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ヒストリー

ヒロシマの記録1988 8月


1988/8/1
米のテレビWNETが英人監督ピーター・ワトキンス氏の核問題を追ったドキュメタリー作品「ザ・ジャーニー」の放映始める。6夜連続、12時間番組
1988/8/1
米ソINF全廃条約に基づき、ソ連の短距離ミサイルSS12がカザフ共和国で初めて廃棄
1988/8/1
広島市の縮景園で初の慰霊供養祭。1987年8月1日に発掘された64柱の霊を供養
1988/8/1
核禁会議が広島市で核禁広島全国集会。被爆者救援募金700万円を広島赤十字・原爆病院、広島市、特別養護老人ホーム「清鈴園」、医療法人愛人会に贈る
1988/8/1
原水禁国民会議などの被爆43周年原水禁世界大会国際会議が東京で始まる。24カ国・地域、2国際組織の海外代表41人をはじめ200人が出席。2日も
1988/8/2
広島市南区の一人暮らしのお年寄りグループ「おたっしゃ会」が平和記念公園の慰霊碑を巡拝
1988/8/2
日本原水協などの原水爆禁止1988年世界大会国際会議が広島市で始まる。23カ国29の各国組織と12の国際・地域組織の代表63人と日本代表ら280人が参加。4日まで
1988/8/2
広島市で「反核・写真運動」(林重男代表)が主催し「ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ写真展」。6日からモスクワでも開催
1988/8/2
広島市のワールド・フレンドシップ・センターの日米教師交換計画で同市を訪れている米の小学校教師4人や、日本語を学んでいるスウェーデンの高校生8人らが原爆資料館見学や慰霊碑巡り
1988/8/2
広島赤十字・原爆病院の62年度診療概況で、がん患者の増加続く
1988/8/3
広島の郵便局職員自転車チーム「ピースサイクル88」の10人が広島市から長崎市に出発
1988/8/3
廃虚の広島市中心部で見つけた千手観音像を東広島市の三木利英さんが保管。自宅に仮設の観音堂をつくり初の法要
1988/8/3
広島、長崎などの被爆二世10人が韓国被爆二世と交流のため訪韓。二世問題についてのハングルのパンフレットなど作成へ
1988/8/3
尾道高校のハンドベル・クワイヤーが広島平和記念公園の慰霊碑をハンドベルを演奏しながら巡拝 1988/8/3
広島市を訪れた姉妹都市ソ連・ボルゴグラード市の代表4人が原爆資料館を見学
1988/8/3
全民労連(連合)が東京・新宿東口広場で反核コンサート「地球のスペアはありません」開く
1988/8/4
日本生協連の「市民平和行進」が広島市の平和記念公園に到着。日本原水協(共産党系)の「国民平和行進」も
1988/8/4
日本原水協の原水爆禁止1988年世界大会運営委員会が、「3日の非公開会議をホテル側が無断録音」と会場の広島シティホテルに抗議。ホテル側は事実を認める。5日、資料を無断コピーしていた事実も判明
1988/8/4
米の核施設ワシントン州ハンフォードの風下地区で育ったミリー・スミスさんが、原水禁国民会議などの協力で広島赤十字・原爆病院で受診
1988/8/4
米民主党大統領候補のデュカキス・マサチューセッツ州知事が核戦争防止国際医師会議(IPPNW)にあてた手紙で、米ソ両国の核実験一時停止を主張
1988/8/4
日本原子力研究所が「むつ」の原子炉容器のふた開放点検を開始
1988/8/4
1987年7月に起きた関西電力高浜原子力発電所1号機の蒸気発生器事故で、原発反対福井県民会議が関西電力を告発したのに対し、福井地検が不起訴を発表
1988/8/4
日米の高校生らがヒロシマを通じて交流する「第11回ユース・ピース・セミナー」(広島、福山、呉YMCA主催)が始まる。米の高校、大学生23人と西日本各地の高校生93人参加
1988/8/4
広島のアマチュア・オーケストラ新広島フィルハーモニーが、広島市で「レクイエム・イン・ヒロシマ」コンサート。2回目
1988/8/4
原水禁国民会議が広島市の県立体育館で被爆43周年原水禁世界大会広島大会。7,000人が参加
1988/8/5
