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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 9月


1989/9/1
社会党の土井たか子委員長が、外国特派員協会で会見し「新しい原発は認めない。稼働中の原発も縮小の方向で努力したい」と表明
1989/9/2
米ミシガン州の児童から折りづるを託された東広島市の平賀緑さんが、広島市の平和記念公園内の原爆の子の像に供える
1989/9/2
山口市の県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑で、この1年間に亡くなった被爆者6人の肖像画供養
1989/9/2
中国新聞が連載「世界のヒバクシャ」で、1968年1月21日にデンマーク領グリーンランドの米空軍基地ツーレで起きた水爆搭載機墜落事故で被曝したデンマーク人労働者の実態を伝える。当時働いたのは1,202人、うち88年までに約200人が死亡
1989/9/2
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。タス通信が伝える
1989/9/3
荒木広島市長が2日のソ連核実験に抗議文。4日、広島県被団協の迫田正利事務局次長らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/9/4
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長に北朝鮮の被爆者家族から渡日治療を求める手紙届く。ハムキョン南道タンチョン市の金仙花さん。「母親の安命順、弟の金忠夫、伯父の金賛孝さんの3人が広島市内で被爆した。伯父は亡くなったが、残る2人は健康状態もよくない」
1989/9/4
広島市の中曽根元首相の句碑にいたずら。「中曽根」の名前が石のような硬いものでこすられる
1989/9/4
広島県黒瀬町のアウシュビッツ遺品が1989年末までに返還へ。ポーランド訪問中の花房脩宗町長と国立アウシュビッツ博物館のスモーレン館長が合意
1989/9/5
広島県黒瀬町のアウシュビッツ遺品の中には、ポーランドからの貸与とは別に、広島市の「ヒロシマ・アウシュビッツ委員会」(桑原英昭会長)が寄贈した35点があることが判明
1989/9/5
中国電力の山口県上関原発に反対する漁民ら300人が中国電力本社前で、地元への立地環境調査申し入れに抗議の座り込み
1989/9/5
原爆放射線量の新計算方式DS86について「原爆による放射線量の評価検討委員会」(委員長、田島英三原子力安全協会理事長)が、新グループを設置してさらにデータ収集へ
1989/9/6
島根県飯石郡三刀屋町で故永井隆博士をしのんで「三刀屋町如己の会」が発足
1989/9/6
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑の貞木展生評議員(山口大教授)が被爆軍人のカルテを電算処理、広島市にデータを寄贈
1989/9/6
参院社労委(浜本万三委員長)が広島市を訪れ、援護法について被爆者らの意見聴取。広島県被団協(森滝市郎理事長)の伊藤サカエ事務局長、広島県被団協(佐久間澄理事長)の山瀬明副理事長らが意見表明
1989/9/6
中国電力島根原発第1号機が、再循環ポンプの異常で停止。反対グループが中国電力に抗議
1989/9/6
広島県黒瀬町に駐日アラブ大使会議から「アウシュビッツ平和記念館建設はアラブ諸国と日本の友好関係を損ねる」と警告書簡が、4月に届いていたことが分かる。11月26日、広島市民らの呼びかけで開いた「アウシュビッツ遺品・経過と現状を知る会」では、広島県が1977年にヨルダンから記念館の建設中止申し入れがあり、83年にもアラブ連盟から抗議が寄せられていた事実を明らかに
1989/9/7
広島県韓国観光宣伝親善訪問団の団長として韓国を訪れた石松正二県観光連盟会長が「韓国では韓国人原爆慰霊碑が平和記念公園外に建立されていることに強い反発」と荒木広島市長に報告
1989/9/7
広島県東城町の核廃棄物処分場疑惑で広島県原水禁などが「高レベル放射性廃棄物最終処分場設置に反対する広島県民共闘会議」を結成
1989/9/7
中国電力島根原発のトラブルで、格納容器内の異常は見つからず
1989/9/7
社会主義女性インターナショナル執行委員のイスラエル、フィンランド、日本など6カ国の国会議員らが原爆資料館を見学
1989/9/8
原爆ドーム保存募金が2億円を突破
1989/9/8
米の科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が、同誌の「終末時計」を10月号から超大国による軍備の増減だけでなく世界の環境、経済、文化問題を加味して決めることに。現在は2年前から「あと6分」
1989/9/9
明仁天皇、皇后が広島県安浦町で開かれる「第9回全国豊かな海づくり大会」に出席のため広島市入り。原爆慰霊碑に参拝し広島赤十字・原爆病院を慰問。予定外の病室も慰問。「来る度にこの地が原爆による被爆の歴史を持つことに思いをいたさずにはいられません」
1989/9/10
総務庁が「動力炉・核燃料開発事業団」と「日本原子力研究所」に対し、海外ウラン探査の縮小と国内ウラン探査の廃止を勧告。「めぼしい実績がない」と分析
1989/9/10
原爆投下で廃虚になった広島市中心部の復興に尽くした電気工事技師ら55人が同市で「戦後20年代の電気屋たちの集い」。旧研屋町に集中していた電気工事会社に勤めていた技師でつくる「研屋会」が呼びかけ
1989/9/11
