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ヒストリー

ヒロシマの記録1988 1月


1988/1/1
英ウィンズケール原子力工場で30年前の1957年10月10日に発生した事故を英政府が公表禁止にしていたことが、政府公文書で明るみに。軍事目的のプルトニウム生産原子炉の炉心で火災、16時間にわたり燃え続ける。周辺住民は一生の放射能許容量の10倍の放射線を数時間で浴び、白血病やがんで死亡
1988/1/1
レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、テレビを通じてそれぞれ相手国民に新年のメッセージ。戦略核半減条約の締結に強い意欲
1988/1/1
広島市在住の米人ローレンス・ウィッグさんら20人が平和記念公園で、午前零時を合図に「平和の鐘」のつき始め
1988/1/5
地下核実験検証能力改善のため、米ソの専門家が近く相互の核実験場を視察すると発表。米は7日出発、20人がセミパラチンスク近くの実験場を視察、ソ連は25日からネバダ実験場を視察
1988/1/5
ソ連がインドに原子力潜水艦1隻を訓練のため貸与。ウラジオストクでインド海軍に引き渡す
1988/1/8
荒木広島市長がスウェーデン・ストックホルムで21日から開く第3回非同盟6カ国首脳会議に出席
1988/1/9
本島等長崎市長がローマ法王に「原爆瓦」を贈る(「長崎年表」)
1988/1/10
米下院軍事委が「次期大陸間弾道ミサイルMX誘導装置に欠陥」と発表。配備済み12基が使用不能
1988/1/11
米ネバダ核実験場周辺住民の損害賠償訴訟で米連邦最高裁が「政府に賠償支払い義務はない」と住民側の上告棄却。原告はネバダ、ユタ、アリゾナ3州の住民1,200人、1979年に提訴
1988/1/11
広島市が平和記念公園内の広島平和記念館の建て替え決定。1990年度着工へ
1988/1/12
日本南画院常務理事、伊藤薫風氏が広島原爆病院に水墨画「秋の錦帯橋」を贈る
1988/1/13
放影研が、胎内被爆者の重度精神遅滞は20ラド以上の被爆線量と発表。時期的には受胎後8~15週
1988/1/14
韓国の金宇相駐下関総領事が、荒木広島市長に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移転」を要請。「同じ犠牲者なのだから納得できる方法で霊をまつってほしい。母国でも問題になっている」
1988/1/14
原子力船「むつ」の新母港、青森県むつ市の関根浜港が開港式
1988/1/15
日本原水協が国連に「第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で被爆者代表に発言の機会を」と要請
1988/1/15
広島手話劇団「河」が、ろうあ被爆者の体験をもとにした手話劇「光の川」を上演。ろうあ被爆者の体験を集めている手話ボランティアの仲川文江さんの記録「HIROSHIMATODAY」を題材に団員が脚本化
1988/1/16
米民間団体「天然資源保護協会」(NRDC)が、「米は1963年から88年までの25年間に少なくとも117回の秘密核実験を行っていた」と公表。実際はさらに50~60回多いと推定。地震波の分析で突き止める
1988/1/18
超党派の国会議員や文化人、広島、長崎市長らでつくる「核軍縮を求める22人委員会」(座長、宇都宮徳馬参院議員)が、21日からの6カ国首脳会議に連帯のメッセージ発送を決める。出席の荒木広島市長に託す
1988/1/18
地婦連、生協連、日青協、被団協など10団体でつくる「平和運動市民団体会議」が、第3回国連軍縮特別総会への取り組みを協議。準備作業に入る
1988/1/18
パリでノーベル賞受賞者75人を集めた「21世紀の脅威と展望」国際円卓会議。ミッテラン仏大統領と1986年平和賞受賞の米作家エリ・ウィーゼル氏が呼びかけ。日本からは化学賞の福井謙一博士が出席
1988/1/18
1987年3月現在、原爆を70個製造できる核物質が世界中で行方不明に-。西ドイツ週刊誌シュピーゲルが報道。国際原子力機関(IAEA)の秘密報告
1988/1/18
北海道教組日高支部が、新聞記事を利用した「平和教育実践カレンダー」を出版
1988/1/19
政府の放射線審議会が「低レベル放射性廃棄物処分で、個人の年間被曝線量が1ミリレム以下になれば特別な放射線防護は必要ない」との基本部会報告を了承
1988/1/20