広島市で全国高校生平和集会実行委員会、広島県高校生平和ゼミナールが「核の時代・ヒロシマの子のNONUKESCONSERT88」開く
1988/8/5
日本原水協の原水爆禁止1988年世界大会が、広島市の県立体育館に1万人参加し開会。7日まで
1988/8/5
広島市主催の「88青年国際平和シンポジウム」に出席する海外の姉妹・友好4都市の代表8人が広島、長崎両市の青年代表と原爆資料館を見学
1988/8/5
竹下首相が広島市の平和記念式典出席を断念。衆院予算委員会審議に備える
1988/8/5
広島市で「第9回ノーモア・ヒロシマ・コンサート」(同実行委員会主催)。米の反戦歌手フレッド・スモールさんが参加
1988/8/5
佐々木禎子さんが亡くなる前に折り続けていた千羽づるの一部19羽を、級友の広島市、幡生昌子さんと空田寛美さんが原爆資料館へ寄贈
1988/8/5
大阪府吹田市から自転車で広島、長崎を目指した「ピーシング88実行委員会」の39人が広島市に到着
1988/8/5
広島大原医研で中国地区放射線影響研究会。同研究所の伊藤明弘教授が「体内からのみその放射能排出効果」を発表
1988/8/5
部分的核実験停止条約調印25周年を記念し、メキシコ、インドネシア、ペルー、スリランカ、ユーゴスラビアの非同盟5カ国が米、英、ソ3国に包括的核実験禁止条約締結を求める国際会議開催要求の文書を送る
1988/8/5
カリフォルニア州サンタモニカで、40余団体が参加し核戦略研究で知られるシンクタンク、ランド研究所前で4日間の座り込み。6日、ネバダ核実験場に入った86人が逮捕。カリフォルニア州の核兵器貯蔵庫前でも26人が拘束
1988/8/5
広島市の元安橋東詰めで「原爆犠牲建設労働者・職人の慰霊碑」除幕式。全国建設労働組合などが建立
1988/8/5
日本生協連が広島市の県立体育館で「88ヒロシマ文化の夕べ」開催
1988/8/5
広島市で非核都市宣言自治体全国大会。95自治体から200人が参加
1988/8/6
広島市主催の「88青年国際平和シンポジウム」開く。米・ホノルル、ソ連・ボルゴグラード、西ドイツ・ハノーバー、中国・重慶、広島、長崎から各2人の計12人の代表が出席
1988/8/6
藤本孝雄厚相が広島市で記者会見し、第3原爆特別養護ホーム建設に積極姿勢示す。「被爆者代表から要望を聞く会」には被爆二世の代表が初めて参加
1988/8/6
広島城ランニングコースで「第2回ヒロシマ平和マラソン大会」
1988/8/6
広島被爆43周年。平和記念公園で広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式。5万人が参列し、新たに亡くなったり確認された原爆死没者4,476人の名前を記した死没者名簿を奉納。青年国際シンポジウムの参加者6人も献花。竹下首相代理で藤本孝雄厚相があいさつ
1988/8/6
荒木広島市長が平和宣言「…ヒロシマはここに改めて訴える。核実験を全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実態を確認することを。広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置することを。ヒロシマはまた、飢餓、貧困、人権抑圧、地域紛争などで苦難に喘ぐ人々に思いをいたし、早急な解決が図られるよう関係諸国に切望してやまない。日本政府は日本国憲法にうたう平和理念の現代的意義をふまえ、非核三原則堅持のもとに、世界平和に貢献する積極的な施策を講じるべきである。さらに、国家補償の精神に立脚した被爆者援護対策が早期に確立されるよう強く要求する…」
1988/8/6
広島市五日市町の光禅寺にあるマレーシアの南方特別留学生ニック・ユソフさんの墓で、由来を記した碑が除幕
1988/8/6
東広島市の養護施設「広島新生学園」で、被爆者や引き揚げ孤児らを追悼する慰霊式
1988/8/6
「ヒロシマ・ピース基金」(仮称)の構想を持つ世界的指揮者ロリン・マゼールさんが平和記念式典に初めて参列。広島訪問は5回目
1988/8/6
広島電鉄の電車に、平和への願いを一面に描いた「絵画電車」が完成。西ドイツ・デュッセルドルフの画家ジョー・ブロッケルホフさんが描く
1988/8/6
