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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 1月


1989/1/4
世界平和連帯都市市長会議が、国連の非政府組織(NGO)登録の手続きを開始。経済社会理事会、軍縮局、広報局の3機関NGO
1989/1/5
長崎市役所に包丁男が乱入し逮捕。本島等長崎市長の天皇戦争責任発言で「市長に抗議文渡したい」
1989/1/7
日本被団協が「天皇死去に当たって」と題し藤平典事務局長の談話。広島、長崎の惨禍は「昭和の戦争の中で生じたものであり、その戦争は天皇の名によって始められた」「昭和は終わっても被爆者の願いが実らない以上、私たちは訴え続けなければならない」
1989/1/9
「原子爆弾による放射線量の評価検討委員会」(委員長、田島英三原子力安全研究協会理事長)が、広島、長崎の被曝線量推定で実測値は「ほぼ正確」と結論。米側とDS86の見直し協議へ
1989/1/10
米最高裁が、電力会社が建設計画を中止した原発に要した費用の電力料金上乗せを禁じたペンシルベニア州法を合憲とする判決
1989/1/10
原爆症認定申請却下取り消しを求める京都の訴訟で、東京地裁への移送に対し最高裁に特別抗告。京都地裁の移送決定に対し、即時抗告していた大阪高裁が棄却したため。18日、同じ原告が京都地裁に国を相手取り、医療特別手当など約470万円の損害賠償を求めた訴訟も国が東京移送を申し立て
1989/1/12
第1回「世界青年の船」に参加するエクアドルの青年25人が原爆資料館を見学。青年の船は日本と海外11カ国の若者279人が71日間かけ日本から中南米へ航海
1989/1/18
放影研の清水由紀子疫学部研究員が、新しい原爆放射線量計算式DS86に基づき計算の結果、被爆者のがん死亡危険度は従来のデータの2、3倍に
1989/1/21
1989年度予算で在韓被爆者の渡日治療、渡航費用100人分(1,000万円)など4,200万円が復活。「国際拠出金」の名目で大韓赤十字社に拠出。残る3,200万円は韓国での健康診断や精密検査費
1989/1/22
荒木広島市長が22日のソ連の核実験に抗議文。24日、被爆者らが原爆慰霊碑前で抗議の座り込み。岡山市平和町の平和の像前では150回目の座り込み
1989/1/22
「脱原発法全国ネットワーク」(高木仁三郎事務局長)の脱原発法制定1,000万署名始まる
1989/1/22
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。タス通信が伝える
1989/1/24
日本原子力研究所が原子力船「むつ」の原子炉中間報告。「制御棒にピンホールと多数の腐食部分、燃料棒の一部にも腐食らしい部分」
1989/1/25
広島県原水禁が原爆ドーム保存のため国の内外で募金活動をするよう広島市に要請。「原爆ドームは人類の共有財産。募金で保存すべき」
1989/1/26
動力炉・核燃料開発事業団の人形峠(岡山県)ウラン濃縮装置の2期工事が終了。試験運転を開始 1989/1/27
「1・27核実験停止を求める国際共同行動日」(ネバダデー)に連帯し、原爆慰霊碑前で広島県被団協の森滝市郎理事長ら180人が座り込み
1989/1/27
米ネバダ核実験場風下地区、ユタ州選出のハッチ上院議員とオーウェンス下院議員が、核実験被曝住民への補償法案を上下両院へ提出へ。がん患者と遺族ら1,200人が起こした補償訴訟は最高裁で棄却処分に
1989/1/28
「1962年10月のキューバ危機の際、ソ連はキューバに既に20個の核弾頭を持ち込み、20個を船で搬入途上だった」-。モスクワで開催中のキューバ危機をめぐる米ソシンポジウムでポルコゴノフ・ソ連将軍が明らかに
1989/1/28
広島市で「日韓被爆二世交流連帯・親善委員会日本委員会」の結成総会。代表委員に平野伸人全国原爆被爆二世教職員の会会長
1989/1/29
東京・町田市で被爆女性神戸美和子さんの半生を描いた合唱組曲「いのちの賛歌ー非核の街に」の初コンサート。早乙女勝元さんが作詞し反核音楽家で知られる寺原伸夫さんが作曲
1989/1/30
語り部活動の14団体で構成している「被爆体験証言者交流の集い」が広島平和記念館で研修会
1989/1/--
米スミソニアン博物館で広島原爆投下機エノラ・ゲイの復元進む。同機は1945年6月、原爆投下作戦用に改造し、空軍に引き渡された
1989/1/--
1954年3月の米ビキニ水爆実験で被曝したとみられるマグロ漁船第5住吉丸が、高知県土佐清水市の造船所に放置-。同県「幡多高校生ゼミナール」の調べで判明。25日、広島大工学部の葉佐井博巳教授の調べでは、特異放射能は検出されず
1989/1/--
昭和天皇は皇太子、摂政時代を含めると中国地方を18回訪問。戦前4回、戦後14回。中国新聞がまとめる
1989/1/--
明仁天皇は1949年以来、皇太子時代に4度広島市を訪問。広島赤十字・原爆病院にも3度。中国新聞がまとめる
1989/1/--
広島市の竹屋公民館が、平和記念公園と平和大通りの記念碑や樹木の由来を記した「ピレキチツアー」案内地図を作製

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