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ヒストリー

ヒロシマの記録1988 6月


1988/6/1
米ソ首脳会談終わる。INF全廃条約の批准書を交換し同条約が発効。史上初の核兵器削減が実現。戦略核兵器削減では対立続く
1988/6/1
アウシュビッツ展を計画している東京の「グリーンピース出版会」(青木進々代表)が広島県賀茂郡黒瀬町からアウシュビッツの遺品30点借用で合意
1988/6/1
竹下首相が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)演説で「抑止と均衡」の必要性を主張。被爆者ら反発
1988/6/2
米がネバダで地下核実験。コロラド州地震情報センターが発表
1988/6/2
修学旅行で広島市を訪れた東京の大崎中学3年生が慰霊の合唱。原爆に関係のある「木琴」「消えた八月」など披露
1988/6/2
広島県立美術館で丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」展始まる。「同展を見る会」(森滝市郎代表)の主催。広島市での「原爆の図」展は13年ぶり。原爆の図は16部作のうち「幽霊」「火」「救出」など7点、「南京大虐殺の図」も初めて展示
1988/6/2
デュマ仏外相が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で演説。核実験を継続すると述べるとともに「1年ごとに核実験の実施回数を発表」と言明
1988/6/2
中国の銭其〓外相が第3回国連軍縮特別総会(SSD3)で演説。INF全廃条約は東西関係の緩和につながると評価、核の全面廃棄に向け総会が合意するよう呼びかけ
1988/6/2
軍縮と開発への地球規模的行動を求める議員連盟(PGA)の会議が国連本部で開かれ、日本の軍縮促進議員連盟の鯨岡兵輔副会長、安井吉典代議士らが参加
1988/6/2
「原爆の火」が国連本部に届く。共産党系の「SSD3に核兵器のすみやかな廃絶を要請する日本連絡会」代表団と、広島からソ連を経由して火を運んだ永井浩之さんらが明石康国連事務次長に手渡す
1988/6/3
荒木広島市長が米核実験に抗議電報
1988/6/3
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第8回世界大会が「地球の健康回復のために-地球的処方」をテーマにカナダ・モントリオール市で始まる。IPPNW日本支部長の杉本純雄広島県医師会会長、荒木広島市長ら30人の日本代表団をはじめ70カ国2,000人が参加
1988/6/3
広島市の子供平和大使10人がフランス・カーン市の「平和のための博物館」に出席のため広島を出発。開館式は6日。翠町中2年の山内一史、口田中2年三宅直美、己斐中2年河野博史君ら
1988/6/4
米の2日の核実験に抗議し、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/6/4
広島市の平和記念公園に育っている被爆ハマユウがソ連のロシア正教一千周年記念式典へ。橋渡しをした横浜市在住の被爆者黒川万千代さんに広島市が3株を託す。ハマユウは広島女子商業学校で被爆。1カ月後、1枚の緑の葉が育っているのを見つけた元兵士の尾島良平さん(1979年9月死去)が神奈川県鎌倉市に持ち帰り栽培。1969年10月、広島市に贈った
1988/6/5
カナダ・モントリオール市で開かれているIPPNW世界大会で、横路謙次郎広島大原医研教授が6人の副会長の1人に選任。1981年から85年まで大北威元原医研教授が副会長を務めて以来
1988/6/6
ニューヨークで各国NGO代表が集まり「アジア太平洋反基地ネットワーク会議」。フィリピンの米軍基地撤去が焦点に
1988/6/6
九州電力の佐賀県・玄海原発1号機で水漏れ事故。手動で停止
1988/6/6
フィリピン上院が、核兵器の持ち込みと貯蔵を禁じた反核法案を可決
1988/6/7
総評、社会党などで結成した「日本青年学生平和友好祭実行委員会」が主催し、広島と山梨県山中湖を結ぶ「反核平和の火リレー」がスタート。7月22日から山中湖で開く平和友好祭中央祭典で点火
1988/6/7
カリフォルニア州サクラメントにあるランチョセコ原子力発電所の即時閉鎖を要求する住民投票が小差で否決。1年半運転を続け、改めて住民投票
1988/6/7
スウェーデン議会が原発廃棄法案を可決。1996年までに2基、2010年までに残る10基を段階的に廃棄
1988/6/7
国連の被爆資料展示コーナーが改装され開所式。荒木広島、本島等長崎市長、ペーター・フローリン軍縮総会議長、明石康国連事務次長らが出席。被爆者らから「展示内容が貧弱。実相が伝わらない」の声。荒木市長も日本政府の国連代表部に改善策申し入れ
1988/6/7
NGO国際平和会議がニューヨークで開幕
1988/6/7
「核兵器-現代世界の脅威展」が6年ぶりニューヨーク市内で開催。同展は1982年の第2回国連軍縮特別総会(SSD3)の際、国連ロビーで開かれ、その後、創価学会インタナショナルなどの主催で世界各国を巡回
1988/6/8