イタリアのルジェロ・マジーさんら各国の現代美術家15人が広島市のハノーバー公園でパフォーマンス「広島平和の太陽」。路上に100以上の人影を描く。韓国ソウル大助教授の民族舞踊家李愛珠さんは創作舞踊「統一の舞」で反戦、反核を訴え
1988/8/6
広島-長崎を3日間で走る広島・長崎国際平和ウルトラマラソンが6カ国8人が参加し、広島市の原爆ドーム前をスタート
1988/8/6
広島市で15回目の全国高校生平和集会(広島県高校生平和ゼミナール実行委員会など主催)。「高校生平和憲章」を採択
1988/8/6
新潟から広島へ小中学生31人の「子供平和使節団」。ダイインなどに参加
1988/8/6
広島市で原爆被害者証言のつどい(原爆被害者相談員の会など主催)。全国から集まった高校生や大学生らが被爆者と語り合う
1988/8/6
被爆直後、広島市の「迷子収容所」となった比治山小学校が当時の日誌を保存
1988/8/6
広島市で広島交響楽団が「平和コンサートの夕べ」
1988/8/6
浜田市が「核兵器廃絶平和都市」宣言式
1988/8/6
熊本市で開かれた第34回全国高校演劇コンクールで広島市立舟入高校が初の最優秀賞受賞。被爆死した運転士と息子を主人公にした「とうさんのチンチン電車」
1988/8/6
KDDが平和記念公園内のレストハウスで国際電話無料サービス
1988/8/6
祖父のトランクから出てきた日章旗を愛知県新城市の遺族に返還した米フロリダ州の少女、カリー・マックローリーさんが原爆の子の像に黄色いリボンと千羽づるを供える
1988/8/6
原水禁国民会議の被爆43周年原水禁世界大会参加者ら1,000人が広島市の本川公園で1分間のダイインと座り込み。包括的核実験禁止条約の実現求める
1988/8/7
米・先住民グループ18人がリレー形式で「大地といのちのために祈り、走ろう」と北海道幌延町に向け広島市を出発。チプワナ、ダコダ、ホピなど北米先住民
1988/8/7
反核陶芸家の北一明さん(東京都在住)の作品を集めた「北一明・ヒロシマ特別記念展」開く
1988/8/8
総評・原水禁国民会議系の被爆二世団体が長崎で「被爆二世団体全国連合協議会」(仮称)準備会を発足。12月に全国連絡組織の結成へ
1988/8/8
竹下首相が長崎平和祈念式の出席も断念。「国会日程の都合」
1988/8/8
福山市で「88市民平和のつどい」と「原爆・戦災死没者慰霊式」
1988/8/9
原水禁国民会議の被爆43周年原水禁世界大会と、日本原水協の原水禁1988年世界大会がともに閉会。核廃絶へ国際共同行動の強化打ち出す
1988/8/9
1945年末までの広島原爆の死者8万5,000人のうち、8,165人が重複していることが広島市のコンピューターチェックで判明。被爆者総数では2万7,298人減
1988/8/9
原爆投下直後の長崎市で救護活動にあたり、市立長崎病院の基礎を作った米マサチューセッツ州在住の元軍医ハーバート・ホーン博士が、長崎市の招きで平和祈念式典に出席(「長崎年表」)
1988/8/9
広島市の旧庁舎被爆石を使って平和記念碑を建てている千葉県八千代市の市民代表が、市民が折った折りづる10万羽を広島市の原爆の子の像に供える
1988/8/9
本島等長崎市長が平和宣言「…政府には、核実験の停止呼びかけ、被爆者援護法の制定、外国人被爆者に対する援護措置、世界の原発被曝者のための国際医療センター設置などを真剣に取り上げるようお願いしたい…」
1988/8/9
長崎市平和公園で2万4,000人が参列して原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。首相代理の小淵恵三官房長官らが参列。この1年間に死亡が確認された被爆者2,295人の名簿を奉安、奉安者総数7万7,462人に
1988/8/10
一水会会員の広島市の山岡正信さんが原爆ドームを描いた「被爆七年目のドーム」を広島市に寄贈
1988/8/10
日本原燃産業が青森県六ケ所村の核燃料サイクル基地に計画している日本初の商業用ウラン濃縮工場を政府が事業認可
1988/8/10
