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ヒストリー

ヒロシマの記録1988 5月


1988/5/1
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)に向け世界平和連帯都市市長会議がまとめたアピールを荒木広島市長が発表。兵器禁輸を盛る
1988/5/1
長崎市平和公園内の「電気通信労働者原爆慰霊碑」に供えてある千羽づるが放火される
1988/5/2
ソ連原発事故の影響とみられる微量のセシウム137がフランス各地で検出-。同国民間機関が発表
1988/5/2
1988ひろしまフラワーフェスティバルに参加する仏ニース市のミス世界のカーニバル、コリーヌ・シャブペイルさんが原爆資料館を見学
1988/5/4
荒木広島市長が4日のソ連核実験に抗議電報。6日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/5/4
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。タス通信が伝える
1988/5/6
8月6日に「平和のための国際電話会議」を計画しているカナダ人リン・ルサフォードさん(東京在住)が広島市を訪れ、関係者に協力を要請。過去2年実施
1988/5/7
広島平和記念館で「第3回ぼくたちわたしたちのヒロシマ平和学習展」が始まる
1988/5/8
ソ連がノバヤゼムリャで地下核実験。タス通信が伝える
1988/5/8
デンマーク・コペンハーゲンのエゴン・ウェイデカムブ市長が広島市を訪れ、原爆慰霊碑に参拝
1988/5/8
日本原水協が全国理事会で役員改選。山口勇子筆頭代表理事を顧問に、後任に広根徳太郎元山形大学長、新たに赤松宏一事務局長が代表理事に
1988/5/8
広島市立本川小学校に平和資料館オープン。被爆校舎地下室と1階部分の教室の一部を保存工事し利用。保存工事中に校庭から見つかった被爆死者の火葬の遺灰なども展示。開館式には奇跡的に生き残った当時の教師堀江克子さんも出席
1988/5/8
荒木広島市長が8日のソ連核実験に抗議電報。10日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み。長崎-広島平和行脚の準備で訪れていたインド国会議員で俳優のスニル・ダッタさんも飛び入り参加
1988/5/9
広島市西区の被爆語り部・金崎是さんの紙芝居がアニメ映画「天に焼かれる」に。東京の映像製作会社「ワイズ」が広島映画センターの協力で製作
1988/5/11
原水禁国民会議と社会党が主催し、横須賀市の核燃料棒製造工場、日本ニュクリア・フュエル(JNF)から中国電力島根原発まで核燃料を追跡する反原発バスツアーが出発。マイクロバスに26人
1988/5/11
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)のためのパグウォッシュ会議がニューヨークで開会
1988/5/11
広島平和教育研究所が中心になって製作していた日中戦争時の日本軍の残虐行為を扱ったビデオ「黒い足跡」が完成
1988/5/11
山口市のゆだ苑に設立20周年記念の新被爆資料室が完成
1988/5/11
広島平和文化センターの被爆者証言ビデオに外国人で初めて韓国人被爆者の姜文煕さん(韓国人被爆者対策特別委員長)の証言を収録。姜さん以外に市内在住の3人と渡日治療で訪れている1人も
1988/5/12
仏がムルロア環礁で地下核実験。オーストラリアの地震センターが発表
1988/5/12
ソ連ウクライナ共和国パブログラードの最新型大陸間弾道ミサイルSS24の工場が爆発し、壊滅-。17日に米国防総省が発表。ソ連は「産業用爆発物生産工場で爆発があり、3人死亡」と発表
1988/5/12
「中国電力島根原発の核燃料輸送車から1ミリレム以上の放射能」と社会党が発表。中国電力は「基準を大きく下回り問題ない」
1988/5/12
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報
1988/5/13
日本原水協などが呼びかけ東京で反核集会。「広島・長崎の火」が披露され、ニューヨークへ出発。8月4日広島入りをめざす「88平和行進」もスタート
1988/5/13
米がネバダで核実験。エネルギー省が発表
1988/5/14
第3回国連軍縮特別総会を前に「長崎平和シンポジウム」(長崎市、核軍縮を求める22人委員会主催)が開かれ、核兵器廃絶を訴える「長崎宣言」(「長崎年表」)
1988/5/14
荒木広島市長が米核実験に抗議電報
1988/5/14
原爆で廃校になった広島市内の光道小学校卒業生らが、学校があった中区猫屋町で同窓会。1912年から45年までの卒業生247人が集う。同小は安芸門徒の闡教部が開いた私塾光道館が前身
