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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 5月


1989/5/1
広島市の原爆ドーム保存募金始まる。補修工事費の半額の1億円を目標に国内外に呼びかけ。荒木広島市長、「被爆体験証言者交流の集い」の語り部、広島「折鶴の会」の生徒らが街頭募金。初日112万円、既に寄せられた額を合わせると1,620万円。街頭募金はこの日だけ、2日からは市役所1階ロビー、各区役所、原爆資料館に設けた募金箱、金融機関に備えた納付書で受け付け
1989/5/2
反核市民団体でつくる「ピース・リンク広島・呉・岩国」が、核搭載疑惑艦船を監視する反核ホットラインを始める
1989/5/2
在韓被爆者との交流を図ろうと、広島の語り部らでつくる「ヒロシマを語る会」(吉田博直代表)の11人が訪韓
1989/5/3
長野市の布コイ製造業赤石平太郎、千代さん夫妻がつくった最後のこいのぼりが広島「折鶴の会」の手で平和記念公園に泳ぐ。赤石夫妻は25年前、折鶴の会にこいのぼりを贈った縁で交流
1989/5/5
チェリストで東京芸術大教授の三木敬之氏(広島県深安郡神辺町出身)が、無伴奏チェロのための小品「レクイエム・ヒロシマ」を作曲、北京で初演
1989/5/7
米誌ニューズ・ウィークが「1965年に米空母タイコンデロガから水爆搭載機が沖縄近海に水没し、海軍は事故をもみ消し」と報道。海軍機は1メガトンの水爆1個を搭載したA4Eスカイホーク。水没地点は沖縄本島から約320キロ、最も近い日本領土からは東約110キロ。8日、グリーンピースが詳しい事故状況を発表。水没地点は沖永良部島の東約300キロ
1989/5/8
映画「黒い雨」の完成を、今村昌平監督と主演女優田中好子さんが原爆慰霊碑に報告。カンヌ映画祭で高等技術委員会賞を受賞
1989/5/8
米国防総省が、1981年に発表した「重大核事故一覧表」でA4水没地点を「陸地から800キロ」としていたのを「南西諸島から128キロ」に特定
1989/5/8
米空母タイコンデロガの水爆搭載機水没事件で、調査に当たったワシントンの民間機関インスティチュート・フォー・ポリシー・スタディーズ(IPS)とグリーンピースが記者会見。1967年2月6日、同空母機動部隊司令官から海軍作戦部長にあてた「タイコンデロガは与えられた任務を直ちに実行するため、大統領の命令があればいつ、どこででも核攻撃を行う即応能力を維持しなければならない」と記した機密メモを発表
1989/5/9
米水爆機搭載機水没事故で、環境保護団体グリーンピースが航海日誌から「事故の2日後、米空母タイコンデロガが横須賀港に4日間停泊」と確認。核兵器持ち込みがほぼ確実に
1989/5/9
米国防総省が水爆搭載機の水没事故で「事故をもみ消したことはない。水深4,877メートルにある水爆に危険はない」と説明
1989/5/9
原水禁国民会議、核禁会議、市民団体などの連絡組織「核兵器廃絶運動連帯」(代表世話人、伏見康治参院議員)が、米水爆搭載機水没事件で政府に非核三原則の法制化を要求する声明
1989/5/10
島根原発2号機の事故で、中国電力は「砂が付着し継電器が接触不良を起こしたのが原因」と発表 1989/5/10
荒木広島市長が政府に非核三原則の堅持を文書で申し入れ。同市が政府に非核三原則の厳守を文書で申し入れたのは初
1989/5/10
原子力発電をめぐる町長選挙で架空転入事件を起こした山口県上関町の公選法違反事件判決が山口地裁であり、2被告に懲役10月、執行猶予5年の有罪判決
1989/5/11
広島平和文化センターの被爆証言ビデオに初めて北朝鮮国籍の被爆者が証言。広島市の辛福守さん
1989/5/11
ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がベーカー米国務長官と会談。一方的に「欧州配備の戦術核500個を年内にソ連領内に撤収」と言明
1989/5/12
停止中の島根原発2号機が運転再開
1989/5/12