国連のNGOデーで被爆者が核全廃を訴え。原水禁国民会議代表の伊藤サカエ、日本被団協代表の伊東壮さんの2人が被爆体験を語る。軍縮議連の二階堂進会長、日本生協連の中林貞男名誉会長、立正佼成会の庭野日敬会長も意見発表。9日、荒木広島、本島等長崎両市長が「軍縮のための広島会議を。広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を」と提唱。日本原水協の広根徳太郎、創価学会インタナショナルの山崎尚見副会長らも
1988/6/8
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)でソ連のシェワルナゼ外相が、核抑止論放棄の演説。「核のない世界は今や目に見える目標となった」
1988/6/8
西ドイツ駐留米軍が、ムートランゲン核ミサイル基地を内外記者団に公開。INF全廃条約で廃棄する中距離核ミサイルパーシング2の解体、撤去手順を説明
1988/6/8
九州電力・玄海原発の修理は燃料棒抜き取りを含む大がかりなものに。所要日数70日
1988/6/9
国際反核共同行動「平和の波」が広島、長崎、ニューヨークを起点にスタート。1987年の日本原水協の原水爆禁止世界大会で米ソ代表が提案
1988/6/9
広島の被爆語り部・沼田鈴子さんが、有職婦人らでつくる社会奉仕団体国際ソロプチミスト広島(山崎妙子会長)から「婦人栄誉賞」を受賞 1
988/6/9
広島県高田郡吉田町の「原爆被害者の会」(青崎順三会長)が「非核の碑」を建立、除幕式
1988/6/10
在韓被爆者渡日治療委員会(河村譲会長)が、観光ビザによる渡日治療の継続決める。韓国政府が治療目的のパスポート発給を中止したため
1988/6/10
日本のNGOなどが、ヒロシマ・ナガサキからの平和アピール署名など3,900万人分の署名目録を国連へ手渡す。6年前のSSD2では段ボールに詰めた署名を国連が受け取ったが、保管代がかさむため今回は目録だけ
1988/6/10
広島平和文化センターが1987年度の被爆語り部学習をまとめる。証言を聞いたのは644校、9万8,000人の修学旅行生
1988/6/11
ニューヨークでNGOが国際平和集会。10万人が参加。故湯川秀樹博士のスミ夫人も遺影を手に加わる。国連本部前からセントラルパークまで平和行進。先頭は「原爆の火」を持った被爆者30人
1988/6/11
中国新聞が連載「電波は飛ぶNHK広島放送局の60年」を掲載。軍地恒四郎氏の寄稿。「1945年8月7日午前9時、生き残った職員が広島県安佐郡祇園町の原放送所から単独放送にこぎつける」。71人が被爆死
1988/6/12
東京・八丈青ケ島の村立青ケ島中学の3人がヒロシマ修学旅行。85、86年にも各1人が広島に
1988/6/14
奈良県唐招提寺に1300年前から伝わる仏舎利が国連に贈られ、献納式
1988/6/14
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。モスクワ放送が伝える
1988/6/14
荒木市長が14日のソ連核実験に抗議電報。16日、原爆慰霊碑前で被爆者らが座り込み
1988/6/16
日本原水協が提唱し1985年にスタートした「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名が広島市内で52万4,281人となり、市人口の過半数に
1988/6/16
シュルツ米国務長官が上院で「フィリピンが核艦船入港を拒めば同盟関係を絶つ」と言明
1988/6/16
通産省が「1987年度の原発事故・故障は19件」と原子力安全委員会に報告
1988/6/17
米カリフォルニア大のジャクソン・デービス教授が「横須賀で原子力艦船の原子炉事故が起きると、7万7,000人が死亡」と予測。「核兵器事故をアセスメントする会」(会長、大石武一元環境庁長官)が研究委託。19日、広島と呉市でも講演。「呉入港の艦船でプルトニウム239を5キロ含む核弾頭1個が船舶火災で燃えた場合、半径110キロが汚染し1,300人が1年から数年後に死亡」
1988/6/17
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が21日に発表
1988/6/17
東ドイツ政府が20日から主催する「非核兵器地帯創出をめざす国際集会」出席のため広島市議会の米田十郎副議長が広島を出発。日本から社会党の石橋政嗣前委員長、金子みつ副委員長らが参加
1988/6/18
小学生から大学生までのメンバーでつくっている広島レオクラブ(青山勝一会長)が平和メッセージを集めた小冊子「平和の未来のために」(英文)を作成、95カ国、約1,000のレオクラブに発送
1988/6/18
広島合唱団(大野正信団長)が広島市で「核兵器廃絶のためのコンサート88」。1985年から毎年開く
1988/6/20
長崎県と長崎市が、原爆被爆地域拡大を国に訴える科学的根拠を探るための機関として「長崎原爆被爆地域問題検討会」を発足(「長崎年表」)
1988/6/20
トロント・サミットが、戦略核交渉で米を支持する政治宣言
1988/6/22
1980年アキバ・プロジェクト記者のダイアナ・ルースさんが再取材で広島入り
1988/6/22
米がネバダで2発同時に核実験。エネルギー省が発表
1988/6/22
