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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 3月


1989/3/1
日本宗教者平和会議が主催し故久保山愛吉さんの墓前祭が焼津市の弘徳院で。1,000人が参加 1989/3/1
ビキニ被災35周年。静岡市や焼津市の反核集会で核廃絶呼び掛ける。原水禁国民会議は核実験抗議の座り込みの全国展開を決める
1989/3/1
米のビキニ水爆実験で被曝した貨物船弥彦丸の元乗組員小田厚夫さん(東広島市在住)が、広島市で開かれた「3・1ビキニデー広島集会」で体験を話す
1989/3/1
本島等長崎市長に再び実弾と脅迫文
1989/3/2
日本被団協が被爆者援護法の早期実現を求め3月中央行動。山口仙二代表委員が小泉純一郎厚相に要望書を手渡し、被爆者200人が手分けして各党役員らに訴え
1989/3/2
全労働省労働組合青年婦人協議会が「広島平和行動」。92人が参加し原爆養護ホームの被爆者らから被爆体験聞く。4日まで
1989/3/3
広島県原水協が広島地検にホテルの無断録音などの厳正捜査を申し入れ
1989/3/3
広島を撮り続けた写真家の岸本吉太さん死去。87歳
1989/3/3
原爆ドーム保存募金に広島市議会議員が1万円ずつを寄付
1989/3/3
荒木広島市長が市会で非核三原則の法制化が望ましいと表明
1989/3/5
自民党代議士激励のため広島市を訪れた小泉純一郎厚相が原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1989/3/6
広島県教組が原爆ドーム保存募金に全面協力決める。日教組臨時大会でも協力呼びかけへ
1989/3/6
広島県比婆郡東城町の核廃棄物処理場疑惑が広島県議会で問題になり、県が実態調査を約束
1989/3/7
南太平洋地域の反核運動に取り組んでいるオーストラリアのニック・マクレランさんが広島市で講演
1989/3/8
ギリシャの第1回平和オリンピックに広島県原水禁が派遣する代表団の結団式。代表は庄野直美広島女学院大教授、西山松平広島地区労事務局次長ら5人。ギリシャの平和団体が呼びかけ米ソなど23カ国、25団体がつくった「国際平和オリンピック機構」が主催
1989/3/8
1987年に決まった新しい原爆放射線量計算方式DS86の計算値と実測値のズレを修正する日米合同会議がハワイ・ホノルルで開催
1989/3/8
広島市議会議員の原爆ドーム保存寄付に広島県選管が「公職選挙法で禁止している寄付行為にあたる」と指摘。市に返還求める。広島県議会の自民党議員団は選挙区が広島市以外の29人が寄付
1989/3/9
長崎に原爆を落としたB29ボックス・カーの爆撃手カーミット・ビーハン氏が心臓発作のため死去。70歳。戦後「原爆投下を謝りはしないが、自分が人類で最後の原爆を投下した人になることを望む」と平和を訴え続けた(3・11)
1989/3/9
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1989/3/10
荒木広島市長が9日の米核実験に抗議文。12日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/3/10
広島市基町小の被爆エノキを守る児童らの活動をモデルにしたアニメ「ひろしまのエノキ」が完成、東京で試写会。原作、長崎源之助さん、監督出崎哲さん
1989/3/10
広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」が東側に7センチ傾く。市が修復工事始める
1989/3/11
神奈川県三浦市の市民劇団「海」(神田時枝代表)が、ビキニ水爆実験で被災した同市のマグロ漁船第13光栄丸をテーマにした演劇「食べてうまいよ、三崎のまぐろ第十三光栄丸・ビキニで被ばくす」を同市で上演
1989/3/12
安全性への懸念からソ連ウラジオストク入港を拒否されていたソ連初の原子力商船セブモルブチが9日ぶりに入港
1989/3/13
人工放射性物質のテクネチウム99が、大気圏内核実験の放射性降下物質量を上回る濃度で茨城沖の海水から検出。放射線医学総合研究所那珂湊支所が発表
1989/3/14
映画「千羽鶴」の広島ロケ始まる。主役の佐々木禎子さん役は広瀬珠美さん。「広島は母の里。原爆で亡くなった多くの親類のためにもいい演技をしたい」。母親役は倍賞千恵子さん、父親役は前田吟さん
1989/3/15
広島県東城町町議会で黒田文男町長が「核廃棄物処理の町内での計画はない」と否定
1989/3/15
放射線影響研究所の専門評議委員会が、腫瘍登録制度を利用して被爆者の発がん危険度を研究することなどを勧告
1989/3/16
モニュメント「ヒロシマへ」の作者、イタリアのアルフレド・ピッツォ・グレコさんが原爆資料館を見学
1989/3/17
中曽根前首相が主宰する「世界平和研究所」の第1回シンポジウム「動き始めた東西関係」が東京で始まる。キッシンジャー米元国務長官ら200人が参加
1989/3/17
放射線影響研究所の「放射線発がんワークショップ」に出席のソ連の医師が「現段階ではチェルノブイリの被曝者に放射線による後障害はない」と発言。全ソ放射線医学研究センターのオレス・ピャタク副総裁とオルガ・ツベトコーワ国際協力部長