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が発表
1989/5/12
広島市地域婦人団体連絡協議会(平松スエノ会長)が、原爆ドーム保存募金に協力決める
1989/5/12
原発分の電気料金を不払いの「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)が、館内照明用の電気を止められる
1989/5/12
荒木広島市長が12日の仏核実験に抗議文
1989/5/13
ブッシュ米大統領が、ソ連の一方的戦術核削減提案に歓迎を表明。しかし「米は既に戦術核兵器2,000個を削減」と述べ、新たに欧州核削減の意向は示さず
1989/5/13
広島県原水禁が原爆ドーム保存を訴え広島市内で街頭募金。8月6日まで毎月2回
1989/5/13
日本原水協の「1989年原水爆禁止国民平和大行進」が、東京・夢の島から広島へ出発。日本生協連など市民団体の「89市民平和行進」、日本山妙法寺の行進も
1989/5/14
核艦船ファイフの呉寄港と米軍岩国基地への核攻撃可能機ハリアー2配備に抗議し、市民団体「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」などの20人が原爆ドーム前で座り込み
1989/5/14
被爆者らが12日の仏核実験と米水爆搭載機水没事故に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1989/5/15
米がネバダで地下核実験
1989/5/15
外務省が米水爆搭載機水没事故で「水爆爆発の危険も環境への影響もない」との米回答を発表
1989/5/15
ジェファーソン・フェローシップ(米ジャーナリスト講座)の4人が原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に参拝
1989/5/16
荒木広島市長が15日の米核実験に抗議文
1989/5/16
参院予算委で社会党の千葉景子氏が「マレーシアの三菱化成系合弁会社エイシアン・レア・アース(ARE)社が放射能を含んだ廃棄物を不法に投棄し、放射能被害が発生」と追及
1989/5/16
呉、横須賀、舞鶴、佐世保の4市でつくる旧軍港市振興協議会(会長、横山和夫横須賀市長)が、非核三原則順守を宇野宗佑外相に申し入れ
1989/5/17
中国郵政局が旧広島貯金局の被爆タイルなどを原爆資料館に寄贈
1989/5/17
大阪市立淡路中学の3年生代表が広島平和記念館を訪れ、1988年に持参した韓国人被爆者の資料を早く展示してほしいと要望
1989/5/18
米の15日の核実験と米水爆搭載機水没事件に抗議し、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/5/18
動力炉・核燃料開発事業団の人形峠事業所のウラン濃縮原型プラントが全面操業始める。総工費550億円、1985年11月着工
1989/5/18
ベルギーのパトリック・ノートン駐日大使が広島市を訪れ、個人的にと原爆ドーム保存募金に寄付。外国公館関係者からの第1号
1989/5/19
映画「千羽鶴」が完成、広島市で試写会。神山征二郎監督、広瀬珠美、倍賞千恵子、前田吟さんら出演。共同映画
1989/5/19
「トマホークの配備を許すな全国運動」(梅林宏道代表)が、「巡航核ミサイル・トマホークを装備している可能性の高い米艦船16隻が日本に寄港」と発表
1989/5/20
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が24日に発表
1989/5/20
東京・品川区の武蔵小山商店街・第2ブロックが原爆ドーム保存募金でチャリティーセール。区ぐるみで進めている運動に協力
1989/5/21
中国新聞の連載企画「世界のヒバクシャ」がスタート。世界各地の放射能被害者をルポ
1989/5/21
広島市で「心に刻むアウシュビッツ広島展」が始まる。主婦、学生、会社員らが前年8月から準備。28日まで。1万5,000人が入場
1989/5/22