仏国会外務委員会のシャルル・ピストル副委員長ら6人が原爆資料館を見学
1989/9/12
原爆で両親、姉を失い自らも広島市で被爆した江戸指物師の木村正さん(東京都)が、同市のデパートで開かれた「江戸の老舗・職人芸展」に出品
1989/9/14
ウルグアイのフリオ・マリア・サンギネッティー大統領が原爆資料館などを見学。「平和への思いを確認するためにここに来た。平和とは単に戦争をしないという受動的なものではなく、戦争に反対する中で実現」
1989/9/14
米がネバダで地下核実験
1989/9/15
米海軍フリゲート艦ロドニー・M・デイビスが長崎市長らの反対を押し切り、長崎港に入港。16日、ピーター・G・ロバーツ艦長が原爆慰霊碑に参拝。抗議の被爆者らが献花の花輪を踏みつぶす
1989/9/15
広島県眼科医会が原爆後障害の研究・治療の歩みをまとめた「広島県眼科医会史」を発行
1989/9/15
外務省が、神奈川県から提供申し出のあった米空母タイコンデロガの航空日誌の受け取りを拒否していることが明るみに
1989/9/15
1945年9月、広島県佐伯郡大野町で枕崎台風に遭い、殉職した京大原爆災害総合研究調査班の慰霊祭を20回目の今回から京大が主催。「平和を目指す者の象徴として大学全体で継承したい」
1989/9/15
荒木広島市長が14日の米核実験に抗議文。17日、被爆者らが原爆慰霊碑前などに座り込み
1989/9/16
アジア・太平洋地域の非核化を探るパグウォッシュ会議主催の東京シンポジウムが開幕。19日まで。「アジア・太平洋地域における平和と安全」をメーンテーマに12カ国31人が参加。ジョセフ・ロートブラット・パグウォッシュ会議会長、バーナード・フェルトMIT教授、飯島宗一前名古屋大学長ら
1989/9/19
国連で反核を訴えピースチャイルド音楽会。広島市からは同市の志賀あかりさんが参加
1989/9/19
国連本部で「国連ピースメッセンジャー組織世界連盟設立総会」。広島、長崎両市の代表も参加
1989/9/19
パグウォッシュ会議の東京シンポジウムが閉幕。参加者のうち9カ国27人が「アジア・太平洋の軍縮をめざして」と題し6項目宣言。「軍縮と緊張緩和が具体的進展をみないのは、政治的意志の欠如による」と強調
1989/9/21
原爆資料館が、折りづるなどを送ってくる外国の子供向けに「ヒロシマを見つめて」英語版を出版
1989/9/21
米フリゲート艦長の長崎・原爆慰霊碑献花事件で、長崎市内の市民運動家らが花輪を踏みつけた被爆者2人を器物損壊罪で告発
1989/9/21
広島市中区国泰寺町の広島被爆者福祉センターが中区千田町3丁目の市総合健康センターに移転し、健康センターの開館記念式
1989/9/23
静岡県原水爆被害者の会が焼津市の弘徳院で、久保山愛吉氏の35回目の命日をしのび「墓前の追悼と誓いの集い」
1989/9/25
平山郁夫画伯が原爆投下機エノラ・ゲイを描いた水彩画2点を広島平和記念館に寄贈。1989年7月、米スミソニアン博物館倉庫で見た修復中の同機のスケッチと、広島上空にさしかかったB29の3機編隊の絵
1989/9/25
ニューヨークで開かれた日韓外相会談で韓国の崔外相が中山太郎外相に被爆者問題で善処を要望
1989/9/26
映画「黒い雨」が第27回ニューヨーク映画祭で好評。米国配給の申し入れも
1989/9/26
主婦連など東京を中心とした市民団体が、原爆ドーム保存募金として1,200万円を広島市に寄付。広島市地域婦人団体連絡協議会は620万円
1989/9/27
原爆ドーム保存募金に賛同する芸術家、文化人の作品を広島市のデパートでチャリティー即売会。奥田元宋、平山郁夫、藤原雄、坂倉新兵衛、吉永小百合、島倉千代子、柳田邦男さんらが協力。10月2日までの売り上げ1,040万円
1989/9/27
竹下虎之助広島県知事が「被爆建物の広島赤十字・原爆病院は部分保存を検討」と表明
1989/9/28
中国重慶の雑技団15人が原爆慰霊碑に参拝
1989/9/28
女子プロテニスの西ドイツのシュテフィ・グラフさんが原爆慰霊碑に参拝、原爆ドーム保存募金で50万円を寄付
1989/9/28
アウシュビッツ遺品問題の広島県黒瀬町の花房脩宗町長が辞職願を提出。10月18日付で正式辞職
1989/9/28
ニューヨークの国連本部に展示していた「被爆時計」の紛失が判明。国連のセビニー広報担当事務次長が荒木広島市長に文書で謝罪。7月に国連を見学した日本人の指摘で分かる。1983年に広島、長崎両市が国連に寄贈した被爆資料の1つで、広島市の美甘進示さんの父の形見
1989/9/29
「ソ連が1954年9月14日に南ウラル軍管区で、原爆を爆発させ演習。地上300~500メートルで爆発、付近に兵士も配置され人体実験に近い形」-。国防省機関紙「赤い星」が発表。10月14日付イズベスチヤは「演習参加の兵士の大部分はこの35年間に死亡」と伝え、わずかに生き残った兵士の悲惨な証言を掲載
1989/9/30
ソ連ベラルーシ共和国でチェルノブイリ原発事故の後遺症で障害児出産やがん患者が急増
1989/9/30
日本被団協全国代表者会議始まる。被爆者援護法実現へ世論を結集
1989/9/--
米司法省がカリフォルニア州オークランド市の非核都市条例は憲法違反、との確認を求めサンフランシスコ連邦地裁に提訴
1989/9/--
大阪市原爆被害者の会(森田栄会長)の婦人部が、5月にあったベルギー・ブリュッセルの「原爆法廷」の報告書を出版
1989/9/--
日韓被爆二世交流委員会と長崎県原爆被爆二世教職員の会(平野伸人会長)が、韓国被爆二世に贈る奨学金100万円を目標に募金開始

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