1988/5/14
仏と米の核実験に抗議し、被爆者らが座り込み。広島市の原爆慰霊碑前は16人
1988/5/14
日本生協連の「88市民平和行進」が東京・夢の島の第五福竜丸展示館前をスタート。日本青年団協議会、日本被団協、日本山妙法寺の代表らも参加
1988/5/14
米スリーマイル島原発の事故炉が20年間封鎖へ
1988/5/15
日本被団協が東京で総会。第3回国連軍縮特別総会(SSD3)に22人を派遣し伊東壮代表委員が被爆の実態を訴え。被爆者援護法をめざす運動では原爆死没者補償と被爆者年金要求を柱に運動展開を決める
1988/5/15
原爆死の両親から学童疎開中の2人の兄妹に送られた手紙を小冊子にした「撫子抄」が発刊。埼玉県新座市の八尾洋二さんと鳥取市の鈴木咲子さん兄妹
1988/5/15
広島県被団協(佐久間澄理事長)、広島県原水協などが呼びかけ、広島市で「核兵器廃絶・ヒロシマの声をSSD3に・援護法の制定被爆者と県民の集い」開く
1988/5/15
非核自治体の情報紙「非核自治体インフォメーション」創刊。西田勝法政大教授が中心の「非核ネットワーク」が発刊
1988/5/15
日本原水協がニューヨーク・タイムズに核兵器廃絶を求める1ページの意見広告。「いかなる戦争にもヒロシマが待ち構えている。すべての核兵器廃絶を」
1988/5/16
広島平和文化センターが、広島と長崎で二重被爆した三菱重工業の元造船マン3人の証言ビデオを収録。長崎市の山口彊さん、同岩永章、熊本県本渡市の佐藤邦義さん。3人は三菱重工長崎造船所で設計に従事。5月31日から旧広島造船所出張中に被爆、長崎に帰り再び被爆
1988/5/16
日本被団協の伊東壮代表委員らが竹下首相に、第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で核兵器完全禁止協定実現に努力するとともに、国家補償による被爆者援護法の制定を求める
1988/5/16
米ジャーナリスト講座(ジェファーソン・フェローシップ)で来日中の新聞記者や放送記者が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1988/5/17
「反核・軍縮・地球をまもる女たちの集会」が広島市で開催。日教組婦人部と退職婦人教職員全国連絡協議会が中心になり、アジア、太平洋地域から17人の代表が参加。16日、本川小の平和授業を参観
1988/5/17
竹下首相が8月に広島、長崎の両方の原爆死没者慰霊・平和祈念式に参列を内定。両市への参列は歴代首相で初
1988/5/18
中曽根康弘前首相が提唱する「世界平和研究所」の設立発起人会が東京で開く。発起人=金丸信前副総理、伊東正義自民党総務会長、斎藤英四郎経団連会長、鈴木永二日経連会長、石川六郎日商会頭ら
1988/5/18
広島、長崎両県市が竹下首相に第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で、「核実験の全面禁止と核軍縮を訴えてほしい」と要望書提出
1988/5/20
学者、文化人らが呼びかけ人となった「在韓被爆者問題市民会議」が東京で設立
1988/5/20
広島市のオルガン奏者日山かおるさんがロサンゼルス市内のメソジスト教会で広島平和記念演奏会。原爆をテーマにしている作曲家尾上和彦氏(奈良市在住)の曲「祈り」など演奏
1988/5/20
日赤長崎原爆病院で開設30周年式典。これまで約520万人の被爆者を治療(「長崎年表」)
1988/5/20
原爆被害に関する資料を海外に送る活動をしてきた「ヒロシマを知らせる委員会」(原田東岷委員長)が解散。1973年11月発足し、バーバラ・レイノルズさんがウィルミントン大につくった「広島・長崎記念文庫」に520点の文献を送るなどの活動
1988/5/20
竹下登首相が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で核実験探知網の創設を提唱へ
1988/5/21
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1988/5/22
中部電力浜岡原発で放射能漏れ。17人被曝。1人平均5ミリレム
1988/5/22
荒木広島市長が米核実験に抗議電報
1988/5/23
荒木広島市長が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)の発言を補う「ヒロシマからのアピール」を発表。英語に翻訳し各国に配布へ。平和と軍縮に関する国際的研究機関の広島設置など訴え
1988/5/23
「全面核戦争が夏に北半球で起きたら、核爆発で数億人が死亡、気温の異常低下による「核の冬」で10~40億人が死亡」-。国連専門グループが報告
1988/5/24