世界的なジャズドラマー、エルビン・ジョーンズさんが広島市で「ジョン・コルトレーンに捧げる至上の愛コンサート」。23日、50万円を広島市に贈る
1988/6/22
広島市の劇団「月曜会」が、峠三吉氏没後35年と戯曲家土屋清氏(1987年11月死去)の追悼を兼ね、土屋氏の戯曲「河」を上演
1988/6/22
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報
1988/6/23
17日の仏と22日の米核実験に抗議し、被爆者らが座り込み
1988/6/23
核問題をテーマに広島市で日独文学者シンポジウム「日独文学者の出会い」。小田実氏の提唱で、日本側から堀田善衛、水上勉、中野孝次、松元寛、栗原貞子の各氏ら6人、西ドイツからH・J・シェートリッヒ、F・C・デリウス氏ら4人。西ドイツ側から「広島市が高いビルに覆われ過去を語らないことに寂しさとショックを感じる」「原爆を資料館だけに閉じ込め、核について考えずにすんでいるように見える」などの意見
1988/6/23
荒木広島市長が米核実験に抗議電報
1988/6/24
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報
1988/6/24
広島県高校生平和ゼミナールが「ドキュメンタリー原爆遺跡-ヒロシマの子の爆心地レポート」を発刊。50カ所の遺跡調べる
1988/6/24
仏がムルロア環礁で核実験。オーストラリア地震研究センターが発表
1988/6/25
広島平和美術協会(柿手春三代表委員)が原爆養護ホーム舟入むつみ園を似顔絵慰問。18回目
1988/6/25
全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会主催)が広島市で始まる。450人が参加
1988/6/25
全国約1万キロを車で回り、核兵器廃絶を訴える日本青年団協議会と全国地域婦人団体連絡協議会の平和キャラバンが東京をスタート。長崎市を起点とする南コースは7月16日スタート、共に8月5日広島入りを目指す
1988/6/25
愛媛県の四国電力伊方原発南東約1キロに米海兵隊の大型ヘリコプターCH53が墜落。米兵7人が死亡。「もし原発に墜落していたら…」住民の不安高まる。30日、米軍岩国基地のロバート・パッパス海兵隊航空基地司令官が愛媛県庁を訪れ陳謝
1988/6/26
第3回国連軍縮特別総会(SSD3)が最終文書を採択できないまま閉幕。核軍縮最優先を主張するインド、キューバなど非同盟急進派と現実的な交渉を優先させたいとする米、英、仏などが最後まで対立
1988/6/26
「証言-ヒロシマ・ナガサキの声」を発刊している長崎の証言の会(鎌田定夫会長)が、広島市で「ヒロシマの心と思想」をテーマに座談会
1988/6/26
仏の24日の核実験に抗議し、広島県被団協の森滝市郎理事長らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/6/27
動力炉・核燃料開発事業団の新型転換炉「ふげん」が復水器内の真空度が下がり、自動停止
1988/6/27
アウシュビッツ博物館のカジミュジ・スモーレン館長が資料を永久貸与している広島県黒瀬町を訪問。「日本中の人が遺品に接することが出来るようにしてほしい。8年前の記念館建設計画を実現してもらいたい」
1988/6/28
米ソが核実験データを初めて交換。地下核実験制限条約の合同検証実験に関する議定書に基づき実施
1988/6/28
中曽根康弘前首相の提唱した「世界平和研究所」が東京で発足。会長兼理事長に中曽根氏
1988/6/29
中国電力の松谷健一郎社長が株主総会後の記者会見で「原発も機械だから細部が壊れるのは当たり前。壊れても安全に停止し、外部に放射能をまき散らさないで閉じ込められる」と発言。原発反対グループが反発
1988/6/30
宇部市・小野田市原爆被爆者協議会(竹内一作会長)が、会員66人の被爆体験をつづった「21世紀への伝言」を発行
1988/6/30
財団法人経済広報センターの招きで来日中の米、カナダの社会教育者研修団27人が原爆資料館を見学、原爆の子の像に参拝
1988/6/--
キノコ雲を学校のシンボルにしている米リッチランド高校に「シンボルを変えて」と、広島市基町小4年の児童らが手紙。同校を訪問予定の被爆語り部、原広司さんに託す
1988/6/--
「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(事務局・大阪府吹田市桃山台、松井義子会長)が、200万円を目標に緊急募金始める
1988/6/--
広島市が同市南区比治山本町の樹齢100年の被爆柳を3年がかりで移植へ
1988/6/--
音楽プロデューサーの山本コウタローさんらが寄付した約7,000万円をもとに、広島市が「原爆養護ホーム整備基金」設置を決める
1988/6/--
広島赤十字・原爆病院を1951年から山ユリ慰問している広島県山県郡戸河内町、上殿小学校の活動を広島地域文化研究所の神田三亀男さんが「咲け!山ユリの心」と題し出版
1988/6/--
映画「黒い雨」(今村昌平監督)の撮影が順調。岡山県和気郡八塔寺ふるさと村でロケ。主演は元キャンディーズの田中好子さん

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