日本原水協の赤松宏一事務局長らが「原水禁1988年世界大会国際会議・起草委員会の会議の内容が、広島県警の指示で会場の広島シティホテルによって無断録音された」とホテルと広島県警察官を職権乱用と窃盗、偽計業務妨害の罪で広島地検に告訴。広島県警「警備関係で警官が同ホテルに出入りしたのは事実だが、録音やコピーを頼んだ事実はない」
1988/8/10
米第7艦隊旗艦ブルーリッジが呉に入港。呉原水協などが抗議
1988/8/10
韓国国会議員らによる「韓国人被爆者実態調査団」(朴炳善団長)10人が広島入り。在日韓国人被爆者の実態調査が目的。11日、記者会見し「韓国内の被爆者医療のために専門病院が必要。人道的立場から日本政府、民間の支援を期待したい」
1988/8/11
目の治療のため広島市に滞在中の韓国原爆被害者協会釜山支部長、金仁祚さんが原爆慰霊碑の原爆死没者名簿に子供ら5人の名前記入手続き
1988/8/12
日本でただ一人のオルゴール作曲家で楽器店経営の広島市の橋本勇夫さんが自作の曲、ケースも手作りのオルゴール26個を広島赤十字・原爆病院に寄贈
1988/8/13
児童文学者の山口勇子さんが小説「ヒロシマの火」を出版。福岡県八女郡星野村の元陸軍兵士山本達雄さんが被爆直後の広島市から持ち帰った原爆の火がテーマ。新日本出版社
1988/8/14
1次冷却水漏れ事故を起こし運転停止していた九州電力玄海原発1号機が69日ぶり運転再開
1988/8/15
岡山県上斎原村の動力炉・核燃料開発事業団人形峠事業所が、25~35年前に使っていた捨て石たい積場から基準以上の放射線。16日、鳥取県のたい積場からも岡山県の管理目標値を上回る放射線を検出
1988/8/15
広島市立古田小の石川律子教諭が西ドイツ・ゲッティンゲン市の教師グループからヒロシマの語り部として招かれ、同市の中学校で証言
1988/8/15
広島市平和記念公園の平和の灯が、大阪府箕面自由学園高校生の手でソウルのオリンピックへ
1988/8/16
広島市の原爆孤児森島隆さんがニューヨークで精神親のグレース・メイヤーさんと初めて対面。被爆後の援助にお礼
1988/8/17
岡山県上斎原村の放射能土砂汚染が倉吉市でも明らかに。鳥取県が調査へ
1988/8/17
米ソがネバダで核実験検証能力向上のため初の共同核実験。「地下核実験制限条約(TTBT)の合同検証議定書」に基づく第一段階。ソ連の科学者、技術者、外交官ら45人が立ち会い
1988/8/18
在日米軍横須賀基地に新たに配備されるイージス艦バンカーヒル、ミサイル駆逐艦ファイフが核ミサイルを搭載-。米の平和団体がまとめる
1988/8/18
日本YWCAの「ひろしまを考える旅」が始まる。韓国の学生5人を含む計110人の中、高校生らが参加
1988/8/18
米サバンナリバーの核兵器工場原子炉で、大惨事寸前の事故-。米紙ワシントン・ポストが報道
1988/8/19
広島市が米ソの17日の共同核実験について「全面核実験禁止への第一歩」と評価し、抗議電報を打たないことを決める。「核実験全面禁止を実現するには、検証措置の確立は不可欠。新型核兵器の開発が目的でないことも明らか」
1988/8/19
長崎市が米ソが17日ネバダで実施した共同核実験に抗議し、マンスフィールド駐日米大使に電報
1988/8/20
広島県被団協の森滝市郎理事長、広島県原水禁の横原由紀夫事務局長ら25人が、17日の米ソ共同核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み。「検証は現在の技術で十分可能。共同実験が核廃絶の第一歩になるとしても、核実験には断固反対」
1988/8/21
巡航ミサイル・トマホーク積載艦の横須賀母港化反対を訴え、広島市の市民運動グループ「ピース・スピリット88広島実行委員会」の25人が原爆ドーム前で2時間座り込み
1988/8/22
ソ連が西シベリアのチュメニで地下核実験。「国民経済発展のため」とタス通信が伝える
1988/8/22
広島県原爆被爆教職員の会が、中国から平和教育専攻の留学生受け入れで中国教育工会と合意。留学期間は1、2年
1988/8/22
通産省が北陸電力の初の原発、能登原子力発電所に設置許可。計画発表以来21年ぶり、チェルノブイリ原発事故以来初
1988/8/22
国の被爆者がん検診が広島県内で始まる。胃がん、肺がん、乳がん、子宮がん、多発性骨髄腫