インドが中距離弾道ミサイル「アグニ」の発射実験に成功。射程2,500キロ。パキスタンはもとより中国、イランも射程に
1989/5/22
米空母タイコンデロガの元乗組員が水爆搭載機水没事故の模様を共同通信に語る。「波間に10~15秒間、浮き沈みしながら灰色の煙を噴き出し、一瞬爆発するかと思った」。パイロットはデンバー・ウエブスター中尉
1989/5/24
荒木広島市長が20日の仏核実験に抗議文
1989/5/25
大阪市立中島中学校が修学旅行で訪れた広島市で構成劇「HIROSHIMAへ!私たちの思い!」を上演。広島県安芸郡府中町立緑が丘中学、熊野町立熊野中の生徒らが鑑賞し意見交換
1989/5/25
仏が1990、91年防衛予算案でムルロア環礁の核実験を年8回から6回に、96年就航予定の原子力空母シャルル・ドゴール建造を2年遅らせるなどの方針決める
1989/5/25
衆院社労委が原爆被爆者特別措置法改正案を可決。社会、公明、民社党共同提案の原爆被爆者援護法案は廃案へ。医療特別手当11万5,600円、特別手当4万2,600円、健康管理手当2万8,400円など
1989/5/26
呉原爆被爆者友の会(畝義信会長)が、呉市で修学旅行生に初めて被爆体験を語る
1989/5/26
広島県原水禁などが20日の仏核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1989/5/26
米がネバダで地下核実験
1989/5/27
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)などが主催し、ベルギーで「原爆法廷」。大阪市原爆被害者の会の高木静子事務局長ら女性被爆者4人が体験を証言
1989/5/27
荒木広島市長が26日の米核実験に抗議文。29日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/5/28
原爆ドーム保存募金が3,000万円を突破
1989/5/29
1973年4月21日、米原潜ガードフィッシュが冷却水漏れ事故。民間機関のインスティチュート・フォー・ポリシー・スタディーズ(IPS)が発表
1989/5/30
広島市が、世界平和連帯都市市長会議への参加を要請するため、広島平和文化センターの河合護郎理事長らを西ベルリンなどへ派遣
1989/5/30
茨城県東海村の日本原子力研究所東海研究所で天然ウランが自然発火、消火の3人が軽い被曝
1989/5/30
名古屋市緑区地域子ども会育成連絡協議会(266団体)の奥村喜久会長が、被爆者のためにと集めた子どもたちの「1円募金」100万円を広島市に寄付
1989/5/31
若者の日米平和交流企画「ネバーアゲイン・キャンペーン」(NAC)の米側提唱者ドナルド・レイスロップ教授が徳山市を訪れ、地元の被爆者やNACの会・とくやま(加藤由佳代表)のメンバーと懇談
1989/5/31
日本平和学会中四国ブロック(代表、山田浩広島修道大教授)が広島大で「大学における平和教育」をテーマに研究集会
1989/5/--
呉市のあびプロダクション(内野谷典昭代表)が、早坂暁氏のオリジナル脚本で被爆二世を主人公にした映画「ピカの子」(仮題)製作に取り組む。こぶしプロ大沢豊監督
1989/5/--
広島大が被爆時計、鉄製扉、血痕の残ったタイルなどを東広島市の新キャンパスに移設保存決める
1989/5/--
ソ連の原子力砕氷船レーニンが1960年代後半、北極海域で炉心溶融事故。25~30人の犠牲者
1989/5/--
東京在住の詩人石川逸子さんが広島市の詩人大原三八雄さんが1966年から17年間、発行した「広島通信」全68号を1冊の単行本に復刻出版
1989/5/--
原爆資料館の1988年度の入館者数が145万210人と1955年開館以来最高を記録。外国人は円高のため6万2,906人と過去5年間で最低
1989/5/--
東京・港区のミニ平和博物館で「世界を結ぶ平和のリボン展」。平和のリボンは米の女性平和活動家ジャスティン・メリットさんが1982年に提案

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