外研修医の受け入れ、日本人専門医の派遣などについての窓口事務、海外の医療従事者に向けた原爆医療白書の作成など事業計画の大筋を決定
1990/11/30
広島市特別名誉市民で精神養子運動を提唱した米のノーマン・カズンズさんがロサンゼルスで死去。75歳。12月6日、身内だけの葬儀がニューヨーク市内で営まれる。エレン未亡人、家族をはじめ友人らが参列。1991年1月17日、ロサンゼルスのカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)で大学葬
1990/11/30
自民党の原爆被爆者対策小委員会(田中正巳元厚相)が、弔意事業を実施する財団法人設立について、厚生省から「個別給付の芽を残す」と異議が出され、結論持ち越す
1990/11/--
徴用工として東洋工業で働いた被爆韓国人鄭忠海さんの体験をつづった「朝鮮人徴用工の手記」が出版。広島市の井下春子さん訳
1990/11/--
自民党原爆被爆者対策小委員会が、広島、長崎市への慰霊平和記念施設の建設と、弔意事業を実施する財団法人の設立を柱とする素案骨子まとめる。被爆者団体が要望していた原爆死没者遺族への弔慰金支給は見送り