1988/8/23
荒木広島市長が22日のソ連核実験に抗議電報。25日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/8/23
英エジンバラ国際芸術祭で反核一人芝居の「広島の女」(村井志摩子氏作)を女優の栗原千絵子さんが演じる。フリンジ(小劇場公演)部門で最高賞の「フリンジ・ファースト賞」受賞
1988/8/24
米サウスダコタ州のスーインディアンの高校生ら6人が原爆資料館を見学
1988/8/25
広島県、市の「黒い雨に関する専門家会議」(座長、重松逸造放影研理事長)が県庁で初会合。1989年春までに中間報告へ
1988/8/25
米国防情報センター(ジーン・ラロック所長)が「米ソ両国の退役将軍20人が7月にモスクワ、レニングラードで軍事討論会を開き、連名でレーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に双方の核兵器の除去、削減を訴えた」と発表
1988/8/26
米スリーマイル島原発事故の原子炉が30年間封鎖へ。「放射能の完全除去は困難」
1988/8/26
厚生省が「原爆被爆者健康管理センター」を1989年度から3年計画(6億4,000万円)で、長崎市に建設を決める(「長崎年表」)
1988/8/27
中米ホンジュラスのカルロス・ロペス外相が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1988/8/27
IPPNW韓国支部の一行が広島訪問。日本支部の横路謙次郎事務総長らと交流
1988/8/27
全国手話通訳問題研究集会の一環として、被爆ろうあ者の体験を手話で聞き取る講座が長崎市で開かれ45人が参加(「長崎年表」)
1988/8/28
ソ連ロシア共和国アストラハン州のカプスチンヤール特設廃棄場で中距離ミサイルSS20の廃棄作業。西側報道陣、ジュネーブ軍縮会議代表、米査察団ら約200人に公開
1988/8/29
大阪府釜ケ崎原爆被爆者の会(中村順会長)が大阪・守口市で原爆資料展
1988/8/30
広島県医師会が招く在米被爆者里帰り治療第1号、カリフォルニア州オークランドの土井昭孝さんが帰国。広島赤十字・原爆病院に入院
1988/8/30
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1988/8/31
荒木広島市長が米核実験に抗議電報
1988/8/31
核トマホーク搭載可能な米第7艦隊のイージス巡洋艦バンカーヒルとミサイル駆逐艦ファイフが横須賀港入港。革新団体が抗議
1988/8/--
爆心地から600メートルの広島市の白神社建て替え工事で、被爆瓦の破片が出土
1988/8/--
原爆をテーマにした川柳句集として広島川柳会が1956年に初めて出版した「きのこ雲」が、会長だった広島市の森脇幽香里(本名馬場文代)さんの手で復刻
1988/8/--
1984年8月に広島市の平和記念公園から運ばれた「平和の灯」が、ロサンゼルスの高野山米国別院で燃え続ける
1988/8/--
広島県吉田町の県厚生農協連吉田総合病院で、原爆投下直後の被爆者約2,000人分のカルテ見つかる
1988/8/--
心臓病の在韓被爆者鄭允仙さんが広島市の井下春子さんの世話で来日、県立広島病院で手術
1988/8/--
移住先のオーストラリアで絵本作家として活躍する広島市出身の森本順子さんが、1987年に出版した被爆体験絵本「MYHIROSHIMA」の日本語版「わたしのヒロシマ」を出版
1988/8/--
長崎の証言の会(鎌田定夫長崎総合科学大平和文化研究所長)が、ヒロシマ・ナガサキの声第2集「証言1988」を発刊
1988/8/--
札幌市の版画家岡部昌生さんが、広島の道を紙に刷り取る作品を制作。「広島の路上には、人間の生と死が濃縮」。広島市現代美術館に展示へ
1988/8/--
広島医療生活協同組合の被爆者でつくっている生協原爆被害者の会(会長、丸屋博広島共立病院長)が、被爆体験記「ピカに灼かれて」第11集を発行

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