1987年12月、長崎市が核保有5カ国首脳に送った「核兵器廃絶と核実験停止を求める要請文」に対し、米、英、ソから返書。米、英は「当面核実験停止の意思はない」、ソは「努力はする」が核実験には触れず(「長崎年表」)
1988/1/20
広島市原爆ドーム保存調査技術検討委員会(委員長、佐藤重夫広島工業大教授)が補修工法を決定。腐食の激しいドーム上部の鉄骨を交換
1988/1/20
被爆都市広島を紹介するため、広島市が製作していた海外向け広報ビデオ「ひろしまはいま」の日本語、英語版が完成。カラー、25分。監督は渋谷昶子さん
1988/1/21
荒木広島市長がスウェーデン・ストックホルムで開かれた6カ国首脳会議で「首脳、世界の指導者は被爆地広島を訪れ、直接、被爆の実態を確認し、核兵器廃絶に努力を」と訴え
1988/1/21
ソ連ロシア共和国クラスノヤルスクで、建設中の原発が住民の反対で中止-。プラウダが報道
1988/1/21
「長崎の鐘」を米ソに贈る会が発足。長崎県被爆者手帳友の会と長崎県原水禁が全国カンパ(「長崎年表」)
1988/1/21
全日本民間労働組合連合会の宇佐見忠信会長代理が、国際自由労連代表団の一員としてレーガン米大統領と会見、戦略核、通常戦力の削減推進を要請
1988/1/25
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)準備委員会が国連本部で始まる
1988/1/25
東広島市の姉妹都市・北海道札幌郡広島町の教育委員会がつくったヒロシマ学習報告集「父祖の地広島県を訪ねて」が東広島市や広島市に届く
1988/1/26
青森県むつ市の大湊港に係留中の原子力船「むつ」が関根浜新港へ。27日入港
1988/1/27
広島市佐伯区五日市町三宅地区の「三宅のルーツを探る会」が原爆体験記集を出版
1988/1/27
米が1951年1月27日にネバダで行った初めての核実験に抗議する国際共同行動。世界7カ国で実施し、広島県内では原爆慰霊碑前など20カ所で座り込み
1988/1/28
高知県高岡郡窪川町の藤戸進町長が四国電力窪川原子力発電所の誘致計画を凍結。地元の反対に配慮
1988/1/28
広島市で「被爆体験証言者交流の集い」が初の研修会。広島平和教育研究所、原爆被害者証言のつどい、平和のためのヒロシマ通訳者グループの代表が活動報告
1988/1/28
フランス・カーン市のジャン・ジロー市長が広島市を訪れ、6月にオープンする平和博物館に被爆資料提供を要請。広島市は旧市庁舎の被爆石など贈る予定
1988/1/29
広島、長崎などの被爆二世団体の全国交流会(原水禁国民会議、総評被爆連主催)が、長崎市内で開く。「被爆二世団体全国協議会」(仮称)結成を検討へ
1988/1/30
ソ連が配備したINF全廃条約対象ミサイル撤去がチェコスロバキアで始まる。チェコスロバキア共産党機関紙が伝える
1988/1/31
日本被団協が広島市で「1987年11月の東京大行動」報告集会。両広島県被団協が協力し開催
1988/1/31
岡山県のアマチュア天文家グループ「岡山・星空を愛する会」(武田英夫会長)が米の戦略防衛構想(SDI)に反対し「SDIに反対するアマチュア天文愛好者の声明」を発表
1988/1/--
放射線影響研究所が、広島の被爆者の半数が60日以内に死亡する「半致死線量」は従来の推定値400~450ラドよりも低い270~310ラドと発表。新計算方式(DS86)を使う。95%死亡線量は450~500ラド
1988/1/--
長崎市の本島等市長がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に送った核兵器廃絶を求める親書に、在日ソ連大使館から口頭で回答。「中短距離核全廃条約の締結は画期的なことと認識。ソ連はもう一方の核大国である米と戦略核兵器の削減についての話し合いを粘り強く推進」
1988/1/--
反核考古学研究者の会(代表、江上波夫東大名誉教授)が、世界の考古学者に反核署名を呼び掛け。同会は1986年3月、江上氏や近藤義郎岡山大教授らが結成
1988/1/--
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)へ統一代表団派遣のため、2つの広島県被団協が協議
1988/1/--
ニューヨークで全面核戦争の恐怖をコメディータッチで描いたミュージカル「愚かな核」上演

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