1989/3/17
原水禁市民運動の再生を探ろうと、日本青年団協議会(星野雅春会長)が東京でシンポジウム
1989/3/17
原爆の爆風で壊れていた広島東照宮の市重要文化財の神輿が44年ぶりに修復
1989/3/17
カリフォルニア工科大地震研究所のギアリー研究員が、米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」4月号で「米は1963年から88年11月までの間に114回の未発表核実験を行っている」と発表。同大と米地質調査局が運営する地震観測地点で探知が111回、あと3回は「他の情報源から」
1989/3/18
第2回世界平和連帯都市市長会議に南アフリカ・ヨハネスブルク市を招待していることで、市民グループ「広島アフリカ講座実行委員会」(杉本則夫代表)が広島市に質問状。「平和連帯には人権抑圧や人種差別に反対する意味は含まれていないのか」
1989/3/18
放影研ワークショップが遺伝子レベルの研究など6項目を勧告し閉会
1989/3/19
広島市の中曽根前首相句碑に反対している「デルタ・女の会」(浜村匡子代表)が「霜月女『ノー句碑』句集」を発行、出版記念会
1989/3/19
被爆当時、旧鳥取県立米子工業学校の生徒で、動員先の呉海軍工廠から引き揚げ途中の8月16日、広島駅で1夜を明かした47人が、鳥取県に被爆者健康手帳を申請。県は5月1日、一括交付
1989/3/20
ソ連がチェルノブイリ原発事故後3年の放射能汚染地図を初公表。汚染区域は約20万平方キロ。放射能が降り注いだ地域はオーストリア、西ドイツ、イタリア、ポーランド、ルーマニア、スカンディナビア半島全域
1989/3/21
米国防総省が、潜水艦発射トライデント2ミサイルの失敗を記録した写真を公表
1989/3/21
被爆建物の保存について考えよう-をテーマに「平和のためのヒロシマ行動」が広島市でパネルディスカッション。詩人の栗原貞子さん、広島県教組の寺岡昭壮副委員長、鹿子木幹雄広島修道大教授らが参加
1989/3/22
セミパラチンスク核実験場を抱えるソ連カザフ共和国で反核団体「ネバダ」を結成。議長にソ連最高会議代議員で著名な詩人のオルザス・スレイメノフ氏
1989/3/23
世界平和連帯都市市長会議への南アフリカ・ヨハネスブルク招待問題で広島市が外務省、国連広報センターと協議。外務省「政府の関与していない地方レベルの会議だから問題ないのでは」
1989/3/24
世界平和連帯都市市長会議のヨハネスブルク招待の再考を―と、南アフリカの弁護士が広島市に申し入れ。外務省の招待で来日、広島市入りした同市在住のプラカッシュ・ディアさん
1989/3/24
米の「ピースチャイルド財団」(本部ワシントン)が1989年夏に広島市で平和ミュージカルを公演。デビッド・ウォールカム代表が広島市で協力を呼びかけ
1989/3/25
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)広島大会の概要が決まる。バーナード・ラウン会長らが広島入りし打ち合わせ。50カ国、2,000人前後の参加見込む
1989/3/26
西ドイツ・ハノーバー市の青少年使節団22人が、原爆資料館などを見学
1989/3/27
長崎市議会が「長崎市民平和憲章」を可決。(1)戦争体験の継承(2)非核三原則の厳守と世界の平和、軍縮への努力(3)核兵器の廃絶-など5項目が柱
1989/3/28
広島市が第2回世界平和連帯都市市長会議に南アフリカ・ヨハネスブルク市の招待をとりやめ
1989/3/28
「米の原発異常事態は10年間に3万3,000件超す」-。米消費者団体「パブリック・シチズン」がまとめる
1989/3/29
広島県が同県賀茂郡黒瀬町のアウシュビッツ平和記念館の建設・運営母体となる財団法人「平和推進協会」設立を許可。理事長に花房脩町長
1989/3/29
大阪府吹田市の「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」が、署名1万8,000人を添え厚生省に在韓被爆者の治療充実を要望。外務省は「福祉面に踏み込んだ援助を検討」と初回答
1989/3/31
原爆投下直後の広島を調べた米戦略爆撃調査団の報告書を広島大平和科学研究センターの森祐二センター長が7年かけ翻訳
1989/3/31
カリフォルニア州レッドウッド市のタスト小学校3、4年生が「サダコと千羽鶴」(エレノア・コア氏著)に感動し、2,000羽の千羽づるを広島市へ
1989/3/--
広島市の国前寺で原爆の爆風のため大きくずれた屋根の木組みが見つかる
1989/3/--
ビキニ被災の漁船員を追跡調査している高知県の「幡多高校生ゼミナール」の活動がドキュメンタリー映画に。高校生らは長崎で被爆したうえ、ビキニでも死の灰を浴び後遺症に悩んで自殺した船員の話に衝撃を受け、被災者の聞き取り調査を続ける
1989/3/--
1988年日米でアメリカ・インディアンとその仲間たちが実施した「大地と命のためのランニング」の模様を撮影したビデオ「セイクレッド・ラン(SACREDRUN)」が完成、各地で自主上映。製作は宮田雪さん

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