米の21日の核実験に抗議し、広島県原水禁の横原由紀夫事務局長ら14人が原爆慰霊碑前で座り込み
1988/5/24
故湯川秀樹博士から「原爆の子の像」のために贈られながら所在不明の「金色の鶴」について、広島市が「紛失」と断定、複製の制作決める。故湯川博士、制作者の故菊池一雄元東京芸術大教授の遺族も了解
1988/5/24
「被爆朝鮮人の資料がないのは納得できない」と大阪市立中島中学の代表が西宮市で見つかった朝鮮人労働者の資料を持参、展示を求める。資料館側は「被爆資料ではない」と断る
1988/5/25
中国電力・島根原発2号機が初の臨界に
1988/5/25
長崎県被爆者手帳友の会がソ連に贈る「長崎の鐘」の歓送会。8月9日、到着先のレニングラード市で除幕式(「長崎年表」)
1988/5/25
フィリピン上院審議会が核兵器の持ち込み、貯蔵を禁じた反核法案を可決。米軍基地存続に影響
1988/5/26
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランドが発表
1988/5/26
「原爆の図ヒロシマ展を見る会」が広島市内で「丸木位里、俊さんと市民のつどい」開く
1988/5/26
核禁会議が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)に磯村英一議長ら10人の派遣決める
1988/5/26
ニューヨーク州ロングアイランド電力会社とニューヨーク市当局の間でロングアイランド・ショアハムに完成した原子力発電所解体で合意。予定より10年遅れ1983年に完成したが、住民が反対
1988/5/26
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報
1988/5/27
米上院本会議が中短距離核廃棄条約(INF全廃条約)の批准を93対5で承認
1988/5/27
核搭載が可能な米艦ラスバーンなどが呉に寄港。革新団体などが抗議
1988/5/28
ソ連最高会議幹部会がINF全廃条約を批准
1988/5/28
仏の26日の核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前で被爆者らが座り込み。三次市役所前では原水禁三次地区協議会が300回目の座り込み
1988/5/29
米ソ首脳会談がモスクワで始まる。戦略核半減条約を本格討議
1988/5/30
外務、厚生両省の在韓被爆者問題調査団(団長、渋谷治彦外務省アジア局審議官)の5人が実態調査のため韓国へ
1988/5/31
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)がニューヨーク国連本部で開幕。総会議長に東ドイツのペーター・フローリン氏を選出。竹下首相は4番目に登壇し、核実験検証制度の確立を目指す国際会議の開催を提唱
1988/5/31
レーガン大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の立ち会いのもとシュルツ米国務長官とシェワルナゼ・ソ連外相が、弾道ミサイル発射実験の事前通告に関する議定書と、地下核実験制限条約の合同検証実験に関する議定書など9文書に調印
1988/5/--
1983年にニューヨーク国連本部ロビーに開設の広島・長崎被爆資料展示コーナーが全面改装。第3回国連軍縮特別総会(SSD3)に備える。改装費8万ドルは日本政府が負担
1988/5/--
浄土真宗本願寺派安芸教区が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)開催中にニューヨークで営まれる本願寺派の「平和を願う礼拝と集い」に4人派遣決める
1988/5/--
米の平和団体「ピース・チャイルド」が主催する平和ミュージカルに広島市佐伯区の藤井美夏さん(広島女学院大2年)が参加
1988/5/--
広島市が1967年以降「工作物新設を認めない」としていた平和記念公園内に、67年以後も7基の碑や像が新設-。「ピカ資料研究所」(田原伯代表)の調べで判明。1973年の花時計、77年の石灯ろう2基など
1988/5/--
原爆アニメ「天に焼かれる」英語版製作へ。第3回国連軍縮特別総会(SSD3)の開かれるニューヨークで上映へ
1988/5/--
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)へのNGO日本代表団陣容固まる。日本原水協などの「SSD3に核兵器のすみやかな廃絶を要請する日本連絡会」339人、日本被団協や日青協などでつくる「SSD3の成功に向けての市民準備会」326人、原水禁国民会議が中心の「SSD3に向けて行動する会」255人など計1,136人

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